寿命神話

森本 晃次

第1話 身元不明者の変死体

 このお話はフィクションであり、実際の団体、個人とは何ら関係はございませんことを了承願います。

 またこの物語は、ミステリーのような展開を呈しますが、実際はホラー(オカルト)小説であります。ネタバレになりますが、そのおつもりのお読みくださいませ。


「最近、物騒な時代になったものだ」

 そう言いながら新聞を広げて独り言を言う人が増えてきた。

 確かに物騒な事件が増えてきたのは確かだが、物騒な事件というのは、昔からあった。むしろ物騒な事件が多かったのは、昔の方だったかも知れない。それでも今の世の中の方が物騒に感じるのは、昔のことが、次第に風化して行っているからに違いない。

 政治が乱れたり、天変地異が起こった時など、その兆候は大きかった。そういう意味では二、三十年に一度は、猟奇的な事件が頻発したりする。マスコミを何か月も賑わせるような事件も少なくなく、一年中、何かの事件でワイドショーは時間の半分以上使っているなどということが多かった。

 共通点としては、頻発する事件の裏には、必ず新興宗教が絡んでいたりするものだ。教祖と呼ばれる人が、事件が頻発する前から話題になり、マスコミへの露出度は激しくなる。超常現象を起こしてみたり、医者がさじを投げたような病気を治してみたり、不幸な人が増えている世の中では、救世主として崇められ、その強大なカリスマ性が、社会問題になっていたりした。

 そんな時、政治の乱れや、天変地異が起こるのはただの偶然だろうか? さすがに天変地異が宗教団体によってもたらされたとは考えられないが、政治の乱れなどは、どこかに暗躍する集団が、別に存在しているという発想も、まんざら笑い事ではないだろう。

 たとえば、二十年くらい前、ちょうど世紀末が叫ばれていた時期、何十年も続いた一党独裁の時代が終わった。国民からの信頼が地に落ちてしまった独裁政権に取って代わった野党勢力は、救世主のように思われたのだが、実際には救世主どころか、一度乱れた政治を元に戻すこともできず、余計な問題を引き起こして、数年で瓦解してしまった。

「もう何を信じていいのか分からない」

 社会不安が蔓延していた。

 失業者が増え、自殺者、行方不明者も増えた。そんな社会不安に乗じて出てきたのが、当時話題になった新興宗教だった。

 彼らは、急激に信者を増やし、

――人民の救済――

 を訴えた。

 信者には、俗世間との関わりを絶たせ、完全に表から見えない世界を作ってしまった。

 いきなり入信すると言って、家を出た信者もいたが、それはまだマシな方で、誰にも言わず、入信してしまう人も少なくなかった。それだけまわりの人に対して疑心暗鬼になっていて、誰とも話すこともなくなった結果、孤独の人生の中で選んだのが、宗教団体への入信だった。

 当然、急にいなくなったのだから、行方不明者ということになる。しかし、その人が行方不明になったということが発覚するのは、ひと月経ってくらいのことだった。

 自分のことだけで精一杯の世の中、他人のことをいちいち気にしている人などいるはずもない。そんな状況で、誰も一人くらいいなくなっても気にすることもなかった。

 そんな人が増えてきても、まだ社会問題にまでは発展しなかった。社会問題に発展したのは、警察高級官僚の家族が行方不明になって、やっと、世間も注目し始めたのだ。そんな世の中を見て、

「やっと、話題になったか」

 と、数人でテレビを見ながらほくそえんでいるのは、宗教団体の幹部連中だった。

「しょせん、今の世の中、こんなものさ」

 と一人が言うと、

「そうだよな。だから俺たちが暗躍できるんだが、この警察官僚もめでたいものだ。自分の家族が入信したと分かるまで、行方不明者の捜査を依頼したりしなかったんだからな」

 家族がいなくなった時の警察官僚の家での会話が手に取るように分かるようだ。

 ハウスキーパーの人たちは心配して、

「ご主人様、捜索願をお出しになった方がいいんじゃないですか?」

 と話をしても、

「警察官僚の家族が行方不明になったので捜索願いを出したなどというと、マスコミに叩かれるだけだ。もう少し様子を見てみよう」

 と言われ、それでも心配しているハウスキーパーが

「でも」

 と言いかけると、鬱陶しそうに、

「いいと言ったらいいんだ。余計なことはしないように」

 と、語句を強めて言った。

 さすがにハウスキーパーも困惑してしまい、暇をいただこうと考えたようだが、家族が心配で、とりあえずはそのまま使えることにした。

 もっとも、他に就職口の当てがあるわけでもなかったので、続けるしかなかったのだが、そんな自分を優柔不断だと思って責めてしまう状況を情けないと思うのだった。

 それでも、家族の行く先が今世間を騒がせている宗教団体だと分かると、強硬な態度に出たのだった。

「何とか口実を作って、やつらのアジトに捜索の手を入れられないだろうか? これは警察の威信にも関わることだからな」

 と言って、少しヒステリックになっていた。

 一見、家族のために必死になっているように見えるが、実はそうではなかった。家族などどうでもよく、自分の家族が今話題の宗教団体に入信したという事実を恥だと感じ、それをいかにして拭い去り、自分の地位をいかに留保できるかという保身にばかり気を取られていたのだ。

 ここで、宗教団体を一掃できなければ、下手をすると、さらに今の世の中酷いことになると思っていた。

 今の乱れた時代は、実は彼らにとってありがたいものなのだが、これ以上情勢が乱れると、本当にどうなってしまうのか分からない。何とか今の状況をなるべく長引かせて、自分の立場を強固なものにした状態で、世の中が修復してくれるのが一番望ましかった。

 宗教団体と警察の攻防は、なかなか一進一退、そこにマスコミの報道によって、国民の関心も高まっていた。

 宗教団体は、大きな要塞に守られていて、それはいみじくも刑務所のようだった。その奥で何が行われているのか分からなかったが、スポークスマンのような男が、警察やマスコミを一手に引き受けていた。

 警察の令状がなかなか降りないことで、警察内部でも、不信感が漲っていた。検察はどこかから圧力をかけられているようで、政府の要人にも信者がいるため、その連中が裏から手をまわしているようだった。

 問題はマスコミにもあった。報道至上主義のため、

――いかに視聴率を上げるか――

 ということに重きを置き、事実であっても事実を隠していたり、事実なのかハッキリとしていないことでも話題性があると思えば、あたかも事実であるかのように報道したりしたのだ。

 確かに報道の自由は憲法で認められているが、社会的な影響の大きいマスコミが、事実をねつ造してしまっては、社会不安が解消されるわけがない。次第にマスコミの報道がいくつもの勇み足だったことが発覚すると、人民の疑心暗鬼は最高潮に達していた。

 放送局も一局が悪者になってしまうと、集中攻撃だった。

 他のマスコミも、似たような報道をしていたはずなのに、最初に始めた者にすべての責任を押し付けて、自分たちを守ろうとしているのは、明白だった。

 実に露骨でありながら、やっている方は、必死に自分たちの保身を図ろうとする。そんな状況は実に世紀末にふさわしいと思われた。

 そんなすったもんだの状況をマスコミが演じている間、宗教団体への関心は薄れていった。

 マスコミの標的は、宗教団体から完全に、同業の放送局に集中してしまったことから、国民も、宗教団体のことを忘れていった。

「いくら一世を風靡したと言っても、一旦薄れてしまった興味を元に戻すことなどできないものさ」

 そんな声が聞こえてきそうだったが、宗教団体への捜査はその後、警察権力をフルに使って行われた。

 国民が宗教団体の崩壊を知らされたのは、報道されなくなって約一年が経った頃で、国民の多くは、

「そういえば、そんな事件もあったな」

 という程度のものだった。

 宗教団体の事件が解決すると、政治も安定してきた。

 一度政権を取った野党だったが、与党を追及することに掛けてはさすがだったが、実際に政権を取って、公約したことを実行しようとすると、なかなかうまくいかない。それは政治の世界だけで世の中を動かすことは不可能だったからだ。政財界や知識人、そのあたりの人の協力が不可欠で、野党はそこまでの根回しで完全に後手に回ってしまった。

 そのため、法案は通らずに、頓挫してしまったり、実際に法案が通って運用しようとしても、なかなかうまくいかなかったりした。

 政権が誕生して二年もしないうちに、与党としての機能は完全に失われ、内閣は解散に追い込まれた。総選挙で、すぐに前の与野党の位置に戻ることは、解散した時点ですでに分かっていたことだった。

 その間に、世の中は乱れに乱れた。それでも、政権が元に戻った時には、問題の宗教団体は解散に追い込まれ、教祖を含む幹部は、警察に逮捕され、行方不明になって入信していた人も、ひとまず家に戻った。

 一見、事件は解決したかのように見えたが、実際には大きな後遺症を世の中に残していた。

 行方不明になっていた信者が家に帰ったはいいが、実際に元の世の中に復帰できたわけではない。中には精神に異常をきたしていて、病院に入院を余儀なくされた人もいるし、家で暴れて手が付けられなくなり、施設に預けられる人もいた。家に戻って以前のような生活ができた人は、ごく少数だったということは、あまり問題にならなかったのだ。

 マスコミも落ちるところまで落ちていた。

 集中攻撃を受けた放送局は、そのまま立ち直れず、同業他社の会社に吸収合併された。幹部は全員解雇、完全に乗っ取られたような形だった。

 政権交代が起こり、元の時代に戻ったように思われたが、実際にはまったく違う時代になっていた。

 経済の疲弊は、企業の吸収合併を引き起こした。

――弱肉強食――

 この言葉がふさわしい時代になっていた。

 人員整理が行われ、最初の政権交代が起こった社会不安の時よりお失業者は増えて、さらに世の中が混乱に向かうように思われたが、実際にはそこまで社会が乱れることはなかった。

 それは、社会も国民も、混乱した世界に慣れてきたからではないだろうか。必要以上に不安を煽ることもなく、抑えるところがどこなのか、分かってきたからに他ならない。

 根本的な解決にはなっていないのだろうが、最悪の事態になることだけは免れそうだ。

 この時代から世の中は一変していく。

 国民のほとんどの人がパソコン操作ができるようになり、会社でも、一人一台のパソコンが与えられるようになり、ノートパソコンの存在は、会社以外でも仕事ができるようになったことを示していた。

 ネットの世界の爆発的な発展は、見知らぬ相手と気軽に話ができたり、仲良くなることで、何事も簡単にできてしまうという印象を、皆に与えた。

 家にいて、まるで喫茶店で皆と話をしているような感覚になり、顔が見えないだけに、悩み事なども気軽に話せることで、リアルとバーチャルの区別がつかない人が増えていった。

 これは、少し前の宗教団体問題に類似したものであったのだが、そのことに気づいていた人がどれほどいただろう?

 あの時は、相手が宗教団体という形のあるものだったが、今度はバーチャルの世界なので、実態がないと言ってもいい。何か問題が起こっても、その解決には困難を要した。それまでになかった文明であり、しかも実態のないものだ。対処のしようがないというものだ。

 ネット世界でも、詐欺が横行したりした。

 相手が見えないのをいいことに、いくらでも言い含めることはできる。特にネット依存する人は精神的にどこか孤独を抱えていると思われるからだ。まるで救世主を求める宗教団体への入信のようではないか。

 ちなみに、社会問題を引き起こした宗教団体は宗教団体としての地位はなくしたが、一般企業として生き残っていた。彼らはいち早くパソコンの世界に手を付けて、それなりの利益を上げていた。社長は元の団体にいたスポークスマン。しかし、今度は表に出てくることはなかった。

「パソコン世界というのがここまで発展するとは、さすがに思わなかったよ」

 スポークスマンは、営業会議で口にした。

「ええ社長。これも社長の先見の明ですね」

「ああ、そうかも知れないが、俺にはハッキリと見えた気がしたんだ。この商売がうまくいくってね」

「社長こそ、立派な経営者ですよ。私たちは社長についてきてよかったと思っているんですよ」

「ありがとう。だけど、この業界は、まだまだ伸びる。これからが正念場だということを、皆肝に銘じて仕事にまい進してほしい」

「分かりました。社長」

 精神論のような会議だったが、実際には、会議が催されるまでに経営方針はハッキリとしている。これも、この会社の特徴で、

「とにかく先を見据えて」

 というのが経営理念だった。

 そういう意味では、優良企業と言ってもいいだろう。

 しかし、警察の公安は、そんなに甘くはなかった。絶えずこの会社を監視していた。何かあると、社長が呼びだされたりしていたが、何とか企業側も乗り越えてきた。

 そんな追いかけっこのような状態が続いている間に、時代の流れの激しさは、想像以上のものだった。公安もこの会社だけに構ってはいられなくなってきた。

 生活安全課には、毎日のようにネット被害が報告され、公安はいくつものブラック企業を監視しなければいけなくなった。その数は日増しに増えていき、被害との因果関係も曖昧な中、状況は悪化の一途をたどった。

 そんな中だった。行方不明者が増えてくるようになっていたのだが、警察に寄せられた捜索願いは増え続けていたが、それは実際に起こっている行方不明の中の氷山の一角に過ぎない。実際には、その何十倍の人が失踪していて、その理由は様々考えられたが、これと言って対策もないまま、バーチャルな世界での犯罪が横行するようになっていた。

「まるでもぐら叩きのようだ」

 と一人の刑事が言うと、

「まったくだな。せっかく一つを潰しても、他から同じような犯罪が湧いて出てくるんだから、対策のしようがない。最初から犯罪の発覚が分かっていれば、未然に防ぐことができるのに」

 そんなことができるはずもないと分かっていて、口から出たものだった。いわゆる愚痴でしかない。

 このような状態で、どれだけいるか分からない行方不明者の捜索など、できるはずもなかった。

 何しろ行方不明者という言葉はあまりにも抽象的だ。行方不明と言っても、いろいろなパターンがあるだろう。

 何かの犯罪に巻き込まれたという場合一つを取っても、被誘拐、被殺害、自分が加害者になって、逃亡しているなど、いろいろである。

 犯罪とは無関係の場合、失踪が一番多いだろう。生きるのが嫌になって蒸発した。あるいは、自殺を考えて、死体が見つからない場所で密かに死を迎えるなども考えられる。警察としては、こんな人まで相手にしなければならないとすれば、ウンザリすることだろう。

「死にたければ勝手に死ねばいいが、こっちに迷惑が掛からないようにしてほしいよな。まったく……」

 と、思っていることだろう。

 しかし、思っていたとしても口に出すことはできず、それがストレスに関わっていく、

「警察官は、市民の安全を守る職業だが、自分たち警察官を守ってくれる存在はない」

 というのも事実で、ストレスが溜まったとしても、自分で解決するしかないのだ。

 山内亮平という刑事がいるが、彼もその一人、十年前に刑事となり、現場主任として、毎日を勤めていた。刑事になる前の巡査の時代も含めると、そろそろ十五年近くになるだろうか。四十歳が近づいてきたが、まだ独身で、自分としては、まだまだ脂がのりかかった時期で、これからが自分の人生の正念場だと思っていた。

「山内さん、最近変死体が多いですね」

 部下の刑事が、山内刑事に話しかけた。

「確かにそうだな」

 その日は夕方になって河川敷の橋の下で、変死体が発見された。

 発見された場所に共通性はないのだが、変死体という意味ではここ最近、頻繁に発見されていた。だが、それはこの地区だけに限ったことではなく、他の地域でも同じ傾向にあるようで、それが全国に広がって、社会問題になるまでにそんなに時間が掛からなかった。

 ただ、発見された変死体にはある共通点があった。

「こんなに腐敗が激しいなんて」

 何度、この言葉を聞いたことだろう。

 実際に顔を見ただけでは、元の顔を想像するのが難しい。身体もあちこち崩れていて、皮膚が剥がれ落ちてきそうだった。しかし、解剖してみると。それほど内臓はひどい状態ではないらしい。だからこそ、発見された死体の死亡推定ができず、行方不明者から当たろうとしても、なかなか難しかった。

「死人に口なしとはよく言いますが、本当にこの人は誰なんでしょうね?」

 警察に指紋が残っている人であればいいのだが、指紋で照合して見つからなければ、身元不明の遺体が発見されたというだけで、それ以上、どうしようもない。特に外傷がなくて、解剖の所見も外部からの暴行の後でもなければ、事件になることはない。

「内臓は綺麗だということ以外、他に変わったところはありませんね」

 法医学解剖での所見は、それ以外に何もなかった。発見された遺体が少数であれば、別に問題にはならなかっただろうが、週に何体も発見されるに至っては、さすかに捜査しないわけにはいかなかった。まるで雲をつかむかのような事件である。

 今のところ、目立って大きな事件もないので、捜査本部を設けないまま、捜査が行われた。捜査本部を設けると、マスコミに余計な詮索をされてしまい、報道されてしまって問題だった。

 とりあえず事件性があるかどうかも疑わしい中、何か得体の知れないものが蠢いているのを捜査員は感じていたが、あまりにも漠然としているがため、下手にマスコミに煽られても、余計な騒ぎを起こしかねない。

 元々マスコミというのは、アリの巣のような小さな穴を、まるでクマの住処くらいの大きな穴にしてしまうのが仕事である。あることないこと書かれても、根拠がないだけに、警察もどう説明していいか困ってしまう。もちろん、上からの圧力でかん口令を敷くわけにもいかず、秘密裏に動くしかなかったのだ。

 まず、身元の確認が急務だった。被害者(と思しき人)が誰なのか分からないことには、捜査のしようもなかった。

 今のところ指紋照合で合致する人はいなかった。これだけの腐乱状態なのだから、行方不明者だとしても、実際に行方不明になってからどれだけ経っているのかを考えると、行方不明者に当たったとしても、合致する人を探すのは困難の極みだろう。

 そんな時、先輩刑事が一言呟いた。

「そういえば、十年くらい前にも、変死体が増えた時期があったな」

 十年前というと、山内が刑事になった頃のことだった。

「私が刑事になってすぐくらいのことですね。覚えていますよ。確かあの時は被害者の特定にはそんなに時間は掛からなかったんだけど、逮捕までには至らなかった。私はまだ新米だったので、その理由は詳しく教えてもらっていませんでした」

 それを聞いた先輩刑事は、話を続けた。

「あれも奇妙な事件だった。被害者は全員毒殺されていて、毒の種類も同じだった。その時の事件には今のことも含めて共通点が多かったんだ。まず最初の捜査では、被害者は皆どうして殺されなければいけないのか分からなかった。近所や家族の評判もよく、地道なありきたりな捜査では殺されなければいけない理由もない。それだけに犯人像も沸いてこないんだ。完全に迷宮入り寸前だったんだが、殺されたうちの一人が公安からマークされていたらしく、内偵を進めていた会社の『裏の仕事人』だったようだ。そこから犯人を割り出そうとしたのだが、最重要参考人として浮上した男が、警察の捜査が及ぶ前から行方不明になっていて、捜索願が出されていたんだ。警察はその男の身辺を探ったが、身内も言っていたのと同様、彼が失踪する理由はどこにもなかった。被害者を殺害するという理由さえなければね」

「それでどうなったんですか?」

「その事件は、それ以降進展しなかった。行方不明になった男以外には、犯人として浮かんでくる人物がいなかったんだからね、容疑者はたくさんいたんだが、どの人にも完璧なアリバイがあったりして、捜査はどうにもならなかった。まあもっとも、皆の頭の中には行方不明になった男が犯人だという偏見が強く根付いていたのも事実なんだろうね」

「他の変死体はどうだったんですか?」

「共通点というよりも、まったく同じような状況だったと言ってもいいだろう。犯人に一番近かった男は行方不明になっていて、他に怪しい人たちは、アリバイがあるか、怪しいといえば、誰もが怪しくなってしまい、結局決め手に欠けてしまっていたというわけさ。どの事件も迷宮入りになってしまい、当時はマスコミにもかなり叩かれたものだったんだ」

 その話を聞いた山内は、

「なるほど、今回の捜査に、マスコミに対して過敏に反応しているのは、そのあたりのこともあったからなんですね」

「ああ、そうだ。しかし、必要以上にマスコミというのは騒ぎを大きくするのも事実で、ここまで何も分からない状況は、あいつらに好物なんだろうな。だから、俺たちもなるべくマスコミに関わらないようにしないといけないんだ」

「これは、思った以上に神経をすり減らすことになりそうですね」

「そういうことだ。お前もせいぜい気を付けるといいぞ」

「分かりました。それにしても、この事件、まるでキツネにつままれたような気がします。真正面から見ていても、何ら進展しないような気がするんですよ」

「前の事件もそうだったからな。ひょっとすると、少し角度を変えただけで、見えなかったものが見えてくるかも知れない。それには、固定観念というものを捨てなければいけないのかも知れないな」

「それは私も感じていました。固定観念というのは、私には『百害あって一利なし』ではないかと思っているんですよ」

「それは言い過ぎかも知れないが、ほとんどの場合には言えることだよな」

 それを聞くと、山内は自分の高校時代を思い出していた。

 固定観念というよりも、その頃は、

――男の意地――

 のようなものだと思っていた。

 元々、他人から押し付けられると反発していた山内だったが、小さい頃は逆だった。

「郷に入っては郷に従え」

 ということわざがあるように、まわりから言われれば、考えもせずに、

――その通りだ――

 と思っていたところがあった。

 しかし、そんな山内に対して、気が強いことが信条だった母親は、

「あんた、しっかりしなさい。自分の意見をちゃんと持たないといけない」

 と言われ、実は母親の意見を押し付けられていることに気づかぬまま、まわりから言われると、すぐに反発するようになっていた。

 つまりは、まわりから高圧的に出られると、どんな内容であっても、反発してしまうという性格が根付いてしまったのだ。

 子供の頃のことは、まだ自分で判断できない頃だったのではないかと思うと、そんな固定観念を植え付けた母親を憎んだりもした。

 高校生の頃は、そんな自分の性格にまわりは賛否両論だった。

 同級生は、比較的同調してくれたが、大人はそうはいかなかった。特に、

「出る杭は早めに打つ」

 というような感じで、まるで

「腐ったみかん」

 のように扱われていたのを感じた。

 実は警察官を目指したのは、そんな自分の性格を生かせるところを目指していたからだった。

 理不尽な高校時代を過ごしたと思っている山内だったが、根は正義感に溢れているところがあった。警察官にはもってこいの性格ではないかと本人は思っていたが、まわりはどうだっただろう?

 あれだけ、しっかりしなさいと子供の頃に言っていた母親も、高校時代のグレた息子に対して、何も言えなくなってしまっていた。

「元々は、お前のせいじゃないか」

 喉のところまで出かかった言葉を何とか呑み込み、怒りを押し殺して、母親に対しては勝ち誇ったような顔を見せた。そうすることで、母親は息子に対して、言い知れぬ恐怖を感じた。

――この子は何を考えているんだろう?

 そんな恐怖が目に見えて分かるだけで、山内は勝ち誇った顔ができるのだった。

――どうせ、親なんて、自分の都合でしか子供のことを見ていないんだ――

 と思いながら成長してきた山内は、警察官になると、

――親なんて、どうでもいいや――

 と感じ、自分の世界に入っていた。

 警察の仕事や捜査で、いろいろな家族を見てきた。自分が味わったよりももっとひどい家庭もたくさんあった。しかし、それはすべて他人事だった。

――親子であっても、他人なんだ――

 という思いが山内の中で次第に大きくなる。

 山内の前で親子というキーワードはタブーであるが、それは、すべてを他人事にしてしまうという性格を引き出すからだった。

 山内の父親は、さらに最悪だった。

 厳格を絵に描いたような人で、

――今の時代にあんな父親がいるなんて、まるで化石のようだ――

 テレビドラマで見る、昭和三十年代の父親像が、そこにはあった。つまりは、父親の父親であれば、分かる世代である。

 そういう意味でも、母親が少し気が強いのも分からなくもない。気が強くなければついてこれないからだ。

 山内は、素直な少年だった。素直すぎて、少しきつく言われると、すべて自分が悪いと思い込み、相手の気に沿う性格になろうとしてしまう。その中には戸惑いも存在し、その戸惑いがそのままトラウマになってしまう。父親からも母親からも、トラウマを押し付けられて、子供の頃の山内少年は、可愛そうな子供だった。

「俺は他の連中とは違う」

 いつも自分に言い聞かせているが、それは子供の頃に受けたトラウマへの反動である。

 幼い頃のトラウマが、思春期を迎えた山内に反動というのを植え付けることになるのだが、ある意味、それも母親の気の強さと類似のものであった。

 もちろん、そんなことが山内に分かるはずもなかったのだ。

 山内は、今まで独自の視点から捜査を続けてきた。時には強引とも思えることもやってのけたりしたが、それでも、何とか犯人逮捕や事件解決に行き着くのだから、刑事という職業が天職なのか、それとも、よほどの強運の持ち主なのかのどちらかなのだろう。

 まわりの人は、

「ただ運がいいだけさ」

 という人の意見の方が多かったが、

「いや、運や偶然で事件が解決したんじゃ、俺たちの立場がないじゃないか。そんな風に思うということは、自分たちの捜査方法を自分で否定しているようなものだぞ」

 と否定的な意見もあった。

 後者の方が説得力があり、誰もが、

――その通りだ――

 と思ったが、それでも山内刑事に対して肯定的な意見を言う人はおらず、それほど山内刑事のやり方は、異端児的なところがあったのだ。

「刑事ドラマじゃあるまいし。そんな簡単に同じ人に事件を解決されたんじゃ。たまったもんじゃないよな」

 という愚痴にも繋がっていたが、時代の流れとともに捜査方針も変わってくると、次第に異端児的ではなくなってきた。

「山内さんのやり方は、強引にも見えるし、今までの常識を完全に覆しているが、一つ一つを拾ってみると、決して無理なことではないんです。一緒にいると、そのあたりが分かってきますよ」

 山内刑事とコンビを組んだ後輩は、口を揃えて、そう言った。

「どういうことなんだい?」

「山内刑事は、事件の重さに対して、捜査方法を変えているようなんです。僕たちは、殺害方法やその他の手口から捜査するでしょう? まずは類似犯を探してみたり、指紋や目撃者の情報も、手口から探っていく。だから、結果から原因を探る方法なんですよね」

「それが一般的な捜査方法というものなんじゃないのかい?」

「確かにそうなんですが、山内刑事はそれよりも事件の重さをまず考えるようなんですよ。殺害方法から考えられる犯人像もしかり、連続殺人に繋がりはしないかということも考えている。そして、さらにビックリしたのは、その事件における社会的影響も考えているんですよ。しかも、社会的影響というのも、今目に見えている状況だけではなく、この後の状況すら頭に入れている。僕はあの人の頭の構造ってどうなっているのか見てみたいくらいですよ」

 と若い刑事がいうと、年配の刑事が、

「なるほど、確かに彼は俺たちと違う目線で見ているのは分かっていた。俺たち刑事の仕事は、昔から足を使って捜査するものだと教えられてきて、最近ではプロファイリングや科学捜査も導入されていて、それが一般的になってきている。俺たちくらいの年代には、その二つのジレンマに遭っているんだよ。昔から教えられてきたことを否定されているように思えて、どうしても委縮してしまう。若い連中が科学捜査を口にするたびに、実はイライラしてしまっている自分に気づかされる。山内刑事は、俺たちからみると、ちょうどその中間に当たるんだ。だから、余計に意識してしまうし、見ているだけで気になってしまうんだ」

「そうなんですね。でも、山内刑事は意外と足で情報を稼ぐという昔からのやり方も踏襲しているんですよ。異端児のように思われていますが、それは考え方の違いが最初に来るからで、実際には捜査方針に完全に逆らっているわけではないんです。そんなところが山内刑事のすごいところだと思っています」

 山内刑事の捜査に事件の重さを考えるようになった理由は、父親への反発に端を発していた。

 父親に対して反発はしていたが、実は無意識に尊敬できるところは尊敬していた。

 それはまわりを見る目であり、それが父親の人脈になり、まわりからは尊敬されている理由だった。

 気を遣っているというのとは少し違っている。気を遣うという行為に嫌悪を感じていた山内は、父親がまわりに気を遣ったり、媚びへつらうことで自分の地位を固めてきたと思っていたのだ。

 しかし、父親を嫌いになればなるほど、父親を正面から見るようになり、まわりを見る目というのが自分の知らないところで膨らんできていることに、無意識ながら気が付いていた。

 人のマネをすることが一番嫌いだったはずの山内に、いつのまにか父親の一番いいところである、

――まわりを見る――

 という考えが沁みついたことで、刑事になろうと考えたのも、その思いからだった。

「刑事にどうしてなりたくなったんだ?」

 と聞かれると、正直、その思いに言葉は見つからない。

 かといって、

「正義を貫き、困っている人を助けたい」

 などというありきたりで白々しいことは言いたくなかった。

 むしろそんな言葉は山内にとって、実に吐き気のしそうなほど嫌な言葉だったのだ。

 だから、最初、

「刑事になりたい」

 とまわりに言った時、誰もが信じられないという顔をした。

 一番刑事に似合っていない雰囲気に見えたからで、ひどい奴は、

「お前は、お世話になる方じゃないないのか?」

 などという輩もいたくらいだった。

 それでも刑事になってしまうと、誰もが最初にバカにしていたようなことは何も言わなかった。刑事になったことに対して驚いた人もおらず、

――ただ、目標を達成しただけ――

 と見られていたのだ。

 刑事になってからというもの、山内はその才能を最初から生かしていた。巡査の時期に人とのコミュニケーションを学んだようで、刑事になっても、決して威張ることもなく、最初は謙遜している態度に、上司からも

「模範になるに値する」

 とまで言われたほどだった。

 しかし、実際に捜査に赴くと、次第に先輩刑事に意見するようになった。

「新米に何が分かる」

 と言われても、自分独自の道を曲げることはなかった。

 最初とのギャップが、彼に対して余計に異端児としての見方が生まれたのであって、決して妬みからだけではなかったのだ。

 だが、最後には彼に対しての悪口は、妬みからだけにしか見えなくなっていた。

 なぜなら、事件の解決に一番近づいて、

「山内刑事なしでは解決できなかった」

 と言われるほどになってしまうと、彼への悪口は、本当の意味での悪口にしかならなかったからである。

 ただ、そんな山内刑事でも十年前の事件だけは分からなかった。

 自分がまだ新米刑事で、今ほど行動できなかったというのもあるが、

――頭の中に戸は立てられないからな――

 と、情報はある程度自分にも来ていたのに、頭の中で事件の大枠すら捉えることができなかった。

 今まで刑事として第一線に出て十年が経つが、事件の大枠すら捉えることができなかったのは、この時の事件だけだった。

 それを思うと、

――この事件、何としても解明しなければ――

 という闘志が芽生えてきたが、さらにもう一つ感じていることとして、

――今回の事件が、十年前のあの事件と繋がっているのではないだろうか?

 という思いだった。

 もしそんなことを口にすれば、

「何をいまさら、あれから十年も経っているんだぞ」

 と一喝されるのは分かっていた。

 あの事件は警察が解決できなかったという意味で、あの事件にかかわった警察官としては、汚点でしかない。それなのに、いまさらあの事件を蒸し返すということは、汚点を表に出すことであって、警察組織的にも、容認できることではないだろう。口に出してしまうと、あしらわれたあと、

「二度とこのことを口にするな」

 と恫喝するような捨て台詞を浴びせられるに違いなかった。

 もっと若い頃の山内だったら、そんな言葉を無視して、余計に反発していたことだろう。しかし、今の山内は、余計なことは口にしないようにしていた。

――どうせ言っても無駄なら、言わなければいい――

 これも、子供の頃からの父親に対して反発してた時に感じた、

――他人事意識――

 が起因しているに違いなかった。

 だが、山内刑事は。十年前の事件と今度の事件をまったく切り離して考えることはできなかった。この思いは山内刑事以外にも考えている人はいるかも知れないが、とても行動に移せる人ではないだろう。

 もし、十年前の事件が起因しているのであれば、山内刑事は、

――今回の事件、何か分かっても、揉み消されてしまうかも知れない――

 とも思えた。

 もちろん最悪の場合のことで、そこまで警察組織が腐り切っていないと思ったが、背後を考えると、ありえないわけでもない。政治家に少しでも関係のあることであれば、簡単に握り潰されてしまうのが、現在の警察組織である。

 警察捜査を急激に変えた科学捜査も、元々の発想は、警察の予算削減が原因だった。

 科学捜査において解決できないようなことであれば、早めに見切りをつけて、別の事件の捜査に目を向けることで、

「一つの解決できるかどうか微妙な事件を捨ててでも、その間に二つでも三つでも解決できることがあれば解決する」

 という方針が警察上層部での極秘情報になっていた。

 つまりは、科学捜査というのは、事件早期解決への足掛かりというだけではなく、その裏には、

――国民を納得させるための詭弁――

 に使われていたのである。

 しかし、今回のような事件はどうだろう?

 このまま報道されれば社会問題になりかねない。だが、今度の事件は幸いにも、変死体であり、殺害された死体ではない。マスコミをごまかすことは、それほど難しくはなかった。

 そういう意味でも山内刑事の危惧は、最悪の場合というわけではなく、十分に起こりうる問題を孕んでいたのだった。

 最初は、変死体の数が少なかったので、それほど誰も意識していなかったが、変死体の数と、死んだ人の死体の腐乱具合の激しさ、しかし、猟奇的なところは何もない状況なので、余計に怪奇に思われて、不気味さが捜査員皆の中に残ってしまった。

 これは、上層部も想像できることではなかった。

 他の捜査をしている時も、例えば殺人事件が起こり、殺害された死体を見ると、ベテラン刑事でも、嘔吐を催していた。

「どうしたんですか? 殺人現場は何度も見ているじゃないですか」

 と、腐乱死体を見ていない人から見れば不可思議で仕方がなかったが、嘔吐を催した刑事とすれば、

「いや、大丈夫だ」

 と口では言っていても、顔は真っ青だった。

 目の前の死体を見ると、以前に見た腐乱死体が頭をよぎるのだ。

 その時に見た腐乱死体がさらに頭の中で進行している。虫がたかっていて、悪臭すら目の前の殺害死体の比ではない。

 そんな状態で、捜査をまともにできるはずもない。他の刑事はおかしいなと思いながらも、自分たちの捜査をするだけだった。

 腐乱死体を見た刑事の中には、新米の刑事も何人もいて、彼らはもっと悲惨だった。

 夢の中に腐乱死体が出てきて、さらに彼らがよみがえって追いかけてくるのだ。まるでゾンビ映画を見ているような感じである。

 しかも、中にはそのゾンビが自分お知り合いとしてよみがえってくるような夢を見た人もいた。悪夢でしかなく、ノイローゼとなって、仕事どころではなくなり、警察病院で治療を受ける人もいたりした。

 さすがに民間の病院に連れて行くわけにはいかず、警察病院で精神科の治療を受けた。

「皆、極度の怯えを抱えていますね。しかも、皆同じものに対してのようです。よほど恐怖に感じるものを見たのでしょう。このような状態の人が増えるのであれば、警察としても、深刻な問題にならないかと私は危惧しますね」

 というのが、警察病院の先生の所見だった。

 ただ、この問題は局地的なもので、広域ではなかったので、警察庁にまで話はいっていなかった。それを幸いと取るかどうかは今後の問題なのだが、少なくとも、県警単位では問題になっていたので、後はいかにかん口令を敷いて、問題の解決に慢心できるかということが大きかった。

 ここまでくると、警察の揉み消しの前に、県警のメンツにおいても何とかしなければいけない。白羽の矢が立ったのが、山内刑事だった。

 県警本部に呼ばれた山内刑事は、この事件を最初からオカルトっぽく考えていた。他の人に言えば、

「何をそんな非科学的な」

 と言われるだろう。

 しかし、柔軟な考えで今まで難事件も解決してきた山内に、非科学的という理論は通用しない。

 山内は、子供の頃に聞いたウワサを思い出した。親に対しての反発心が旺盛だったので、その話を完全には信じることはできず、結局今も、信じてはいない。しかし、思い出してしまったのだから、もう少し調べてみたいという意識に駆られていた。

 これは直接の捜査とは違っていたので、自分の時間を削っての捜査なので、それほど時間が割かれることはなかったが、最初のとっかかりが、自分が考えていたよりもアッサリだったので、山内も考えやすかった。

 子供の頃に聞いたウワサというのは、親戚、それも父方の親戚がある宗教団体に所属しているということだった。

 その人は父の弟になる人で、父とはかなり年齢が離れていたこともあって、当時、まだ二十代だったのではないだろうか。今は五十歳前になっているはずだが、家では宗教団体に所属した親戚の話など出るはずもなく、タブーとなっていた。

 一度、山内が口にしたことがあったが、

「バカ者。あんなやつのことを口にするんじゃねえ」

 と、えらい剣幕だったことで、二度と口にできる雰囲気ではなくなってしまった。

 最初は、おじさんが宗教団体に入ったなどという話を知らなかったので、

――いつもの親父の癇癪だ――

 としか思っていなかった。

 それにしても、ひどい癇癪になったものだ。いつもひどいが、その時は完全に狂気の沙汰だった。あんな表情は後にも先にもあの時だけだったような気がする。何しろ、訳も分からずいきなりだったのだから、当然のことだった。

 山内は、それからおじさんのことはずっと忘れていた。宗教団体が流行っていた時代だったので、

――おじさんも流行に流されたんだ――

 と思い、まわりに流された人は心が弱いと思っている山内には、おじさんの態度は、希薄にしか見えなかった。

 だから自分も、

――あんなおじさんなんか――

 と思っていたが、父親の感じている思いとは違っているのだと思っていた。

 実際はどうだったのか分からないが、家でおじさんや宗教団体の話がタブーになったのは当たり前のことで、家以外でも、宗教団体の話題が出ると、即座に顔をしかめてしまう山内だった。

 中座して帰ってこないこともあった。元々、人との会話で自分が嫌だと思うことは露骨に顔に出したり、中座することもあったのだが、その元々を作ったのは、父親が毛嫌いしたことから来ていたのだ。

 刑事になってからの山内は、意外と宗教団体関係の事件を扱うことが多かった。この街には地下で宗教団体が蠢いていることは分かっていたが、宗教団体と街の権力組織とが結びついて、犯罪が横行していた時期があった。

 それを、山内が独自の発想から、事件解決を一つ一つ積み重ねていくことで、宗教団体と権力組織との間の不和を呼び起こし、それぞれが疑心暗鬼を招くことで、内部分裂を引き起こし、空中分解してしまったようだ。

 それでも、細かく分裂した組織体が、少しずつ元の形に形成されるようになっていったのも事実で、

「まるで、アメーバのようだ」

 と言われていた。

 そんな連中を壊すことはできず、警察としては、

「出る杭だけは、頭打ちにする」

 という作戦しか立てられなかった。

 一網打尽にできないと分かってしまえば、それしかないというものだ。

 ただ、宗教団体も、権力組織も、一度完膚なきまでに叩き潰されたのだから、前のような活動はできなかった。裏で何をやっているのかまでは完全に把握はできないが、犯罪に露骨に手を染めるようなことはなかった。薬物を持ち込んだり、持ち出したり、そんなこともなくなった。表向きはレジャーセンターとして経営しているが、その裏で賭博関係を、細々と行っている程度だっただろう。そういう意味では、組織が目を光らせている中、一般市民が余計な犯罪に手を染めることもない。ある意味、彼らは「必要悪」であり、治安維持に貢献していると言ってもいいだろう。

「これも怪我の功名なのかも知れないな」

 と、県警の上層部は思っているらしいが、

「何を言っている。これがこれからの理想の世界に近づいた姿なんだ」

 と、山内は感じていた。

 そういう意味で、地下で蠢いていたはずの宗教団体は、今はある程度地上に出てきて、見えやすくなってきた。これも彼らの知恵というべきか、一度潰されたことで得た教訓だったのだろう。

 そのおかげで、山内の宗教団体への捜査はスムーズに進んだ。

 彼らの中には、山内に内通している者もいて、話はすぐに聞ける。彼らは必要悪であって、ある意味警察とは協力してくれる立場にいる人もいた。

 それは、表向きには言えないが、警察と宗教団体の間での密約のようなもので、表に出ると厄介だが、まさかそんなことがあるなど考える人はいないという思いが強く、それが山内の狙い目だった。

 何しろ彼らが必要悪であるということを一番よく分かっているのは、一般市民だった。彼らは洗脳されているわけでもなく、宗教団体で活動しているわけでもない。やはり、心の中で、

――何かに頼りたい――

 という気持ちが渦巻いているからではないだろうか。

 そんな宗教団体の中に、おじさんがいることはすぐに分かった。奥さんとも一緒にいて、どうやら、入信してから子供が生まれたのか、高校生の女の子がいるということだった。

 おじさんと会うことはそんなに難しいことではなかった。宗教団体としても、警察に対しては一定の警戒感を示していて、山内に対しては。

「最重要危険人物」

 というありがたくないランクを与えられていたが、一度潰された団体が元に戻りつつある中で、山内がそのキーパーソンであるということが分かると、お互いに相手を潰そうと思うことはなくなった。

 言葉でハッキリと示したわけではないが、それまでのやり方を見て、お互いに分かっていたのだろう。暗黙の了解の中で、山内は、警察の中での頭角を現してきたのだった。

 宗教団体としても、山内が送り込んだ内通者の存在も分かっている。山内の方も、相手が知っているということも分かっている。これこそ紛れもない、

――暗黙の了解――

 と言えるのではないだろうか。

 山内のおじさんとは、内通者を通して話をすることができた。これも、宗教団体に対しての配慮で、

――相手が分かっているんだから、こっちも礼儀を通すことにしよう――

 と思ったからだ。

 一応、宗教団体の中にいる人間を仲介していることを礼儀と考えていたが、相手も同じことを思っていたようだ。これは宗教団体だけではなく、権力組織にも言えることで、いわゆる、

――礼儀というよりも、仁義に近い――

 ということではないだろうか。

 仁義というと、古臭く感じるが、山内には古臭いとは思わない。

――利用できるものは何でも利用する――

 という考えが山内にはあって、それが、今までの事件解決の一番の力になったことだと思っていたのだ。

 会ったのは、普通の喫茶店だった。

 あまり騒がしい店では、何を言っているのか分からず、お互いに気が散ってしまうと思えたし、逆に客がいなければ、少々の声でも店内に響いてしまう。そんな環境での会話ではないことはどちらも分かっていたので、待ち合わせの場所は、相手側に任せたのだ。

「おじさん、ここは?」

「ああ、ここは、うちの団体が経営している喫茶店なんだ。今日は君が来るということで、半分は貸し切りにしてもらったんだ」

「そんなことができるんですか?」

「他の人も、面会がある時はここでしているようだから、大丈夫だ」

 ということは、ここも一応宗教団体の中にいるのと同じことになる。それでも、喫茶店がメインなので、そこまで気にすることはないのかも知れない。

「亮平君、大きくなったね」

 と、おじさんに言われて、

「ええ、ありがとうございます。僕はおじさんの記憶があまりないので何とも言えないんですが、おじさんというよりも、お兄さんという雰囲気だったのを覚えています

「そうだね。僕はまだ二十代だったからね。君のお父さんにもお母さんにも迷惑を掛けたと思っている。二人は元気かい?」

「ええ、何とか元気でいます」

 おじさんには、

――あなたのせいで、親とは確執ができました――

 などとは言えなかった。

 あくまでも、

――自分は自分、親は親なのだ――

 ということを、表に出しておきたかったのだ。

「おじさんがこの団体に入信したのは、いつ頃だったんですか?」

 何しろウワサでしか知らなかったので、質問するとしても、すべてが最初からになるのは当たり前のことだった。

「あれは、僕が女房と結婚した頃だったから、二十七歳の頃だったかな? 実は女房がここの信者だったんだ。入信するか、結婚を諦めるかというジレンマだったんだ」

「奥さんは、その時に初めてここの信者だと明かしてくれたんですか?」

「いいえ、最初は何も言いませんでした。何か隠し事をしているのは分かっていたんだけど、問い詰める勇気がなかった。次第に、彼女が自分から離れていくんじゃないかって衝動に駆られたことで、勇気を出して、問いただしたんです。しかも、その時にはすでに女房のことを愛するようになっていたので、それを察した彼女が明かしてくれたんです」

「衝撃だったでしょう?」

「ええ、もちろんショックでした。でも、彼女が自分を信用して明かしてくれたのも事実ですし、僕が彼女に惚れこんでしまったのも事実だったので、後戻りなどできませんでした。だから、思い切ってプロポーズしたんです」

「そうだったんですね。でも、僕はすでにプロポーズした時、おじさんはすべてを決めていたような気がするんですが」

 というと、おじさんは一瞬思い出し笑いを見せて、

「そうだね。君の言う通り、僕はプロポーズを決めた時、すでにすべてを受け入れる気持ちになっていたんだ。だから、もちろん後悔なんかしていないし、結婚できて幸せだし、ここでの生活も悪いとは思わない。思っていたよりも自由なんだよ」

「そのようですね」

 この宗教団体には、戒律というのはあっても、それさえ犯さなければ、別に自由であった。

 その戒律と言っても、別に厳しいものではなく、世間一般にしてはいけないと言われることを書いているだけだ。そのことも内通者から聞いていた。内通者自身も、

「俺も、このまま入信してもいいと思っているくらいだよ」

 と言っていたが、もちろん冗談なのだろうが、ありえないことではないと山内は感じていた。

「宗教と言っても、教祖がいるわけでも、ダメなものがあるわけでもない。人がどのようにして生きればいいかということを意識させずに、いかに自分が幸せになるかということがこの団体のテーマなんだ」

 聞けば聞くほど、怪しい部分はなくなっていく。

 ただ、それでも宗教は宗教、いつ暴走を始めるか分からないというのも頭にあった。何しろ、団体を組んでいるわけなので、それだけで「力」である。それを肝に銘じておかなければいけないと山内は感じていた。

 ただ、山内にも分かっていなかったことがあったのだが、そのことがこの事件でどのような影響を及ぼしたのかということを知るのは、まだ後になってのことだった。

 山内はおじさんとの話を続けた。

「おじさんが入信した時期というと、ちょうど宗教ブームだった頃ですよね。ひどい宗教が蔓延っていて、世間を騒がせていた。そのことについておじさんは、怖さのようなものはなかったんですか?」

「僕が入信した時期にそんな事件があったのは、もちろん分かっている。だけど、宗教と言っても皆同じではないんだ。元々は同じところから出発しているはずなのに、それが別れていろいろな形に変化した。だけど、元は一緒だったので、宗教に入ってから勉強すれば、他の宗教団体が考えていることは分かってくるものなんだよ。でもね、あの時に問題になった宗教団体のことは、僕たちには理解できなかった。明らかに違うところから始まったものだったんだ。それを思えば、あの団体は完全な新興宗教で、『悪しき団体』に他ならないと思っていた。そういう意味では、あんな連中と一緒にされるのは迷惑だったし、他の宗教団体も同じだったはずだよ」

「そうだったんですね」

 というと、おじさんが続けた。

「例えば、今はどこでも禁煙で、タバコを吸う人は罪悪だというイメージがあるでしょう?」

「ええ」

「そんな中で一人の心ない喫煙者が、禁煙場所や咥えタバコなどをしていると、目立つだろう? そうなると、その一人の男のために、喫煙者皆がマナーの悪さを指摘される。指摘されなくても、まわりがそんな目で見るんだよ。これって、多数が強いという原則に逆らっているよね。そう思うと、原則に逆らっている考え方というのは、どこかまわりに迷惑を掛けるものなんだよ。僕たち宗教に従事する人間も、大いに迷惑を被っている。実に困ったことだ」

 このたとえは、実によく的を得ていた。

 自分の中にある「宗教団体」という認識を改めなければいけないと思った。一つの観点や視点から見ていたのでは、見えてくるものを見えないからである。そうなっては、理解することなど、到底及ばないに違いなかった。

 警察に入ってから、正義というものを貫こうとしても、なかなか貫くことができずに戸惑っている人を今までに何人も見てきている。確かに警察組織というのは、正義を貫こうとする力はある程度持っているのかも知れない。しかし、そこに至るまでにはいくつもの段階があり、守らなければいけないものも無数に存在する。それを、

――秩序――

 というものであろうが、秩序を守ろうとすれば、正義がおざなりになることも多々あるのだ。

 この場合の秩序とは、警察組織そのものである。

 警察組織を守ろうとすると、どうしても、正義に目を瞑らなければならないことがある。特に国家権力が警察の力よりも強力であれば、警察はそれに従わなければならない。理不尽ではあるが、今までに何度も同じ理不尽に直面しているのだ。

 過去の元勲たちが築き上げてきた秩序は、えてして理不尽なものも多い。ジレンマに陥りながら、その時代時代を乗り越えてきたのだろう。だから、警察も国家権力も途絶えることなく、この国の秩序として、まかり通っているのだ。そのことに善悪をつけることはできるかも知れないが、そのことを裁くことはできない。これも一種の必要悪なのだ。そういう意味では、

――国家というのは、必要悪の存在もあって成り立っているのかも知れない――

 と言えるのではないだろうか。

 そんなことを考えていた山内は、自分もいつの間にか、警察組織の中に組み込まれていたことに気づいて、愕然となった。しかし、この思いは今に始まったことではなく、時々頭をよぎるものだった。その時々で感じ方に差はあるが、最初に感じる驚愕の大きさにはさほど差はなかった。つまり、次の瞬間からが違うのであって、我に返った時、その時の精神状態がどうなっているかによって違ってくるのだ。

 おじさんたち家族が、宗教団体に入信したからと言って、そのことを責めることは自分にはできない。

――第一、何をどうやって責めようというのだ?

 宗教団体のことも分からず、おじさんたちの今の気持ちや、信者の生活など、何も分かっていない状態で責めるとすれば、それはうわべだけの責めでしかない。すぐに言葉に詰まり、相手の論理に飲み込まれるのがオチだった。そんな状況にだけはなりたくなかった。相手に詰め寄ることはあっても、詰め寄られる経験はほとんどなかった自分に、責めこまれた時にどう対処すればいいのか、分かるはずもなかった。したがって、訊ねるとすれば、今起こっていることについての事実関係を確認することくらいしかできないだろう。

 それでも、おじさんが入信した時の気持ちを少し聞いていたが、それはきっとおじさんの方が話したかったからだろう。それに、これから何かを質問されるのは分かっているので、その時のために、自分の気持ちを話しておくと、話の展開上、説明がスムーズにいくと思ったからなのかも知れない。

 それは逆にいえば、おじさんは入信した時と今とでは、それほど考え方が変わっていないということを意味していたのだ。

 一通りおじさんの気持ちを聞くと、その時のおじさんの心境が少し分かってきた気がした。

 おじさんは性格的には同じ兄弟でも、父親とはまったく違っていた。

 父親のように厳格なわけではないが、その分、自分の気持ちを相手に伝えようとする思いがあった。そこに父には感じたことのない柔軟性が感じられ、その時々での判断力は、父に比べればかなりのものだと思えた。

 何しろ父は、独裁だったので、その時々で柔軟に考えることなどなかった。すべて自分の信念の下の行動だったのだが、まわりが同調しない時は、どうしていたのだろうか? おじさんの判断力と、それに伴う行動力を考えると、入信の際にも、かなりいろいろ考えたはずである。それは判断力が思考の裏付けによるものだということを物語っているからである。

 そこまで考えると、おじさんに話を聞くのは、立ち入ってはできないと思った。立ち入った話をしても教えてはくれないだろうし、本当に知らないこともあるだろう。下手に聞いて、そのことが宗教団体の中で問題になれば、自分だけではなく、おじさんの立場も危なくなることが分かったからだ。

 宗教団体は必要悪なのかも知れないが、しょせん悪は悪である。あまり深入りしては、相手も警戒し、飛んでくる火の粉は、当然のごとく振り払ってくるに違いない。

 しかし、聞かなければいけないと思っていることは聞いておかないと、何しにきたのか分からない。

「おじさんは、ここに入信した時、誰かに話したりしましたか?」

「僕の場合は、兄貴には一言話したよ。電話でだったんだけど、さすがに電話口で落胆しているのが分かった。兄貴の性格は分かっているつもりだったので、罵声を浴びせられることはないと思っていた。何も言わずに落胆されてしまうのは分かっていたので、面と向かうつもりはなかったんだ。兄貴に何を言われても入信の決意に変わりはなかったんだけど、やっぱり兄弟だからね。あまり気持ちのいいものではない。電話で済ませたのは逃げと取られるかも知れないけど、僕はそれでよかった。兄貴も面と向かうよりもよかったんじゃないかな?」

「そうなんですか。うちではあれからおじさんの話はタブーになってしまったので、何も話せなかったんだけど、僕は父に対して反発ばかりしていたので、本当はおじさんといろいろ話をしてみたかったんだ。今から思えば、どうしておじさんに連絡を取ろうと思わなかったのか、自分でも不思議に思っています」

「それはきっと、最初思った時は、ものすごく僕に会いたいと思ったんじゃないかな? でも会って何を話すかずっと考えているうちに、その気持ちが次第に冷めていった。最初に急激に感じただけに、一度冷めてしまうと、再度気持ちを盛り上げることは、かなり無理があったはずなんだ」

 と、おじさんは冷静に話してくれた。

――やはり、おじさんは相当頭が切れる――

 おじさんに対して今まで想像していたイメージよりも、さらに強く感じた。

 もっと早く会ってみたかったという思いだけが頭にあったが、おじさんにそう言われると、再会した時期が今なのは、

――最初から運命だったのかも知れない――

 とも感じられた。

「おじさんは、宗教団体というのは、その人を苦痛から救うというものだと思っていますか?」

 山内は、敢えて宗教団体という言葉にして、団体を特定することを避けた。

 おじさんが、それをどう解釈して答えてくれるかというのも、興味があったからだ。

「その人を苦痛から救うなどというのは、思い上がった気持ちなんじゃないかって思っているよ。確かに苦しんでいる人がいれば助けてあげたいと思うのは人間だから当たり前のことだと思う。でも、それだって、打算の気持ちがないわけではない。『相手の身になって考える』ってよく言うだろう? あれだって、結局は『自分が同じ立場になった時も、人から助けてもらいたい』という思いがあるからなんだ。人は苦しみを感じると、『何でもいいから助けてほしい』と思うのが当然なんじゃないかな?」

「だから、人を助けてあげたいと思うのは、誰もが持っているものだけど、そこに打算が含まれていることを忘れてはいけないというわけですか?」

「そういうことになるね。だから、苦しんでいる人を助けたいと思うことを悪いことだとは思わないけど、単純に考えただけでは、却って大きなお世話になってしまうことだってあると思うんだ。すべてが相手の立場になってみないと分からないんだよ」

「なるほど、そういうことなんですね」

「そういう意味では、兄貴のように頑固で独裁的な人間には、そのあたりの理屈が分からない。すべてを自分の枠にはめ込んでしまおうとする。そうなると、相手は反発し、頑固な人間の本当の気持ちを分かることなんかないんだよ。いわゆる『決して交わることのない平行線』とでもいうべきだろうか」

「分かりやすいたとえですね」

 父親の話を持ち出されると、たとえ話としては、ちょうどいい。おじさんが何を言いたいか、少しずつだが、分かってきたような気がした。

「じゃあ、おじさんは宗教団体で、『苦しんでいる人を助ける』ということをスローガンのようにしているのは、怪しいと思っているんですか?」

「一概にはそうは言えないと思うが、要は一つだけを見て判断しない目を持って何事も見なければいけないということさ。それは宗教団体だけではなく、すべてのことに言えることだ」

 おじさんの話を聞いていると、ほとんどの話がもっともに聞こえてくる。

 よく宗教団体の教祖と呼ばれる人から、マインドコントロールされてしまうという話を聞くが、山内も、

――俺もマインドコントロールされないようにしないとな――

 と思ってきたはずなのに、少し気持ちが最初とは揺らいできていることに気が付いていなかった。

「ところでおじさん。この団体に入信している人の中で、行方不明になった人とか、今までにいたとか聞いたことがありましたか?」

 核心の話を振ってみた。

 いきなりだったかも知れないが、おじさんの顔色を見てみたいというのもあったからだった。

 するとおじさんは、思ったよりも冷静に、そして、さらにゆっくりと口を開いて、

「いや、僕にはハッキリとは分からないね。何しろ、ここでは入信も自由なんだけど、脱退することも、それほど難しくはないんだ。他の宗教では脱退を許さないところもあるという話だったけど、ここではそんなことはない。だから、もちろん脱退していく人もいたし、脱退して普通に生活している人も何人も知っている。僕らだって縛られているわけではないので、脱退した人に会いに行くことも自由なんだ。だから、何人の人にも会ったことがあったんだよ」

「そうなんですね。じゃあ、もう一つお聞きしたいんですけども」

「何だい?」

「ここに入信する時って、誰にも何も言わずに入信する人もいるんでしょうね」

「いると思うよ。入信に別に何かの制限があるわけではない。制限のありそうな人は入信してくるはずないしね。たとえば、他の宗教を信じている人が、ここに入信してくるはずなどないだろう? まさにそれと同じ発想なんだよ」

 言っていることは、至極当然のことだった。

 その話にウソはないだろう。ただ、言葉が足りないこともウソだとは言わない。おじさんが言葉を選んで話をしてくれていることは最初から分かっていることだった。

「なるほど、じゃあ、入信して来た人の中には、行方不明者として、捜索願いが出された人もいるんでしょうね」

「いるだろうね。入信してくるまで、家族にもまわりの人にも自分がここの信者だと悟られないようにしている人がいたとすれば、いなくなった後に残った人から見れば、失踪したとしか見えないだろうからね」

「そんな人は多いんですか?」

「どれほどかまでは分からないけど、いるんじゃないかな? ここの考えに陶酔した人の中には、俗世間にいる間、俗世間とはすでに縁を切っているつもりになって、余計なことを俗世間で話さないようになった人というのは、比較的多いと聞いているからね」

「おじさんは、その人たちの気持ち、分かるんですか?」

「分かるつもりだよ。自分の信じるものが決まったら、それまでの自分を否定はしたくないから、逆に俗世間にいた自分を傷つけたくないと思う。だから、俗世間の目を欺こうと思うのも当然ではないかと思うからね」

「なるほど、何となくですが、分かる気がします」

 その言葉は本当だった。

 宗教団体を、ある意味、十把一絡げで考えていたところがあった。

 例えば、子供の頃に見た特撮やアニメ番組で、地球人と宇宙人という枠組みについて、漠然と疑問を感じていた。

「地球人だって宇宙人の一部なのに、地球人同士では名前で呼ぶのに、宇宙人は、何とか星人としてしか言わないんだろう?」

 という疑問だった。

「それを言うなら、人間と動物にだって言えるんじゃないか? 人間には名前があるのに、動物には名前がない。動物園の動物に名前があるのは、勝手に人間が考えた名前だからね」

「そうだよな。人間だって、動物の一部なんだからな」

 そんな話を友達としていたことがあった。

 あまり友達のいない山内だったが、そんなおかしな話をする友達はいたのだった。

 山内は、そこまで思うとハッとした。自分が聞きたかったことから、少し話が離れてしまっていたからだ。

――おじさんは、俺の性格を分かっているのかな?

 と感じたが、それでも、うまくはぐらかされているという思いはなかった。

 ただ、自分がしっかりとした考えを持っていなければいけないというだけなのだが、どうもハッキリとしない。

――どうしても、おじさんと話していると思うと、子供の頃の自分のイメージがよみがえってきてしまうからなのかも知れないな――

 と感じていた。

 それと、人と話をしていると、どうしても発想が余計なところを捉えていることが多い。それは刑事として、発想を豊かにしないといけないという思いもあるからだったが、それだけではない。刑事になって、

――これは俺の天職だ――

 と感じたことがあったが、どうしてそう感じたのかすぐには分からなかった。

 しかし、豊かな発想を持つことができるのが自分の性格だと思った時、天職だと思ったのも無理のないことだと思ったのだ。

 おじさんは、何も考えていないように見えるが、実は山内が何を考えているのかを、探ろうとしている。そのことは刑事である山内にはすぐに分かったが、それよりも、おじさんが何も考えていないように見える素振りを、本当に表面上でしか見せておらず、山内のような刑事が見れば、みえみえと思えるほど、明け透けな感じだった。

――どうして、こんなにも警戒心がないんだ?

 そう、他の人なら、もう少し警戒心を持つはずだった。

――相手がいくら自分を見定めようとして意識を集中させても、しょせん、あんたにはこちらを見透かすことなどできるはずがないという余裕の表れなのだろうか?

 とさえ思えた。

 普段の山内なら、そんな素振りを見せられたら、怒りが込み上げてきて、感情的になるのだろうが、相手がおじさんだということもあってか、それほど怒りが込み上げてこない。もっとも、ここで怒りをあらわにしてしまうと、相手の思うツボに嵌ってしまうことは分かり切ってもいた。抑える必要もないほど、怒りが込み上げてこなかったことに、ホッと胸を撫で下ろした山内だった。

 だが、ここは何と言っても宗教団体の巣窟、下手なことをして帰ることができなくなってしまうのも困る。

――まだ自分にはしなければいけないことがある。こんなところでくたばるわけにもいかない――

 というのは建前で、正直宗教団体などという得体の知れない連中の巣窟に入ってしまったことを、後悔したくなかったのが本音だった。

 だが、不思議なことに、やつらの巣窟に入ってしまうと、死ぬことを考えても、

――死が怖い――

 という感覚はなかった。

 むしろ、得体の知れないものの正体が分かることの方が恐ろしかった。その後に死が待っているのか、それとも、生きて帰ることができるのか、そこまで考えが及んでいるわけではなかった。

 おじさんを見ていて、みえみえの態度に覚えるはずの怒りが込み上げてこないのも、この場所の独特の雰囲気によるものであるとすれば、早く話を切り上げてこの場所から退去しないと、思考回路を狂わされてしまう。その原因が独特と思える雰囲気にあるのだろうが、元々持っている自分の中の何かと共鳴して、感覚が狂わされているという考えもないわけではなかった。

――これ以上、おじさんと話をしていても、埒が明かないかも知れないな――

 と、山内は考え、帰ることにした。

「今日はありがとうございました」

「いえいえ、また会いにおいで」

 そう言ってくれたおじさんの顔は、今日の中で一番安心して見れた顔だった。

 もし、この時少しでも不安を感じているような表情をしていれば、自分たちの会話が盗聴されていたかも知れないと感じたことだろう。少なくとも、おじさんは盗聴という事実があったとしても、そのことを知らなかったのは事実だ。山内はそれだけでもよかったような気がした。

 おじさんと話をして分かったことはあまりなかった。

――いや、ひょっとすると、ここの内部の話は、一般の信者には知らされていないことが多いのかも知れない――

 という思いだった。

 逆に言えば、今までに共謀で何かがあったから、信者に対して秘密にする必要があったとも考えられる。そこに、過去に失踪した人がいて、失踪が共謀によるものであれば、かん口令を敷く意味も分かるというものだった。

「それにしても、俺が来るくらいで貸し切りにするというのは、本当に何かがあるからなのかも知れないな」

 と感じた。

 宗教団体を信じてみたいという思いもあったが、頭の中ではグレーというよりも黒であった。そんな団体を信じることは、刑事としてはできなかった。

 それからしばらくして内通者からもたらされた情報は、興味深いものだった。

「山内さん、今回見つかった変死体に関してはまだよく分かりませんが、十年前に見つかった死体に関しては、どうやら、元々ここの信者だったことが判明しました」

「えっ、それは本当か?」

「ええ、ただおかしなことに、死んだ人は皆、この団体から脱退してすぐに死んでいるんです。しかも、この団体にいた時期も非常に短い。だから、この団体にいたことを知っている人は、ここの上層部くらいなんですよ。しかも、十年も経っているので、さらにその時の人はそれほど残っているわけではないんですよ」

「確か、あの集団は、入信も脱退も、それほど厳しくないと聞いていたが?」

「そうなんです。少しおかしな気がしたので、そのあたりから調べてみたんですが、脱退が簡単な割には、あまり脱退する人はいない。それで脱退した人のリストを作って調べてみると、変死体が見つかった時と、脱退した時との間が、皆ほぼ同じなんです。脱退してから、一か月くらいになっているんですよ」

「どうしてそんなことまで分かるんだい?」

「脱退した人は、入信した時に作った名簿に、赤い線を引かれるんですが、実はそれとは別に脱退者リストなるものが存在しているんです。普通は極秘資料になっているんですが、それほど厳重に保管されているわけではないので、僕にも見ることができたんですが、そこに、脱退後のことも書かれていたんです。例えば、『何年何月何日に死亡』ってですね」

「やつらは、脱退した人のその後まで監視していたわけだ。しかも、死亡日時まで明記しているなんて……」

「そうなんです。その死亡時期が、ちょうど脱退してから一か月という人が、十年前には十人以上もいたんですよ。しかも、それが十年前の変死体発見の時期と一致している。こんな偶然ってあるんでしょうか?」

「宗教団体がひょっとして、殺人事件に絡んでいるとすれば、これは少し厄介だな。そうじゃないと思いたいんだが、そうでなければ、慎重に捜査しないと、上からの圧力が掛かってくるかも知れない。そういえば、ここの宗教団体は、どこから派生してできたものなんだろう? 急に湧いて出たような宗教団体だと、もう少し早く問題が大きくなっていたような気がするんだ。とにかく謎が多すぎる」

「そうですね。僕も内通はしていますが、入信した時に、別にこの団体のことについて、詳しく教えられたわけではないんです。かといって、何かを隠そうとしているようには見えない。もしかすると、一般の人は誰も詳しいことを知らないのかも知れない。過去のことには興味がないという考えの人がたくさんいる団体だと思っていますが、秘密主義じゃないだけに、知りたいという意識にはならないという人間の心理を逆に利用しているのかも知れませんね」

「ということになると、結構、相手は頭のいい連中が揃っていることになる。向こうは頭脳集団だという意識を持っていないと、気が付けば洗脳されていたということにならないようにしないとな」

「ええ、分かっています。それについても、別にここではプロパガンダが行われているようなこともない。教祖というのが別に存在するわけではないんですよ。代表はいても、まるで民主主義のように、定期的に入れ替わる。ただ、一般の人には決める権利はない。独裁ではないように見えるけど、分からないことが多すぎて、漠然としすぎているんですね」

「オープンな環境なんじゃないのかい?」

「ええ、オープンなところは比較的多いんですが、それだけにどこまでが真実なのか、その規模まで分かりかねるところがあるんです。大きすぎて見えてこないというのなら分かるんですが、そんなに大きくは思えない。たぶん、端に行くほど、ここはハッキリと見えないようなそんな仕掛けになっているのかも知れません」

「それこそ、洗脳されているんじゃないのか?」

「中に入ったために見えなくなったこともあるかも知れないとは思っています。まだまだここには得体の知れない何かが蠢いているような気がします」

「気を付けるんだぞ」

「ええ」

 内通者である彼は、家族をこの団体に取られたと思っている。

 この団体に入信するという置手紙を残して。。高校生だった内通者の前から姿を消した。

 彼は、親の捜索を含めて、山内の内通者になったのだ。入信して半年経つが、親の行方は依然として知れることはなかった。

――すでに死んでいるのかも知れない――

 最悪の結果が頭をよぎる。

 下手なことを考えないようにしようと思えば思うほど、余計な焦りを生んでしまいそうになっていた。

 だが、その焦りこそ、山内の狙い目だった。まともな目では見えてこないものも、焦りを抱いている人が見れば見えてくるものもあると思ったからだ。しかし、下手な動きをしないように制することのできる人間だということを分かっているからこそ、内通者に選んだのだ。

 やまうちは、ある程度までの推理はできていた。十年前の変死体は間違いなく、この団体の仕業だった。

 十年前は、創生会という名前だったが、今では紀元研究会と呼んでいる。およそ宗教団体と思えない名前だが、基本は人間で、その紀元に焦点を置いている。ここでは「起源」という字ではなく「紀元」と書く。ここには、人間の原点は文明であり、他の動物にはない人間の特性を追求することが、この団体の形成理念であった。それが、名前を変更した最大の理由だったという。

 ただ十年前の変死体の半分近くは、のちの捜査で身元が分かった。そのすべては行方不明者として、捜索願が出ていた。残りの変死体の身元が分からなかった理由の一つは、今回発見された変死体のように、腐敗がひどかったからだ。

 十年前に腐敗の酷かった死体が最初に発見され、しばらくしてから、のちの捜査で身元が分かった変死体が発見された。腐敗のひどさが印象的だったこともあって、当時は同じ変死体でも、最初に発見された変死体と、後から発見された変死体とでは、まったく違った線から捜査された。しばらく経ってしまったことで、捜査本部も違うチームが担当し、警察の悪い癖として、お互いの縄張りを冒すことのないようにしていたことで、繋がりはまったく感じられなかった。

 しかし、十年経ってしまうと、その時のしばらくという時間の感覚は、あってないようなものに感じられる。それだけ腐乱死体とその後の変死体とを結びつけて考えるという思いも生まれてきたのだ。

 ただ、すでにどちらも迷宮入りとなってしまったことで、事件を口にする人はいなくなった。口にすること自体がタブーであるかのようで、気に病んでいる人がいたとしても、日々、起こっている事件を追いかけるだけで精一杯な状態で、すでに風化してしまった事件を掘り起こそうとする人は誰もいなかった。

 しかし、今回十年前と類似した、

「腐乱の激しい変死体」

 が発見されたので、初めて思い出した人もいるだろう。

 ただ、山内は違った。

 この事件は彼の中で、トラウマのようになっていた。それは、迷宮入りになってしまったということ以外に、事件の異様性からか、似たような事件が忘れた頃に起こるのではないかという漠然とした思いを抱いていたからである。

 しかし、まさか本当に起こってしまったのを目の当たりにしてしまうと、すぐに十年前の事件を口にするのが怖かった。頭では描いていたとしても、そのことを口にしてしまうことで自分から開けてはいけない「パンドラの匣」を開けてしまいそうで嫌だったのだ。

 十年前の事件で、二つの変死体集中事件が繋がっているかも知れないと考えた人はいたかも知れないが、どちらも迷宮入りになってしまい、関係者の頭の中から消えていくにつれて、繋がっていると思っている人も少なくなった。

「もう、どっちでもいい」

 と思うようになったのだ。

 山内は、今回の事件を追いかけながら、実は十年前の事件に首を突っ込んでしまったことに対し、少し後悔していた。

 やはり思いの中に、

――「パンドラの匣」を開けてしまった――

 という思いがあるからで、目の前の事件が自分の中で宙に浮いてしまっているのを感じていた。

 何しろ十年も経っているのだ。同じような死体だとはいえ、その二つを結びつけて考えるのは、少し無謀かも知れない。ただ、十年前の腐乱が激しくなかった方の事件で判明した身元の人を調査していると、どこかで当時の「創生会」と繋がっていることが分かった。

 山内は腐乱死体の方の捜査員だったので、こちらの事件はウワサでしか聞いたことはなかった。捜査の手は当然「創生会」に入ったが、決定的な証拠も何もないので、団体と行方不明者との関係性すら判明することができなかった。

 身元が分かっているのに迷宮入りになってしまったのは「創生会」があまりにも壁が強固であり、警察の捜査にも限界があった。

 さらに、どうやら上層部に圧力がかかったようで、捜査は完全に立ち消えになった。

 そもそも、変死体ということであり、殺害されたわけではなかったので、殺人事件ほど徹底的な捜査をしなければいけない必要性はない。社会通念上、影響が大きかったのは間違いないが、上からの捜査打ち切り命令に逆らうこともできない。腐乱が激しかった変死体を捜査していた山内の方も行き詰ってしまい、両方ともほぼ同じくらいの時期に捜査が打ち切られたのだ。そのせいもあって、二つの事件は同じランクに位置付けられ、一緒に捜査されたのだと後から入った警察官が思い込んでしまったとしても無理もないことだった。やはり、警察としては汚点を残した事件であり、警察組織のトラウマになってしまったのだろう。

 そんな「創生会」が団体名を「紀元研究会」に変えたのは、今から五年ほど前のことだった。

「創生会」に関しては、公安が目を光らせていたが、団体名を変えたことに関しては公安の方でも、

「なぜ今団体名を変更したんだ?」

 別に内部が何か変わったわけではない。

 彼らが関係のありそうな何かの事件を起こっているわけではない。心機一転と言ってしまえば聞こえはいいが、名前を変えるだけでも、お金もかかるし、それまでの印象が変わるとも思えない。

 その頃の山内は、「創生会」に限らず、宗教団体自体に何ら興味はなかった。その中で殺人事件でも起こらない限り、自分には関係ないとまで考えていたくらいだ。実際に、山内が刑事になってから宗教団体関係の捜査に加わったことはなかった。十年前の事件でも捜査本部が別だったので、ウワサに聞く程度だった。

 ただ、一つ気になったのは、「創生会」が名前を変えてからすぐに、自分の父親が行方不明になったことだった。捜索願いは母親から出されたが、母親は、

「どうもお父さんは、『紀元研究会』に入ったんじゃないかって思うの」

 と言っていた。

 初めて聞いたその団体の名前だったので、

「お母さん、その『紀元研究会』って何なんだい?」

 と聞くと、

「宗教団体なんだよ。この前までは『創生会』って言っていたところなんだよ」

「宗教団体の『創生会』? それなら聞いたことがあるよ。そうか、名前が変わったとは聞いていたけど、何か曰くがありそうなんだね」

「ええ、そうかも知れないわね」

「お母さんは、この話を捜索願いを出した時に、警察に話したかい?」

「ええ、『紀元研究会』って言ったんだけど、受付してくれた人はその名前を知らなかったみたいで、『何ですか? それ』って聞かれたわ」

「そうだろうね。名前だけなら、宗教団体って思わないだろうからね。それが改名の狙いだったのかな?」

「お母さんには詳しいことは分からない。でも、お父さんはツテがあるからって言っていたんだけど、ひょっとしたら、あなたのおじさんがツテだったのかも知れないわね」

 この時、おじさんが入信したところが「紀元研究会」だということに気が付いた。

「では、どうしてこの間おじさんと会った時に父親の話をしなかったんだ?」

 と思われるかも知れない。

 山内の頭の中では、

――父親は死んだ――

 と思うようにしていた。

 子供の頃にあれだけ厳格だった父が、何を考えて、母を一人残して入信したのか、その気持ちがどうしても分からない。

 この年になって分からないのだから、今さら話をしても、分かり合えるわけはないと思った。実際に学生時代から、父親を他人のようにしか思っていなかった山内にとって、捜査の中に父親の存在を掘り起こすことはありえないことであって、死んだと思うようにしている人のことを考えることは、自己嫌悪に陥らせるだけだった。

 それだけ父親に対しての恨みは大きかったのだ。

 実は、十年前に発見された変死体で、身元が判明している人には、ある共通点があった。それは、全員が自分の家族から恨まれているという点であった。

 しかし、この事実は分かりにくいことであり、発見された死体の一部の人に見られることだとは分かったが、全員だということは分からなかった。

 そんな事実も、殺害されたわけではないので、参考にもならなかった。もし全員に共通していることだと分かっていれば、もう少し捜査が進んだかもしれないが、当時の時点でそれ以上の進展はなかっただろう。

 もし、上層部に掛かった圧力がなくても、捜査にはおのずと限界というものがあり、それ以上の進展はやはりなかったことだろう。そういう意味では捜査妨害があったことが却って山内に何かの疑念を抱かせる原因になったのだが、そのことを思い知るのは、それから十年も経った今のことだったのだ。

 とにかく、分かっていることは皆中途半端なことばかり、どこまで首を突っ込んでいいのか考えていたが、それが一変したのは、それから数か月経ってのことだった。十年前と同じように、またしても変死体が多く発見される事態に陥った。

 その変死体は、腐乱しているわけではなく、身元が分かる死体だった。

 そして、その中の一人に、おじさんがいたのだった……。

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