第07話 彼女の真の目的

 あれから半年が経った。

 先だっての初ダンジョン探索成功を皮切りに、これまで俺とミュリエルで計三つのダンジョンを攻略した。

 いずれも一般に解放されているダンジョンの中では初心者向けであるものの、攻撃職が一人だけで戦闘不能イコール即全滅のパーティーにしてはまずまずの快挙だろう。


 おかげでミュリエルもすっかり冒険者の仕事が板についたようで、「レイドさん、そろそろ次の段階に行ってみたいです!」という彼女の要望もあってワンランク上のダンジョンを目指すことにした。


 ただし攻略するのはあくまで途中まで、今回の探索はあくまで馴らし目的、という条件つきで。

 リスクを下げるために初回のダンジョンは数回に分けて手堅く進行、それが俺たちパーティーの暗黙の了解だった。


 肝心の今回挑むダンジョンだが、カミール森林と呼ばれる場所である。

 ギルドが選定している攻略難易度的には中の下といったところだが、うっそうと生い茂る樹木と小型から大型にかけて幅広く出現する多種多様の魔物はなかなかに厄介だ。

 

 得てして森に根ざした魔物というのは状態異常を引き起こすタイプが多いので、解毒や麻痺消しに使える薬草、回復薬ポーションといったアイテムを充分に用意してから旅に出たのが今朝のこと。

 そして現在の俺たちは、くだんのダンジョンを散策していたところだった。


 ◆


「ここでいったん休憩しようか」

「はい、レイドさん。そうしましょう」


 獣道を抜けた先に開けたところを発見し、周囲に魔物がいないことを確認してからそこで一息をついた。

 近くには小川が流れており、野営の準備をするに向いている。

 この森で一夜を明かすことになった場合はここを利用することにしよう。

 

 背負っていたバックパックを地面に下ろした後に肩を軽く動かすと、ゴキゴキと骨がきしむ感覚がした。


 ……ううむ、やっぱり肩がこっているな。


 ここ最近は大量の道具を収納したバックパックをずっと背負って回っていたから無理もないか。

 膝裏の方も歩き疲れのせいかむくんでしまっているのが見なくても分かる。


 この頃は歳のせいか、どうにも体の不調が気になるようになった。

 冒険者にとって体は資本、まして非力な男ともなればなおさらだろう。

 これでも常日頃から体調管理には注意を払っていたが、さすがに加齢には勝てないようだ。


 慢性的な息切れ、翌日まで疲労の持ち越し、目のかすれといった老化現象はある意味で状態異常バッドステータスのオンパレードとも言えるかもしれない。


 ひとまず肩こりだけでもなんとか解消しようと腕回しを試みていると、年寄りじみた俺の行動にくすりとミュリエルの口から笑みがこぼれた。


「肩がこってるみたいですね。辛いようですし、私が揉んであげましょうか?」

「いやいいよ。ミュリエルだってここまでの戦闘で疲れているだろう? むしろ大したことをしていない俺の方が君にするべきだ」

「もう、遠慮しないでくださいっ! 全然疲れていませんし、結構マッサージが得意なんです私。お父さんからはマッサージ姫なんて呼ばれていたんですよ?」


 そう言いながら無理やり俺の背後に回り込んだので、悪いとは思いつつ彼女の行為に甘えることにした。

 だがその前に、万が一のために間も避けのお香だけは焚いておく。


「……じゃあ、お願いするよ」

「はい、任せてください。これでもかってくらいレイドさんのこと癒やしてあげちゃいますから。それじゃあ失礼しますね」


 そっとミュリエルの手が俺の肩に添えられる。

 

 一度戦いになれば雄々しく武器を握るその手もいざ戦いから離れればただのか細い少女のそれになるのだから、不思議なものだ。


「うわぁ、男の人の背中ってやっぱり広いなぁ」

「そうかな? 自分だと気づけないが」

「ですよ。私のお父さんみたいで懐かしい」


 彼女のたおやかな指先に力がこもり、肩のこりを解すように一生懸命もみもみされる。

 もちろん加減をしてくれているのだがそれでも少々力強い。

 だがかえって気持ちいい。親からマッサージ姫と呼ばれるだけのことはある。


「力加減はどうですかー? もし痛かったら手を上げてくださいね」

「ん? ああ大丈夫、最高だよ。むしろこのままずっとされていたいくらいだ」

「ふふ、よかったです。じゃあもっと張り切って揉んじゃいますねー」


 彼女のふわふわとした声と梢が風に揺られる音が合わさって、不覚にもまどろみかけてしまう。


 ……おっといかん、こんなところで寝るわけには。しかしどうにもこの睡魔には抗い難い。

 まるで以前遭遇したことのある眠れる獅子ドルミコレオから睡眠魔法スリーピングビューティーをかけられたかのようだ。


「——ありがとうございます、レイドさん」


 唐突な感謝の言葉にわずかながら目が覚める。


「どうしたんだ、いきなり」

「今だからこそ伝えておきたいんです。なんならそのまま聞き流しちゃってください」


 本人が望むのならそうするが、まあなんにせよ判断するのはその話を聞いてからだ。

 無言のまま俺は、彼女からの続きを待った。


「まずはこれまで二人だけで冒険したいっていう私のわがままに今日までずっとレイドさんを付き合わせてしまってごめんなさい」

「別に、構わないさ」

「頭では分かっているんです。他に冒険者仲間を募ってみんなで協力してダンジョンに挑んだ方が私もレイドさんも生存確率が高まるって。だけどどうしても私は執事の男性と二人だけで冒険してみたかったんです」

「……理由を聞いてもいいか?」


 ずっと頭の片隅にあった疑問ではある。

 どうしてミュリエルはわざわざ困難極まる道に身を置くことにしたのかを。

 なにかと入り用で成功報酬を山分けする割合を減らしたいだとか、あまり人付き合いを好まない性分とかならまだ分かる。


 しかし彼女は金に頓着もしなければ、社交的でむしろ積極的に人脈を広げようとする性格だ。

 だからこそどうしても譲れない理由、もしくは信念があるのだろうと思っていると、


「これまで話す相手がいなかったけどレイドさんにだけ特別にお話しますね。実は私の両親って、同じパーティーの元冒険者同士だったんですよ。あ、ちなみに五人パーティーなんですけどね」


 これまでは面と向かって彼女の家族に言及することがなかったから、その話は初耳だ。

 にしても元冒険者同士ということは、父親の方は俺と同じ執事だったはず。

 

「二人とも、最初はただのパーティーメンバーにしか思ってなかったそうです。でも一緒に冒険を続けていく中で次第にお互い引かれあい、やがて恋人になったみたいで。そしてある日思い切ってそのパーティーを一緒に脱退して新たに二人だけのパーティ-を作ったんだそうです。変わらない愛の証として、決して他に誰も入れることのない『栄光の二人三脚』というパーティーを。結婚をしたのも同じタイミングだったそうです」


 ともにパーティーを組んだ冒険者同士で結婚をしたという話は聞かないわけではないが、やはり珍しくはあるな。

 それはともかく以前ミュリエルが提案し、現在の俺たちのパーティーについている名前は彼女のご両親から引き継いだものだったのか。


「そんな両親のなれそめを子供の時に聞かされてからずっとあこがれていたんです私。将来自分も冒険者になって執事の男性と二人きりでいろんな困難を乗り越えながら、いくつものダンジョンを攻略したいなって。お金とか名声だとかそういうのがほしいわけじゃなくて、ただ私はお父さんやお母さんのように素敵な恋愛と心わき踊る冒険がしたかったんです」


 やっと腑に落ちた。そういった幼児期の頃からのあこがれがあったからこそ、かたくなに彼女はソロ女性冒険者にこだわっていたのか。

 それがどれだけ危険なこだわりだとしても。


「……あはは、子供みたいな幼い夢でレイドさんも幻滅しちゃいましたよね?」

「そんなことない。俺だって冒険者という生き方にロマンを感じ、まだ見ぬ未踏の地に夢焦がれたからこそ、こうして年甲斐もなく冒険者を続けているんだ。あこがれや夢を抱く理由がたとえ子供じみていても、俺はいつまでも在りし日の少年の心を持ち続けていたい。君もそうだろ?」

「――っ、はいもちろん! なんだ、レイドさんも私と同じだったんだ」


 肩越しに同調を示すと、背後から弾んだ声が。


「……だけど、そうだったとしたらミュリエルには悪いことをしたな」


 俺のもらした言葉に彼女は「どうしてです?」と尋ねてくる。


「だってミュリエルの目標ってのは一緒に組んだ執事といずれは恋仲になることだったんだろ? なのにこんなくたびれたおっさんが相手じゃ叶う夢も叶わないじゃないか。そういうことなら俺とコンビを解消して新しい執事を探した方がいい。なんなら今回ダンジョンから戻ったら若くて信頼できる相手を紹介するよ」

「…………」


 悪気なく告げた一言にぴたりと俺の肩を揉む手が止まった。


「なんでそんなこと言うんですか」


 彼女にしては珍しく怒気のこもった低い声。

 直前までの穏やかなものとは違う急激な語調の変化に思わず面食らう。


「ミ、ミュリエル……?」


 恐る恐る彼女の名前を呼ぶと、ぎゅうっと両肩をつねられた。

 飛び上がりそうなほどの痛みが走るが、なぜか背後からの威圧感がすごいせいでリアクションが取れなかった。

 喉元までせり上がってきた苦悶の声をなんとか飲み干して、次の展開を待つ。


「どうして私が今更こんなお話をしたのか分かりますか? 分かりますよね? 分かりましたって今すぐ言ってください。でないともっと強い力でつねりますよ?」

「わ、分かりました……」

「よろしい」


 魔物も裸足で逃げ出しそうなあまりの剣幕に、半ば強引に言わされる。

 ……けれど本当は彼女の話の意味が分からないでもない。


「レイドさんが私の言いたいことをちゃんと理解してくれたと仮定して聞きますよ。……私みたいな小娘はやっぱり眼中にないですか?」


 今度は一転してか細い声。まるでこちらの腹の奥底を探るような、そんな感じだ。


 さて、どう返すべきなのだろうかこれは。

 俺の返答如何いかんでは彼女を傷つけてしまうに違いない。

 こういったことに対する、これまでの数少ない女性経験からなんとか最良の答えを導き出そうとしたその時だった。

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