第七話:困った事態

 だいた十五分くらい掛けて、身体を温めた俺はシャワーを止め、洗面所に戻ったんだけど。


「……しまった……」


 俺がその問題に気づいたのは、洗面所の鏡に映る自分の姿を見た時だった。


 ……いや、何が問題かって。

 今、この洗面所には、俺の着れる下着も服もないということ。


 バスタオルなんかは流石にこの部屋の備え付けの棚に置いているけど、下着や服は寝室のタンスの中。

 でもそのためには廊下に出て、キッチンを抜け寝室に向かわなきゃならない。

 そして、その途中には勿論、近間さんがいる。


 己を隠せる物はバスタオルだけ。

 とはいえ、流石に下着とかを彼女に持ってきてもらうなんてのは、恥ずかしすぎて無理だ。


 服はまだしも、下着は流石に他人に見られたいものじゃないし。

 それに俺の記憶が確かなら、寝室の布団も起きた時のままぐちゃぐちゃだったはず。それまで見られるのは恥ずかしすぎだろって。


 とはいえ、じゃあタオルだけで大事な所を隠して、こっそり彼女の側を通り抜けなきゃいけないとか、どれだけリスクの高いミニゲームだよ……。


 バスタオルで身体を拭き、ドライヤーで髪の毛を乾かしながら、ただただため息しかでない状況に落胆していると。


「……ふぁ……はっくっしょん!」


 俺はまた大きなくしゃみをしてしまう。

 流石に裸のままここに籠もってもいられないし、覚悟を決めないとかな……。


 俺はしっかりとバスタオルを下半身に巻き、ズレ落ちないようにした後、意を決して洗面所の扉を開け、ひょこっと顔を出す。


「あ、お風呂上がった?」


 その瞬間、丁度こっちに歩いてこようとした近間さんと鉢合わせ……って、タイミング悪すぎだろって!


「あ、うん」

「お昼ご飯はもうちょいだからねー。あと、居間がちょっと冷えてたから、エアコン付けさせてもらったから」

「わ、わかった」

「じゃ、遠見君は居間で待ってて。あ、勿論温かくしてだよ?」


 笑顔でそう俺を促してくる近間さん。

 って、それはいい。それはいいんだけど……。

 俺はどう切り出せばいいか悩みつつ、おずおずと話し出す。


「あ、あの、近間さん」

「ん? どうしたの?」

「あの、悪いんだけど、さ。その……キッチンの方でコンロを見てるか、居間に入って、戸を閉めていてくれない?」

「へ? 何で? あたしご飯の準備中なんだけど」


 不思議そうに首を傾げながら、こっちから目を離さない近間さん。

 とはいえ、俺が何とも困った顔をしているのを見て、流石に何かを勘付いたのか。

 手をぽんっと叩くと笑顔に戻る。


「あー。もしかしてー。着てるパジャマ、可愛いキャラ物なんでしょー?」


 ……ハズレ。

 それを聞いて、俺は自然と苦笑する。

 こっちを見て目を細めた近間さんは、きゅっと指で眼鏡を直すとにんまりとした顔になる。


「ふーん。図星か。大丈夫大丈夫ー。あたしも可愛いの好きだし。それにグラ友だもん。ちゃんとみんなに内緒にしておくしさ」

「あ、えっと、その、でも……」

「ほらほらー。勿体ぶらなくっていいってー」


 そう言って彼女は楽しげにこっちに歩み寄って来たけど……っておいおい!


「だから、そうじゃなくって!」

「ふーん。じゃ、何なの?」

「いや、その……今……俺……」


 あまりの恥ずかしさに顔が熱くなった俺は、彼女から視線を逸らし何とかそれを伝えようと……いや、この状況を口にするのか!?


「俺、何?」


 俺の言葉をきょとんとしたまま復唱してくる近間さん。

 うう……言わないと、だよな……。


「だから、その……俺、今……は……は……はっくっしょん!」


 突如襲ったくしゃみに、慌ててそっぽを向き何とか近間さんにつばを掛けずに済んだけど、それは一気に彼女の表情を変えた。


「ほら! 恥ずかしがってる場合じゃないっしょ?」


 俺のくしゃみ皮切りに、心を鬼にしたのか。近間さんが不満そうな顔になりこっちに歩いて来る。


「い、いや、だから! お願いだからあっち向いて待っててって!」

「いいじゃん! パジャマなんて恥ずかしがるもんじゃないしさ。ほーら!」

「わわわっ!」


 こっちに歩み寄った迫った彼女が、まったくと言った顔で迷いなくドアの取っ手を持ち、俺から引き離すように強く引く。

 予想外の力に姿勢を崩しかけた俺は、思わず自分から手を離してしまい……彼女の前で、下半身にバスタオルを巻いただけの姿を晒してしまう。


 ……瞬間。近間さんが目を丸くし固まった。

 そのまま一気に顔が赤くなっていくけど、視線は俺に釘付け。

 こっちもまた、目を泳がし。火照った頬を掻く事しかできない。


「だ、だから、その……あっちに行ってて、欲しかったんだけど……」

「……あっはっは。さ、流石にそうだよねー。ご、ごめんごめーん」


 俺の言葉にはっとした彼女は、困った笑みのままささっと後ろに下がると、そそくさとキッチンのコンロの方を向きもじもじとし始める。


「で、でもー、すぐに遠見君が言ってくれなかったから悪いんだよ? い、言ってくれたら、あたしだって、最初から見ようとしなかったし……」

「う、うん。ごめん」

「あ、謝んなくていいから。ちゃちゃっと寝室行って着替えて。湯冷めしちゃうっしょ」

「あ、うん」


 何となく後ろ姿ながら恥ずかしそうにしている珍しい近間さんを、もう少し見ていたい気持ちにもなったけど。それで体調より悪くしたら本末転倒だもんな。


 俺はささっと早足で寝室のドアまで行くと、取っ手に手を掛け素早く部屋の内側に身を移す。


「ありがとう。急いで着替えるけど、部屋は開けないでね」

「あ、当ったり前じゃん! 着替えなんて覗かないから! でも、全然出てこなかったら流石に声かけるから、さっさと済ませてね」

「わかった」


 キッチンに彼女を残しドアを閉めた俺は、一度ドアに寄りかかり、大きなため息をく。


 流石にこんな格好を見られるとか……。

 大して鍛えてもいない、やや痩せ気味で貧相な自分の身体。

 寝室の姿見用の鏡を見て、何とも言えず頭をくしゃくしゃっと掻いた俺は、その身体を隠すべく、そそくさと着替えを始めたんだ。

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