第八話:初めての価値
肌寒さを感じる中、急ぎ下着とパジャマを着た俺は、そのまま寝室を出た。
「着替え終わったから。悪いけど居間にいるね」
「うん! もうすぐできるから、もうちょい待っててね! あ。テーブルのお茶は飲んでいいからねー」
その言葉を聞き居間を見ると、確かにテーブルにお茶がふたつ並んでいた。
奥の席には、俺のスマホも並べて置いてある。多分あっちが俺の分かな。
「ありがとう。何か手伝う事があったら呼んでくれる?」
「そんなの気にしなくていいってー。まずはのんびりしてて」
振り返らずコンロにかけている鍋を覗いてかき回している近間さん。
少し額に汗を滲ませ、真剣に料理する彼女の姿は中々に新鮮で、同時に目を奪われる。
……やっぱり、近間さんって可愛いよな。
眼鏡をしている珍しいギャル。だけど、愛嬌もあるし表情もいいし。
彼女みたいな子がずっと側にいたら、きっと毎日が楽しいだろうな。
「……あれ? 何ぼーっとしてるの?」
と。肩越しにこっちを見た彼女が、俺の視線に気づく。
流石にさっきみたいな事は口にできないし、えっと……。
「あ、えっと……。何か、意外だなって」
俺はとっさに別の本音でごまかしたんだけど、それを聞いた近間さんは目を細め、にんまりとする。
「それってもしかしてー、あたしがギャルだから、こういうのしなさそうって思ってる?」
「う……ごめん……」
図星。
その質問に、俺はバツが悪い顔をした。
正直、俺の言葉選びは良くなかったと思う。
でも、近間さんはそれを特に気にもせず、普段の笑顔に戻る。
「いいっていいってー。あたしのうち、母子家庭って言ったっしょ? だからお母さんの帰りが遅い時とか、あたしが夕食を作ったりするんだよねー」
「へー。近間さんって女子力高いね」
「えっへっへ。でしょでしょ? もっと褒めていいよ?」
こういう彼女の明るさって、ほんといいな。
俺はそんな事を思いながら、にこにこする近間さんに笑い返す。
「料理慣れしてるなら、味も期待できそうだね」
「もっちろん! 変なのは作らないからさ。楽しみにしててよね!」
「わかった。じゃあ、そっちで待ってるね」
「うん!」
返事もそこそこに、また鍋の方に目を向ける近間さん。
そんな彼女の真剣さに頬を緩めた俺は、そのまま彼女の言う通り、居間で大人しく待つことにしたんだ。
◆ ◇ ◆
あれから数分。
温かいお茶を飲んで、ほっと一息ついていると。
「おっまたせー!」
ドアを開けた笑顔の近間さんが、滲んだ汗も拭かずに、片手に乗せたお盆に丼ぶりをふたつ運んできた。
部屋に入ってきた途端に広がった香り……これはトマトかな?
その答えが気になる中、彼女はすっとテーブル脇に腰を下ろすと、俺と彼女の席それぞれにその丼ぶりを置いた。
「これ、リゾット?」
「うん! これなら身体も温まると思ってさー」
中華っぽい丼ぶりに入っていたのは、それに似合わない赤いトマトスープをベースにしたリゾット。まあ深めの器はこれくらいしか置いてないから仕方ないんだけど。
でも、ぱっと見る限り、お米にスライスしたニンニクに、細かめにカットされたベーコンや玉ねぎ。中央には半熟の卵が乗り、その周囲には粉チーズとパセリも掛かっていて、見栄えも十分。
栄養もありそうだし、見た目にもかなり美味しそうな一品。
正直これだけで、まず味は保証されたって気持ちになる。
「よっし。まずはささっと食べて、遠見君はベッドで横にならないとねー」
「そうだね」
会話しながらスプーンも並べた彼女は、お盆を一度テーブルの脇に避けた。
「それじゃ、いっただっきまーす!」
「いただきます」
パンっと両手を合わせ大きく挨拶をした近間さんは、スプーンを手に取ると、卵をほぐしかき回し始める。
俺もリゾットは食べたことがあるけど、ここまで凝った物は初めて。とりあえず彼女に倣って卵をほぐすと、その一部とリゾットをスプーンで掬い、ふうふうと少し冷ました後に口に入れた。
身体が温まるのは勿論だけど、ちゃんとトマトの酸味もしっかりあるし、塩気もバランスがいい。チーズや卵とも合うこの味は、その辺のお店で食べるのより美味しいんじゃって気持ちにさせる。
「ね? どう?」
「うん。凄く美味しいよ」
「口に合う?」
「勿論」
「良かったー。好みの味じゃなかったらどうしよっかなーって、ちょっと不安だったんだー」
前のめりに聞いてきた近間さんは、俺の感想を聞いてホッとした顔になる。
あれだけ作ってる時自信満々だったから、不安だったんだって全然思わなかったな。
「ちなみに、友達なんかに食べさせたりしてないの?」
「え? なんで?」
「あ、いや。随分自信ありそうだったし。他の友達とかかも美味しいって言われたんじゃないかなって」
俺は素直にそれに頷く彼女を想像してたんだけど。
「ううん。今まで家族相手にしか作った事ないよ」
近間さんは、さらりとそれを否定した。
「……え?」
へ? それって……。
「じゃあ、家族以外に振る舞ったのって……」
「うん。遠見君が初めて」
「え? 嘘!?」
「ほんとだよ。だいたい友達と一緒の時なんて外で食べちゃうし。料理作る機会なんて早々ないってー」
……言われてみれば。
友達が早々自分の家に来たり、相手の家に行って手料理を振る舞うなんて機会、早々ないかもしれない。
でも、俺が初めてか……。
こういう初めてって、何となく凄い価値があるように感じて、俺はまた少し不安になる。
「あのさ。俺なんかに、初めての手料理を振る舞っちゃってよかったの?」
自然に不安な顔をしてしまったその時。
近間さんは、ふっと微笑むと。
「遠見君ってピュアッピュアだねー」
なんて言ってきた。
「ピュ、ピュア?」
「そ。まあ、友達いなかったからこそ色々気になるんだろうし、そういう一言一言がちゃんあたしを大事に見てくれてるってのはわかるんだけどねー。あ、冷めちゃうから食べながら聞いて?」
「あ、うん」
近間さんに促されリゾットを口にすると、そのまま彼女は話を続けた。
「まー、あたしって外見もこういう感じだし、どっちかって言うと軽く見られがちでさ。だから結構気軽にヤッちゃう? なんて言ってくる男子もいるんだけどさ。あたしだって、中身はちゃんと乙女なんだよねー。だから、大事にしたい初めても沢山あるよ。キスはやっぱり好きな人が初めてじゃなきゃ嫌だし。その先なんかもそう。でも、気にしない初めてもいっぱいある。だからあたしは昨日遠見君に言ったんだよ? 誰にでも初めての事はあるし、気にしすぎだーって」
そこで一息
確かに。MINEでの会話でそんな言葉で背中を押してくれたっけ……。
その時の言葉を思い出しながら、リゾットを飲み込む近間さんを見つめていると、彼女は口の中の物を飲み込んだ後、再びこっちを見た。
「それに、あたしにだって『この人は無理』って男子はいるわけ。さっきみたいに軽々しく見てくる男子となんて、二人っきりになるのもご飯作ってあげるのもありえないしー。でも、遠見君はそうじゃないの。グラ友としても共感できるし、友達としても安心できるしさ。だから、あたしは気にしないっていうか、むしろ遠見君が初めてで良かったーって思ってるよ」
「ほんと?」
「うん。だって、あたしの手料理をちゃんと美味しいって言ってくれたんだもん。最高っしょ」
にししっと彼女らしい笑みを見せ、再びリゾットを食べ始める近間さん。
素直に美味しいって感じたから口にした感想だったんだけど。
それだったらきっと、初めてとしての想い出としても良かったのかも。
「ま、それにー」
俺が未だ視線を向けているのに気づいた彼女は、目を細めにんまりする。
「あたしだって、早速遠見君の初めてを沢山奪ってるわけだしー。お互い様っしょ?」
……あ。
それに気づいた瞬間、俺ははっとする。
そういや、俺だって今まで友達を家に呼んだ事なんてないし、そもそも初めての友達も近間さん。
プリを撮られ、手を繋がれ。心にあったトラウマまで話してる時点で、相当な初めてを彼女に持っていかれているわけで……。
「ち、近間さん」
「ん? なーに?」
「そ、そういう言い方、止めない?」
「やだ」
「え? 何で?」
「だってー。遠見君が照れるの、見てて可愛いしー」
「だ、だから! ったく……」
正直こういうのに慣れてないから、よい返しもできず、俺はただ頭を掻くしかできない。
正直、恥ずかしくって仕方ない。お陰でまた顔が火照ってきたじゃないか。
俺は彼女から視線を逸すと、黙々と美味しいリゾットを食べ続けた。
クスクスっという、近間さんの笑い声を聞きながら。
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