第17話 料理を待ってる間、お冷をチビチビ飲みがち

 リリアに連れられ、店へと向かうユーリは自分のを少々呪っている。


 カノンと大通りで別れ、不動産屋へ行き、お金の問題で路地裏に寝床を探しに行ったユーリであったが、思いの外リリアの店近くまで来ていたのだ。


 、店の近くまで来ていた事くらい把握出来るはずだった。いくつも角を曲がったとは言え、方角と距離から店が近いだろう事くらいユーリなら簡単に分かる事はずなのだが……『どうする俺の巣借家』という喫緊の課題が大きすぎて、リリアの店やその存在などユーリの中では既に過去の事になっていたので仕方がない。


 加えて心の奥底でこれ以上関わり合いになる事などない、と高を括っていた部分もあった。


 その慢心にも似た思いのツケがこの体たらくである。


 思わず溜息をつきそうになるのを堪えたユーリは、隣を歩くリリアへそっと視線を向けた。黄金に染まった銀髪を耳にかけ、相変わらず少し汚れたエプロンの生活感に妙な胸騒ぎを覚えてしまう。


「実はさっきの通りに買い出しに行くのも、久しぶりだったんです」


 微笑んだリリアに「へー」と無難な相槌を打って、ユーリは視線を再び逸した。


 気づけば先程から「へー」だの「ほー」だのユーリは適当な相槌ばかりだ。それなのに今もまた「あそこの通りはたまに掘り出し物があるんです」と嬉しそうに別の通りを指差すリリアが眩しい。


 その眩しさに耐えきれず視線を逸したユーリだが、同時に情けなさにも気づいてしまった。勝手な苦手意識で、適当にお茶を濁そうとする自分の情けなさに。


 そんな情けない自分の態度に、ユーリはリリアに気取られぬよう小さく舌打ちをこぼした。


 せめてもの罪滅ぼしではないが……そう思いながらユーリはリリアへ手を伸ばした。


 先程からリリアが何度もかけ直している重そうなカゴ。肩にかけられたカゴの持ち手を掴み――それを持ち上げるようにリリアの肩から自分の肩へ。


「えらく買い込んだな。繁盛してんのか?」


 我ながらもっと気の利いたことを言えぬものか、とユーリ自身顔を覆いたくなるが、今までこういったシチュエーションなど皆無な人生だったのでどうしようもない。


 一瞬呆けた表情から、寂しげな笑顔を浮かべたリリア。


 不意に軽くなったその肩を軽く擦りながら「…………ってやつです」と少し元気のない声で返した。


「転ばぬ先の――?」


 その妙な雰囲気にユーリが眉を寄せれば――


「ユーリさんって優しいんですね」


 一瞬だけ寂しそうな表情を見せたリリアだが、その顔を一転。満面の笑顔で「これ、持ってくれたじゃないですか」とカゴを突いた。分かりやすい誤魔化しだが、それを突っ込むほどユーリも野暮ではない。踏み込まれたくない事情など誰しもが持っている。……勿論ユーリにだって。


(そりゃ宿なし文無しの男にペラペラ喋る事なんてねーわな)


 そもそも話された所でユーリとて困る。であれば、これ以上は踏み込まないでおこうと――


「……んなんじゃねーよ。腹が減ってるからな。さっさと店に行きたいだけだ」


 ぶっきら棒に吐き捨て視線を逸らした。


 そんなユーリの顔を覗き込んだリリアが


「そういう事にしておきます」


 と笑い声を弾ませた頃、二人の目の前にはユーリにとって三度目の軒先が見えてきた。


 その軒先で振り返り「絶対満足させますからね」と嬉しそうに笑うリリアが扉を押し開けた――


「ようこそ、ダイニングバー・ディーヴァへ――」







 リリアに招き入れられ、先程来たばかりの店内へとユーリは足を進める――先程来た時と。酒瓶や酒樽が所狭しと並ぶ壁際に小さなカウンター。そしてカウンターと小さな舞台の間に数脚のテーブル。


 たったそれだけの小さなダイニングバーだ。


 先程と。……そう変わらないのだ。


 夕食時のこの時間に、テーブルを埋める客の姿はなく、狭い店内にはユーリの他に二人だけしか客がいない。お世辞にもナリの良いとは言いがたい爺さん二人組がお酒と料理、そしてよく分からない会話に花を咲かせていた。


 好きな所に座ってくれと言われたユーリは、とりあえずカウンターへ。


 入り口に対して横向きのカウンター。本来なら一番入口側に座りたかったユーリだが、その席の向かいには恐らくこのバーの主とも言うべきハゲ頭の男。


 入口にほど近い場所で氷を削る男の真ん前は流石に……と言うことで、それより奥側の斜向かいに席を確保したユーリは、気取られぬようもう一度店内を見回した。


 静かな店内は、それだけで外の賑わいから切り離されたようなある種異様な雰囲気だ。


(晩飯時にこの閑古鳥か……)


 立地が悪いのもあるだろうが、それを差し引いても閑散としすぎている。


(……不味い……のか?)


 一気に不安が押し寄せてくる。


 チラリと斜向かいの男を見やるが、筋骨隆々のハゲ頭の男は、黙ったまま今度はグラスを磨いている。寡黙と言えば聞こえはいいが、どちらかというと無愛想という言葉のほうがよく合う。


 ふとユーリの視線に気がついたように男が片目を開いてユーリに視線を向けた。


「……酒は後でだ。リリアの飯を食うんだろ?」


 低く迫力のある声は、凡そ客商売に向いているとは思えない。


 どうやらユーリの視線を「酒がほしい」と勘違いしたようだが、別に酒が欲しかったユーリではない。それでも男の無愛想な声に、「飯というよりこの親父が拙いんじゃね?」と店の惨状に大方の当たりはついた。


(まあ一皿食ったらお暇するし、どうでも良いけどな)


 店主が駄目なのか。料理が不味いのか。そのどちらか、もしくは両方かは分からないが、とりあえず短い付き合いだ、とユーリは出された水をチビチビと飲みながらリリアを待つことに決めた。





「お待ちどうさまです!」


 満面の笑顔を浮かべたリリアが皿を現れたのは、ユーリのグラスが空になる頃だった。



「……おい。俺は一番安いのって言ったはずだが?」


 ユーリは目の前に並べられた皿とリリアを見比べて眉を寄せた。明らかに一番安いものにしては量が多い。というか、もおかしい。


 スープ、前菜、メインまで……食いでのあるコース料理を一気に持ってこられたと言われても納得できてしまう量だ。


 目の前に並べられた料理からはいい匂いが漂ってきているのだが、それでも不安になってしまうのは仕方がない。


 なんせこの閑古鳥だ。これで飯マズならこの量を平らげなければならないのだ。


「ごめんなさい。ちょっと作りすぎちゃって」


 舌を出すリリアに、現実に戻されたユーリ。


(つーか味うんぬんの前にクレジットが足りるのか……これ)


 重大な事を思い出し、「無い袖は振れねーぞ?」と盛大なため息のユーリ。


「大丈夫ですよ」


 笑うリリアが隣のハゲ頭に「ね?」と確認を取っているが、ハゲ頭は黙ったままグラスを磨き続けている。


「大丈夫だそうですよ」


 どう捉えたら同意になったのか分からないが、笑顔のリリアに見つめられユーリは肩を竦めた。


 食欲をそそる匂い。

 立ち昇る湯気。

 主張する腹の虫。


 なるようにしかならないだろう、と意を決したユーリは料理に口をつける――


 まずはスープ。


「……うっま――」

「でしょ?」


 一度その味を知ってしまえば当初の不安はどこへやら。中途半端に豚串など食べてしまったせいもあって、食欲に歯止めの聞かなくなっていたユーリは、テーブルの上に出された料理に次から次へと口をつけていく――


 出された料理が半分ほど減った頃、ユーリは満面の笑みで自分を見ているリリアに気がついた。


「……アンタを見くびってたよ。こいつは絶品だ」


「でしょ? お母さんに手伝ってもらったんだから」

 ユーリの言葉に嬉しそうにウンウン頷いているリリア。


 ユーリとしては「アンタだけじゃなねーのかよ」と突っ込みたかったのだが、それ以上に気になった事が――


「つーか話し方――?」


 店に着くまでは、リリアは丁寧な話し方だったはずが、気がつけばかなり気安い話し方になっている。


「あ、ごめんなさい。……つい」

「いや、いい。の方が話しやすくて助かる」


 ユーリとしては変にかしこまられるより、気安い話し方のほうが気が楽だ。


(……なんだ。案外普通に話せるな)


 初めて合った時。市場で再開した時。どちらも言いようのない苦手意識があったものだが、気がつけば普通に話せている。内心驚きつつも、よくよく考えたらカノンや、エレナだって善人の部類なのだ。


(でもカノンやオリハルコンねーちゃんには感じなかった妙な感じがあったんだよなー)


 最初に感じた妙な雰囲気が引っかかるユーリ。そんなこととはつゆ知らず、リリアは「じゃーこんな感じで話すね」と嬉しそうに笑っている。


「ああ。名前も別に『さん』づけじゃなくていい。どーせそんなに歳も変わんねーだろ」


 気づけばユーリの話し方も段々砕けていく――


「おっけー。じゃあユーリって呼ぶね。歳はユーリより二つ下になるのかな」

「あん? 何で俺の歳を――ああ、カノンのやつか」


 一瞬眉を寄せたユーリだが、そう言えば最初依頼で来た時、カノンと親しげに話してたな。と思い出し「余計な事を」と小さく笑った。


 笑いながら料理を口に運ぶユーリを、これまた笑顔のリリアが――


「そう。せいか――」


 返事を言い終わる前に、入り口の扉が壊れそうな勢いで開かれた――


「こんばんは」


 口調こそ穏やかなものの、まるで威圧するような棘を含んだ挨拶。


 チラリと入口に視線を送るとスーツに身を包んだ男が五、六人。


(ゴロツキ……いやマフィアか)


 人があつまれば金が集まる。金があつまればそれを求めて裏の人間が集まる。人という種が滅びの危機にひんしていても、そういった連中がいなくなることはない。


「……何の用でしょうか?」


 先程までの楽しそうな雰囲気から一転させたリリア。今は凍りつきそうなほど冷え切った瞳で男たちを見ていた。

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