第41話『破邪活殺剣(中)』

 備前長船の里、霜月。

 その新月の日、黄昏時である。

 御嶽兵衛が大暴れし、正宗の工房跡、その南側には大きな資材置き場が広がっている。つい先刻までは土木作業を熟す人足が畚や鍬、均し槌などを使って作業をしていた場所である。

 真っ平らではないが、差し渡し結構な広さである。


「今日は口数が少ないな、お藤」と、柳生宗章。


 腰の脇差しは偽物兼定、大刀は不動尊の札まみれの朱塗り鞘――『喘月』を差している。

 その喘月の柄をぽんと左手の甲で叩き示しながら、「婆娑羅舞でこけるなよ」と揶揄するように彼女の頭をがしがしと撫でる。そんな宗章の手を煩わしいと感じる余裕もないのか、彼女の手は棒線香――反魂香がひとつ。微かに震えている様子である。


「任せておけといった手前、どうもな……」と藤斬丸。

「儀式めいたものだが、どうもあの婆娑羅舞――舞い手の集中を高め、その妖力で不可思議を起こすための形のようなものと見る。舞そのものではなく、集中と想像。お藤の得意とするところであろう」


 はは、と宗章は笑うが、彼らの背後に控えている風魔小太郎と御嶽兵衛は、気が気ではない。

 儀式の成否を心配しているのではない。


が起きぬとよいのだが」

「考えても仕方がありませんぜ、どのみち成るようにしか成らねえってやつでさァ」


 そのとき、藤斬丸の左手中指に巻かれた一条の髪が、彼女にしか分からぬ震えを見せる。


「髪が震えた。――」


 藤斬丸が、はっとして声を上げる。

 彼女の指に巻かれしは、落葉御前の髪一条。鎌倉にて準備を進める御前からの、タイムラグのない合図である。


「婆娑羅舞、仕る。柳生宗章どの、宜しいか。――」


 それに頷き、喘月の柄を今度は右掌でぽんと叩く。


「具備、ととのうておる」


 反魂香に、鬼火がともされる。

 鬼の情念により消えることが許されぬ魔性の火が、反魂香の先端をカっと染めしのち、濃厚な煙と共に薄く甘い香りが周囲に満ち満ちていく。


 天女の姿で藤が舞うを、脱力柔軟に備えた柳生宗章が仏の如き柔らかな表情アルカイックスマイルで目の端に捉えている。


「……。――」


 そのとき、荷置き場の空間が、ひとたび――みしりと、鳴り折れた。折れた。そう、折れた。ひとたびみしりと鳴り、折れたのだ。


 すわ、なにぞ。

 同じく婆娑羅舞を経験したことのある御嶽兵衛と風魔小太郎は、そろって身構える。このような自体は、今までなかったのだ。

 佐渡でも、金乗院でも、このあいだの夜もだ。


 もうもうとした煙が、へし折れた空間に満ち、ついには音もなく割れ、あちら側より同じく藤の花の甘い香りを伴う煙が溢れてくるではないか。


「虚実冥合ナリ――」

「虚実冥合ナリ――」


 ふたつの声が、空間を馴染ませる。


「おお。――」

「おお。――」


 ふたつの声が、面白そうに現実を引き寄せる。

 見よ、いま同時期に行われた反魂香婆娑羅舞の儀式は、備前長船と鎌倉は鶴岡八幡宮前提を完全に融合せしめたのだ。


 柳生宗章のすぐとなりには、弟の柳生宗矩が柔らかい表情で風呂敷を手に佇立している。


「なるほど、仇敵召喚の儀式、同時にかちあうとこのような現象を引き起こすものか。いやはや、勉強になる。兄上、首尾の方は」

「そこそこ、だな」


 こうなるのが分かっていたかのように動じない柳生の兄弟に、小太郎に御嶽、それに小半蔵は肩を並べて息を飲む。

 よもや、空間をねじ曲げる力があるとは、恐ろしや。

 このような試しをしたことは、呪術三千年の歴史の中でもあるまい。


「さて、兄上。次は、鬼口上……でしたな」

「うむ。鬼の声なき声が、死者の素性を読み上げ、特定し、地獄より引きずり出す。――」

「なるほど、この音声おんじょう。――」


 正宗工房跡と、鶴岡八幡宮、それに加え、地獄の空気が融合を始める。北の向こうに、黄泉平坂の赤黒い口が、じわりと空き開く。

 初の体験である宗矩が、瘴気の濃度にやや眉をしかめるが、「このようなものか」とどこか納得したように呟き、ふふ、とひとつ、笑む。

 ずいぶんと余裕がある。

 この弟、この四月あまりでよほど心胆の鍛錬を重ねたのであろう。但馬守宗矩とはそういう男である。


 ざん、と、空気が変わった。


 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。


 煙の結界に赤黒き奈落への穴ががばりと空く。

 その奥の闇より、黄泉平坂をやってくる声が響く。

 重く昏い、亡者の声である。


 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 

「ほう、このこえ、ひとりだけですな。――」


 と、柳生宗矩は「なるほど、小賢しい」と苦笑するや、「兄上、斯波二郎右衛門はお任せいたす」と、風呂敷包みを切り開き、中から桐箱をさらけ出した。


 ――あるところに、おとこありけり――


 藤の声ならぬ音声が、ひとりの男を呼び出す。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 屍は形となり、ひとりの男の姿を取る。その手には、闇喘月。


(斯波二郎右衛門か。――)


 宗章はずいと、一歩前に。

 宗矩は、桐の箱を抱え立ち、濃厚な瘴気を鼻からスウっと吸い込むと、蕩々とした声で「あるところに、男の首ありけり」と黄泉平坂の向こうへと叫んだ。


「その男、奸弱の走狗にて。外連を重ね、己が首を現世にて徳川に弔わせたり。聞け、四条貞右衛門ッ。耳がなければ聞こえぬか、目がなければいまも見えぬか、口がなければ呪い念仏も唱えられぬか」


 桐箱を片手に上げるや、宗矩はそれを黄泉平坂に向かいぶんとばかりに投げ放った。


「なれば返して進ぜよう。出ませい、四条貞右衛門。鬼口上はこの柳生但馬守が請け負いたり。伏見守将の首を切り、己が首とすり替えし奸賊めが、その皺首ひっさげ――いざ出ませい」


 幕府目付の音声に、黄泉平坂の奥から赤黒い塊がやってくる。


 どぉれえ……。

 どぉれえ……。


 足下より聞こえるその声に「クフッ」と笑ったのは、黄泉平坂で背後を振り返りし斯波二郎右衛門である。


 どぉれえ……。

 どぉれえ……。


 その声は、桐箱の中より聞こえてきた。


 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。


 そして、その声に導かれるように、黄泉の奥底からひたひたと歩きくる陰ひとつ。

 、戦国甲冑の武者である。

 大身の槍を手に、ゆっくりと上ってくる。


「ほほう、あれがお主の相手か、宗矩」

「左様にて」

「あの首なし男がか」

「首なら、掘り起こしてきましたわ」


 はて、と思う宗章だが、首なし男が平坂は斯波二郎右衛門の足下の桐箱から、何やら取り出す。

 干からびた、首である。

 骸骨に皮が張り付いたような、しかし丁寧に処理された、水気を排し木乃伊ミイラとなった首である。

 その首が、笑った。


「よぉ見破った。新陰流だな、お主ら。におう、におうぞ、喘月の匂いじゃ」


 首なし男が、その木乃伊首を自分の物のように、そこへ据える。ぴしりと癒着し、四条貞右衛門はその首でにたりと笑う。


「外連なり外道連」


 宗矩が、黄泉平坂より黄泉返りし四条貞右衛門に向け、大垣正宗の柄をぽんと叩き、「斬り捨てる」と言い放つ。この男がそういえば、そうなるのだという、必殺の気迫が滲み出る。


「すまんすまん、お主はこっちだ。俺が相手だ。ええと、名前は確か」

「斯波二郎右衛門重道。――」

「そうそう。……お主、酒井忠次どのの側小姓、庄司八之新を喘月のに捧げたな」

「いかにも」


 彼我の間合い、五間と少し。

 宗章はそれを聞くと、「ならば斬る」と微笑む。


「事情は聞かずか」と斯波。

「事情のない者などこの世にはおらぬゆえな」


 あっけらかんと、宗章は笑い、喘月に手を掛ける。

 鯉口を握り開けば、恐ろしき妖気が溢れ出る。圧力に弾かれ柄が吹っ飛ぶような感覚を覚えるが、無音の抜刀。

 対手もすでに、抜刀して正眼に構えている。


「過去を見て戦うのも、外連な気がしてな。こっちの鬼ふじきりまるが未熟なのをいいことに、今回は尋常の立ち会いで勘弁してほしい」

「戯れたことを。ふふ。貴様とあやつ、ふたり掛かりでも儂は構わぬぞ。四条さまには、まずまず我慢していただくことになるがな」


 宗章は喘月を片手に肩に担ぎ、「呆れたことだ」と、心底呆れた声で苦笑する。


「お主、いや、お主ら、柳生宗矩を侮りすぎておる」

「なに」

「あやつは俺よりも強いぞ。特に、斬ればいいだけの者なぞ、なますもなます、滅多斬りにされるがオチよ」


 と、宗章は喘月を垂直に立て、祈り拝むように構えると、脱力。雑念を追い遣り、眼前の男、同門の仇を斬ることのみに集中した。


 そのとき、やや離れた場所で睨み合っていた宗矩も、抜き打ちの構えで柔らかく佇立していた。居合い腰にもなっていない、棒立ちのままだ。


「外道の考えよな、四条。いや、月琴ユィチンか。首がなければ望月の喘月に顔が映らぬと思いしか。解呪の法を執り行わせぬ妨害として、これほど有効なものはなし。首――目も耳も声もなければ、地獄にいても呼び出せぬとでも思うたか」

「ゆえに、首を黄泉にまで持ってきたか。首を返されれば、さすがに応じるほかあるまい。この四条貞右衛門、挑まれたからには逃げはせぬ。カカッ」

「是非もなし。主命であれば。――」


 そこでやっと、宗矩は居合い腰である。

 抜き打ち必殺の気迫が溢れるも、すぐに凪いだ水月の心胆である。

 その間、対手は彼に打ち込めなかった。

 隙がなかったのではない。打ち込める……が、打ち込めば討ち取られると剣者の本能が察していたのだ。


 するすると辷るように宗矩が四条の槍の間合いにひょいと入り込む。反応した槍が宗矩の心臓へと滑り込むが、直前で躱され、同時に宗矩の鉄扇――その実、銀の棍棒が槍持つ小手の骨を装甲ごとひしゃげさせていた。


「ぎゃああ」


 骨は小砂利の如く砕けていた。


尺沢しゃくたく。――」


 宗矩が痛打したのは、獣鬼女月琴ユェチンにも打った小手の急所である。手加減も何もなかった。骨肉が砕け潰れる痛みに四条貞右衛門は情けなく悲鳴を上げていた。

 木乃伊の首からこうも生々しい苦鳴が漏れるとは。


「肘詰、村雨、下昆、人中、鳥兎、そして――天道」


 内小手から、鎖骨、下顎、鼻下、眉間、そして脳天を鉄扇で滅多打ちにした。兜を着けていなかった木乃伊首は、悲鳴を上げることもできずに粉微塵に粉砕されていた。

 すべて、ひと息の打撃である。

 後方から黙って見ていた御嶽兵衛が「えげつねえ……」と呻くほどである。


「奸賊に正宗はもったいなく」


 と、あっさり四条貞右衛門を打ち殺した宗矩は残心のまま五間ほど下がり離れると、鉄扇を懐に兄の立ち回りへと目を向ける。

 兄もほぼ同時に斯波二郎右衛門の頭蓋を両断し、残心を取っている。そのさまを見ながら、喘月の刀身を、あえて宗矩はじっと注視する。

 半ばの解呪を歴ても、いささかの衰えなし。

 されど、その魔性が心胆を侵略せしめることはなかった。

 あの妖刀を以て戦うことは出来ぬであろうが、呑まれることはないだろう。

 だがどうだ、この脂汗は。

 彼は兄の業前に自分が追いつくことが果たして出来るや、と自問する。自問し、別の道で我が身研鑽を誓う。生き方が違うのだ。


「いかがにござる」


 兄に一言。

 返ってきた答えは「えげつない」だった。宗矩の仕儀を評価しての言葉であった。


「そうではござらぬ。斯波二郎右衛門でござる」

「おお、そっちか。魔性こそ強いが、力に呑まれし者だな。余人ならともかく、武の前には是非もなし」


 と、あちらもこちらもあっさりと仕留めている。


「だがまあ、次は……な」

「次。――」


 宗矩は思い出す。

 鬼討滅は、人を討ってからが本番であると。


 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。


 「ぬぐッ……」


 さしもの宗矩も、嘔吐くように呻き、身構える。それほど濃密な地獄が周囲に立ち上ってきたのだ。宗章は喘月を拝みに構え、鼻からその地獄を落とし込み、口からゆっくりと吐き出している。宗矩は兄のそのさまに倣い、心胆の平静を図った。


 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。

 のうまくさんまんだあ、ばさらだんかん……。


「来るぞ」


 宗章が弟に告げる。

 仇ふたりの肉体がみしりと鳴り、びくんと跳ねる。

 跳ね、立ち、気管そのものから咆哮を上げて爆発的にその肉体を変生させていく。


「これが、鬼……。――」


 知れず、柳生宗矩は腰の大垣正宗に手を掛けていた。


「新陰流の術があれば、制し得る。水月ぞ、宗矩」

「……承知」


 若き頃、その術を叩き込まれたときと同じような、そよ風のような表情と声音だった。宗矩はそんな兄に、苦笑交じりでそう返す。


「なんのことはない。兄宗章に比ぶれば、なんとか弱き生き物よ」


 宗矩が、正宗を無音で抜刀する。

 拝みに構え、呼吸凪ぎ、水月の心胆。

 そして、ふたり揃っての仏の微笑みアルカイックスマイル

 反魂香の残りは、まだ存分。

 空には望月ふたつ、新月ふたつ。

 地には仇ふたり、正宗ふたつ。


 鬼が、吠えた。




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