第2話念願の異世界生活を手に入れたぞ

 その日、とある大陸の片隅にあった辺境の街に激震が走った。


 街の中に一匹のモンスターが入り込んだためである。


 街の中に侵入したその一匹は、ウッドウルフという名の狼の姿をしたモンスターで、その大陸の森ならば何処ででも見掛けるありふれたモンスターであった。


 しかし、そのごくありふれたモンスターの一匹に、その街の住民達は震え上がった。


 ウッドウルフが特別強かったからではない。

 街にある建物や住まう人々に何か被害が出たからでもない。

 街に侵入したウッドウルフは、特に被害を出す事もなく、街の有志によって速やかに討伐された。


 しかし、街はハチの巣をつついたような大騒ぎであった。


 何故なら、モンスターが街の中に侵入するという出来事は、街が街と呼ばれる前、まだ小さな集落であった数百年前から顧みても初めての事であったからだ。


 辺境ランドールと呼ばれるその街は、ウッドウルフが現れるその時まで、一度もモンスターの侵入を許した事はなかった。

 どころか、地震や火事、疫病などの自然災害を始め、暴動や戦争などの人災すら、その街では一度たりとて起こった事などない。

 そんな平和で穏やかな街だったからこそ、ありふれたモンスターの一匹が侵入したその出来事は前代未聞で、ランドールの街を大混乱へと陥らせた。



 戦々恐々とするランドールに、ひとりの少女がやって来たのはそんな時であった。








「こんにちは! ランドールギルドへようこそ!」


 時刻は昼前。

 ウッドウルフが街に侵入した騒動から三日が経っていた。

 通い慣れたはずの冒険者ギルド内。その中にあって、聞き慣れないその声を聞いた冒険者達の視線がカウンターへと集まる。

 声の主は、見知らぬ少女。その姿に厳つい冒険者達の無遠慮な視線が突き刺さった。


「見ない顔だな?」


 カウンターへとやって来た冒険者の一人が少女にそう声をかける。

 そうすると、少女はニコニコと微笑み、「今日からしばらくここで働く事になりました。シンジュと言います。どうぞよろしくお願いします」


 元気良く返って来る言葉に、冒険者の男性からも自然と笑みが溢れる。


「そっか。俺はヒソカだ。よろしくなお嬢ちゃん」


「わっ! カードとか武器にしそうな名前ですね!」


 返って来た言葉に冒険者ヒソカがやや怪訝な顔をする。

 カードを武器にしそうな名前ってどんなだよ? ヒソカはそう心の中で思ったが、思っただけで口にはしなかった。

 たぶん、誉めている? んだよなぁ?

 ニコニコと微笑む少女からは、悪意は感じられず、ヒソカはそう結論付けて、今の話を終わらせる事にした。



「ふっ……。ふっふっ」


 少女――シンジュが受付の中ど小さく笑う。

 彼女は、いま自分の身に起きている出来事に感動し、その溢れんばかりの喜びが声となって自然と洩れ出していた。


 ――来た。来たわ。来てしまったわ!

 ――私、工藤真珠。14歳にして、遂に! 念願の! 異世界!


 嬉しくてしょうがなかった。

 漫画で、小説で、アニメで、目にする度に憧れ、夢見た異世界へと自分がやって来れた事が。



 突然だった。

 気付いた時には、彼女は女神によって意識だけを女神の住まう地へと飛ばされていた。

 だだっ広い雲の上にある様な空間。

 そうして目にした女神は今まで真珠が見たどんな女性よりも美しく、神々しかった。

 人と神という違いこそあれ、その同性のあまりの美しさに見惚れてしまったのは初めての経験であった。


 見惚れる彼女に凛とした天上の言葉が紡がれる。どこまで澄み渡り、聞いていると安心する。そんな声。


 女神はまず初めに、自分が何故、異世界へと真珠を呼んだのかを説明した。

 女神の事を、――何故か涎を垂らしながら――見ていた真珠の耳に澄んだ声が届く。


 ――つまり、私は一度死んだところを、女神様の力で助けられたって事?


 女神の言葉で、真珠は自分が事故で死んだという事を知った。


 工藤真珠は一度死んだ。

 その時の事を彼女は朧気ながらも覚えている。

 自分の背後で大きな音がし、振り向くと目の前にトラックが迫っていた。つまり、轢かれて死んだのだ。

 突然の死。痛くはなかったと思う。――即死ってやつ、かな?


 15の少女の早すぎる死と、真珠のこれまでの境遇。

 そんな彼女を不憫に思い、女神は彼女に奇跡を起こす。


 とは言え、真珠本人にはぼかした説明でしかされなかった部分が問題であった。

 それは彼女の死に方。

 ただ死んだだけならば、誤魔化しようもあったのだが、彼女は車とトラックに挟まれる様に潰された。繁華街という場所もあって、それを偶々事故現場に居合わせた多くの人々の目につく事になり、同じ数の人々に残酷なトラウマを植え付けた。

 人々のトラウマはともかくとして。

 その姿、それは説明するのも憚れる無惨な物であった。そんな状態の者を生き返らせたとして、とても運が良かったから生きていた。で、誤魔化せる訳が無かったのだ。


 そこで女神は蘇らせた彼女を自分の世界へと転移される道を選択した。例えぺちゃんこの生き物が蘇っても、この世界でそれを知る者は女神である自分だけ。

 それだけではなく、女神は、自分の力が最も発揮出来る場に、彼女を連れて来る方が都合が良いと判断したのだ。


 女神はここまでを真珠に説明した。

 だが、何の都合が良いのかと深くは説明しなかった。幸い、真珠から尋ねられる事もなかったので、女神は内心ホッとした。


 女神はただ真珠を生き返らせるだけが目的では無かった。

 あの時、女神の耳に届いたのは、強く、恐ろしいまでの執念と、憎悪を含んだ願いであった。

 女神はその願いを聞き届ける為に、本来ならば自分が干渉すべきでない他世界への干渉を強行した。


 願ったのは真珠本人――ではなく。

 事故の瞬間にもすぐ隣にいて、一緒に事故に巻き込まれた彼女の父親。

 女神は父親の願いを叶える為に奇跡を起こした。

 何故なら女神は、父親のその願いがその世界の神に届く物ではないと理解していたからだ。


 それは狂気であった。

 それは神を憎む感情であった。

 それは神への復讐の誓いであった。

 ドス黒く膨らんだ感情の中にあって、小さく、けれど狂気に飲まれる事なく煌々と輝く愛情であった。


 しかし、それがその世界の神に届く事はない。

 だが、自分には確かに届いた。世界の違う神と人が、確かに繋がった。

 何故、自分にその声が届いたのかは女神にも分からなかったが、その世界の神が動かぬならば、自分が動こうと女神は考え、今に至る。


 感情こそ不安定で歪な物であったが、父親の願いは至極シンプル。子を持つ親なら常日頃願うモノ。

 子の幸せ。


 叶えてあげたかった。神が個人を贔屓する事に抵抗はあったが、それでも女神は、この不幸な父親の願いを叶えてあげたかった。

 出来る事ならば親子共に助けてやりたかったが、異世界という自分の力が届き難い場所ゆえか、父親を救う事、干渉する事は出来なかった。


 結果、真珠は一人で異世界へと放り出される事となる。


 女神は悩んだ。

 これ以上、自分が力を貸すべきか否かを。

 自分が手を貸すのは、娘を生き返らせる事と異世界への転移で終わりにしたかった。


 だが、悩んだ末、結局女神は少女に加護を与える事にした。

 何故なら、父親の願いは娘の幸せであったからだ。

 親という強力な守り手を失った少女。そんな少女が、勝手知らぬ異世界において一人で生きていくのは並の苦労では無いだろう。それで少女が幸せになれるのか……。


 ――いや、無理だ。


 女神はそう判断し、少女に加護を、幸せに生きる為の力を与えたのだ。


 こうして女神は、たった一人の少女を幸せにする、というただそれだけの為に行動を起こしたのである。


 父親の死を、少女に隠したまま。


 この世界で、少女が父親の状況を知るすべはない。

 女神は、仮に少女に尋ねられても他世界ゆえ分からない事として曖昧に通すつもりであった。

 知らせるべきかとも思ったが、女神はそれをしなかった。

 勿論、それは今すぐに知らせるべきではないという判断。必要な事である。いずれは言うつもりだが、今、ではない。

 もう少し、少女が強くなってから。


 少女が父親の身を案じ心配するかもしれない。

 そうは思うのだが、父親は既に死んでいて、少女が天涯孤独の身になったという状況よりは、心配しているだろうけど生きているという状況の方が、幾分かマシだろうと、女神はそう結論付けた。


 嘘をつく訳じゃない、ただ、静かに口をつぐむだけ――

 女神はそう自分に言い聞かせた。

 


 そんな女神の苦労や葛藤なぞ知らぬ存ぜぬ。

 真珠は、それそれは幸せな気持ちで異世界での三日目を過ごしていた。

 なにせ、日々妄想を膨らませ続けた空想の物語が現実となったのだ。これを喜ばずして何を喜ぶ。


「オープン」


 今日だけで何度目かになるか分からないステータスボードを開く。

 青い半透明のボードがテレビの電源でも入れたみたいに花咲いた。


 女神様曰く。

 声に出さずとも頭の中で思うだけで見れるらしいのだが、一度だけ試して以降はわざわざ声に出してボードを開いていた。


 開いている間は少々視界が悪くなるのだが、真珠はあまり気にしなかった。

 何度見ても、この視界に映る非日常が自分にワクワクを運んでくれるのだ。


 そんな訳で真珠は何度もボードを開いてはニヤニヤとほくそ笑んでいた。


「地図地図」


 呟きながら開いたボードを頭の中で操作する。

 トップ画面とでも言うべきステータス一覧から画面が切り替わり、ステータスの代わりに地図を映し出す。

 それはこの周辺のマップ。マップの中心には自分が点で表示されている。

 マップの上部。そこには現在いる街の名前が浮き出ており『ランドール』と表示されている。

 マップに映る建物を頭の中で選択すると、そこまでの距離。おおよその移動時間等々が表示される便利な物。

 スマホ依存を侵されがちな現代っ子に大変使い易い物であった。


 

 仕事をこなしつつ、真珠は空いた時間に自身のステータスに目を通す事も忘れない。というか、気になって仕方ないので忘れたくても忘れられないと言った方が正しい。


名前:工藤 真珠 (14)

種族:人間

レベル1

体力:100/100

魔力:0/0

魔法適性:――

《スキル》

神技:【完璧育成マスターテイム】

魔技:――

人技:【狂】レベル1


《加護》

【女神の加護】【亡霊の加護】


 もう何度も見た。

 何度も見て、何度も溜め息をついた。

 低い――と。

 ――レベルが1って――


 ――いや、それよりもその下だ。魔力の数値。

 ――まさかの0。


 ステータス一覧に表示される0を見つめながら、真珠が不満げに眉をひそめる。


 ――魔力適性も無し。

 ――もしかして、私、魔法使えない系?

 折角異世界に来たのに?


 あんまりだ、と肩を落として項垂れる。


 ――ううん。ポジティブにいこう。もしかしたら、レベルが上がれば可能性はあるかもしれない。

 ゲームでもレベル1だと魔法使えずただ殴るってのは良くあるし……。


 そこでふと、


 ――ところでレベルってどうやれば上がるんだろう?

 しまった。

 女神様にその辺も聞いておけば良かった――と、唇を尖らせた。


 とはいえ、さしあたって今のところはレベルが1であろうが魔法が使えなかろうが困る様な事態には遭遇していないので問題はないだろう。

 もっとも、問題が起きてからでは遅いのだが、今の真珠にとって問題は問題でないし、不安も不安ではなかった。

 彼女にとって今の状況は、買ったばかりで操作に慣れていないゲームをしている様な心境で、まだいまいちシステムを把握しきれてないなぁ、程度の認識であり、良くも悪くも、この世界はリアルなゲームでしかなかったのだ。


 そんな真珠であったから、彼女が自ら進んで危険に近付こうとするのも仕方のなかった事なのかもしれない。


 ――マップのこの赤い点って……。

 ――やっぱりモンスターだよね?


 表示されたマップとにらめっこをしながらそう逡巡する。


 青い点で表示される真珠を中心とした周辺一帯のマップの至るところに、緑の点が小刻みに動いているのが確認出来る。これは街の人々を表すマーカー。

 その緑の点ばかりが映るマップの中にあって場違いに目立つ赤い点。モンスターを表すマーカー。


 ――最初だし、一匹のが都合が良いよね?

 ――最初は練習だから。

 ――どんなモンスターかな?


 そんな事を考えつつ慣れない仕事に神経を擦り減らしていると、昼の休憩はすぐにやって来た。


 不安などおくびにも出さない。

 むしろたっぷりの期待と溢れんばかりの好奇心をもって、真珠は昼食も取らずに見定めた赤い点へと足を進めた。

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