正義は何処へ
橋立
第1話 死別
今日、父親が死んだ。
特に憂うこともなければ、悲観することもないそんな事実だ。
……いや、一家──一家といっても、すでに僕しかないのだが──の大黒柱が死んだのだ。悲観し憂うべきか。
父親は刺し殺されたらしい。
聞く話によると、通り魔だとかなんとかだ。
「可哀想だ」と言う声が、葬儀場のそこかしこから聞こえてくる。
父親の死因のせいだろうか?気持ちが悪い。
あの男が、可哀想なわけがない。当然の報いだ。因果応報だ。
逆に、刺し殺してしまった通り魔の方が、僕は可哀想に思え、仕方がない。
ヒソヒソヒソ。
それにしても煩い。まるで僕のことを、冷たい人間だと言う、視線声に思う。
酷い話だ。何故、僕が最低な男の葬儀で泣かなければならない。
母親を殺した男なのだぞ。
何故悲しまなければならない。
何故笑うのを許さない。
当然の報いが降ったまでであろう。
因果応報、自業自得。
それらの言葉が合う人間だったのだ、それなのにも関わらず、何故貴様らは、僕に非難の視線を、気味の悪い異質を見るような視線を向けているのだ?
気味が悪い。表面的な『死』という概念に囚われ、その本質を、奴の人間性を、人生を見極めようとしない、妄信的な人々に対し、反吐がでる。
貴様らは僕のことを、人間として見ていないのか?
貴様らは僕のことを、思い通りに動かすことが可能な、幼い玩具だとでも思っているのか?
貴様らは僕のことを、一体全体なんだと思っているのだ?
如何に言葉を漏らそうと、結局は声に出さず、誰にも伝わらない。
ただ無情にも、冷たい視線が降り注ぎ、まるで僕のことを『悪』だ。
と喧伝せしめるような、葬儀は粛々と進んでいった。
別れの言葉は、父の友人だという男が行なった。
奴は泣きながら、さも悲嘆にくれた様子で、言葉を綴った。
「私は、
私と健介さんとの出会いは、幼稚園まで遡ります。
その頃、私は内気で、一人で過ごしていました。
まるで、その頃の日常は、灰色だったように思えます。
ですが、健介さんに笑いかけてもらい、私の日常はバラ色のものに変わりました。
小学校でも、中学校でも、高校でも、沢山の仲間を作り、勉学に励み、模範的で素晴らしい人でした。
大学に通うようになってから、疎遠にはなってしまいましたが、時折掛けて下さるお電話に、私は励まされ続けていましたよ。
もう笑い合えない、そう思うと涙は止まることは知りません。
ですが、あなたの笑顔を手本に歩いて行きます。
残された遺族の方のためにも、貴方との思い出は忘れることはできません。
ご遺族のことを思い、心配することがないよう、安らかなお眠りをお祈り致します。
健介さんとの突然の別れで、辛かったと思います。どうかお力を落としませんように願うばかりです。
健介さん。沢山の掛け替えのない素晴らしい思い出をありがとう。あなたと出会えたこと、それは素晴らしかったことだと思います。あなたと天国で会えること、それを楽しみにしています。
どうか、それまで御遺族の方々とともに、見守ってもらいたい所存です。
本当に、ありがとう。あなたに心からの感謝を捧げます。
どうぞ安らかにお眠りください」
阿呆らしい。どうしてそんな見え透いた嘘をつくのだろう?
それに、どうして周囲の奴らは、まるで感化されたかのように、涙を流す?
こんな馬鹿げた茶番に何の意味がある?
奴が、父親が素晴らしい人間?
笑わせるなよ。何が素晴らしい人間だ。
奴の何処が、奴の何処に素晴らしい要素が存在する。
機嫌が悪ければ、母親を僕を殴り、蹴り暴力を振るった。
母親を自殺にまで追い込み、少し前までそれがなかったかのよう酒を飲み、怠惰に生きていた男。
そんな奴の何処が素晴らしいというのだ?
口の中に苦みが広がる。
頭を可笑しくしそうだ。
あぁ、馬鹿らしい。
何で僕は、あんなクズな男に対して、クズな男の友人、知人に対して、怒りを抱いているんだ。
くだらない。どうして僕が、抱かなければならないんだ。
あの男の死で、何故僕が憤慨しなければならない。
奴の死に、嘲笑を向けられないんだ。
如何に気持ちの悪い怒りを収めようとしても、僕の怒りの感情は留まることを知らなかったように思えた。
まるで、クズな父親の死を悲壮感で、満たそうとしている奴らが、悪魔のように思えたからだ。
ふさわしい死に方だったと言うにもか関わらず、美辞麗句を並べ立て、それをまるで秀麗な物語を創り出す?
視線が煩い。何故、僕の事を貶す視線を向けてくる。僕の事が異質だからか?
貴様らは、あの男が僕に、僕と母親に対して行ったことを知っているのか?
知っていたのなら、何故助けなかった。
知らなかったのなら、貴様らは何故、全てを知った神のように断罪を行おうとする。
貴様らは、ただの傍観者であったはずであろう?
葬儀は淡々と進んでいった。
周囲には、感傷的な雰囲気が流れ続け、そして終わった。
あとは火葬の炉に運ぶだけだ。
これでやっと僕は、解放される。
悪魔の男に囚われた僕は、解放される。
あぁ、笑いが漏れそうだ。
「なに、あの子。冷たい子ね」
「まあ、自分のお父さんが亡くなったのに、涙一つ見せないなんて」
「酷い子ねぇ」
「健介さんも可哀想に」
「そうねぇ、あんな冷たい、酷い子が我が子なんて」
僕の事をチラチラと見て、ヒソヒソと小さく言う声が聞こえてきた。
・・・・冷たい?酷い?可哀想?ふざけるなよ。馬鹿にするな。
何で、僕がそんな事を言われなければならない。
僕は奴に、奴に人生を壊され続けていたのだぞ!
それなのにも関わらず、何故僕が、悪にされるのだ!
僕は悪ではないはずであろう。
何故、僕の事を悪のように扱う。
ふざけるなよ。ふざけるなよ!
僕はあの男の死で、笑っていないのだぞ。
何が冷たいだ。何が酷い子だ。何が可哀想だ。何が涙一つ見せないだ。
あの男の死に対し、嘲笑を見せず、冷笑を見せていないのだぞ。
奴に対して、ふさわしいではないか。
笑わないだけ、まともじゃないか。
それなのに、何故、まともではないように。
異質なように、異常なように、異端のように言う。
貴様らは、ずっとそうだ。
貴様ら傍観者はずっとそうだ。
普段は、何も言うことはせず、見て見ぬふりをする。
だがどうだ。何かが起きたあかつきには、貴様らはまるで、全てを理解し、知っている神のように、状況を解決しようと、グチグチグチグチと無駄なことを言い、僕の事をまるで奇妙な物として嘲笑をする。
ふざけるなよ。傍観者が。貴様らは、全てを解決できる神ではないだろう。
はあ、嫌な気分だ。
僕は火葬場に着き、ただ言われた通りに、骨を箸で掴み、骨壺の中に収めた。
そして父親の葬式は終わった。
あぁ、これでやっと終わりだ。
異端を凶弾する視線にも晒されることもなくなる。
やっと終わりだ。僕の地獄は終わったんだ。
終わったはずだったんだ。
終わったはずだったのに、翌日も、翌週も、翌月も、翌年も、ずっと僕には、
『父親が死に、母親も死んだ可哀想な少年』
『父親の死に悲しむことのなかった、冷たい少年』
二つの憐れむ視線、蔑む視線で見られ続けた。
僕の地獄は続いてしまった。
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