第75話 出したらちゃんと片付ける。マジで大事

 男を追いかけ続けるリンファが異変に気がついたのは、街灯に明かりが点った頃だった。地面に沿っていた気配が急に上向きに変わったのだ。


 確かに中心から少し外れたこの位置ならば、リンファでも飾りやバルーンの間を縫って屋上を目指せる。そう思い立ったリンファが、なるべく人目の少ない路地裏で、壁を蹴って一気にビルの屋上へと躍り出た。


 低い屋上からさらに高い屋上へ、男を追いかけながらリンファが屋上を駆け抜ける。右に左に曲がる男の気配だが、今は開けた空の上。地上よりも簡単にショートカットで追い詰める事が出来る、とリンファは斜め方向へと足を向けた。




 漸く止まった男の気配に、リンファが更に足を速めて一つのビルへと降り立った。あっちこっち走り回った結果、結局大通りの中心へとようで、足下からは爆発寸前の人々の熱狂と興奮がヒシヒシと感じられる。


 リンファの視線の先には、そんな大通りを見下ろす一つの人影。有名商会が所有するこのビルは一際大きく、そして高く、この屋上は他の場所からは見上げても端を除いて殆ど見えない。


「観念したか?」


 そんな人影にゆっくりと近づくリンファ。下を見ていた顔を上げた男が


「君のしつこさには参ったからね」


 振り返ること無く小さく笑った。


 二人の間に一際強い風が吹き抜け、リンファの髪の毛を舞い上げる。


「英雄の娘さん。ナゼここに? クーロンが今頃ピンチなのでは?」


 振り返りニヤリと笑う男は、どうやらクーロンがモンスターに襲撃されるかもしれない事を知っているようだ。


「決まってんだろ。そのクーロンを嵌めたお前を捕まえにきたんだよ」


 言いながらリンファがゲートから魔導銃マジックライフルを取り出した。


「何で現れたのか知らねーが、単独行動したのが運の尽きだな」


 魔導銃マジックライフルを構えるリンファの前で、男が額に手を当て「クツクツ」と笑った。


「君が私を捕らえられるとでも?」


 指の間から見える琥珀の瞳――それが宿す深淵にリンファが一瞬息をのむが「うるせー」とそれを振り払うように叫んで引き鉄を引いた。


 宙を走る紫電――は男を捉えられない。姿を消した男がリンファの背後に。

 だがそれを読んでいたかのようにリンファが真後ろに電撃爆弾スタンボムを投擲。


 触れれば立ちどころに電気が走る球体の武器――だが、辺りに響いたのは「カラカラン」というそれが不発に終わって屋上を転がった音だ。


「心を読める……それを忘れた訳ではないだろうに」


 少し離れた場所に現れた男が不気味に笑うが、黙ったままのリンファが手を翳すと、そこから紫煙が拭き出した。


「毒か……確かナーガと言っていたな」


 そう笑う男が口を抑えて上に飛び上がった――瞬間、男めがけてリンファの魔導銃マジックライフルが火を吹いた。それでも男は身を捩ってそれを回避。薄くなった毒霧を吹き飛ばすように、上着を振り回しながら屋上に着地。


 男に向けてリンファが幾度となく魔導銃マジックライフルの引き鉄を引くが、どれもこれも、男に当たることはない。


「せいぜいが希少レア程度。大した事はないな」


 男は勝ち誇った笑いでリンファに迫り、その拳を叩きつけた。

 何とか拳を魔導銃マジックライフルで受け止めたリンファだが、「グッああ」勢いまでは殺せず屋上の上を二度、三度跳ねて転がった。


 それでも跳ね起きて男へ銃口を――向ける先に男はいない。


「諦めろ」


 男の声に咄嗟に振り返ったリンファだが、その眼前に迫るのは男の右拳だ。


 顔面を強かに殴られ、屋上を転がるリンファ。


「ナーガ。蛇神の名を持っただけの、タダの蛇だ……」


 大仰に腕を広げる男に「……うるせーよ」とリンファが口から伝う血を拭って立ち上がった。実際に男の言う通り、リンファが宿すナノマシンは【ナーガ】だ。本来であれば蛇の神として叙情詩エピックないし、伝説レジェンドに数えられてもいいくらいの存在だが、残念ながら名前を貰っただけの希少レア扱いだ。


 しかもその割り振りも、かなり微妙だ。能力的にはせいぜい非凡アンコモンが関の山と言われている。名前だけが独り歩きして、希少レアくらいつけなければ……というお目溢しのナノマシンなのだ。


 そんな事くらいリンファだって知っている。知っているが、それとリンファが強くなるかどうかは別の話だ。リンファの父親はモグリでしかも【ゴブリン】を宿した男だった。それでも皆から英雄と讃えられるくらいの働きを見せた。で、あれば自分だって――そう思ったリンファが立ち上がり魔力を練り上げた。


「往生際が悪いな」

「蛇ってのは執念深いんだよ」


 立ち上る闘気でリンファの髪の毛が僅かに揺れる――最大まで練り上げた魔力を込めてリンファは引き鉄を引いた。


 一際明るい魔弾が男に迫る。

 それを難なく回避した男――だが、魔弾が意思をもったように男へ向けて急カーブ。

 その不規則な軌道に男が眉を寄せるが、迫る魔弾を前に跳躍。

 男を追いかけるように魔弾が急上昇。


「へ、へへへ。蛇は執念深い…って言ったろ?」


 魔力を使い切ったように、その場に倒れ伏すリンファ。


 屋上を飛び回って逃げる男と、それを逃さんと追いかける魔弾。

 飛んで、しゃがんで、捻って――男が避ける度

 上に、下に、左右に――魔弾がそれを追尾する。


 何度か躱し続けていた男だが、「ナルホド。中々面白い余興だったよ」と笑うと、前面に展開した防護壁で魔弾を受け止めた。


 チリチリと火花を散らす魔弾と防護壁だが――軍配は防護壁に上がった。


 宙で霧散した魔弾が一瞬だけ屋上を照らす――明るくなった屋上だが、それは一瞬で今はまた下からの熱気と照明がボンヤリと照らす静かな空間に戻っていた。


「……くっそ」


 リンファが奥歯を噛み締めながら拳を握りしめ、その身体を起こそうと――する髪の毛を男が掴み上げた。


「放せ!」


 髪の毛を掴まれ、身体を持ち上げられたリンファが暴れるが、男が「煩いな」とリンファの喉笛を掴んで持ち上げた。


「カハッ――」


 声にならないリンファの叫びが苦悶の息となって喉から漏れた。


「どうやらは上がらなかったみたいだ」


 男が小さく溜息をついて見つめる先には、クーロンの巨大なビル群が見える。どうやらエレナ達は上手くやったようだ、とリンファが「ザマアミロ」と声を絞り出すが、男は笑って首を振るだけだ。


「ここまで来た。ここに来れた以上、。後は本能の赴くまま破壊の限りを尽くすだけだ」


 そう笑う男にリンファが「な、にを……」と眉を寄せた。


「心が読める……確かに素晴らしい能力だ。が、


 男がリンファを持ち上げながら、ゆっくりと屋上の端を目指して歩きだした。


「心が読めても、数人同時では誰が誰か分からないからね」


 そう笑う男の目的が初めて分かったリンファが、「卑怯…者…」と声を絞り出した。


 クーロンの皆に付き合えば、陣形を整えた衛士隊と戦う事になる。そうなれば如何に心を読めても、誰が何処を狙っているかまでは分からない。加えて流れ弾の可能性もあるのだ。意図しない攻撃など、心を読んでもどうしようもないのだ。


 それを防ぐにはどうするか……簡単だ。一斉に撃てない状況を作れば良い。


 一般市民に紛れ、それを盾にすれば衛士だろうが軍だろうが、無闇矢鱈に発砲など出来ない。


 つまり男は、この祭りの大観衆を盾にすると言っているのだ。


「関係ない…市民を…まきこむ……理由は?」

「そんなものは無いよ……死に行く私の道連れ……それだけだ」


 男の瞳に宿した深淵が更に深くなる。何とかしようと暴れるリンファだが、男がついに屋上の端まで辿り着いた。


 吹き抜ける風がリンファの髪の毛を舞い上げる。風に乗って聞こえる賑やかな声に、リンファが暴れる事を止めて下を見た――明るく賑やかで華やいだ雰囲気なのだが――リンファには地獄の釜が口を開いているかの如く感じられ、思わず息をのんだ。


 盛り上がる住民と勢いを増す熱気は、まるでリンファの処刑を望んでいるようにすら聞こえるから不思議だ。顔色が悪くなるリンファに、男がニヤリと笑う。


「誰も彼も呑気なものだ……ここから落とせば流石の能力者と言えど、死ぬだろう……鹿


 笑う男にリンファは奥歯を噛み締めた。


 魔力切れで動かない身体。

 まともに戦っても勝てないだろう実力差。


 自分は何も守れずこのまま死ぬのか。そんな思いがリンファの瞳から溢れ出す。せめて自分が落ちても他の人に被害が行かぬようにと、「逃げ…て……くれ」と必死に声をふり絞った。


 それでも真下から地響きのように聞こえる熱狂の声は止まらない。何とか動かない身体にムチを打つリンファだが、魔力が切れた身体は砂袋のように重く動かない。


 どうしようも出来ない。一人で突っ走った結果がこの体たらくだ。こんな事なら……あの日、この男に出会った時にでも死んでおくべきだった。


 そうすれば誰にも迷惑をかけることなく――「チクショウ」呟いたリンファの滲む視界の先で男が笑った。


「サヨウナラ……英雄のむす――」

「ったく……。……燥ぐんなら


 屋上に響いた別の声に、男が弾かれたように振り返った。驚く男と視界の滲むリンファが見たのは――


「こぉらリンファ。なら最初から言いやがれ! テメェのせいで無駄にウロチョロしたんだからな!」


 眉を寄せるユーリの姿だ。


「ナ、ナルカミ――」


 呆けるリンファに、「お前らいい加減にしろよ――」ズカズカと距離を詰めるユーリの愚痴は止まらない。


 なおも距離を詰めるユーリ

「ここでやり合うなら最初っから――――」


 その足が「カツン」と何かを蹴った瞬間――「アバババババババババババ――」 ――ユーリの間抜けな声が屋上に響き渡った。


 どうやらリンファの投げた電撃爆弾スタンボムを蹴って感電したのだろう、ユーリの周りを青白い光がビカビカと点滅して辺りを明るく照らしている。


 あまりにも情けない姿にリンファと男が固まり、光が収まったユーリだろう人影へと目を凝らした。大型のモンスターすら感電させる強力な電撃だ。いくら屈強なハンターと言えど――「誰だよ、こんな所にトラップ仕掛けてるバカは」――めちゃくちゃ無事だった。


「急にビリビリ来るからビックリしたじゃねぇか」


 ボヤいたユーリが電撃爆弾スタンボムを踏みつけて壊した。


「な、ナルカミ……お前……平気なの…か?」


 呆然とするリンファ。恐らく男の手も若干緩んでいるのだろう。先程よりも出しやすくなった声だが、リンファのフリーズした脳はそこまで把握できていないようだ。


「平気じゃねぇよ。お前が思ってるよりも三倍は痛かったからな」


 ジト目のユーリが更に男とリンファに近づく。


「つーかあの電撃、絶対ぜってぇお前だろ。出したらちゃんと片付けろよな」


 まるで男など眼中に無い。そういったユーリがズカズカ歩くが――「止まれ」――フリーズから復帰した男がユーリへ掌を向けた。


「これ以上近づくと、この娘を落とすぞ」


 分かりやすい脅しだが、ユーリは止まらない。


「落としたきゃ落とせ。そいつが招いた事態だろ」


 吐き捨てるユーリに、リンファが奥歯を噛み締めた。事実ユーリの言う通り一人で先走った結果、こうして人質紛いの状態に陥っているのだ。リンファにあれこれ文句を言う資格などない。


「まあ落とした所では達成できねぇがな」


 立ち止まったユーリがニヤリと笑えば、「なに……を?」と男が眉を寄せた。


。」


 ユーリが笑えば、周囲のビルの屋上に幾つもの人影が現れた。ユーリがリンファ達を追いながら。その中にある一際大きな人影を見たリンファが「まさか隊長かよ……」とポツリと呟くと「正解」とユーリが笑った。


「俺が便と必死で考えてるのに引っ掻き回しやがって……そのせいでジジイに借りを作る羽目になったんだぞ」


 腕を組んで溜息を漏らしたユーリだが、その顔は怒っているようには見えない。


「で? どうだ? ちっとはスッキリ出来たか?」


 笑いかけるユーリに「出来るかよ……全っ然歯が立たねーし」とリンファの瞳から何故か再び感情が溢れ出した。


「んだよ……ガキじゃねぇんだから泣くなよな」


 そんなリンファからバツが悪そうに視線を逸したユーリが、男に向き直った。


「どうする? そのままそいつを落としても、が助けるぜ?」


 ユーリの言葉に男は躊躇うように周囲に視線を走らせた。


「せっかく、計画失敗か?」


 笑うユーリの言葉に「貴様……」と男が初めて敵意をむき出しに睨みつけた。少なくともユーリは男の行動原理を理解している、と初めて危機を感じているのだろう。知っているのならば、躊躇いなく多数をぶつけてくる筈だ、と。


「そう身構えんなって……アイツらには手を出さねぇように言ってるからよ」


 肩を回したユーリが右掌を上向きに差し出し、クイクイっと手招き――


「一対一でやってやる。俺に、逃げてもいいぞ? ……


 ――獰猛な笑顔を男に向けた。その笑顔に触発されたように、男がリンファを屋上の中央へと放り捨てた。

 魔力切れで上手く身体が動かないリンファが受け身も取れず、ゴロゴロと屋上を転がっていく。


 それを横目に見たユーリが、横たわるリンファに魔力回復薬マジックポーションを放り――


「コイツの次はテメェだかんな、リンファ! 引っ掻き回すわ、電撃食らわすわ! ちゃんと回復しとけよ」


 口をとがらせるユーリに、男が「フッ」と笑って「素直じゃないな」と続けた声は、吹き上げる風がもたらした下の賑やかさにかき消され、ユーリだけにしか聞こえていない。


「うっせ。俺みたいな超絶素直正直裏表なしの人間掴まえて、寝言いってんじゃねぇよ」


 ユーリが目をスッと細めた。


「お前には聞きたい事があるけどよ……無駄にウロチョロさせられるわ、ビリビリさせられるわで……」


 首を鳴らしたユーリが

「ちぃと苛ついてんだ……?」

 獰猛に笑った。


 その笑顔に呼応するように男が腰を落とす。


「聞こえる……聞こえるぞ。貴様の心の声が――」


 ブツブツと呟く男が黒い闘気を纏い出す――


「言ってろ


 ユーリが吐き捨てた瞬間二人の姿が消え、屋上の中央で大気を震わす衝撃が走った――


 イスタンブール奪還祭まで――あと十五分

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