第五話:お開き
力なく顔を上げた俺の目に映ったのは、苦笑してる近間さん。
でもそれは、さっきまでの厳しい表情でも、普段の明るい表情でもなく。穏やかって表現するのが相応しくもある。
「お説教はここまで。でも、まだ言いたい事があるから、覚悟して聞いて」
「あ、うん」
背筋を伸ばして気持ちを切らさないよう、じっと近間さんを見ると。
「……ありがと」
彼女はさっきと打って変わった、優しい言葉をかけてきた。
「……え?」
俺が漏らした言葉に笑みだけを返してくると、きゅっと指で眼鏡を直した彼女は、被っていた帽子を取ると太腿の上に乗せ、それを愛おしそうに見つめる。
「これ、去年お母さんに誕生祝いで買って貰ったやつでさ。あたしの超お気に入りだったんだよねー。でも、あのまま飛ばされてたら何処いってたかわからないし、最悪池の中で回収もできないって事もあったわけじゃん。だからあたし、遠見君にめっちゃ感謝してるの」
ゆっくり、一、二度帽子を撫でた近間さんは、俯き加減のまま、上目遣いでこっちを見上げてくる。
「それと、さっきはごめん」
「え? 何が?」
「その、怒っちゃって」
「そんな。あれはこっちがやらかしただけだし、怒られて当然だよ」
「まあね。でも、あたしは帽子を守ってもらえてすっごく嬉しくってさー。で、責めたい気持ちと感謝が入り混じって、正直どんな顔すればわかんなくって」
てへっと笑う近間さん。
でもそこにあるのは普段のあっけらかんとした感じじゃなく、バツの悪さ。
そんな顔をずっとは見られたくなかったのか。俯き帽子を被り直した彼女は、ぎゅっとつばを下げ顔を隠す。
……ああ。感謝してるのに責めないとって矛盾に葛藤してたから、ここまで何も言ってこなかったのか……。
そこにある彼女の優しさに気づき、俺の心が少し温かくなる。
「結局、我慢できなくって怒っちゃったけど、感謝してるのも本当。だから、ありがと」
「いいよ。大事な物守れたなら良かったし。ただ、考えなしの行動だったのはごめん。できる限り気をつけるよ」
「うん。そうして。折角できたグラ友に、万が一の事があったら嫌だしさー」
少しずつ、口調も態度も普段通りの近間さんに戻ってきて、俺は内心ほっとしたんだけど。それで気が緩んだのか。
「……は……は……はくしょん!」
いきなり襲ったくしゃみに慌てて手で口を塞ぐ。と同時に、ぶるぶるっときた寒気に身を震わせる。
「え? 大丈夫!? 寒くなってきちゃった!?」
俺の身震いにハッとして、思わず立ち上がる近間さん。
「だ、大丈夫」
笑みと共にそう言って安心させようとしていると、ふっと頭に別の失敗が思い浮かぶ。
……そっか。そっちも謝っておかないと。
「それよりごめん。あの、ちょっと話があるんだけど」
「何? どうしたの? 調子悪い?」
「あ、そうじゃなくって。あの、今日は悪いんだけど、ここでお開きにしない?」
「え? 何で?」
心配そうだった近間さんの顔が、俺の一言できょとんとした顔になる。
「あ、いや。流石にこんな格好じゃ、外でご飯とか遊ぶのも厳しいしさ」
「あー、確かにねー」
これには彼女も納得した顔をする。
まあ、このずぶ濡れの格好で近間さんを連れ回すのも気が引けるし、そもそも俺だってお店に入ったりしたくない。
まあ、帰り道にまた変な目で見られたりはするだろうけど、それはもう仕方ない。
それだって、俺一人なら別に気にするものでもないしさ。
「ちゃんと後日埋め合わせはするし、その時にご飯も奢るよ。だから今日はここまでにして、お開きにしよう」
俺がそう言うと、彼女はじーっと俺を見た後。
「やだ」
そう、はっきりと言いきった。
……へっ?
「え? でもこんな状態だよ?」
「あ、勿論駅前で遊ぶとかはなし。そこは仕切り直そ? ご飯もその時のお楽しみにしとく」
戸惑いを見せた俺を納得させようとしたのか。そう言ってくれたのはいいんだけど。
それだったら尚の事、お開きでいいよな。
「うん。だから──」
「だめだめ! このままじゃ遠見君風邪引いちゃうかもしれないしさー。一人暮らしなんだし、ほっとけないっしょ」
うんうんと納得する素振りを見せる近間さん。
……あれ? この流れって、もしかして……。
「だからー、これから一緒に遠見君の家に行こ? どうせお昼だしさ。温かいお昼ご飯、作ってあげる」
彼女は普段見せる会心の笑みと共に、俺の予想を裏切らない提案をしてきた。
って、流石にそれはだめだろ!?
「い、いや。そこまでしなくっていいよ。こんな格好の男子連れてたら、変な目で見られるよ?」
「別にいいじゃん。好きにさせとこ?」
「そ、それにご飯作らせるとか、流石に迷惑をかけちゃうし……」
「大丈夫大丈夫! これでも家でちゃんと作ったりしてるし。味の保証はするからさ! ね?」
俺の言い訳なんてなんのその。全く意に介さない彼女。
い、いや、でも……。俺は戸惑いながらも、最後の切り札を繰り出す。
「で、でもさっき、男友達と二人っきりで部屋とかには行かないって──」
「普段はね。でも遠見君って、超真面目で誠実じゃん。変なことするわけないってわかってるしー」
「い、いや。もしかしたらって事も──」
「ないない! 悪いけどあたし、これでも色々な男子見てきてるんだよ? こんな天然記念物くらいレアなタイプ、見たことないもん」
……切り札、空振り。
って、確かに出来る限り誠実には振る舞ってるとは思っているけど、それとこれとは別だろ!?
「いやいや。一緒に話したのだって、たった二日だよ? それで性格がわかるわけじゃないでしょ?」
「あのねー。二日でここまで真面目さしか見せない人なんていなかったよ? ……あ。もしかしてー。見られたらいけないエッチなやつとか、あったりする?」
にっしっしっと、口に手を当てながら目を細め、悪戯っぽい顔をする近間さん。
正直、そういうのに心当たりなんてないけど、そのリアクションは俺を赤面させるのに十分だった。
「そそそそ、そんな物、あ、あるわけないよ」
「ふーん。じゃ、行っても大丈夫だよね?」
「え? いや、だけど……」
いやいやいやいや。
だからって素直にOKなんて出せないだろって。
俺が未だ戸惑いながらも許可せずにいると。
「じゃ、これ返すの、止めよっかなー」
悪戯っぽく口にした彼女は、テーブルに置いたポシェットから何かを取り出した。
「あ、それ……」
そう。それは帽子が飛ばされる直前、彼女に奪われていたスマホ。
返してもらうどころか、渡してたのすらすっかり忘れてた……。
「さあ、遠見君。どうする? 一人で帰る? 一緒に帰る?」
またもすっと眼鏡を直した近間さんが、目を細めにんまりとする。
ってこれ、どうにもならないじゃん……。
どう考えても詰んだ状況に、俺はその場でタオルで顔を抑え、大きなため息を漏らす事しかできなかった。
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