第23話 死がふたりを分かつまで
「はああああああっ!」
そこからのミュリエルは正に鬼神のごとき強さだった。
的確かつ高率的に相手の急所だけを狙って一撃で仕留め、事切れた魔物の遺骸を時に盾に、時に矢のようにして別の標的の前に蹴り飛ばす。
そうして隙を作り出して少しずつ、だが確実に殺していく。
これまで単独で戦ってきた彼女ならではの戦闘スタイルは健在どころか、ここにきてより一層の洗練された動きを見せてくれていた。
流れては返す刃の軌跡は、魔物が発した体液によっていくつにも色合いを変える。
青、紫、緑、そして赤——。
体力を回復させた俺もまた、彼女の目の代わりとなってその身に迫る脅威の存在を知らせたり、戦況変化の把握に尽力した。
とはいってもこれまでに比べ、やけに勘が鋭くなった彼女の前ではほとんど出番がなかったが。
「死にたくなければ引きなさい! それでもこの剣の錆になりたい愚か者は自分の前に出てくるがいい、ことごとく切り伏せてみせます! 我が名はミュリエル、
自信に満ちあふれた口上とそれを裏付けるかのような確かな剣の腕。
こんなにか。こんなにも彼女は強かったのか。
あのユニークを倒したことで加速度的に
思うにこれは本人の闘争心と生存本能からくる覚醒現象ではないだろうか。
とすれば今の彼女は戦士の上位職である
「
魔物たちもミュリエルのあの気迫に押されて、攻めあぐねている様子。
かくゆう自分もこうして遠巻きに見ていると、彼女と相対する魔物の気持ちが少なからず理解ができそうだ。
たった一人の戦闘員だというのに、次々と同胞が切り捨てられていく理不尽な強さと不気味さ。
これには奴らも困惑せざるを得ないだろう。
だからこそもしかすればミュリエルなら本当にこの絶望的な状況を打破できるかもしれない――そんな俺の抱いた淡い期待はしかし、すぐに打ち砕かれることになる。
「どうしました、身を引かず、さりとて向かってこないのなら、こちらから行きますが?」
視界に一瞬、違和感を覚えた。
「――ミュリエル、上だ!」
ガサリと響く葉擦れの音、同時に樹冠の間からフッと飛び出した大きな敵影が落ちてゆく。
狙いはもちろんその下にいる彼女ただ一人。
「え? ……くっ!」
他の魔物に気を取られた一瞬の隙を突かれたのだろう、頭上から突然現れた魔物がミュリエルのその無防備な背中めがけて放った爪の一撃。
これをすさまじい反射神経でなんとか身を
「なんのこれし……き!?」
痛みを噛み殺し口元を固く引き結んだ彼女が、身を
「ううううう……っ」
剣を杖代わりになんとか体を支えてはいるが、ガクガクと肩を震わせており明らかになんらかの状態異常に見舞われていることが分かる。
彼女を襲撃した魔物はこれまた毛むくじゃらの獣人、だがコボルトではない。
どこか人間に似ていると言われるそいつらよりも更に獣らしく、まるで狗頭のすぐ下から人間の体をそのまま生やしたかのようなこの魔物の名はワービースト。
「……毒か!」
別名『森の殺し屋』とも称されるワービーストの細く伸びた爪には、即効性の麻痺毒が含まれている。
必ずしもその爪に触れたからといって状態異常になるわけではないが、運悪くミュリエルは奴の毒にやられてしまったらしい。
万が一のため彼女に解毒薬を持たせているが、あの様子では自ら口に含むのは無理そうだ。
こうしている間にも体の中を毒素が回っていることだろう。
「待ってろ、今行く!」
こんな時に回復魔法のスペシャリストである
しかし無い物ねだりしていても詮はない。
そして今現在動けるのは俺しかいない、だからあれこれと考えていないで早く彼女のところまで駆けつけ——ザクッとなにかが通り抜けたような感触。
「がっ……!」
直後、脇腹に走った燃えるような痛み。
魔物の一撃によってそこを抉られたのだと頭が理解した時には、既に俺の体が傾いだ後だった。
受け身も取れずに前のめりに倒れて、そのまま地面を舐める。
傷口からジクジクと広がる疼痛は火傷の感覚と似ていた。
しかしこんなのは死んでいったみんなが受けた痛みとは比べるべくもない。
だというのにたったの一撃を受けただけで体はすぐには動いてくれない。
なんてざまだ。
あの子が、ミュリエルが危ないというのに。
「レ、イドさん……」
己の肉体と格闘している間に、ワービーストによってミュリエルは宙づりにされていた。
既に剣は握られておらず、力なく手をダラリと垂らしてされるがままになっている。
「ごめ……んなさい、貴方との約束、守れそうにないです……」
謝罪の声はか細く、今にも泣き出しそうなほどに顔はくしゃくしゃに歪んでいた。
そこに秘められた感情は無念が適切だろうか。
けれども彼女は俺に謝らなければならないことはなにもしていない。
むしろ俺が役立たずで弱いから、だからそんな顔をさせてしまっているというのに。
「くそっ動け! さっさと立て! 早くしないとミュリエルが、ミュリエルがっ!」
これほどまでに年老いた己の肉体を呪ったことはなかった。
もし試練を与える神ではなく契約に実直な悪魔と取り引きできるのなら、たとえどんな報いを後で受けようとも俺は強く願ったことだろう、彼女を助ける力を授けてくれと。
「まだだ……まだ猶予はある……! 俺が、俺がなんとかするから気をしっかり持てミュリエル、諦めるな!」
それは果たして自分に言い聞かせているのか。
しかし執事ではなく一人の男として、むざむざ大事な女性を死なせるわけにはいかない。
だが意志に反して体は重く、必死で力を込めてもガリガリと指先で地面を掻くだけだ。
爪が剥がれてブシュブシュと血が噴き出してもいっこうに起き上がることが叶わない。
おかしいぞ、誰かを想う気持ちは原動力になるはずじゃなかったのか。
こんな無力な俺を好きだと言ってくれた少女が今まさにその儚い命を奪われようとしている。
前途ある若者が目の前で強制的に人生の幕引きをさせられようとしている。
そんなのはもうとっくに限られた未来しかないおっさんの役目だ。
なにかを成そうにも遅すぎる年齢となった中年が負うべき責任なんだ。
「やめろ、やめてくれ、彼女だけは……」
魔物に人の言葉は通じない。本当の意味で通じはしない。
「好きなんだ俺は、ミュリエル・アッセムハートのことがどうしようもないほどに! だからこの冒険が終わったら結婚しよう! こんな俺だけどきっと君を幸せにしてみせるから!」
彼女に生きる希望を与えるためなら恥も外聞をかなぐり捨てる。
昨日あれから一晩中考えた。
俺にとって彼女はどんな存在なのかと。
考えて考えて導き出された答えはなんてことはなく、シンプルに将来を考えられる相手だと。
明るくて眩しい彼女の笑顔にいつも救われた。
本当、俺なんかにはもったいないくらいだ。
だからそんな少女の代わりにすっかり薄汚れたこのおっさんの命で勘弁してくれ、なんて都合のいい懇願はいとも簡単に踏みにじられていく。
「嬉しい、レイドさん……」
それはなにかを諦めた者特有の声音だった。
人生の最期を悟ったがゆえに、あえて終わりは穏やかに締めくくろうとする感情の表れ。
どんな阿鼻叫喚や怨嗟の声よりも心に深く突き刺さる、死を覚悟した者の遺言。
あるいはこの世でもっとも愛おしい呪い。
「その言葉が聞けただけで私は幸せです。だからレイドさん、貴方は生きて……生きてください。お願い、生きて――」
あっけなく。実にあっけなくミュリエルの胸を木の杭のようなワービーストの豪腕が貫き。
ゴポリ、と、赤々とした血の洪水が彼女、の、内側から、ふ、き、だ、し、し、ししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししししし――死。
「あぁぁあああ……ああああ!」
そうしてミュリエルは、俺の愛した女性は一切の救いもなく絶命した。
__________
いよいよ次回クライマックスです。
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