⑪

 目が覚めるとそこは知らない天井だった。なんて、小説でありそうな感想をまだ本格的に覚醒していない頭に浮かぶ。隣を見れば、日葵の見慣れた寝顔があり、どこか安堵を覚える。


 そう、ここは上条村の宿、かみやの201号室だ。仕事柄朝は早く起きているので、体が例え休日であろうとも、容赦なく起こしてくる。部屋に置いてある、置時計は朝の5時半示すか示さないかのところであった。さて、もうひと眠りしようか、それとも、起きようかと、やや二度寝の方に傾きかけていた天秤は、ドア越しに聞こえた音によって、決まった。


 その音はドアの開閉音だった。そして、それはドア越しの向かい側、つまりは203号室の部屋ということだ。そこは、怜夜の借りている部屋だ。そして、かすかに階段を下りていく気配がした。


 あいつの住んでいる場所を考えれば、早く起きるのにも納得だが、一体どこを行っ

たのだろう?気になってしまえば、二度寝に傾きかけていた、俺の天秤は起きる方に決まった。日葵を起こさないように、慎重に布団から出ると、着替えを済ませると、俺は部屋を出る。


 1階に下りて、まずは右手の食堂をのぞくが、そこには誰もいなかった。靴入れを確認すると、あいつの靴が無かった。こんな朝早くになんの用事が?俺も自分の靴を履くと、玄関の扉を開く。外は少し霧が出ており、どこか幻想的な世界になっており、まだ夢の中にいる錯覚を思わせるが、ここは現実であることは確認済みである。そして、目的の人物は外に出て、すぐ目の前に立っていた。


「怜夜」


 俺の呼びかけに、振り返る。


「おはよう。九朗」

「ああ、おはよう」


 挨拶をしながら、俺は怜夜の隣に並ぶ。視線の先は、霧に覆われていて何も見えない。


「なにも見えないのに、何してるんだ?」

「なんだろうな。ただ、目が覚めて、外の空気が吸いたくなった…かな」

「なんだ、そりゃ」


 なんというか、怜夜らしくもない感じだ。目の前のこの現実離れした景色がそう感じさせるのだろうか。


「しかし、こんな光景向こうではまず見られないな」

「そうか?結構見れると思うが…」

「それは、お前の住んでいる場所が場所だからだろうが」


 俺の発言に本当に不思議そうに聞いてくる。あんな下界と隔絶された場所なら、こんな光景だって見慣れているのかもしれないが、普通はないものなのだ、一緒にされては困る。

 俺の勘違いなのかもしれないが、やはり、なんだが昨日までのこいつとはどこか違う気がする。


「怜夜、何かあったのか?」


 俺は我慢することができずに訊く。


「何かって?」

「いや、なんとなくお前の雰囲気が違うから…」


 聞き返されると、これだという答えを持っていない俺は言い淀んでしまう。怜夜は軽く息を吐く


「そんなに分かりやすくしてるつもりはないが、お前といい、日葵といい、絆はなんで、そんに人の機微に敏感なのかね」

「……何かあったんだな」


 未だに、視線は目の前のすべてを包み隠している霧に向いている。


「何かあったというわけじゃあないよ。ただ…」

「ただ?」

「……いや、今ではないかな」

「はぁ⁉」


 なんでそこで勿体付ける必要がある。気になってしょうがないだろうが!


「あら、お二人ともお早いのですね」


 俺がさらに問い詰めようと思った矢先、後ろの方から声を掛けられる。その声の主は、この宿の女将でもある神谷花さんだった。


「おはようございます」


 怜夜と俺は花さんに、挨拶をすると、花さんも挨拶を返してくれる。


「おはようございます。まだ、朝食の用意ができていないので…」

「いえいえ、俺たちが早く起きてしまっただけなので、むしろ気を使わせてしまって申し訳ありません」


 勝手に俺たちが早く起きてしまったのだ。しかし、やはり、待たせては申し訳ないと思ったのか、花女将がある提案をしてくれる。


「でしたら、お風呂はいかがですか?うちでは、朝風呂も入れるようにしておりますので、今からでも大丈夫ですよ」

「せっかくだから、朝風呂にするか、九朗。朝に入る風はいいぞ」


 そう言うなり、怜夜は花さんに、ではお風呂いただきますね、などと言って宿に入っていく。結局あいつの口から先の言葉を聞くことはなかった、ちなみに、だが朝に入る風呂は格別であった。


 風呂かあら上がり、1階のロビーに行くと、カウンターのところに花さんがおり、朝食は7時頃になりそうという話を聞いたので、俺たちは一度部屋に帰ることにした。


 部屋の前で、怜夜と別れ、俺たちはそれぞれ自分たちの部屋に入る。部屋に入るが、さっきまで寝ていたはずの日葵の布団の中身は、もぬけの殻だった。どこに行ったのかと考えていると、テーブルの上にメモ用紙があるのが見えた。俺は、そのメモ用紙を取り、書かれている文字を見てみると、


 絆と一緒にお風呂行ってくる


 用紙にはそう書かれていた。どうやら、俺たちとは入れ違いになってしまったらしい。だとするならば、おとなしく部屋で待っているとしよう、朝食までには少し時間があることだしな。


「……」


 やることがない。時間を持て余している。怜夜の部屋にでも行こうか、などと考えていると、部屋のドアが開く。


 風呂上りと分かる日葵が帰ってきた。


「おかえり」

「あれ、戻ってきてたんだ。」

「ああ」

「おっ!最高だよね、朝風呂!」


 めちゃくちゃいい笑顔だな、まあ、実際そうなので否定はしない。


「というか、どうして風呂に入れる事を知っていたんだ?」

 俺たちは花さんから聞いていたが、二人はいつ知ったのだろうか?

「だって、さっきタオルとか持って出ていく九朗を見たからね、そりゃ分かりますよ」

「なるほど。てか、起きていたなら声かければ良くないか?」

「だって、寝起きだったから、そんな元気なかったよ。ぼぉーとしてたからね」


 まあ、それなら仕方ないか。だが、


「よく、絆を誘えたな。あいつ確か夜型に近い生活じゃなかったか?」

「起こした」

「時々容赦ないよな」


 めちゃくちゃ不機嫌な絆を想像するのは簡単だった。風呂に入ったことでそれが少しでも洗い流されているのを祈るばかりだ。

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