第28話 お礼とお詫びは後回しにすると言い難くなる

「いいか。ちゃんと話を聞くんだぞ」


 ユーリの横を歩くエレナが、これで言葉を繰り返した。


 真剣な表情のエレナに「へー、へー」と適当な相槌を打つユーリ――未だ暗い通りには二人のそんなやり取りだけが響いている。





 レオーネファミリーのホームを襲撃後、ユーリは喫緊の問題であった『とりあえず風呂くらいは入りたい』を支部のシャワールームという福利厚生によって解決していた。


 マフィアも倒して、シャワーも浴びた。


 気分も身体も小ざっぱりしたのなら、後は寝るだけだ、とシャワールームへと続く扉の先の通りでユーリは適当な場所の選定を始めていた。

 大通りから一本入っただけの――路地裏などと、とても呼べない場所だが、もう朝も近いこの時間の下層は真っ暗なので、正直どこでも一緒だ。


 早朝から人通りが予想されるが、今から路地裏を探す時間を考えたら、睡眠時間は然程変わらないだろう。


 そう思いこの場所で寝ようと決めたのだが――そこに現れたのは、エレナ。


「何をしている?」


 腕を組むエレナは笑顔なのだが、とにかく圧が凄かった。


 その圧につい先程のゴールドランクハンターを思い出したユーリ。とりあえずされないよう、両頬を押さえ「寝ようと思って」と正直に答えるユーリに


「全く君というやつは――」

 腰に手を当て、やれやれと言った雰囲気のエレナ。


 当のユーリからしたら、何故そんな態度を取られているのか謎である。


「リリアのところに報告に行くぞ」

「はぁ? なんでだよ? お前が大丈夫って報告してんだろ?」


 面倒だ。という態度を隠すまでもなく、ユーリはを整え始めた。


 ゲートから折りたたみマットレスを取り出し、それを上機嫌で広げていく。「まだちっと寒いな」とブツブツ言いながら毛布まで取り出した頃、エレナの額に青筋が一本増えた。


「確かにリリアには、事が終わった時点で『解決した。心配するな』と連絡は入れてあるが、君の口から無事を報告するのが筋というものだろう」


 笑顔で近づいていくるエレナに、毛布に包まったユーリが口をとがらせ


「やだよ。面倒くせー。アイツも子どもじゃねーんだし。大体まだ――」

「いくぞ」


 ――準備出来てねぇんだけど。


 続くユーリの言葉は、エレナに毛布を引っ剥がされた事で発せられなかった。


 ユーリとしては「三〇〇万準備して――」などと格好つけた手前、店に行くならちゃんとお金を準備してからが良いと思っている。


 それもあって既に【情報屋】兼、闇商人である悪友にレオーネファミリーのホームから拝借した諸々のは頼んでいる。


 だが流石にユーリの知る男でも、さっきの今であれだけの調度品をお金に変えることなど出来はしない。


 そもそもまだ調度品の受け渡しすらしていないのだ。


 お金など夢のまた夢の話だ。


 であれば、まだ顔を出すには早い。なんせ三〇〇万どころかも用意できてないのだから。


 そんなユーリの思いなど知ったことか、とエレナはユーリから毛布を引っ張る腕に更に力を込めた。


「いいか。君にその気があろうとなかろうと、君はリリアに心配をかけたんだ」


 毛布を引っ張るエレナ。


「うるせーな。それは何回も聞いてるって」


 それを引っ張り返すユーリ。ギチギチと毛布が嫌な音を立てる。虎の子の毛布をやられては拙いと、ユーリがその力を弱めれば――


「何回でも聞け――心配をかけた人に頭を下げるのはだ」


 真剣な表情のエレナも毛布を引く力を緩めた。

 一瞬だけ再び毛布を引き寄せ包まろうかとの考えが過ぎったユーリだが、エレナの真剣で力強い言葉に、小さく溜息をつき


「めんどくせーな。向こうが勝手に心配してるだけじゃねーか。何で俺が――」


 毛布をクルクルと丸めて端へ追いやった。


 ちなみに心配元のハット男だが、レオーネファミリーの一員としてマルコ達にきっちりされている。


 ユーリはその事を知っているか? もちろん否だ。


 。既にハット男の顔も朧気だ。


 ユーリの中では既に終わったことなのだ。


 ハット男がリリアの店にちょっかいを出していた――だからハット男もといマフィアを潰した。


 確かにユーリ自身認めたくない事だ。


 どういう心境だったのか、今回はそういうキッカケで行動を起こしただけに過ぎない。


 キッカケはどうあれ、ハット男やマフィアにムカついたのはユーリ自身だ。


 故にリリアの思考『自分のために危険を犯したユーリへの心配』は、ユーリからしたらなのだ。


 別にその理論が分からないユーリではない。


 ただユーリからしたら危険などと思ってもいないし、仮に危険があったとしても、で心配されても……という思いなのだ。


 そしてそんな思いはエレナに伝わっていない。面倒くさいと言った表情のユーリの目の前で、エレナは大きく溜息をついて続ける。


「君という男は……君はあの店でリリアを守ろうとマフィアに手を上げたのだろう?」


 エレナの言葉に不満を滲ませたユーリは、それを払い除けるように頭を掻く。自分で認めたとは言え、他人に指定されると何ともむず痒いのだから仕方がない。


そうだとしてもだぜ? 何で俺がアイツに『大丈夫だよー』なんて間抜けな――」


「間抜けではない。大切な事だ」


 ユーリの肩をがっしり掴むエレナの目は真剣そのものだ。


「……大切な事……ね」


 腕を組み眉を寄せるユーリに「これはだな」とエレナはボヤいている。


「君の価値観を否定する気はない。だが、今回ばかりは折れてくれ。彼女はなんだ」


 真剣にユーリを見つめるエレナ。


 エレナの目を真っ直ぐ見返すユーリは逡巡している。


 頭をもたげてきた眠気と、エレナの言葉を天秤にかけているのだ。


(シャワールームで結構際どい会話も聞かれてたっぽいしな……大人しく従っとくか)


 結果、エレナの言葉に乗っかることにしたユーリは、冒頭のようにエレナに連れ立たれ未だ夜明けの見えぬイスタンブールの街中を歩いている。






「絶対に余計な事は言うなよ。話を聞いて――」

「それも何回も聞いた。って」


 流石に何度も聞かされてはユーリも億劫になってきた。


 小指で耳の穴をほじくるユーリに「本当に……だぞ」とエレナは相も変わらず心配をしている様子だ。


 何度も同じようなやり取りをしている間に、ユーリの視線の先にもう三度目になるリリアの店先が見えてきた。


 路地裏にひっそりと佇む小ぢんまりとした店。


 この時代には珍しい石造りのそれ。

 恐らく旧時代ものもをそのまま利用している一帯なのだろう。


 石造りのマンションが並ぶ中にあって、唯一軒に看板をぶら下げているからよく目立つ。


 そんな看板の下にポツンと佇む一人の女性――リリアだ。


 看板を照らす申し訳程度の照明に、リリアの銀髪が黄金に染まっている。


 リリアをその目に捉えた瞬間、ユーリの胸がざわつく。


(ちっ、またかよ……)


 言いようのない感覚。不安、焦燥、嫌悪……どれとも違う。


 ユーリにはどう表現して良いのかわからない。


 少しだけ歩く足が重く感じたユーリだが、現実はそれを待ってはくれない。


 ユーリとエレナに気づいたリリアが一目散に駆けてくる――


「ユーリ――」


 ユーリの目の前で止まったリリアは今にも泣きそうな表情だ。


「大丈夫? どこも怪我してない?」

「ああ。大丈夫だ――」

「良かった――」


 ユーリの両手を掴んだリリアの表情は嬉しそうで、どこか悲しそうだ。なんとも言えないその表情にユーリの胸がまたざわつく。


 これもまた知らない感情に、ユーリはどうして良いのかわからない。


「もう……すっごく心配したんだから! なんであんな危ない真似したのよ!」


 ユーリの両手を掴んだまま顔を上げたリリア。その表情は真剣そのものだ。


 何かを隠すように、リリアが俯く。


「本当にどうして、どうしてあんな危険な――」

「いや、アイツが俺の肉――」


 答えようとしたユーリの肩にそっと置かれた手。


 そちらを見るとエレナが無言のまま首を振っている――今は黙っていろ。そう言っているかのごとく。


「急に怒っちゃうし、昨日よりも怖かったし、私のせいで危ない目に――」

「いや、お前の――」


 再び答えようとするユーリの肩にエレナの指が食い込む。


 痛みに耐えてそちらを見ると、青筋を立て声を出さずに「だまっていろ」とエレナの口が動いている。


「本当にごめんなさい……」


 ユーリの足にポタポタと何かが落ちてきた……よく見るとリリアの頬を伝うものが。


 正直どうしていいか分からないユーリ。そのユーリの肩に食い込むエレナの指。


 あまりの痛さにユーリがエレナを振り返る事三度目――視線の先には鬼の形相のエレナ。


「俺の方こそ悪かったな――」


 絞り出した回答は正解だったようで、ユーリの肩に食い込んでいたエレナの指が緩んでいく。


 ただそれと同時にユーリの中に言い知れぬ不快感のようなものが積もっていく――こんなでいいいのか?と。


「私こそ――巻き込んじゃってごめんね……」


 未だ暗い路地裏に涙を拭ったリリアの笑顔が花開く。


 ユーリの少し後ろで安心したようにエレナが「フゥ」と大きく息を吐いた――その時、


「リリア――俺は巻き込まれてなんてねーし、そもそも


 力強く言い放ったユーリの言葉が路地裏に響いて消えた。残ったのはリリアとエレナ、二人の呆気にとられたような表情だけだ。

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