高校時代は楽しかったな 弓道部⑤
夏の終わり頃には、一人での練習に15キロのグラスファイバー弓を使っていた。
10キロに悲鳴を上げて涙してたのだからえらい変わりようだった。これには、部長先輩の「筋力・腕力はそれほど必要ない」というアドバイスが生きている。
関節を上手に使うと腕力が必要となるのはごく一部の動作だけ、と身体が覚えてしまっていた。
さらに、時々16キロも筋トレ替わりに使ってみたり、重くしたら関節の嵌め具合がどう変わるのかも確認してみたりした。
つまりこの頃には、筋力がないひょろひょろ男でも普通程度には引けるようになっていたということだ。
余談ながら、1年生の三学期末くらいからは14キロの軽めの弓に戻した。この方が当時の自分の体に無理がかからず、長時間射っても自然な射ができる最適な重さだと判ったからである。
夏の終わりにはぷるぷるしちゃう病はもう完治し、再発もしなかった。
練習を始めた最初のころは夕方になるととても疲れていたけど、この頃には体力もついて二百射しても平気になっていた。
ちなみに、部長先輩は確か試合でも16キロを引いていたと思う。
人並み以上の腕力がある人だったら16キロあたりが標準なのかな。
そう言えば、あの血塗れチューバッカ先輩は18キロを引いてた。
道場にあった一番重い弓だったと思う。上腕二頭筋が太い部長でも引くのがしんどいと言ってた弓だった。
そんな強弓の弦が毎回弓手にぶち当たって血飛沫が舞い、血塗れとなっていく大前の全身鏡。その凄惨さがわかるだろうか。チューバッカ先輩、ほんとに規格外だったよ。
筋肉が若干ついたのもあるけれど、自分が一番大きい成果だと感じたのは、
こうして横方向への「伸び」を意識しつつ、同時に足先から頭の先(つまり縦方向)へ背筋などの全身の筋肉を使って縦に「伸び」あがるようにする。
「
これは、いろいろ世界が変わる感覚だった。
この感覚が味わえると、満足するような軌跡を描いて矢が的に吸い込まれていくことが増えた。
そして、何百回だか何千回だかに一回くらい「いまのすごくいい感じだった」と思う射が出来た。
それがとても気持ちがよかった。
一度それを味わうと次はもっと……とさらに練習に身が入る感じだった。
話は少し変わる。
部活イベントのひとつに「百射会」というものがあった。
文字通り、部員全員が百射して的中を記録する記録会だ。
確か夏合宿中にやった気がするけど記憶が定かじゃない。
当時の弓道部の夏合宿は学校で寝泊まりしていた。
わが校の道場ほどの施設は市内のどこにもなかったからだろう。夜になると野球部のナイター設備の明かりを点けて、校庭で遠的の練習もしたのが懐かしい。
部活練習では的前に立って射る矢は四本が基本。
だから全員が二十五回、的前に立って矢を射って百射の当たり外れをすべて記録する。
一日がかりの大仕事だった。
百と聞いて一年生全員がうんざりしたと思う。
でも私は間抜けなことに、毎日二百射以上もしていたことを自分で気が付いてなかった。だから同期たちと同じように最初はうんざりしていた。
その百射会の最中に他の部員の射を後ろから眺めて記録をつけながら、毎日の自主練習でどれくらい射っていたか思い返して計算したら二百という数字に気が付いた。
だから百射目を射っても物足りなさすら感じていた時のこと。
ちょうど残身から弓を戻して的前から離れたときだった。
二年生のタンタン先輩から肩をポンと叩かれた。
「上手くなったなあ! びっくりしたぞ」
ちょっと小柄なタンタン先輩に、突然褒められた!
タンタン先輩。
この百射会のあと秋の昇段試験で二段になるのだが、冒頭で紹介した顧問の錬士六段(当時)の先生から「タンタン君は三段を受けても合格できるだろう。だが高校生は二段までという決まりがあるので受けられないんだ」と言われるほどの実力がある先輩だ。
実際、タンタン先輩は理想的な美しい「射」と実際の的中率とを両立させていた。
特に射に気品があったと思う。
射法の動作が流れるようで、それでいてキレがあった。
だからそんな先輩から褒められてとてもうれしかったのだ。
こうして、なんとなしに手応えを感じて、弓三昧だった高校一年の夏休みが終わった。
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