⑭

 その後の俺たちの行動は早かった。急いで、昇主人との集合地まで戻る。ちなみにだが、絆が今度は疲労困憊になっていたのはいうまでもない。行きと違い、俺たちに気遣う余裕がなかった為だ。熊に実際遭ったわけではないが、あんな注意喚起を見せられては、一刻も早く離れたいと思うのはしょうがない。


 俺たちが、昇さんの車のところまで戻ってくると、ちょうどよく昇さんも戻って来ていた。


「おかえりなさい。無事で良かった」


 無事で良かった。なんと不安を掻き立てる言葉なのか、多分ではあるが昇さんは前回の怜夜の遭難があったからそっちを心配してくれたのかもしれないが、さっきの立て札を見たからなのか、そっちではなく熊に襲われなくて良かったの意味で捉えてしまう。熊は臆病だとかいろいろ聞くが、実際に遭ったらどんな目にあうか、想像するだけでも恐ろしい。


「まさか、熊が…!」

「熊?」


 日葵も俺と同じ想像をしたのだろう、思わず口から出てしまう。


「ああ。奥の熊注意の立て札を見たのですね。大丈夫ですよ、最近は目撃情報を聞きませんから。とはいっても、あっちにはあっちの都合もあるでしょうから絶対にとは、言えませんがね」

「ってことは、もしかしたら遭遇していた可能性もあったわけですか…」

「ここは熊の他にも、鹿や猪とかも出ますから」


 そんな平然と言われてしまっては、いやむしろ平然と言われたからこそ今では、さっきの焦燥感のようなものは無くなった。怜夜は、よく遭難して無事だったな。よく森の隣人たちの栄養になることなく無事に帰ってきたものだ。本当に気を付けるように怜夜に言っておかねば。


「ですが、ちょうど良かったです」


 昇さんは手を叩き、車に向かう。なにがちょうどいいのだろうか。もしかしたら、昇さんの方で何か俺たちにとって重要になる何かを発見したのかもしれない。

 そんな気持ちで待っていると、昇主人は何やら風呂敷に包まった何かを持ってきた。おや、この感じは覚えがあるぞ。あれだ、運動会の時の、


「実は、妻とお昼にと弁当を作りましてね。ちょうど、お昼にいい時間ですから、呼びに行こうと思いましたら、皆さんが戻って来てくれたので良かったです」


 そう言いながら、一緒に持ってきたブルーシートを広げる。本当に運動会みたいになってきたな。だが、こういうのは嫌いでないむしろ良い。怜夜と日葵などはすでに敷いたブルーシートの上に座っている。絆も黙ってブルーシートの上に座る、よほど疲れたのだろう。かくいう俺も昼食をいただくべくシートに座る。


 風呂敷の包みを解くと、中からは重箱が姿を現した。三段構成になっているそれを、昇さんが一段ずつ解体していく。 


 まず一番上の三段目、そこには色とりどりの野菜たちがそれぞれの区画を侵略しないように鎮座していた。煮物などもある。


 そして中段の二段目は、唐揚げや卵焼きなどの、運動会においての人気者たちがお出ましだった。


 最後の一段、おにぎり。そう、握り飯だ。ただのおにぎりではない、海苔のまかれた三角結び、混ぜご飯のおにぎり、色んな大御所が俺たちの前にいた。


 いただきます、の合図とともに、俺たちは運動会の昼食….いや違った、運動会ではない。ハイキングでもないのだが、昇さんたちが用意してくれた昼食は、それはもう美味であった。流石に。五人も集まれば、重箱であったとしても箱の中身は綺麗になっていた。


 食後の小休止をしていると、昇主人がお茶を用意してくれていた。なんだか、ここまでしてもらっていいのだろうか、勝手に付いてきて、確かに俺たちは宿を利用している客ではあるが、なんだか萎縮してしまう。そんな気持ちを抱いている俺とは対照的に、怜夜と日葵はありがとうございますとお茶を貰った。それを見て、この好意をしっかりと受け取るべきだなと思い、お礼共にお茶を受け取った。


 お茶を飲みながら、まったりとしていると、


「そういえば、昇さん」

「…はい。どうかしました」


 怜夜から声を掛けられ、飲んでいたお茶を飲み、紙コップを口元から外す。


「お尋ねしたいことがありまして、上山夫妻の事で」

「上山さん達のことですか?」

「はい。この間こちらにお二人が、いらっしゃったと思います。その時の事でいくつ訊きたいことがあるのです」

「…ちなみに、お二人の事情をどこまでご存じなのでしょうか?」


 昇主人は、どこか俺たちに対しての疑いの視線を向けつつ、尋ねる。


「怜夜。神谷さんには説明していないの?」


 絆の問いに、怜夜は首を縦に振る。なるほど、昇主人のこの視線は納得だ。怜夜がこの地に何をしに来たのかを説明していないのなら。


 怜夜はここに来ることになった経緯を昇主人に説明した。ただ、幽霊を目撃した部分はなぜだかぼかした。そこが、重要なのではと思ったが、ここで口をはさんでもしょうがない。


「そうですか、供養に…こう言ってはなんですか、毎年志保ちゃんが生きていると信じて探しに来るお二人を見ていたので、これで少しでもお二人がまた歩き出すことができればと思います。」

「僕もそう思います。夫妻の為にも何か力になれないかと考えて、ここに来たのです」

「それは、見つかった長靴以外の遺品を探しにという事でしょうか?」

「…はい」


 とんだ嘘つきが居た者だ。ここに来た目的は神隠しと志保ちゃんの幽霊の事を調べに来たくせに、なんといけしゃあしゃあと平気な顔して嘘を吐く。だが、正木巡査が言っていた通り、素直に全部話して、現地の人に睨まれてもしょうがない。ここも、口を挟むのはよそう。


「そういうことなら、私で力になれることがあれば…」


 心が、俺の良心という名の、善の心が汚れていく。なんでだ、俺が何かやったわけでもないのに、くっそー!


「ありがとうございます。まず、上山夫妻がこの山に入る時は、誰か一緒に付いていったりはしたのでしょうか?」

「最初の数年は、私や役場の人間など山に詳しい者が同行していたりしていたが、最近は気を遣って、お二人の方から大丈夫とのことで、誰かが付いていくことは無くなっていました。一応気にはしていたりしたのですが、お二人も流石に山での捜索にも慣れていました。私共からの山での注意事項などは、しっかりと守っていましたから」

「そうですか。ちなみに、最近こちらに二人が来た時に何か変わったことはありましたか?」

「変わったことですか…そういえば、山から下りてきた時に妙な事を訊かれましたね。山には入った子供はいなかったかと」


 夫妻は、昇主人にも訊いていたのか。


「その日は、山に入った子供はいなかったはずなので、その通りに答えましたが」

「それは、判るものなのですか?」


 絆の疑問は俺も抱いていたものだ。いくら山の入山管理をしているからといって、子供の出入りまでもが判るものなのだろうか。

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