第103話 エリートですから
ハンター協会に戻ってきた四人を迎え入れたのは――
「ダンジョンって本当かよ?」
「知らねえけど、【軍】が動いてるらしいぞ?」
「じゃあ本当か?」
「嘘だろ? 【軍】が動くなんて言ってなかったぞ?」
――いつも以上に騒がしいハンター達だった。
誰も彼もがダンジョンの事を口にし、噂話に花を咲かせる様は、控えめに見積もってもサイラスの意図する所ではないだろう。
「ジャック達が、明日から探しに行くらしいぞ」
「場所も分かんねえのにか?」
「いや、場所はこっから七〇〇キロくらい先らしい」
「遠すぎだろ」
「そこは協力して複数チームで――」
既にダンジョンを探しに行った馬鹿がいるらしい事からも、どうやらサイラスの意図する所ではないのは明白だ。
「このご時世、補給もなしに七〇〇キロも歩けるかよ……バカばっかりじゃねぇか」
溜息をつくユーリを、カノンがジト目で見上げている。それもその筈。アンダーグラウンドからイスタンブールまで、単独夜間行軍で歩いてきたユーリが言って良い台詞ではないからだ。
勿論カッパドキアの方がアンダーグラウンドよりも遠い。遠いが、複数人で物資を運搬し、交替で休憩を取る彼らの方がまだ常識的な思考をしている、とカノンは思っている。
とは言え、それで荒野を七〇〇キロ踏破できるか、と言われれば流石に無理だ。それが分かっていたからこそ、サイラスが【軍】からの依頼という事と、ダンジョンの情報を秘匿していたのにこの状況である。
飛び交う噂にそれを楽しそうに聞く人々……もう日も傾き始めた時間帯に見られたその光景は、これから始まる酒席を連想させ、よりその会話が盛り上がりを見せている。
皆が至るところで情報を交換する様子を「まるで飲み屋だな」と眺めていたユーリが溜息をついて周囲を見回した。
「ダンジョンの情報が漏れるのは……まあ」
溜息をつくユーリの隣を「【軍】が動いてるなら、そのうち依頼がくるんじゃねーか」とハンターの集団が通り過ぎながら噂を口にした。
「【軍】が噛んでるっつーのは、漏れようがねぇはずだが?」
それを目で追ったユーリが、エミリア達に疑うような視線を向けた。
ダンジョンの噂自体は元々存在していた。タイミングが出来すぎている気もするが、それがイスタンブールに流れてきたのなら、噂の説明はつく――ダンジョンの存在だけならば。
だが【軍】が噛んでいると知っているのは、現状では支部の人間とサイラスが指揮するチームくらいだ。故にユーリはエミリア達に、疑いの眼差しを向けたのだが――エミリアが自分たちではないと即座に首を振った。
「そんな馬鹿者はいませんわよ」
扇で口元を隠すエミリアの表情はユーリには読み取れない。とは言えエミリアやエレナ達が、その情報を漏らすとは今のところ考えにくい。そもそもメリットがないからだ。
その情報を流して、ハンター達を焚き付けて、彼らが得るものがあるとは思えない。そうなってくると、残っている選択肢は――
「……て事は、【軍】か……」
呟くユーリの言葉に「ですわね」とエミリアが同意を示した。事実情報を知っているのは、サイラスに強力を仰いだ【軍】の連中くらいしかいない。
可能性として【八咫烏】の存在も否定できないが、 昨日の今日で奴らが情報を掴めるとは思えないし、何より目的が見えない。
クーロンの騒動も、結局【八咫烏】の目的は分かっていないが、今この段階でハンターを焚き付ける理由が分からないのだ。なんせ、結局は遠くない未来に【軍】主導で作戦実行がかかる以上、ダンジョンの情報は皆に知られる事になるからだ。
そういう意味では、【軍】が情報を流す理由も分からないのだが……。
誰も彼もがメリットがない。だが、唯一漏らすとしたら、話を持ってきた【軍】の連中くらいだろう。わざわざ直接サイラスに依頼を持ってきたのだ。何らかの事情があってハンターを巻き込みたいのは明白。
ならば、少しでも計画が前倒しになるよう、街に噂を回すくらいはするかもしれない。
弱い消去法ではあるが、そう言った状況からユーリは【軍】が噂の出処だと睨んでいる。もちろん理由も目的も分からないのだが。
「ったく、どいつもこいつもコソコソ悪巧みが好きだな」
分かっていた事だが、再び陰謀に巻き込まれそうな状況にユーリがボヤくのも仕方がない。そしてその隣で何故か自慢気に「堂々と悪巧みする間抜けは、ユーリさんくらいでしょう」とカノンが謎に頷いているのも仕方がない。
「……お前それ……褒めてんのか?」
「褒めてますよ! 全力で」
ジト目のユーリに目が泳ぐカノン。暫しユーリは無言とジト目でカノンを睨み続けるも――その目を伏せて、
「まあいい。これ以上突っ込んでも煩くなるだけだしな」
と大きな溜息をもらした。ユーリの追求を逃れ分かりやすい安堵の息を吐いたカノン――だが、
「間抜けって言った件については、後で説明しろよ」
ユーリが浮かべた悪そうな顔に「ぎぃぇぇぇ」と小さな悲鳴を漏らした。
ユーリにちょっかいを掛けなければ無事なのに、不要な発言をするから、とエミリアが顔を青くするカノンに向けていた呆れた表情のままに
「支部長の所へ行きますわよ」
と今も「今日でそのアホ毛ともオサラバだ」「後生ですー」と賑やかな二人に声をかけた。
依頼の報告もそうだが、当初と流れが変わっている以上、指揮官の指示を仰ぐのは鉄則だ。故にカノンとユーリにも声をかけたのだが……
「断る。行く必要なんてねぇだろ」
ユーリは面倒さを隠さない表情で鼻を鳴らすだけだ。
「アナタ……本気ですの?」
扇で口元を隠したままのエミリアが、盛大に眉を寄せ「状況は変わってますのよ」と語気を強めた。
ユーリを強く睨みつけるエミリアだが、そんな視線を鬱陶しいとばかりに「シッシッ」と手を振るユーリ。
「バカか。状況なんて変わってねぇよ」
吐き捨てるようなユーリの言葉に、エミリアが更に眉根を寄せた。
「支部長の話を聞いてませんの?」
「聞いておりますですよ」
肩を竦めてお嬢様言葉で返すユーリに、エミリアの扇を持つ手に力が入り白くなっていく――
「聞いていたのなら――」
「うるせぇな。俺達のやることは変わんねぇだろ? 【軍】の下働きでダンジョンを探す。その根っこが変わんねぇなら、この状況も想定内だ」
ユーリの溜息に「それはそうですが」とエミリアの語尾が途端に窄んだ。
「想定外の情報漏洩。何処かの誰かが糸を引いてる。そのすり合わせくらい……そう言いてぇんだろ?」
腕を組んだユーリに「分かってるじゃありませんか」とエミリアが扇の向こうからユーリを睨みつけた。
「分かってるから何だ? 悪いが、ンな話になんてカケラも興味ねぇよ」
ユーリの見せる呆れ顔に、「興味がないですって?」と扇を持つエミリアの手が更に白く染まっていく。
「そりゃそうだろ。今の段階じゃ、どう足掻いても予想の域を出ない議論に、誰が興味を持つんだよ」
恐らく【軍】が何かしらの思惑を持っているのだろう、という事は先程予想した。それ以上の情報が出てくるならば、サイラスやエレナが勝手に教えてくれるだろう。そもそもこちらから提供できる情報など皆無だ。であれば、話が纏まってから聞いたほうが効率もいい。
「ですが……」
「そもそもジジイから連絡すら来てねぇんだろ?」
眉を寄せてデバイスを叩くユーリに、「ええ」とエミリアが小さく頷いた。実際ユーリの言う通りで、この喧騒に関して情報を交換する必要があるのなら、クレアやサイラスから連絡が来てもおかしくない。
「そんなら今はドシッと構えとけよ」
ユーリの言葉に、エミリアはそれでも扇の向こうで視線を泳がせている。
「それともエリート様は、全部自分がやらなきゃ気がすまねぇ、ってか?」
呆れ顔のユーリに「……どうしてアタクシがエリートだと?」と眉を寄せるエミリア。
「あんなチートな能力、エリート以外ねぇだろ。なんでこんな所に居るかは知んねぇけど、もうちっと肩の力を抜けよ……普段も。戦いも」
笑顔のユーリにエミリアの顔が一瞬だけ赤く染まった。それは己の本質を見抜かれてしまっている、いや本質を思い出させられたという羞恥の赤だ。
事実ユーリの言う通り、エミリアは自身の力に絶対の自負を持っている。だからこそ全てを自分で解決したいし、それが自分なら出来ると信じて疑わなかった。
そのせいで前の組織では駄目になったというのに、気がつけばまた同じ思考に陥っていたのだ。そしてそれを指摘してきたのが、何ともエリートとは程遠い男だ。
戦場における立ち回りに加え、まさかこんな事まで気付かされるとは……。いや、戦場における立ち回りすら、本質がそうさせていたのだろう。
それに気付かされたこと、本質が変わっていなかったこと、色々
とは言え、それを素直に認められないのもエミリアである。
「あ、アタクシは肩の力を抜いていますわ。凡夫がついてこれないのは困りますもの」
視線を逸らし、強がりを口にするエミリアだが、ユーリはそんな彼女を「ふーん」と生暖かい瞳で見ている。
しばらくエミリアを見ていたユーリだが、興味が失せたかのように、欠伸を噛み殺し――「それなら尚の事、行く必要なんかねぇだろ」と振り返らずに後ろ手をヒラヒラと振って入口へ向けて歩き出した。
背を向けたユーリとそれを恨めしく睨みつけるエミリア。それを見比べたカノンが、小さな溜息とともに頭を下げる。
「……エミーさん、すみません。ああ言ってますけど、待ってる彼女の為に早く帰りた――しょい!」
いつの間にか戻ってきたユーリが、そのアホ毛を掴んで不敵な笑顔を浮かべてみせた。
「与太飛ばしてんじゃねぇよ」
アホ毛を軽く引っ張るユーリが「そういや『間抜け』発言についても聞かねぇとだな」と言いながらカノンのアホ毛を引っ張ったまま歩き出す――
「ぎぃぇええええ! すみません! 彼女じゃないですぅ」
半べそのカノンの絶叫にユーリが「喚くなバカ」と言いながら思わずアホ毛を手放せば――
「彼女ではありませんでしたね。……奥さんでした――ああああああ」
再びアホ毛を引っ張られるカノンが「抜ける! 抜けちゃいます!」と悲鳴を残しながらユーリと共にハンター協会を後にした。
残ったエミリアとルカが顔を見合わせ――「元気な人達だったね」とルカがエミリアに微笑んでみせた。
「煩いだけですわ」
そう言ってツンと顔を逸らせたエミリアが「アタクシ達も帰りますわよ」と扇を畳んで歩き出した。
未だ混乱の混じる喧騒に包まれるハンター協会。その喧騒に理由をつける事は、必要なことだ。例えそれが現時点で『予想』と呼ばれる不確かな物だったとしても。
相手の動く理由も目的も想像できずに、敵と相対する程エミリアは図太くはない。いや普通の人間の感覚ならば、それが正常だ。目の前にいる人物が、敵か味方かの判断材料くらいは持っていなければ、いや持っていたいと思うのが普通なのである。
相手が誰であろうと、その場において敵味方が決まる、ユーリという男が異常なだけだ。
だからこそ相手の動向と目的を探る――だがそれはエミリアの仕事ではない。今は身体を安め、来るべき時に備える事こそ仕事だ。
これはチームなのだ。皆を信用し、必要な時に己の力を振るう。
何故サイラスはあのような異常者を招き入れたのか……そう思っていたが、なかなかどうして己の役目という物を理解しているらしい。
そう思えばこそ、余計にユーリと言う男に腹が立つ自分がいる。自分勝手に振る舞っているように見えて、その実全員の効率を考えているのだ――実際のユーリは本当に面倒さが八割だが――兎に角、昔の自分のようで腹立たしいかと思ってみれば、まさか自分より考えていたなど、自分が惨めで余計に腹が立ってしまうもの無理はない。
ふと思い出した自身の過去と、ユーリの振る舞いを掻き消すようにエミリアは頭を振った。
「気に食わないですわ」
面白く無さそうに頬を膨らませたエミリアの呟きは、自分勝手な振りをするユーリに向けてのものか、それとも――
それこそ認められない――ユーリという凡夫がエミリアよりも優秀だなど――と、エミリアはもう一度頭を振って、これ以上ユーリの事を考える事を止めた。
いつもは何も感じない賑やかさが、今だけは何故か妙に有り難い。そんな心の変化にエミリアが気づくのはもう少し先の話だ。
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