囲いの虫
吉木 海
1
電車の音と部屋が揺れる。鳥が囁く。ベランダのヘリに顔を出して座り、空を見つめてタバコをふかす。雲が海をゆったりと泳ぐように流れた。顔を下ろした先でトコトコ歩くダンゴムシを中指で弾く。見つめると近くを歩く大きめのダンゴムシがそのダンゴムシに駆け寄り、丸くなったダンゴムシと歩き始めた。
三十路に足がかかった健は栃木県の黒磯駅前のボロいアパートの一階の角部屋に住んでいる。金は2、3枚の千円札と小銭とスマホの決済の残り滓。友達もいない。あるのはキシキシと歪んだ木組みの安いベッドと茶色の請求書の束に埋もれた机が殺伐と置かれた生活感のない部屋。つい先日にはスマホも電気も止まるにも関わらず、飯も何もそっちのけでタバコに縋るのである。6月の暖気漂う春に換気扇も停まり、風呂場はカビ臭く水しか出ない。そんな中で冷たいシャワーを浴びて。幸せを感じていた。
「仕事?会社?高校や大学を出てスーツ着て電車に揺られて?そんなのベルトコンベアを流れる大量生産の奴隷みたいじゃん。そんなのになるくらいなら死んだほうがマシだね。」
健は相当にひねくれもんで、しかも、若さと割と不器用さの中に知的なしたたかを持っている。趣味は読書。と言っても、単なる読書家ではなく、現場仕事に勤しみながら、思考実験を繰り返し、科学や歴史など現代ではリベラルアーツという学問を独学で学び、コンピュータを使いと、知的さが高度なために一般的な物差しを持たないので、群れの中にいても、その群れの中を生きる人間をボットなんじゃないかと不気味に思っている。タチが悪いのは、何も持たないこと。資格や学歴も持たず、地位は避ける。一般的な視点ではクズに他ならないためにその知性を悟らせない。権力者や上司。言うなれば地位の高いものに撒かれずに彼なりの真っ当な意見をいい相当なトラブルに見舞われてきた。今の無職もその一端に他ならない。
そんな身分を健はこう綴る。「ハリボテのメッキに縋り、いくら上辺を取り繕っても死んだらみんな屍だよ。俺はそんなものつけるくらいなら腹でも切るよ。」タチが悪い。それを言ったら元も子もないことをするくらいなら便所暮らしの方がマシだと心底思っているので意識ばかり高く自己啓発本的なことを言う人間やスピリチュアルなことを言う人間、金持ちになり金持ちなりの常識に身を据えた意見を言うものを彼の頭の中では”猿”とカテゴライズされてるのである。
「普通って言うのに縋って、人に従い、普通じゃないことに怒り、そう言う人に出会ったことはないかい?」
「あれはもうどうしようも無いよ。僕から見れば相当な病気だな。自分の人生の主導権を預けてお金や安定などを餌として与えてもらっている家畜と同じだよ。まあステレオタイプって言うんだけど。自ら考える。常識や普通に疑問も持たず、それが正しいんだと思い込み、自らを意図してか意図せずに普通という家畜になっていいるんだ。」
囲いの虫 吉木 海 @coz000
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