第10話 世間とのズレ


 『シャ・ノワール』で働き始めてから一週間が経過した。

 客の入りが悪く比較的暇な店とはいえ、覚えることが山ほどあってかなり忙しかった。


 特に俺は接客が不向きで、初対面の相手にはまず殺せるか殺せないかの判断をどうしても挟んでしまうため会話に躓くケースが多く、慣れない敬語も全く出てこない状態。


 レスリーから敬語は使わなくていいとの言葉を貰い、ようやく会話をこなせるようになったものの課題が残る一週間だった。

 そんなあまり納得のいかない一週間を過ごした中、俺が立案した配達サービスだけは予想以上の成果を上げており、外からでも目に留まる看板を出してからはほぼ毎日利用したいと新規の客が尋ねてきた。


 利用希望の人は特に年配の方が多く、荷物を運ぶのが大変という人にとってはありがたいサービスのようだ。

 今は少しでも客を増やしたい状況のため、利用料金を取らない方向で進めているが……。


 金を出してでも配達してほしいという人が大多数だったことを考えると、配達に重きを置くことでかなりの利益を上げることもできそうな感じがする。

 まぁレスリーは、配達はあくまで客を増やすためのサービスの一環で、真っ当な道具屋として勝負したいと思っているらしいから、現状はまだやらないだろうが。


「ジェイド、この一週間大変だったろうけど良く頑張ってくれた! 正直この経営難の中、従業員を一人増やすなんてあり得ないと思っていたのだが……ジェイドの提案した配達サービスのお陰で、まだ微増ってところだが売り上げが上がり始めている!」

「結果として現れているなら良かった。明日以降もキチンと働かせてもらう」

「いいや、明日は店に来なくていい!」


 俺はレスリーの言い放ったその言葉を聞き、毛穴が一気に開く感覚に襲われる。

 この感覚は十五年ほど前にダイヤランク冒険者の暗殺に失敗しかけた時以来——ってのは関係ない。


 俺が最後に毛穴が開く感覚に襲われた時のことはどうでもよく、レスリーの言葉の意図を考えろ。

 言葉通りに受け取るのであれば、俺はクビということか?

 ただ、褒めたような口ぶりの後にクビを言い渡すだろうか?


「…………俺はクビってことか?」


 思考がまとまらないまま絞り出すように言葉を出したのだが、レスリーは一瞬言葉の意味が理解できなかったのか首を横に捻った。


「クビ? 一週間使って仕事を叩き込み、ジェイドがいなけりゃ出来ないサービスも始めたんだ! 想像の何倍も働いてくれているしクビにする訳ねぇだろ! 明日は休みだって言ってるんだよ!」

「休み? 休みってなんだ?」

「はぁ? ……ってまぁ、これまで働いたことがねぇんだから知らなくても当然か! ――いや! 流石に休みくらいは知ってんだろ!」

「言葉の意味は知っているが、仕事に休みの意味が分からない」

「俺にはジェイドが何を言っているのか分からねぇよ! 体を休めたり、買い物をしたり、友達と遊んだり、酒を馬鹿飲みしたっていい! 仕事に身を入れるために休息を取るんだよ!」


 ということは、明日は丸一日俺の自由に過ごしていいってことなのか。

 眠る=休みだった俺にとっては、丸一日休むということに馴染みがなく理解するまでに時間がかかったが……じわじわと遅れて嬉しさがこみ上がってくる。


 『シャ・ノワール』での仕事は楽しいし別に休日なんて要らないくらいだが、働くこと以外にもやりたいことがあるといえばある。

 仕事をしつつ休日に別のこともやっていいのであれば、これ以上の嬉しいことはない。


「放心したかと思ったらニヤつき始めてどうしたんだ! 仕事はよくやってくれているが本当に変わった奴だよな!」

「休みという概念を理解して嬉しくなっただけだ。……それよりも本当に休日を貰ってもいいのか?」

「当たり前だろ! 休日なしとかブラックすぎる環境で働かせるつもりはない! 仕事を教えるのに時間がかかって、更に配達サービスの拡大で一週間働かせちまったが、最低でも一週間に一日は休日を設けるからよ! まぁ休みの日は賃金なしだから頭に入れておいてくれ!」


 一週間に一日も休日が貰えるのか。

 今から休日に何をするか考えるだけで、年甲斐もなくワクワクが止まらなくなってきた。


「あー、それとよ! これ一週間分の賃金だ! とりあえずこの一週間分だけは今給料を渡すからよ! 次からは月ごとになるから無駄使いしないように気を付けろな!」

「休みに加えて給料まで貰っていいのか?」

「さっきから当たり前のことを聞くなよ! こっちの頭がおかしくなりそうだぜ! ちなみに最低賃金だから額には期待すんなよ!」


 俺が金がないことを察してか、今月だけ週ごとに給料を渡してくれるようだ。

 俺は早速、渡された麻袋の中を硬貨を確認する。


 銅貨が……七枚と、銀貨が……十四? 数え直すが何度数えても銀色に輝く硬貨が十四枚も入っていた。

 ピンク街の安宿が一泊銅貨三枚だから、一週間ぶんの給料で五十日近くも泊まれる計算になる。

 入れ間違いとかではなく、本当にこんな給料を貰っていいのか?


「レスリー、こんなに金を貰ってもいいのか?」

「おいおい……最低賃金でこんな反応する奴初めて見たぞ! その年まで働いたことがないって言っていたし、てっきり家が金持ちのボンボンだと思っていたけど逆に野生児なのか? 配達の速度も尋常じゃなく速いしな!」

「その反応ってことは、この金額で間違いじゃないってことだよな?」

「まだ研修ってことも含め、日給銀貨二枚! 銅貨七枚は配達サービスのアイデア料だ! 今後配達サービスがもっと成果を上げたら、給料も上げてやるからよ!」

「……レスリー、本当にありがとう。この恩は必ず返させてもらう」

「そのスタンス、俺の心が痛むから本当にやめてほしいんだがな! 今週は丸々働いたから銀貨十四枚だが、基本は六日だから十二枚! 一日に使える金は銀貨一枚と銅貨七枚ってとこだから、ギリギリの生活を送らなきゃいけないだろ? 恩を売っているつもりはねぇから考え直せ!」


 レスリーはこう言っているが、俺にとっては嘘偽りなく本当にありがたい。

 ボロ宿なら宿泊費は銅貨三枚で済むし、食費を含めて一日銀貨一枚に留めるようにすれば、毎週の休日に銀貨四枚ほども自由に使える計算だからな。


 レスリーにとっては安い金なのだろうが、今まで給料の貰ったことのない俺にとっては高給なのだ。

 それも命をやり取りをし、いつ死んでもおかしくない状況下で働いていた俺の生涯賃金は銀貨三枚だけ。

 もちろん寝る場所や毎日の飯は貰っていたけど、布団のない金属牢で硬いパンと乱雑に千切られた干した肉一枚だったからな。


「皮肉とかではなく、俺は本当に恩を感じている。『シャ・ノワール』を盛り立てるために全力を尽くすことを宣言させてもらう」

「本当になんなんだよ! 頭がおかしくなってきそうだから、ジェイドはもう帰れ! 明日は来なくていいからな!」


 胸に拳を当ててそう宣言したのだが、レスリーは不気味がりながら俺を店から追い出した。

 初めての給料に、明日は初めての休日。

 最近は常に足取りが軽かったのだが、いつも以上に軽い足取りで俺はピンク街の安宿へと帰ったのだった。


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