第2話 月下の闘い

 大斧が唸りを上げてレオンハルトに襲い掛かる。


 上半身を覆いつくすような刃を持つ鋼鉄製の大斧。そんな大業物をこの女は易々と振り回している。まるで木でできた玩具細工のように。


「待て! 君はなぜ俺を!?」


「決まっているだろう!

 十年前のツェッペンドルン……忘れたとは言わせない!!」


 ツェッペンドルンの村――十年前、遺跡発掘の事故により消滅した村。

 近隣で起きていた国境紛争の兵すらも巻き込み、万単位の人間が一瞬で蒸発した惨劇。


 レオンハルトはその発掘作業に従事していた。


 遺跡から出土したその大砲は、閃光を発して全てを焼き尽くし、発掘現場を、村を、そして戦線すらも消滅させたのだ。


 レオンハルトは自らの先達である教授を魔法で守るのが精いっぱいだった。


 友も仲間も全てが消え去り、恐怖で居ても立ってもいられなかった。


 自らの怪我をおして村へ飛び、救える人間がいないか、そればかりを探し回った。


 そんな中で唯一見つけたのが、彼女だったはずだ。


 その彼女が己を仇と呼び、刃を向ける。


 哀しみが、そしてそれ以上に、言い知れない程の罪悪感が心を押しつぶす。


(駄目だ……戦っては!)


 レオンハルトは自制する。


(彼女の怒りと憎しみに、拳で答えてはならない!)


 確かに振りは鋭い。しかし、斧の刃を見切り、躱す事は造作もない。


 躱す、躱す、躱す……。


 だが女の斧の勢いは、一向に衰えることを知らない。


 気づけばヒュウガの姿は消えていた。


 このままにしておく訳にはいかない。


 レオンハルトは女に向けて叫ぶ。


「もうよせ! このまま続ければ君は不利になる一方だぞ!」


「今さら命乞いか!!」


 大斧が大上段から振り下ろされた。その一撃を大きく飛び退いて躱す。

 砂に埋もれた石畳が、鋼鉄の刃で両断された。


「このまま続ければ、やがて兵がやってくる。

 そうなったら君は捕まってしまうだろうに!」


「くっ……!」


 斧の動きが止まった。


 レオンハルトは彼女へ諭すように言った。


「俺を許せとは言わん。憎しみを忘れろとも言わん。

 だが、今は! 今しばらくは俺を生かしておいてくれ。

 時が来たら君に討たれても良い。約束する。」


「それはいつさ?」


 斧の刃はやや下に下げられてはいるが、それでも、敵意を込めた視線がレオンハルトを射抜いている。


 レオンハルトは状況を頭の中でまとめ、可能な限り誠意ある数字を口にした。


「まだ解らん。だが、これから三年の間には決着をつける。」


「空手形だね……そんなもの、当てになるもんか!」


 怒声と共に、女は再び構えを取る。

 だが、一気に打ち込んでは来ない。今までのやり方では一方的に躱されるだけだと解ったのだろう。


 睨み合う二人。


 そこに、タタン! と銃声が響いた。


 二人の足元の砂が弾ける。


 銃声の方角には、黒づくめの装いをした男が建物の影からこちらを窺っている。


「何者だい、あんた!!」


 女はレオンハルトより早く男に向けて声を浴びせた。


 男はどことなく芝居がかった雰囲気で緩やかにこちらへ姿を見せた。

 黒づくめのスーツに、黒いマント。

 白いブラウスの真ん中、淡いピンクのアスコートタイがやけに目に付く。


 そして大ぶりの黒いつば広帽をスッと持ち上げてみせたその顔は……女だ。


 その男装の女は、再び妙に大袈裟な素振りで帽子の下の長い黒髪をかき上げると、物憂げに口を開いた。


「さあ、そろそろ官憲もやってきます。

 今日の所はこの辺で良いでしょう?

 ミナト・ライドウ殿?」


「なんだと!? なぜあたしの名を!!」


「『アルコスの殿』が一人、『牡牛のミーナ』。

 ちょっとした事情通なら、その二つ名を何度も聞いていますよ。」


 軽く握った拳を口の前につけ、くすくすと笑う男装の女。


 ミナトと呼ばれたその女は、そんな笑みを漏らす女に、忌々しげな視線を投げかけている。


「さ、お開きです。官憲がやってきました。

 後、老婆心ながら。ミナト殿、仇討ちをするならまず名乗ってからです。

 さもなくば、相手は何故襲われたか解らず、酷ければ返り討ちに遭いますよ?

 ここにいるレオンハルト殿は自制されたようですが、ね?」


 レオンハルトと男装の女の目が合った。


 レオンハルトには、女の目の奥に何か憎しみに近いものが感じられたが、彼女はすぐにきびすを返し、帽子を取って高く掲げた。


「では、ごきげんよう。」


 次の瞬間、複雑な幾何学模様を輝かせる蒼い球体が女の身体を包みこんだ、


 魔法発現時の『魔導球サーキットスフィア』。

 魔力の流れを制御するための回路が、光の流れとなって蒼い球体を形作る。


 だが、魔導士である彼にも、彼女自身からの魔力を感じることができなかった。

 恐らく『回路サーキット』を利用した、簡易の魔法発現だろう。


 女が二、三歩歩くうちに魔導球は収束し、魔法が発動する。


 直後、その姿は蒼い球体と共にかき消すように消え失せていた。


 その様子を見たミナトは、レオンハルトに向かい吐き捨てるように言った。


「今日は退く……。だが、次はない!」


 ミナトが路地裏に消えた直後、特徴のある制服を着た警備兵たちがやってきた。

 一緒にロングのブロンドをたなびかせた美女がその後についてきている。


「フォーゲル先生でありますか?」


 警備兵の一人が、レオンハルトに話しかけた。


「カウフマン教授を襲撃した犯人は捕らえられませんでしたか……。」


「ええ……。」


 レオンハルトは、あえてヒュウガの事は話さなかった。

 まだ語るべきではない。そう直感したからだ。


「エレナ、教授は?」


 レオンハルトは、ブロンドの女性に声をかけた。


 エレナ・リーマン。

 レオンハルトの同僚であり、若くして学術師になった人間の一人。

 冷静で物静かな、知性あふれる美人だ。


 彼女は静かに口を開いた。


「教授は無事。でも……ショックは大きいみたい。」


「そうか……。」


 警備兵がどやどやと周囲を駆けまわる中、二人は細い路地に引っ込み、善後策を講じることにした。

 何もかもが謎のままではあったが。

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