第11話 で、あーーーる
柔らかな光が降り注ぐ室内。グレーチング越しに届く光が、この室内に穏やかな朝の到来を――
「全く……君は一体何をしているんだ」
――そんな穏やかな朝に不釣り合いな程の盛大な溜息。溜息の主はユーリの目の前で机に向かう支部長だ。
その手は机の上で組まれ、心なしか震えているようにも見える。眉間にもシワがより、口調とは裏腹に不機嫌さは隠せていない。
ちなみにユーリが男性を支部長と知ったのは
ユーリは今、ハンター協会イスタンブール支部の支部長室にいる。
広い部屋に執務机。その後ろにかけられたモニターに映し出される世界地図と、人類の生存権を示す版図。机の前には向かい合わせのソファーと、それぞれの中央に被せる形で置かれたサイドテーブル。
必要最小限の物しか置いていない部屋は、部屋の主の性格を良く表しているようで、実務一般の使いやすさ重視なのだろう。
唯一趣味が垣間見えるのは、机の脇にあるコーヒーメーカーくらいだろうか……。
兎に角ユーリは寂しい執務室そのソファの間、丁度扉と机の真ん中ほどで、机に向かう支部長と対面中だ。
同席しているのはエレナ、カノン、そしてオペレーターの統括だというクレアという長い茶髪の女性。
あの路地裏での騒動のあと、エレナに捕まったユーリは、そのまま支部地下にある一時拘留所に連行されていた。その拘留所で一晩を過ごし、今日の朝イチで支部長室に呼び出しを食らった形だ。
そんな拘留所で大の字になってイビキをかくユーリに、「このまま処刑しようか」と支部長が呟いた事をユーリは知らなかったりする。
「よりにもよって衛士隊と揉めるとは……」
問題は起こすわ、悪びれる様子もないわで支部長のボヤきは止まらない。もう何度目になるか分からない大きく溜息に、ユーリは鬱陶しそさを隠さず鼻をならした。
「いや、アンタの落ち度だろ」
当のユーリとしては、強制的に街の外へ飛ばされ、しかも帰還用の道具も持たされなかったのだ。相手に責任を問いたくなるというものである。
「だとしてもだ……」
支部長が背もたれに身体を預けて、天井を仰いだ。まさか暴れるとは支部長をしても予想が出来なかった、と言うところだろうか。
試験に通過するか分からない故、デバイスを持たせなかった。ということが半分。もう半分は
衛士に連行されるだろうことまでは見越していたが、まさか衛士相手にド派手に暴れるとは……しかも殺害しようとする始末である。穏便に衛士隊詰所まで連行されてくれていれば、支部長の方でどうとでも出来た問題だった。いや、そこまで行く事を見越しての放置であった。
支部長に落ち度があるとしたら、真意をユーリに告げていなかった事だろうが、普通衛士相手に暴れるとは思わないものだ。
それ故問題を大きく複雑にしてしまったユーリに対して、苛立ちを覚えても無理はないだろう。
支部長のひときわ大きな溜息をかき消すように、ドタドタと忙しない足音が近づいてくる――かと思えば、
「――失礼する!」
ノックも何もなく、勢いよく開けはなたれた支部長の扉。
入ってきたのは、脇にヘルメットを抱えたアーマーギア姿の大柄な男性。身長はユーリよりも大きく、体格もガッチリとして旧時代のレスラーを彷彿とさせる体型だ。撫で付けられた黒髪はテラテラと輝き、怒りに震える赤い顔面の中央に鎮座するのはカイゼル髭だ。
そんなカイゼル髭レスラーの急な乱入により、自然とユーリはソファーから机側へと押しやられ、机の境界線に流されるようにエレナやカノンの控える壁際へ――なぜか二人の間にスッポリと収まった。
乱入してきたカイゼル髭は鼻息荒く、ギョロギョロとした目で部屋中を見回すと、ユーリのことを睨みつけた。
「貴様か――」
「誰だこのブーメラン髭は?」
ユーリの空気を読まない発言に、カイゼル髭の顔面が一気に赤く染まる。
慌てたようにカノンがユーリに聞こえるような小さめの声で――
「ユ、ユーリさん。この方はイスタンブール衛士隊隊長のゲオルグ・アウグスト・フォン・ドーナス……ゲオルグ・アウグスト…えーと」
名前の長さに詰まるカノン。流れる沈黙。
「ゲオルグ・アウグスト…ドーナス…ドナースあれ? ドナースマルク……」
「あとちょっとだ。ほら頑張れ。思い出せ」
既にカノンの声はダダ漏れで、なぜかユーリに応援される始末。
ウンウン唸るカノンの横で
「そういや偉いやつの名前って『フォン、フォン』うるせーよな。あれ何でだ?」
と余計な茶々を入れるユーリ。
それをエレナは信じられない者を見るような目で、
支部長はその額に青筋を、
クレアは貼り付けたような笑顔のままで
カイゼル髭は顔を更に赤くして
四人それぞれが二人のやり取りを見守っている。
「と、とにかく、衛士隊の隊長さんです!」
もはや大声。そんなカノンの宣言で再び支部長室には微妙な沈黙が流れた。
そんな沈黙を破ったのは――
「ウォッホン! 吾輩がイスタンブール衛士隊隊長のゲオルグ・アウグスト・フォン・ドナースマルク・ツー・イーゼンベルク・ウント・ゲッティンゲンであーる!」
――胸を張り、堂々たる振る舞いで名のりを上げたカイゼル髭もとい、ゲオルグ隊長だ。
完全にドヤ顔を決めるゲオルグ隊長だが、
「なげー名前だな。『あとちょっと感』出してたカノンに謝れよ」
「ぎょえぇぇぇ! ナチュラルに巻き込まれてます」
ジト目のユーリが今も「ほら、お前も何か言ってやれ」とカノンを肘でチョンチョン。
そんな二人のやり取りを前に、ゲオルグ隊長は怒り心頭から少々落ち着いてきたのか――
「ふむ。教養のカケラもないのである。吾輩の隊員に狼藉を働いたのも納得である」
赤ら顔はなりをひそめ、今は見下した顔でユーリを見ている。
「うるせーな。ノックもなしに部屋に飛び込んでくるヤローに、教養だの何だの言われたくねーよ」
「ぐぬぬぬぬ……貴様ぁぁぁ――」
前言撤回。再び顔面を紅潮させワナワナと震えだすゲオルグ隊長。
「おい、煽り耐性低すぎだろ。こっちはテメーの長い名前黙って聞いてやってたんだ。少しくらい我慢しろよ…ゲオ…ゲオ……なんだっけ?」
ユーリは隣のカノンを再び見る。
「ゲオルグ・アウグスト・フォン・ドナースマルク……えと…」
「がんばれ。あと半分くらいだ。ツーとかウントとかあったはずだぞ」
再び始まったユーリの謎な応援と、それを受けてウンウン唸るカノンの姿。
「ええい! 吾輩の名前はゲオルグ・アウグスト・フォン・ドナースマルク・ツー・イーゼンベルク・ウント・ゲッティンゲンであーる!」
赤ら顔そのまま胸を張るゲオルグ隊長と――
「はい、時間切れー。残念だったなカノン」
「くやしいです!」
謎の勝負を展開しているユーリとカノン。
「ユーリ君。頼むから口を閉じていてくれたまえ。話が進まないのだよ」
部屋に響いた大きなため息。
見ると支部長は先程と同じポーズで微動だにせず、真っ直ぐゲオルグ隊長を見つめている。
……ただその額にはクッキリとした青筋が。
「おいカノン怒られてんぞ?」
「ええ!? 私でしょうか?!」
ユーリに肩を叩かれたカノンは、飛び上がるように驚きユーリと支部長を交互に見比べた。
「……カノン君も黙っていたまえ……」
「ほら、怒られ――」
「エレナ君」
ニヤニヤと笑うユーリに、青筋を更に浮き立たせた支部長。その声にエレナは軽く頷くと、ユーリの耳を引っ張った。
「ってーな。何すん――」
声を張り上げたユーリの耳を「――ってぇ」更にエレナが引っ張る。
「君は少し黙っていろ。大事な話の途中だ」
流石にユーリも悪ふざけが過ぎたと、耳をさすりながらエレナをジト目で見るだけに留まった。
「さて、ゲオルグ隊長。急に呼び立てて申し訳ない」
「いや、構わないのである。組織は違えど同じ【人文再生機関】の仲間であるからな」
そういうゲオルグ隊長は、横目でユーリを睨んだままだ。
「更に言えば、あなたはこのイスタンブールの英雄である。呼び出しに駆けつけるのは吝かではないのである」
ヘッドギアを片手に腕を組んだゲオルグ隊長に、「英雄はよしてくれ」と支部長が片手を上げて苦笑いを浮かべている。
そんな二人のやり取りに「あるあるあるある煩いのであーる」とカノンにコソコソ話しかけるユーリ。
「――プフッ」吹き出すカノンに
「――ってぇ」エレナに耳を引っ張られるユーリ。
しばし流れる沈黙。
「ン、んん。とにかく朝早くからすまない」
支部長の何度目かの大きな溜息――
「さて、早速本題に入りたい。そちらの要求を聞かせてもらえるだろうか?」
指を組んだまま、支部長の眼鏡が光る。
「こちらの要求は二つ」
ゲオルグ隊長が二本の指を立てて見せ
「被害を受けた隊員への賠償及び、加害者ユーリ・ナルカミの引き渡しであーる」
そのままユーリを睨みつけた。
「なるほど。まず第一の要求だが、至極最も。こちらはしっかりと賠償をしよう」
そう言いながらユーリへと視線を移す支部長。
その視線に「はぁ? 何で俺――ってぇ」とボヤくユーリに突き刺さるエレナの肘鉄。
「続けてください」
澄ましたエレナの表情に、「う、うむ」とゲオルグ隊長が一瞬たじろぐ。
ちらりとユーリを見た支部長が、再びゲオルグ隊長に視線を戻し口を開いた。
「次に第二の要求、引き渡しについてだが条件がある――」
「条件であるか?」
かち合うのは支部長の光る眼鏡とゲオルグ隊長の視線。
二人の視線は暫く交差し、表情こそ変わらない。
だが二人の纏う空気は、これから発せられる言葉も、そしてそれがどう返されるかも分かっているという雰囲気を醸し出している。
ようは言葉を発する前からお互いの腹を探っているような、視線だけのやり取りが続く。
そんな空気の中、重たい口を開いたのはもちろん支部長の方だった。
「引き渡しは可能だ」
大きくタメをつくり、再び思い口を支部長が開く――
「危害を加えないという条件が守られるのであれば……だ」
「話にならないのである」
即座に首をふり、大げさに嘆息して見せるゲオルグ隊長。最初から質問の内容も答えも決まっていたかのようなレスポンスは、この質問だけはしっかりと予想と回答を準備してきたのであろうことが分かる。どれだ怒り狂っていたとしても質問と回答を違えないその様子に、ユーリの事を許さないという気迫が見て取れる。
実際今もユーリをを睨みつけるゲオルグ隊長が、「吾輩の隊員は怪我をさせられたのであるぞ?」と鼻息荒く捲し立てているのだ。
「まあ落ち着きたまえ。これは君にとっても悪くない申し出なのだ」
そんなゲオルグ隊長に、支部長は努めて冷静な声をかけた。
ユーリを睨みつけていたせいか、そのまま支部長を睨むゲオルグ隊長。
「ほう、どう悪くないのかを聞かせていただきたいのである。回答次第では衛士隊とハンター支部との問題にも発展するかもしれないのであるぞ?」
睨みつけたまま放たれたのは、完全な脅し文句だ。が、それに対して支部長は薄く笑う。
「いいや。彼はハンター支部と衛士隊との
支部長の眼鏡の奥は至って真剣な眼差しだ。
「……トラブルの種の間違いでは?」
ポツリと呟いたカノンだが、支部長室の静寂のせいか、思いの外声が響いた。
「……」
「……」
「……」
「……」
流れる沈黙の中、全員の視線がカノンに集まり、当のカノンは「やってしまった」と言わんばかりに脂汗を滝の様に流している。
「おい、
エレナを見ながら悪い顔でカノンを親指で指すユーリ。
「ぎぃぃえぇぇぇ。心の声が漏れただけなんですぅ」
両耳を抑え、縮こまるカノン。
「余計タチが悪いじゃねーか。よし、やっちまえ
エレナの肩に手を置くユーリ。
「オリハルコンねーちゃんではない。私の名はエレナ・クラウディアだ」
その手を振り払い、思わず大声を出してしまったエレナ。そんなエレナの前で、面白くなさそうに鼻を鳴らしたユーリが眉を寄せた。
「……
悪い顔で笑うユーリに、エレナの顔が見る間に赤く――
「君というやつは――」
「君たち全員黙っていたまえ!」
今日一番の大声を出した支部長の額には、今にも切れそうな血管がくっきりと浮かび上がっていた。
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