第11話 弟くんは恋愛対象

「土曜日なのに人が多すぎるよ……」


 カフェに行った帰り。

 まだ日が沈む前。

 帰りの満員電車で人混みに揉まれながら、姉さんが呟いた。

 確かにこの時間帯に、これほど電車が混んでいる状況は珍しい。


「さっき街で見かけたイベントのせいだろうね」


 そう言う俺の目の前に、向き合うようにして姉さんが立っている。

 お互いの体が触れ合いそうな距離だけど、周囲にも人が立っているので逃げ場はない。

 俺と姉さんの身長差はほとんどないから、お互いの顔がすぐ近くにある。

 

(目のやり場に困る……)


 そんなことを思っていたら、電車が停まった。

 どこかの駅に着いたらしい。

 既に満員電車なのに更に人が入ってきて、周囲からの圧迫感が強くなる。

 

「うぅ……きつい」


 姉さんが目の前で息苦しそうにしている。

 見ると、姉さんのすぐ後ろに割と体格が大きめの男性の背中があった。


「姉さん、こっち」


 俺はそっと姉さんの背中に手を回して自分の方に引き寄せた。

 これで少しは圧迫感がマシになっただろう。 


「わ、ありがとう。ちょっと楽になったかも」

「それは良かった」


 ……なんだか抱きしめているみたいだけど、姉さんの安全のためだから仕方がない。

 俺は自分にそう言い聞かせる。

 女の人ってこんなに柔らかいのか。

 意識したら、だんだん緊張してきたかもしれない。

 そんなことを考えながら、しばらく電車に揺られていると。


「……弟くん」

「どうした? まだ苦しいとか?」

「そうじゃなくて。私の方から弟くんに触る分には気にならなかったけど、こうして弟くんの方からぎゅっとされると、なんだか包容力を感じられていいなーと思って」


 姉さんは小声で言いながら、俺の腕の中でもぞもぞと小さく体を動かしている。


「えっと、それはつまり」

「私、こういうシチュエーションが好みなのかも」 


 姉さんは、心なしかいつもより上ずった声でそう言った。


(……なんだそれ、どういう意味だ。よくわからないけど、俺に刺さりすぎるだろ)


 やばい、妙に心臓がバクバク言っている気がする。

 姉さんは、俺をどうしたいんだ。

 こんな思わせぶりなことを言ってみたりして。


「って私、変なこと言ったような……今のやっぱりなしで!」

 

 姉さんはすぐに我に返った様子でそう言った。

 今更そんな訂正をされてもどうしろと。

 混乱状態に陥る俺だったが、その状況は長く続かなかった。

 電車が次の駅に着いて、多くの人が降車したからだ。

 息苦しかった車内の空気が、人が出ていくのに合わせて入れ替わる。

 

「弟くん、あそこの席が空いたから座ろー」


 姉さんは俺の腕の中から抜け出して、近くの椅子に座った。

 何事もなかったかのように振舞っているのは、どうも腑に落ちない。

 けど……満員電車の中で立っていて疲れたのは事実なので、俺は姉さんの隣に座った。 


「……そうだね」

「ふー、助かった。ようやく一息つけるよー……たまにお出かけしてみたら、こんなに疲れるとは思わなかった」 

「この調子だと、姉さんは帰ってすぐ寝そうだね」

「いやいや、帰ったら今日のことをみんなに紹介しないと」


 みんなに紹介……ってことはリスナーに向けて雑談配信でもするつもりだろう。


「今日カフェに行った、ってことはぼかした方がいいだろうね」

「あ、実際に行った日付を曖昧にするってこと? 仲良い子からそういうのよくやるって聞いたことあるよー」


 ニノンの正体が特定されるリスクは可能な限り回避した方がいいからな。




 その日の夜。

 帰りの電車で話していた通り、ニノンは雑談配信を行っていた。

 俺はいつものゲームを始める前に、自分の部屋でその配信を視聴している。

 PCのモニターに映し出されるニノンは、今日二人で出かけたことについて、SNSに投稿したケーキの画像を交えながら、配信内で話していた。

 先ほど話したように「最近このカフェに行ったよ!」と言って時系列については曖昧にしていたけど。


『てえてえ』

『相変わらず弟くんと仲いいね』


 男と二人で出かけた。

 普通だったらファンが激怒してもおかしくないような報告のはずなのに、相手が「弟くん」だと配信中のコメント欄は和やかな雰囲気だった。

 ニノンもそんなコメントを楽しそうに読み上げて反応をしていたが、とあるコメントが流れた瞬間、少しだけ配信の空気が変わった。


『なんか、恋人みたいだ』


 純粋な感想と思しき、そのコメント。

 ともすれば触れにくい内容だとVTuberだっていてもおかしくないが、ニノンは平然と反応した。


『それ、実はこのカフェに行った時も言われたんだよねー。二人で並んでたら、女の子二人組に「あの人たちってカップルかな」みたいに噂されちゃって』


 おいおい、そんなことまで話しちゃうのか。

 ニノンという存在は恐れを知らないのか……?


『私たち、きょうだいなんだけどなー。他の人からはそんな感じに見えるの?』


 ニノンがリスナーたちに問いかけると、複数のコメントが返ってきた。


『見えるかも?』

『普通のきょうだいよりは仲がよさそう』


 ニノンと俺のことをただならぬ関係に見えると評するリスナーがいれば。


『俺も姉いるけどいつも喧嘩してるよ』

『弟いるけどニノンほど仲良くない』


 自分自身のきょうだいとの関係についてコメントするリスナーもいた。


『へー、そうなんだー。じゃあ私たちは普通よりも仲の良いきょうだいなんだねー』


 様々なコメントを目にして、ニノンが納得したような声をあげていると。


『実際、弟くんのことは恋愛対象として見てないの?』


 一人のリスナーが、そんなコメントを書いた。


『弟くんが……恋愛対象?』


 ニノンは首を傾げるけど、コメント欄の流れは止まらなかった。


『話を聞いてる限りだと、弟くんってスペック高くてニノンに尽くしてくれるよね。めちゃくちゃ優良物件じゃない?』


 ニノンはそのコメントを読み上げた後、少しの間黙り込んだ。

 それから、少しして。


『うーん、弟くんをそういう対象として考えたこともなかった……かな』


 ……改めて明言されると割と俺の心に刺さるな。

 だけどそれ以上に、俺はニノンの発言に対して違和感を抱いていた。


(今、ニノンの声が少し上ずっていたような……)


 同じ声色でニノンが話すのを、つい最近どこかで聞いた気がする。

 リスナーたちは何か異変を感じていないかと思ってコメント欄に目をやるが、誰も気づいている様子はなかった。


『やっぱ弟くんは弟くんかー』

『弟くん振られてて草』


 俺は軽く煽られていた。

 他にも、こんなコメントがある。


『弟くんってイケメンなの?』


 どうやら、ニノンと弟くんの恋愛事情について、さらに掘り下げたいリスナーたちもいるらしい。

 なんだか、普段のコメント欄と少し違って浮ついた雰囲気だな。

 普段はしないような話をしているせいだろうか。


『み、みんな弟くんのこと好きだね?』


 リスナーたちのコメントが「弟くん」の話でより一層盛り上がり始めたのを見て、ニノンは困惑していた。


『おーい、ここは私の配信だよー。なんか変な流れになってきたので、最後に告知をして終わります!』


 告知ってなんだろう。

 弟である俺としては、何も聞いていなかったと思うけど。


『実は今度、いつも仲良くしてるVTuberの人と一緒にライブイベントをやることになりましたー! 一緒にライブをするのはネリネちゃんと佐々城ララちゃんです!』


 ネリネと佐々城ララは、二人ともニノンと交流のあるVTuberだ。

 どちらも個人勢ながら10万人超えの登録者数を誇っており、人気も活動を始めた時期もニノンと同程度。

 三人でのコラボ配信はニノンのリスナーたちの間でも好評だ。

 ……最近のニノンは「弟くん」と一緒に配信する機会が増えていたけど。


『私の歌に関しては、たまにカラオケ配信するくらいだけど……歌が上手なあの二人に誘ってもらったから一緒に頑張るよー!』


 ニノンがそう宣言すると、コメント欄が今日一番の盛り上がりを見せた。

 盛り上がったのは、俺も同じだ。


「ニノンがライブか……!」


 個人勢なのにそんなイベントができる規模になってきたとか、登録者4桁の頃から応援してきた俺としては感無量だ。


『詳しい情報は今後告知していくからお楽しみにー!』


 最後にニノンが残したビッグニュースによってざわついた雰囲気のまま、配信は終了した。

 途中までは俺の話題が目立ったりもしたけど……最終的にはライブのことで全部忘れ去られていたな。

 あまり掘り下げられると厄介な話題だったから、好都合か。

 ニノンが意図的に流れを作ったなら、さすが人気VTuberだと思う。

 

(それにしても……やっぱり俺って恋愛対象として見られてなかったんだな)


 まあ「弟くん」だから当然か。

 きょうだいという線引きをしていたのは、姉さんだけじゃない。

 俺もそうするように努めてきたし、なるべくあの人のことを意識しないように心がけてきた。

 だから、配信中のニノンの言葉は、いわば模範解答のようなものだ。

 心の中でそう呟きながら、虚しくため息をついて、俺は思う。

 ……こんな露骨に落ち込むくらいには、黒川丹音に惹かれていたんだな、俺。 







 配信が終わってから少しして。


「いやー、今日も盛り上がってよかったー」


 私……黒川丹音は自室のベッドに寝転んだ状態で、先ほどの配信を一人で振り返っていた。


「それにしても……「弟くんのことは恋愛対象として見てないの?」かー」


 リスナーから寄せられた、何気ないコメントの一つ。

 配信中にそれを読んだ瞬間から、私は自分の体温が急激に上昇したのを感じていた。

 というか、今も体が熱い気がする……!

 

「弟くんをそんな目で見たことなんて、本当になかったけど……」


 確かに弟くんは、私のことをお世話してくれるし、料理が上手だし、お出かけにも付き合ってくれるし、ゲームも一緒にしてくれる。

 それに、満員電車で私が人混みに潰されそうになっていた時に助けてくれた弟くんは、なんというかとても頼もしかった。

 もっと言うと、ちょっとカッコ良かった。


「あれ……弟くんって、彼氏として割と理想的な相手なのかも? って、いやいや……」


 相手は弟くんなのに、何を言っているんだ私は。

 なんて、心の中で否定してみるけど、手遅れだった。

 一度自分の本心に気づいてしまったら、もう胸の高鳴りが止まらない。

 あ、これって。

 そうなんだ、私。


「私って、弟くんのことを男の子として意識しちゃってるんだ……」 


 弟くんなのに。

 きょうだいなのに。

 ……次からどんな顔して会えばいいのか分からないや。

 だけど同じ家で暮らすきょうだいだから、部屋を出たらその瞬間に鉢合わせる可能性だってある。


「うーん、困った……」


 でも、この胸が高鳴る感覚は今まで経験したことがなくて、なんだか悪くないかも。

そう思ってしまうあたり、私はすでに重症なのかもしれない。




◇◇◇◇◇



今回は最後の方にニノン視点を書いてみました。

主人公以外の視点を書くか迷っていたんですけど、今後はたまにそういう描写があると思います。


それと更新がいつもより遅い時間ですみません!

ちょっと調整したい箇所があったので直していました。

次回以降は通常通り7:18に更新していく予定です。

次回からは、今回の話で名前が登場したニノンのお友達のVTuberが登場するなどして、イベントという目標に向かって動きながらラブコメしていく新展開になっていく予定です。

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