第58話 気になる相手に限って知らない事が多い。

「とりあえず――」


 カウンターに座ったユーリが左手に持ったグラスを横に差し出せば、


「せやね」


 同じ様にカウンターに座るヒョウが右手のグラスを横に差し出した。


 ――チィン


 グラス同士が鳴らす軽い音がカウンターで響き、その中身を二人が同時に飲み込んでいく。


「……ものごっつい疑いの眼差しが刺さるんやけど」


 苦笑いを浮かべるヒョウの言葉にユーリが後ろをチラリと振り返れば、ジトッとしたエレナの不躾な視線とかち合った。

 その視線から逃れるように肩を竦めたユーリが再び前を向き


「お前がバカみてぇにからかうからだろ」


 グラスの中身を一気に呷り、「親っさん、おかわり」と主人へとグラスを差し出した。


「いやー……つい、な」


 同じ様にグラスを呷るヒョウに、ユーリは「しょうがねーな」と小さく笑った。


 気持ちは分からなくはない……誰であっても、親しげに話される。それが続けばずっと仲が良かった人でさえ「この人は本当の友達だろうか」、と言う思いしか残らなくなるものなのだろう。


 自分が本当に築いた友情なのか。

 それとものような力のせいなのか。


 それすら分からないのだ。その苦痛はヒョウにしか分からないだろう。


「にしても……以外でお前の能力が効かねーってのは初だな」


 ユーリは目の前の皿に残った肉を突き刺し、それを口に運ぶ。


「いやぁ……見くびっとったわ。確か【マルバス】やったか……ああいう風に能力が開花してんねんな」


 チラリとエレナを振り返ったヒョウが、再び視線をカウンターの中へと戻した。


◯✕まるばつ?」

「【マルバス】や。悪魔の一柱やね。叙事詩エピック叙事詩エピック。エリート中のエリートの筈やで」


 肩を竦めたヒョウが

「確か軍出身のはずやけど、何でこないな場末に居るんや」

 と呆れ顔で溜息をついた。


「お前でも知らねーんだな」


 帰ってきたグラスをユーリが一口飲めば



 小さく笑ったヒョウが、「マスター同じのもう一杯」とグラスを差し出した。


 持っていかれたグラスに手持ち無沙汰になったヒョウが、


「調べんのか?」


 皿をヒョウとの間に移動したユーリに、


「うーん……止めとくわ――」


 とヒョウが別の肉を摘んで口に放り込んだ。


やからな」


 咀嚼しながら笑うヒョウに「女のコってタマかよ。格好つけやがって」とユーリも笑った。


「そういうユーリ君こそ」


 ヒョウは自身の前に置かれたグラスを手に取って一口――


「ユーリ君こそ、衛士隊の女のコの秘密、『興味ねー』とか聞かへんねやろ?」


 肩眉を上げ、煽るような表情を浮かべたヒョウに、「うるせ、ホントに興味ねーんだよ」 とユーリが視線を逸らして口を尖らせた。


「結構大事おおごとっぽいで?」

大事おおごとなんてだろ」


 カウンターの奥に視線を固定したままの二人が、ほぼ同時にグラスを呷った。


「確かに。ユーリ君が絡むといっつも大事おおごとやもんな」


 ヒョウの言葉に二人どちらともなく笑い声を漏らした。



 暫く笑いあった二人が、一瞬だけ黙る。



「んで? 飯をタカリに来ただけってワケじゃねぇんだろ?」


 真剣な表情で沈黙を破ったユーリに「やっぱバレとった?」とヒョウが小さく笑った。


「ったりめぇだろ」


 ジト目のユーリがグラスの中身を一気に呷った。その隣でヒョウがグラスを強く握りしめる。


大事おおごとやねんけど……ちょいとなってきとる」


 握りしめたグラスを一気に呷るヒョウ。その横顔を見ながら、ユーリがマスターへとグラスを差し出しながら人差し指を立てた。


「最初は小物と小物の企みやってんけど……ここ数日、なんや流れ言うか、雰囲気が変わってきとってな」


 空になったヒョウのグラスにマスターが視線だけ向ければ、その視線にヒョウも人差し指を立てて応えた。


「そいつはまた……」


 一瞬溜息をついたユーリだが直ぐにその眉を寄せ「まさかか?」とヒョウへと顔を向けた。


「分からへん。ただ……僕の情報網にも引っかからん。そういう能力か、それとも単純に


 ヒョウがポツリと呟いた言葉に「そうか……」とユーリも返す。


「それで? それを俺にワザワザ言いにきたって事は、であったんだろ?」


 返ってきたグラスに軽く口をつけたユーリに頷いたヒョウが


「ソフィアでがあったらしいわ」


 同じ様に返ってきたグラスに口をつけた。


「【人文】は病気って発表するらしいけど、確実に殺しや。ほんでアダマンクラスを人目もつかず殺せるんは――」


の連中くらいか」


 やるせないような声のユーリに、「十中八九な」とヒョウも同じような声を返した。


 各都市、支部に一人か二人しかいないアダマンタイトランクのハンター。それは軍のエリートを除いて、民衆にとって希望の象徴であり、何よりも重要な拠点防衛力でもある。


 勿論アダマン一人いれば大丈夫という甘い状況ではないが、全体の士気を上げる存在として、アダマンタイトランクの存在というのは大きい。ハンターのランクにおける最高ランクだ。人類が持ちうる最大級の武力を擁していると思えば、安心は一入ひとしおだろう。


 簡単にはアダマンになれないからこそ、彼らが支部に存在すると言うだけで大きな安心がそこにある。人数を絞ることで、その存在価値を高め、彼らもまたその戦力で民衆と【人文再生機関】の期待に応え続けている。


 それがハンターの最高峰、アダマンタイトというランクに君臨する最強のハンター達である。


 そんな最強が。もちろんアダマンタイトと言えど、モンスターとの戦闘により荒野で命を落とすという事もある。


 だが、殺されると言う事は、今までの長い歴史では一度も無かった。



 人類にとってこれ以上ショッキングな出来事は無いだろう。彼らは人類において最強クラス。それが殺されるのだ。


 それも街中で、人目に付かず、


 衛士や軍の目を掻い潜り、人類でも折り紙付きの強さをもつ人々を殺す存在。そんな奴らは限られている。と言うか、ユーリの言う八咫烏の連中くらいしかそんな事はしない。


 事実ユーリもヒョウも、事情があって彼ら八咫烏を追っている。ヒョウはその体質を活かして情報を集め、ユーリは腕っぷし一本でアダマンまで上り詰め、自分を標的にさせようと。


 この街に流れ着いた目的の尻尾が見え隠れする、そんな状況にユーリは心を沈めるように小さく息を吐きだした。


「……ソフィアか」


 ポツリと呟いてグラスを呷るユーリを「何処にあるか知らんねやろ?」ヒョウが笑いながらグラスを呷る。


「うっせ。ここから西のどっかだろうが」

「そりゃココが最東端やねんから、全部西やん」


 ボヤくユーリに「ホンマ興味無い事はやな」とヒョウが続ける。


「六〇〇キロ無いくらいやから……調査も含めて数日で戻れると思う」


 指を折るヒョウの横で、「こっちもカラス絡みだとしたら謹慎が痛えな」とユーリが頬を膨らませて残り少なくなった肉を口に放り込んだ。正直そんなもの無視してこっそり調査をしようと考えてはいるが、ユーリはそういう隠密行動には疎い。


「心配せんでも直ぐに解けるで……謹慎」

「ホントかよ」


 眉を寄せながら皿を押しやるユーリに「ホンマや」とヒョウは最後に残った肉の一切れを口に放り込んで指を舐めた。


「クーロンへの一斉捜査……まあ大規模なガサ入れやね。、するみたいやし」


 ヒョウの言葉に「ガサ入れか……そりゃ人手がいるわな」とユーリが空になった皿を自身の前まで引き戻した。


「そゆこと。まあちょいと令状にやけど」


「なんでだよ?」


 引っかかりがある事を言うヒョウに、ユーリが眉根を寄せるが、


「教えてもエエけど……教えたらユーリ君、そこに乗り込んでそいつら殺しちゃうやん」


 ヒョウが呆れたような苦笑いを返した。


「そりゃぶっ殺すだろ。カラス絡みかもしんねーんだ」

「それで前も失敗したやん。蓋開けたらカラス関係無かったって」


 盛大な溜息のヒョウに「あ、あれは事故だろ? どのみち殺しても問題ねぇ外道だったし」とユーリが口を尖らせた。


「今回もカラス絡みかどうか確定してへん。でももし…仮にそうやとしたら……泳がせて、あいつらの鼻っ柱叩き折った方が


 ヒョウの見せる獰猛な顔に「」とユーリが笑いながらグラスを呷った。


「怒っとるんはユーリ君もやろ?」

「そりゃそうだろ。まず名前が気に入らねぇ。何だよ八咫烏って」


 そう言いながら二人でグラスをもう一度呷った。



「そっちは任せる。俺は俺でクーロン絡みの企み叩き潰しとくからよ」

「街……潰さん程度にな」


 悪い顔で笑うヒョウに「分かってるっつーの」とユーリが額に青筋を浮かべて笑う。


「んじゃまー」ユーリが突き出した左拳に

「お互い頑張るって事で」ヒョウが右拳を合わせた。


 そのまま反対の手で、残ったグラスの中身を一気に飲み干せば、「ごちそうさん」とヒョウがデバイスを手早く操作して立ち上がる――ユーリの左腕で振動するデバイス。


「前のやつ盗品ナンボか売れたし、その分だけでも渡しとくわ」


 後ろ手をヒラヒラ振るヒョウが、「ここの飲み代は引いとるけどね」と肩越しに振り返って笑えば


「ちゃっかりしてんな」


 とユーリも笑顔を返した。


 入口へと歩くヒョウの背中に「ありがとうございました! またいつでもどうぞ!」リリアの親しげな声が届けば、それが合図と言わんばかりに周囲からも


「また顔見せてくれよ」

「一緒に飲もうな」


 と様々な声がかかった。


 それに笑顔で振り返ったヒョウが、「ほま、また――」と手を振ってからエレナに視線を移した。


「【戦姫】のねーちゃん。次は急にしようとせんといてなー」


 笑顔でヒラヒラ手を振るヒョウに、「誰がお前に――」と顔を赤くしたエレナが追いかける。


 ヘラヘラと笑いながら店を後にするヒョウと、それを追いかけるエレナ。


 程なくして「くそ、見失った」と悔しそうに帰ってきたエレナがユーリに詰め寄り


「あの胡散臭い男に伝えてくれ。『次にあったら容赦しない』と」


 ユーリの胸ぐらを掴んでグラグラと揺らすエレナに「面倒クセー」とユーリがボヤいた声が未だ賑やかな店内の喧騒に掻き消されていった。



 ☆☆☆



 フードを目深に被ったヒョウが、街の外へと降り立った。足早に暗い夜道を進むヒョウだが、何かに気がついたようにイスタンブールの街を振り返る。


 暫く壁の上部から漏れる上層の光を眺めていたヒョウだが、何も言わずに街に背を向けて夜の闇へと消えていった――





 イスタンブールを守る壁、その際に佇む影と腰を下ろす影――マモとエリーが、今しがた闇へと消えたヒョウの背中を見つめ続けている。


 ブラブラと足を振るエリーが


「今のが【情報屋】?」


 と口の中で飴玉を転がしながらマモを見上げれば、「せやろねー」と間延びした声がマモから返ってきた。


「あの衛士といい、【情報屋】といい、オレ達の気配に気づくとか……ハンターよか楽しめそうじゃん」


 獰猛に笑うエリーに、マモが「あきまへんー」と大きく溜息を漏らした。


「隊長はんがぁ言うてはったやろー? 【情報屋】はん、くらいのぉ実力かもしらんてー」


 頬に手を当て考え込むマモに、エリーが「ホントかよ」とブスッとした表情を向けてもう一度ヒョウが消えた闇を睨みつけた。


「そこまでには見えなかったけどな」

「ほんでもー、ウチらが全力で調べてもぉすら掴めへんのやでー?」


 吹き付ける風が二人の髪を靡かせる。ヒョウ。そしてエリーとマモ。奇しくもお互いの尻尾を掴めない状況は同じらしい。


「ま、今はいいや。とりあえず予定通りなんだよな?」

「せやねー。後はどう転んでもええよー。


 風に靡く長い黒髪を耳に掛けるマモが「【人文】の人らぁやさかいー」クスクスと笑う。


「それもホントかよ。大体意味が分かんねーよ。【人文】の連中が


「大人の事情やろー」


 間延びするマモの声に「ホンっと腐ってるよな」とエリーが面白くなさそうに鼻を鳴らした。


「エエやんー。どうせぇ


 マモの声に反応するように、一際強い風が二人に吹き付けた。靡く髪を鬱陶しそうに書き上げたエリーが


「身も蓋もねーな」


 と笑って立ち上がった。


「んじゃま、今回は高みの見物と洒落込ませてもらうか……【お前たちが滅ぼしたがってる街、手伝ってやろうか作戦】」


「せやねー。今頃【人文】とこのぉ【人類統一会議】にもぉウチらの声明が届いとるはずやしー」


 頷くマモとエリーの言う通り、今回二人は単純に【人類文化再生機関】の用意した計画を乗っ取った形だ。それをワザワザ声明まで出す理由は唯一つ――「お前らのやっている事は全て知ってるぞ」という脅しだ。


 この脅しが成功すれば、【人文】もそろそろ本腰を入れてエリーやマモを討伐しなければならなくなるだろう。それこそが彼女達が望む展開と知らずに。


 吹き抜ける風に不気味な笑い声を乗せながら、二人の姿が闇に溶けていく――



「それにしても作戦名ダサすぎじゃね?」

「そんな事言う子はぁ明日のオヤツ抜きやでー」

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