高校時代は楽しかったな 弓道部③

 さて、ぷるぷる病で苦労していたひょろひょろ男の話に戻る。


 高校最初の中間テストが終わったころ、下手は下手なりに自分なりに努力してみるかと考えた。


 その結果「よし、朝練をやってみよう」と思い立った。


 誰も朝練なんてやってる部員はいない。自分一人だけの朝練である。


 部長に相談したら道場の鍵の場所とか、退出時の注意事項とか教えてくれた。きっと物好きなやつだと思っただろう。


 実は、朝練をしようと思ったのは理由がある。

 試してみたいことがあったからだ。


 それは「大前おおまえ」に立って練習すること。


「大前」というのは一番前、すなわち先頭のことだ。


 道場は余裕をもって六人程度が同時に立って射られるくらいの広さがある。

 そしてその一番前である「大前」の正面、的に向かって射場の右手側の壁には鏡があった。

 全身が映るかなり大きな鏡だ。

 高さ二メートルはあったと思う。


 実は、なかなか上手くなれないのは、自分が実際に弓を射る姿と頭に思い描いている姿がかなり違うせいなのではないか? と思い始めていたのだ。


 上達するためには、自分の目で根本的におかしい部分をひとつひとつ確認して直す必要があるのではないか? きっと今のままの練習方法では、ずっと下手なままじゃないか、と感じていた。

 それまで、先輩や同期からはそれはもうたくさんアドバイスをもらって、ちょっと涙目になりつつ「こんな感じ?」「あんな感じ?」って全部試していたが、ほとんど効果がない。


 というか、言葉で言われたことをちゃんと実行できているかも怪しい気がした。

 試した前後で実際に何がどう変わったのか、あるいは何も変わらなかったのか、自分ではさっぱり分からない。何が悪いのかちゃんと理解できない。


 だから自分の目で自分の姿をチェックしたい、と思うようになった。

 当時はスマホもデジカメもなかった。

 だから鏡が必要だった。


 しかし、当時夕方の部活中に大前で射ることはできなかった。

 別に上級が優先というルールがあったわけではなく、とある二年生の先輩のやむを得ない事情のせいだった。


 彼は、一射ごとに弓手(左腕)から血飛沫ちしぶきが舞うという特技の持ち主だったのだ。

 この光景を初めて目にした者は、弓は格闘技だと錯覚するだろう。

 

 特技というのは冗談で、実は何かの原因で「離れ」のあとに弓手の内側(肘の内側あたりから手首にかけて)に弓弦がバシッと当たるのである。当たった個所は擦過傷となり気にせずに射続けると皮がむけて血の花が舞うようになる。


 このブラッディで豪快な先輩が大前以外の場所で射ると、前にいる部員の真っ白な胴着の背中に血飛沫が飛んでくるのだ。


 それが女子部員だったりしたら、とてもややこしいことになる。

 

 だから二年生の先輩たちは、彼の練習場所を大前固定にした。

 それしか解決方法がなかったからだ。


 大前で気兼ねすることなく思う存分鏡に血を飛ばしてもらって、血まみれの鏡をあとで拭き掃除してもらうのがいいということになった。


 だから鏡が使えるその場所は先輩以外誰も使えなかったというわけだ。


 ちなみにその先輩、スターウォーズに出てくる巨漢のゴリラの従者みたいな体格だったので「チューバッカ」さんと呼ばれていた。



 さて。

 そういった「事情」で部活動中は鏡が使えない。


 でも朝の自主練なら先輩はいない。自分でも大前で射ることができる。

 鏡も使い放題になり理想的な環境で練習できてまことに喜ばしい。


 ただ練習内容について躊躇していたことがあった。

 

 個人的には自分の射が動作の途中でどうなっているか、いろいろと確認したかった。それには力加減などを変えて途中で動作を止め、少し戻したり、あるいは進めたり、中断してやり直したりしたいと思っていたのだ。


 正式な練習では、射の途中で物見を戻して正面をみたり、引分途中から大三に動作を戻したりしない。


 射の途中でそんなことをするのは本当はいけないことだと思っていた。だから躊躇していたのだ。(今でもわからない)


 聞けばいいのだけれど、聞いて「だめ」と言われたらもう出来ないなと思って黙っていた。


 結構悩んだのだけれど、鏡を見ながら自分の射を細かくチェックしたい思いは強かった。

 結局この朝練の時間帯だけは自分で考えた練習方法を思いつく限り全部試すことにした。


 数射かずうち用の矢「数矢」をまとめて足元にじゃらじゃら置いて、いちいち矢を取りに行かなくても良いようにしてみた。


 普通は四本だけ持って立ち位置に入るのだが、朝の短い練習時間を有効利用するために矢を取りに行く回数を減らしたかったのだ。


 顧問の先生や先輩には怒られるかもしれないとは思った。

 だから秘密練習みたいな気分でもあった。


 そうして実際に鏡で見ながら射法八節の動作をなぞる。

 記憶している上手な先輩の姿や手引書の写真と何が違うのかを確認する。


 「変だ、違う」と少しでも思ったら、動作を逆回しで戻してみる。あるいは中止してやり直す。

 かいに入る直前に大三だいさんまで戻すなんてことは数えきれないほどやった。



 朝練の初日。

 初めてじっくり鏡で確認したときはショックを受けたのを覚えている。

 自分の理想とする射形、お手本の写真などとはかけ離れていたから。

 

 こんなにひどかったの? と、正直がっくりして涙が出た。ほんとに。

 これじゃ手取り足取り教えてくれるわけだと思い知った。


 でも、何かひとつ直すだけでもかなり良くなるんじゃないかと感じた。

 そのためには何をどう変えればいいのか自分の頭で考えることにした。


 それからは、理想の形に近づくように、ああでもない、こうでもないと、手足の位置や運びを変え、力を入れる方向やタイミングを変え、引き分けの速さも変えていろいろ試してみた。


 力加減だけでなく、矢をつがえる位置をずらしてみたり、弓掛けを固定する手首の皮ひもの締め付け強さまでも変更して試してみた。

 考え付いたことは全部試したと思う。もちろん無駄なことも多かったが。


 なんとか思い描いたものに近くなったら、その感覚を身体が覚えるまで繰り返す。


 鏡を見ながら、何度も何度も繰り返した。


 特に弓手の手の内が決まるまでは本当に苦労した。


 弓手の親指の根本あたりが擦れて皮がむけて、いつもぐじゅぐじゅだった。握り革が汚れないように絆創膏が必須だったけれども、それもすぐ剝がれてしまうので日に何枚も絆創膏を張り替える日が続いた。


 それでも握り革はいつのまにか傷んでしまい、結局先輩に握り革の交換方法を聞いて月に一度は自分で付け替えた。たぶん、新入部員の中で最初に握り革の張替えを覚えたのは私が一番最初で、張り替えた回数も一番だったろう。


 弓手の親指根元が分厚い皮に変わったころに、やっと自分なりの形が出来上がったように思う。


 他人から見て上手くなっているかどうかは自分では分からなかったけれど、少しずつ、本当に少しずつ変わっていったようだ。

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