参りました

伊藤ダリ男

第1話 オネスティでの出来事

 いつもの週末らしく、8時を過ぎると、夜の街界隈は賑わっていた。

 僕は、その喧騒から少し離れたところにある、古い一軒家のバーHonesty(オネスティ)の常連であり、この日もカウンターに座って飲んでいた。

「山ちゃん。今日もひとり?」

 と声を掛けて来たのは、ここで仲良くなった、いわゆる飲み友達の川辺さんだ。

 川辺さんは、おしゃれで、いつも髪を奇麗に整え、最近の流行りの少し派手な格好をしていた。それで年齢不詳に思えるが、実のところ僕とほぼ同じくらいの三十歳前後らしい。面白い人だが、真っ当に生きて来た僕にとって、どちらかと言えば信用できないタイプだ。

「川辺さんは?」

「今のところ、俺ひとり。隣に座ってもいい?」

「もちろん。どうぞ座って」

 僕は山岸と言い、川辺さんは、僕を山ちゃんと呼んでいた。お互いの事を探ろうとはせず、僕は、ウイスキーやカクテルをちびちびやりながら、いつも川辺さんの女の話しを聞いていた。

「山ちゃん、面倒な女との関係を切るにはね、おおよそ二つあってね。まあそのひとつは、他の男を紹介する事。これが一番!」

「ええー?だってその女性は、川辺さんに惚れているわけだよね。だったら他の男を紹介すれば、逆ギレしてしまうんじゃないの?」

「ところがさ、女つう生き物は、不思議でね、多くの確率で替えが効くんだよ。俺と同じレベルだったら、まぁいいかと思うらしく、俺より上だったら、女のほうから引導を渡してくる。そうなりゃこっちのもんさ」

「しかし、川辺さんよりレベルが下だったら?」

「ふふふ。それがもう一つの方法でね。土下座して謝るのよ。『あなたの思っているより俺は、立派な人間ではなく、実は、だらしなく、不潔で、しかも学歴も金も職もない。こんな俺みたいな男と付きっているあなたの将来は不幸になるだけです』と、きっぱり言う。俺のこの土下座と告白を目の当りにして呆気に取られている内に、バイバイと別れを告げると追ってくる女はゼロと言う訳さ。どう?」

「へぇ~。大したものだと言うか、何というか」

「まぁ。入れ替わり立ち替わり付き合ってから別れた女は、年に百人余り。そんな実績を重ねている俺が言うのだから間違いは無いよ」

「年に百人?ははは。そりゃいくら何でも話を盛っているね、川辺さん」

「とんでもない。ナンパ歴二十余年。今まで関係を持った女はざっと二千人くらいかな?」

「二千人も?嘘でしょ」

「いや、ほんと」

 川辺さんとの会話は、いつもこんな感じだった。普通のサラリーマンの僕にしてみれば川辺さんの話しは、異次元の世界で興味深く、どんどん話に引き込まれてしまうのだ。


「でも毎日そんなに付き合っていたらお金がいくらあっても足りなくない?」

「あはは。山ちゃん、お金を払うのは女の方だよ。俺は、ボランティアじゃないぜ」

「えー?女性の方が金を払うの?普通は逆でしょ」

「普通はね・・・でも俺の場合は、女が金を払い、女が俺にプレゼントをし、女が俺に金をくれる。俺は全面的に貢がれるわけさ」

「そう言う世界は、現実にあるの?」

「ある」

「でも毎日がそうだと、その女の方は、いつかお金が無くなるじゃないか」

「金の切れ目が縁の切れ目さ。その女とは、そこでフィニッシュ。土下座してバイバイよ」

 川辺さんの言う事に多少の腹が立ったが、世間離れしているその飄々とした生き方は憎めず、正直羨ましくも感じた。

 川辺さんは、ひと月に同時に五、六人に貢がせ、毎月百万円ほどは、懐に入れているらしいが、その使い道は、将来の為に殆ど貯金していると言うから、これはまた逆に驚いた。

 僕にも、貢がせる女のナンパの仕方を教えると言ったが、それは、冗談半分で聞くことにした。

「ナンパ百パワーセント成功の仕方なんてものは、あるの?」

「無いことも無いが、一番大切なものは、キッカケけさ」

「キッカケ?どんな?」

「では、ひとつ簡単で効果的な事例を特別に教えてあげるよ」

「ああ、頼むよ」

「先ずは、手をピストルの撃つ形にして。左右に可愛らしく動かしながら、ターゲットの女に近付く・・・『あれぇ~?この前のバッチェラーパーティでお逢しませんでしたっけ?』 と子供の様な仕草で聞けば、彼女の答えは、『いいえ』と答えながらも、こっちの子供っぽさに警戒心を解いてしまう。そこがきっかけとなり、後は雰囲気だね」

「雰囲気ね。そんなもんで女性が上手く引っ掛かりますか?」

「嘘だと思っているだろう。・・あはは。嘘ですよ」

「なぁんだ。やっぱり」

「でも可能性はゼロでは無いとも言える」

「え?ひょっとして僕を揶揄っている?」

「あのカウンターの端に女がひとり座っているね。そっと近づいて彼女の後ろの席に座ってみれば、分かると思うよ」

 そう言われ、僕は何のことか分からずカウンターに一人いる女性に気付かれないように上手く後ろの席に着いた。途中彼女をちらと見たが、三十前後か、品があり、かなりの美人だ。そう思う間もなく、川辺さんがこちらに近付いてきた。

「あれ~山岸君の妹さんですよね」と手をピストルの撃つ形にして、左右に可愛らしく動かしながら言うのだ。その声も普段とは違い、子供のような仕草だ。当然答えは、『違いますよ』・・そこまでは、予想から外れなかったが、次の雰囲気はどうするのだろう。僕は、ドキドキしながら聞くことにした。

「大変失礼いたしました。近くであらためて拝顔致しましたら、山岸君の妹さんよりずっとお奇麗な方で、正直、見間違えて声を掛けてしまいましたが、時として間違えるのも良いものだなと思った次第です。間違えついでに一杯おごらせてください。もちろん、彼氏がお見えになるまでで宜しいのですが」

「え?彼氏なんていませんよ」

「それじゃ。世の中は、不公平じゃ有りませんか?人生は、短いし、楽しいことができるのは、僅かな時。今夜は、孤独な人生をもっとエンジョイできるかなんて、ご一緒にお話ししたいですね。如何?」

「ええ。わたしは、間違われた為に退屈な今夜が楽しくなりそうですわ」

「では、これをお飲みになったらここを出ましょう」

「どちらへ?」

「退屈よ。おさらば。そんなところへ」

「うふふ。ええ。是非」

 つい5分前まで他人だった二人が仲良くしている。

 そして間もなく二人は、オネスティのドアから外に吸い込まれるように出て行った。

 その途中に川辺さんは、僕を見てウインクした。その時の僕は、口をぽかんと開けていたと思う。

 二人が店を出た後でマスターから聞いた話によると、川辺さんは、生まれながらの女誑(たら)しで、小学校五年生で年上の彼女が二人もいたらしい。その後中学、高校と付き合った女の数知れずと言ったところ。それが二十歳前でちょっとした事件を起こしてしまったのだ。

「事件? 傷害事件とか・・」

「いやそんな物騒な…いやもっと怖い話だが、地元の恐れられているヤクザの組長の一人娘に手を出したみたいなのだ」

 そのほんの遊び心がいけなかった。ある意味で箱入りのその娘は、川辺さんに夢中になってしまい、家まで追いかけて来て、仕方なく同棲し始めたのが運の尽き。突然ヤクザが入り込んできて家中壊され、挙句の果てに娘を傷モノにしたお詫びとして一億円が請求されてしまったのだと。

「その金払えたの?」

「まさか、家と土地を売って貯金叩いて、親戚から金を借りても払えず、両親とも別れ、夜逃げさ」

「そりゃ大事件だな」

「で、逃げた先がここと言う訳さ」

「へぇ。人は正直分からないものだね。良い勉強させてもらったな」

 僕は、その日三人分の支払いをした。勉強料だと思えば、安かったかもしれないが、それから川辺さんは、その日を最後にオネスティに顔を出さなかった。


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