君と学校と呼び出し
それは、一通のメールで発覚した出来事だった。メールチェックをしていると、蒼さんのお母さん――
今は海外で女優として活躍している蒼歌さんからのメールは珍しいものだった。メールをクリックして、中身を見るとこう書かれていた。
――急なメールと頼みになってしまうのはごめんなさい。ちょっと急ぎになりそうなの。
どうやら蒼が学校の成績があまりにもよろしくなくて、このままだと留年になる危機があるっていう連絡がこっちに飛んできて。
戻ることは難しくて、代理として紅也くんに学校の三者面談に赴いて欲しいの。話はこちらで進めるから、頼めるかしら?
「……え?」
蒼さんが勉強が苦手なことは知っているけれど、まさか留年という危機にさらされていることには知らなかった。もちろん僕でよろしければ、と即返信した。返信した後、僕は深いため息をついた。そんな僕の横を何も知らない蒼さんが通りかかる。
「蒼さん、ちょっとこっちへ」
「ん?何かしら?」
蒼さんは僕の横へちょこんと座る。本当に何も知らない状態だから、何の話だろうかという顔をしている。
「さっき蒼さんのお母さんからメール来てたんだけど。留年の危機になっているんだって?」
「ぎくっ」
「で、今度三者面談あるって聞いたけれど」
「ぬっ」
表情がだんだん苦い顔になっていく様は面白いけれど、今は笑える状況ではない。
「知っていたんだね?」
「……はい」
「なんで僕に言わなかったの?」
「……迷惑になると思って……」
そういえばテストの答案用紙は僕に見せることはほぼしなかったな、と思い出す。
「こういう話は蒼歌さん経由でバレるから」
「はい……」
しょんぼりと申し訳なさそうな顔で、蒼さんは項垂れていた。可哀想だと思うけれど、今は心を鬼にして僕は彼女に問い詰める。
「とにかく、今度の三者面談の話なんだけど。蒼歌さんが僕に代理で行って欲しいと頼まれたから行くね」
「ええっ!?」
項垂れていた顔は勢いよく飛び起きて、僕をじっと見ていた。
「休みもなんとか……。いや、午後からなら仕事の後行けるか」
メールに記載されていた日時は土曜の午後。この日は午前中のみだったはずなので、仕事終わりに行ける。
「というわけで、蒼さんの成績がどういう状況か、その日に把握させてもらうから」
「なんだか親に言われているみたいなのだわ……。やはり紅也さんはママ……」
「ママとか言わない!違うから!!」
以前蒼さんから僕の最近の印象が「お母さんみたい」と言われた時にはショックを受けた。この僕のどこに母親要素があるというのだろうか。
「それはともかく。今度の土曜、蒼さんの学校に行くから」
「はい……」
しょんぼりとした顔で蒼さんは部屋へ戻っていった。
「でも、やることは親のそれなんだよなあ……」
もしも僕たちの間に子供ができたら、こういう悩みを再び味わうのだろうかとふと思ってしまった。いや、我が子はそういう目に遭わせないようにしたいと、来るかどうかわからない未来に誓った。
――土曜日。
病院での仕事を終わらせて、僕は蒼さんの通う学校へと向かう。車を走らせて、学校近くにあるパーキングに止める。そこからは徒歩で向かうけれど、今日はどうやら土曜授業があったのか、下校する女子生徒たちを目にした。その度に僕の方をちらちらと見てはひそひそと何か話をしている。僕の外見が可笑しく見えるのだろうか。今日の服装はいつも通り仕事で着て行く紺色のスーツなんだけれども。
「ここか……」
ついに校門前に着いた。お嬢様が通う女子学校だからか、校門前には警備員が立っていた。僕はこんにちは、と警備員の人に軽く挨拶をし、学校の中へと入っていった。中に入ると、受付のような窓口があり、僕は用務員に声をかけ、来客用のノートに名前を書いて専用のスリッパを借りた。
校内は至って普通のつくりかと思いきや、中央には螺旋階段があったりと意外と洒落たつくりになっていた。鞄から行くべき部屋――教室を記したメモを取り出す。蒼さんから事前に聞かされていたけれど、3階に面談の部屋があるらしい。螺旋階段を上り、僕は3階の部屋を目指す。
3階に着いたのはいいものの、部屋が多くどこがどこだかわからなかった。幸い、まだ生徒たちが廊下に何人かいたので尋ねると、生徒たちはもじもじとしながらその部屋の場所を教えてくれた。僕が立ち去ってすぐに、後ろから生徒たちが何かひそひそと話をしている。僕は不審者に見えるのだろうか……?
教えてもらった道順通りに行くと、廊下にぽつんと立っている蒼さんを見つけた。
「蒼さん、お待たせ」
「……ええ」
声をかけると、蒼さんの表情が曇っていた。
「もうこの部屋の中入って大丈夫?」
「もちろん。先生が中でお待ちになっているわよ」
ぷいっと蒼さんはそっぽ向いて、部屋の中へと入っていった。僕もそのまま中に入る。
「あ、空庭さんの保護者代理の方ですか?」
部屋の中にいた女性の先生が、僕の方を向いて尋ねてきた。
「はい。恐らく連絡がいっていたと思いますが、遠い親戚の赤鳥です」
「赤鳥さんですね。私は空庭さんの担任を務めております、清水と申します」
蒼さんの担任の先生と軽く挨拶を交わした。先生に促され、用意されていた椅子に座る。蒼さんも隣に座っていた。
「まずはその、保護者代理として来ていただきましたが……。空庭さんについてはどれくらい知っていますか?」
「そうですね……」
まずは僕が蒼さんを預かっている身であるということと、その中で勉強があまり得意でないことを把握しているということは伝えた。
「大体は知っている、といった感じですね。なるほど……。それでは本題になるのですが、その、定期テストの成績があまりよろしくない状況がずっと続いていまして、それで本日お呼びしたのですが――」
ああ、やっぱりそうだったんだなと僕は心の中で一人納得していた。普段、時間があれば蒼さんに勉強を教えているのだけれども、覚えるのに時間がかかるらしく、あまり進みがよくない。
「このままいくと、大学進学はおろか高校卒業できるかどうかが怪しくなってきまして……。元々、空庭さんは身体が弱いとお聞きしていましたし、リモートでの授業出席もされているのは知っていましたが、やはりテストの成績が……」
「すみません、成績の詳細って見れますか?」
「ええ、もちろん」
僕は初めて見る、蒼さんの成績表を見た。正直いうと、その場で頭を抱えたくなるような成績だった。けれど国語や古文といった文系の成績は割と良く、全てが悪いわけではない。ただ数学や歴史、英語など、その辺りはどうやら苦手らしくこちらは壊滅的な数字を叩きだしていた。
「……笑うといいわよ」
「いや笑わないよ。むしろ笑えない」
蒼さんは静かに俯いた。僕にこう言われるのが相当ショックだったのだろうか、僅かに肩が震えていた。
「そしたらこれからどうしたらいいんですか?やはりテストでいい点数を取るしかないんでしょうか?」
「そうですね、なるべく赤点を減らす……というよりかはほぼ無くす方面が良いと思います。私としては留年者を出したくはないですし、空庭さんも安心してこの先を歩んで欲しいですから」
蒼さんが通う学校は中高大一貫校で、大学も自動的に進む形となっていた。けれどこのままだと、自動的に進めることはできない状態だ。
「あとはいくつか補習を受けてもらう形にもなりますね。休みがちなところもありましたから」
「……わかりました。そしたら積極的に補習を受けてもらい、赤点をほぼ無くすようになんとかしていくしかないですね」
はあ、と僕と先生で深いため息をついた。先生もどうやらなんとかしたいと思い、各教科の先生と色々取り合っているようで。
「僕が高校生の時はこんな成績は取ったらアウトものだったんだよなあ……」
そうぽつりと零すと、先生が「ご職業は何ですか?」と聞いてきたので、医者をしていることを言うと大変驚かれた。
「なるほど、だから家で勉強を見ているということだったんですね」
「はい。教えられる範囲で、という形ですが……」
だからなんだ、と先生がはっとした顔で言った。
「実は最近、空庭さんの成績が僅かですけれど――あ。赤点であることは変わりないのですが、上がったなーと思っていたんです。なるほど、赤鳥さんの教えのおかげだったんですね」
どんどん出てくる初耳情報に、僕は思わず蒼さんの方を見た。するとわずかに顔を赤くして俯いている。
「私もできる限り協力しますので、何かありましたらご相談ください。空庭さんのお母さんからも色々事情は伺っていますので」
「ありがとうございます。また危険な状態になりましたら、連絡をいただけると助かります」
先生は蒼さんに向けて「一緒に頑張りましょう」と声をかけていた。蒼さんはわずかに頷いた。
こうして三者面談は終わり、僕と蒼さんは先生に挨拶をして部屋から出た。
「……新事実がどんどん出て来て、頭がパンクしかけたよ」
「ご、ごめんなさい……。できる限り貴方に迷惑をかけたくはなくて――」
「迷惑なんて思っていないから。それよりまずは――」
僕は蒼さんにしっかりと伝えたかった言葉を伝えようと思い、面と向かって言う。
「卒業は本当にしようね!」
卒業をしなければ、僕と結婚することすらできないわけで。大学云々の前にまずは高校を卒業できるようにしたい。
「が、頑張るのだわ……」
「まずは卒業だけを目指そう。進学はとりあえず二の次でいいよ……」
進学については半ば諦めモードではあるけれど、まずは蒼さんが無事卒業できるようにするのが最優先だ。
「だから補習はちゃんと受けようね」
「うっ」
そんな会話をしながら、僕らは家へと帰ることにした。頭を抱えることはあれど、未来の妻をサポートするのも夫の役目だと思っておくことにした。
帰り道。相変わらず僕は道行く女子生徒たちにちらちらと見られては、ひそひそと話をしているのを見かけた。
「あのさ、蒼さん」
「何?」
「ここ来てからなんだけど、ここの生徒さんたちが僕を一目見てひそひそと話をしてはちらちらと見てくるんだけど……。今日の僕ってなんか変な所あった?」
ああ、と蒼さんが短く返事をした後、静かにため息をついた。
「貴方って本当に気づかないのね」
「何が?」
「……鈍い人」
彼女はさらに深くため息をつく。
「貴方の容姿が良いから、皆見惚れているってことよ」
「え」
そういえば、目的の部屋に行く前に女子生徒に声をかけた時も、なんだか頬が赤くなっていた事を思い出す。それはつまり――
「そういうことだったの……?」
「そういうことよ。だから鈍いって言ったじゃないの」
今もすれ違い様に女子生徒たちは僕の方をちらちらと見ている。そして微かに会話する声も聞こえてきて――
――ねえ、あの人イケメンじゃない!?
――あの子のお父さんかな?
そんな会話が聞こえてきて、僕は喜んでいいのか悪いのかよくわからない気持ちになりつつあった。
「ま、紅也さんはあげないけど」
「あの、ちょっと」
「浮気も許さなくてよ?」
「しないし!」
今度は僕の方が大きくため息をついた。蒼さんは横でくすくすと笑う。そんな微笑みに惚れているのだから、浮気なんて絶対にしない。もう、彼女を見捨てることなんてしないとあの日誓っているのだから。
「帰りにカフェでも寄ろうか」
「やったのだわ!そうそうこの辺に美味しいケーキが食べれるカフェがあるの」
頭を悩ますことは沢山あるけれど、なんとかやっていけるだろう。心の中でどこかそんな気持ちがこみ上げてきた。
END
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