第39話『伏見の首級』
沢庵宗彭が鬼女『月琴』の襲撃により命を狙われ、これを宗矩が撃退してしばしの時分である。
柳生宗矩は晩秋の風が肌寒く感じる
将軍秀忠は、武断の雄である。武門の棟梁然とした総身溌剌な気を漲らせていた。喘月の呪いに苛まされ、夜な夜な抗いがたい欲求との戦いを沢庵宗彭の読経で凌ぎ、もうすぐ
無論、そのように見えるのには、理由がある。
一種変装のような技術であり、自然なメイクともいえるごまかしによって、見た目を整えているに過ぎない。側近たちは彼の本質的な疲弊に気がついてはいるが、口には出さない。
豊家がいまだ大阪で健在な現在、関ヶ原を制し数年の幕府地盤を揺るがせるわけには行かないのだ。
「
「お目にかかるのは、ひと月振りにございますな」
面を上げながら笑みを湛える宗矩に秀忠は相好を崩すと、やっと息を抜けるとばかりに脇息にもたれかかると、大きく、大きく、しかし静かな息を吐く。
ため息に近いが、深呼吸である。
太刀持ちの側小姓が、見て見ぬ振りをするため、ス……と視線を膝下に落とす。この側小姓も宗矩配下のひとりであり、半分侍、半分忍者の若者である。
「その後、お主の縁者はどうしておる」
縁者とは、宗章のことである。が、公式に死んだことになっている故、兄ではなく縁者と曲げて秀忠は訪ねる。これに宗矩も畏まり、「呪いの半ばを討ち果たしてございます」と頷く。
「上様、今宵は望月にござる。――」
「そうか、もうそんな頃か。――」
喘月の呪いに囚われた秀忠に、宗矩はことの子細を都度報告している。自分の胸のみに留め、秀忠に報告していない情報はただ一件、喘月の真打ち『大垣正宗』のことである。
腰物蔵から持ち出したのは申告しているものの、「主君の財産、替えの効かぬ宝物で仇をひとりをなますに斬らせていただく」ところまでは伝えてはいない。唯一、そのことだけ、秀忠は知らない。
「今宵、仇が浮かぶか。贄は誰ぞか。……ううっ」
「上様。――」
「大事ない。あの刃文を、沸を思い浮かべ、揺らいでしもうた。ふふ、新陰流水月の心胆には程遠し。か。のう但馬守」
「喘月の呪いに抗うは水月の心胆ではござらぬ。天衣無縫、酸いと甘いを選り好む俗な剣者の心胆なれば」
もっとも、と宗矩は続ける。
「討手、拙の
「食うとな」
「如何様」
宗矩は薄く開けた襖の隙間から感じる秋風を吸い込み、ゆっくりと静かに吐き出す。
「喘月の妖気は、呪いは、強き酒や毒のようなものにござる。肺に入ればたちまち死に申すが、胃の腑に入れれば、まわるうちに解毒も出来まする」
「なんと、まァ」
将軍秀忠は嘆息した。そのように簡単なものでないのは充分に理解できるものの、その呪いに晒された者として、彼はそれをやってのける但馬守の兄の存在を恐ろしいモノのように感じる。
「いささか酒精の強き毒でありますが、なあに、食って寝て飲んでは得意とする御仁にて。――」
「ほほ。宗矩、お主がそう笑うのを見たのは初めてやもしれぬな。なるほど、なるほど」
つられて、秀忠の顔色も明るくなる。
「喘月解呪でございますが」
ここで宗矩は話題を本筋に戻す。
彼がここに訪れたのは、鎌倉行きの暇を頂戴するためである。
「鎌倉とな」と、秀忠。
「正宗、終の工房を調べさせておりましたが、いくつか己が目で確かめとぉ事案がございます。艱難焦眉の折にお側を離れる無礼、恐懼の至りにて。されども、なお果たさねばならぬ事案がござりまする。――」
「申せ」
「伏見の殿の無念を晴らすため、その御
伏見の殿、と聞き、秀忠は自分の父である初代将軍である家康を思い描き、「大御所さま。――」といいかけ、それでは理に合わぬ。宗矩のいう「伏見の殿」というニュアンスから、はたと気がつき、脇息にもたれていた居住まいを正し、万感の思いを込め「伏見
「伏見守将、鳥居
「
宗矩は顔を伏せる。
主君秀忠の顔色が驚きから悲しみ、そして怒りへと変貌するを見るが憚られた故だ。
鳥居元忠とは、どのような武将であったか。
徳川家康が幼名『竹千代』であったころからの重鎮であり、徳川家臣最古参のひとりである。家康からの信用信頼は絶大で、関ヶ原の合戦の前に、大要塞である伏見城に籠城し、東軍家康側の敵である西軍三万有余騎を抑えた大英雄である。
「伏見で元忠公が持ちこたえたからこそ、十日あまり
「……。――」
「しかし、落城後に晒された首級は、宇喜多に請うてお迎えいたしたはず。『取り戻す』とは、その方の申すところはいかなる訳合いじゃ」
そこで宗矩は、「お戻りいただいた、首級。伏見守将のものではござらぬ」と、きっぱりと告げる。
それは、許されないことだった。
偽物の首を本物と偽り返してきた敵。
偽物を偽物と見抜けなかった徳川方。
「あってはならぬことじゃぞ」
「――周防が謀りし『喘月』による外連でござる」
周防。毛利輝元である。いわんと知れた、西軍の大首魁である。
周防と呻き、「申せ」と、憤りを抑えて秀忠は告げる。それだけのことを判断し言ってのける実力と信頼を、柳生宗矩という男は築いてきているのである。
「伏見城、その城攻めの主戦力であった宇喜多、小西らの手勢の中に、毛利家家臣である四条
「……。――」
この時点で、秀忠の心胆に冷たい物が流れる。
「上様。伏見の城が落ちたとき、天守で伏見守将元忠公の
これは事実であろう。
落とす首は、大英雄の首。斬る方にもそれなりの箔は必須であった。
白羽の矢が立ったか、はたまたそのために推参していたか、西軍総大将の重鎮であり、剣の腕に折り紙付きの近習、四条貞右衛門が介錯の任を得るは当然であったろう。
「その後、すり替えられたかと」
「その四条なにがしのものとか」と、これは秀忠である。
「御慧眼」
通常、斬り落とされた首は、白き布を束ねたもので支えられ、四方に乗せられる。恭しく押し頂かれながら首は兵たちの間を見せつけられるよう抜け、討ち取った軍の大将の元へと運ばれる。
そこで「確かにこの首は鳥居彦右衛門元忠のものである」と確認される。この手順を、
証人は、石田陣営の大将らであったという。
「四条貞右衛門、おそらくは忍びでしょう。このときのため顔も形も公と似たように整え、このときのため生き、このとき死ぬことで役目を終えたかと」
壮大な謀りである。
「並み居る諸侯を騙し仰せるとは」
「知っておった者は、そうおりますまい。相手は『喘月』にございます。――」
「で、だ。宗矩。――」
きつく、名で呼ぶ秀忠。
この先の問いと答えは、お互い命がけであることを示唆している。
「公の御首級は、いずこにあらせられるや」
「竹園山は最勝寺、教学院の下に」
雷に打たれたように秀忠は立ち上がる。「不動尊の呪いの要にされているだと。あの作左老が。大英雄が名誉を汚され、徳川を滅ぼすための道具と仕立て上げられただと。そう申すか宗矩ッ――」これには太刀持ち小姓も膝を浮かしかけるが、宗矩は静かな視線でふたりを落ち着かせると、いまいちど平伏し願い奉る。
爆発するかのような心拍を抑えながら、秀忠は腕を組み、組んだ後に拳を握りしめ腕を広げ、切歯扼腕――それでも深呼吸を繰り返し、ようやく座り直す。
「……公が腹を召したとき血にまみれた畳が、いまもこの城の伏見櫓、その上階におかれておる。その忠義を示すため、大名たちの頭上に掲げられておる」
「……。――」宗矩は短く首肯する。
「首は汚されたままか」
「確かにございます」
そこで宗矩は、あらためて面を上げる。
そして、しばしの暇を頂く許可を求める。
「宗矩。――」
「はッ」
「主命である」
その言葉が出た瞬間、宗矩は膝をひとつ下げ深く頭を下げ平伏し直す。主君からの下知である。
大納言秀忠の脳裏に、かつての元忠の皺顔が思い浮かぶ。
心胆に去来するはついぞ気づけなかった我が身への憤りと、無念、そして後悔である。
「きたる新月の夜、鎌倉にて奸賊を討て」
「主命とあらば。――」
このとき、柳生宗矩は一己の剣者に戻った。
敵は四条貞右衛門。
武士であり、忍びでもある剣達者。
相手にとって不足はなかった
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