第2話 バトン&靴紐泥棒

 ティータイムを終え、片付けを済ませたところで、家達の右斜め前に腰を下ろした和鳥栖は読書再開中の家達に語りかけた。


「ねえ家達さん。リレーバトンと靴紐を盗む人の気持ちって分かりますか?」


「藪から棒になんだい和鳥栖くん。僕は生まれてこの方、リレーバトンや靴紐を盗んだことは一度もなくてね。さらに言えば盗みたいと思ったこともない。そんなわけで、申し訳ないけど君の質問には分からないと答えるほかないよ。もし君がどうしてもそういった偏執者の思考を理解したいというのなら、その質問は僕じゃなくて実際にリレーバトンや靴紐を盗んだことのある泥棒に訊ねてみてくれたまえ。もしそんな人がいるならね」


「それはそうですけど……。だって、バトン&靴紐泥棒の正体が誰なのか分からないんですもん」


 ページをめくる家達の手が止まった。


「どういうことだい和鳥栖くん。君のその口振りだと、まるでバトン&靴紐泥棒が現実に存在しているみたいじゃないか」


 和鳥栖は内心でほくそ笑んだ。やっぱり食いついてきたぞ。


「存在するんですよ家達さん。三日前、この学校の陸上部でリレーバトンと靴紐の盗難事件が起きたんです。どちらも部室から、靴紐については部室に置きっぱなしにされていた各部員のランニングシューズから抜き取られていたんだそうです。陸上部のマネージャーをやってる女の子の友達から聞きました」


「ふうん。まさかそんな物好きが実在したとはね。なるほど、それで君は僕の頭脳を借りて窃盗犯の思考を理解しようとしたわけだ。それが犯人の特定、延いてはバトンや靴紐の奪還の役に立つことを期待して」


「そうですね。でも家達さん、バトンや靴紐の奪還については解決済みですよ」


「ふむ。どこかに隠されていたか、あるいは道端にうち捨てられでもしていたのかな」


 和鳥栖は首を横に振った。


「いいえ家達さん。バトンと靴紐は次の日の夕方には元の場所に戻っていたんです」


「ほう」


 家達の双眸にみるみる好奇心が湧き上がる。


「つまり泥棒は一晩だけ陸上部からバトンやら靴紐やらを拝借して、次の日には律儀に元の場所へ返還したと、そういうわけだね」


「そういうことです」


「単に部員の誰かが持ち出しの申告を怠っただけという可能性は……考えにくいだろうね。なくなったのがバトンだけならまだあり得ただろうけど、靴紐まで拝借する常識的な理由がない」


 リレーバトンだけであれば申請を面倒くさがった部員が無断で持ち帰った可能性も考えられるが、ランニングシューズから靴紐を抜き取ることなど普通にあることではない。


「ですね。それに陸上部の部長――キャプテンはとっても厳しい人で、誰だろうとキャプテンに無断で部の備品を持ち帰るようなことは考えにくいそうです。どれくらい厳しいかっていうと、強い選手やリレーメンバーの選手には自転車通学を禁止するくらいだそうです。なんでも、転倒したりして怪我でもしたら試合に出られなくなって部に迷惑をかけるからとかなんとか」


「それはまた今どき珍しいほどの鬼キャプテンだ。もしこっそり原付バイクなんかで通学している人がいたら怒られるどころじゃ済まないだろうね」


「でしょうね。でもそれくらい本気で部活に取り組んでる熱くて真面目な人なんだって友達は言ってました」


「おや、君の友達は彼に肩入れしてるようだね」


「だって付き合ってますから」


「おやおや、意外と部活一筋でもないらしい」


 茶化すように微笑する家達だったが、和鳥栖いわくマネージャーの彼女がキャプテンである彼氏の一生懸命さに惹かれてあれこれと献身的なサポートを続けたことによる恋愛関係への発展であるとのことだった。


「もうすぐお友達の誕生日で、その日はちょうど日曜日だからデートするんだって最近上機嫌なんですよ。いいなあ彼氏。いいなあデート。私も恋したいです~」


「すればいいじゃないか。ひょっとして君は知らないのかもしれないが、現代日本においては自由恋愛が尊重されているんだよ」


「知ってますう〜。しようと思ってできるものじゃないんですよ~。ていうか家達さんはしたくないんですか、恋。したくないんですか、ドキドキ!」


「恋愛なんてしなくてもミステリ小説を読んだり現実の謎について考えるだけで十分ドキドキできるからね。むしろ謎解きの緊張・興奮・快感を上回るものはほかにはないと僕は考えているよ」


「そうですか……はあ」


 落胆の溜息をこれ見よがしに吐き出す和鳥栖だったが、対する家達はといえば何をそんなにがっくりしているのだとでも言いたげな顔で彼女を眺めるのであった。


「それで話を戻すけど和鳥栖くん。バトンと靴紐が戻ってきたことで盗難事件は一応の終着を見たわけだけど、部内では犯人探しが続いているというわけかい?」


「いえ、部長は当然怒ったみたいですけど、盗まれた物は返ってきたし、これ以上犯人探しに時間をかけて練習が疎かになる方が部にとってマイナスだってことで、以降この件については蒸し返さないことに決めたそうです」


「気持ちいいくらいの熱血漢だね。無駄なことに頭を働かせるよりも体を動かして競技力の向上に努めよというわけだ。で、君がこの話を僕に聞かせてきたということは、部長の決定に承服しかねている人物が少なくともひとりはいるようだね。そして、それはきっと君のお友達で彼の彼女さんだろう」


「流石は家達さん。その通りです。同じ部活で切磋琢磨する仲間の中に今も平気な顔をしてる泥棒がいるかもしれないって思うと、胸がざわついてマネジメントに集中できないらしくって。できれば誰が犯人なのかをはっきりさせたいんだそうです」


「なるほどねえ」


 パイプ椅子にゆったりと背中を預け、腕を組んで微笑む家達。


 そんな彼を眺めながら和鳥栖は言った。


「ねえ家達さん。一体誰が陸上部の部室からリレーバトンと靴紐を盗んだのか。それにどうして犯人はそんな物を盗もうと思ったのか。こんな不可思議な謎を解ける人なんて、私はほかに知りません」


 上目遣いで乞うような眼差しを向ける和鳥栖。しかし和鳥栖は半ば確信していた。必死に頼み込みなどせずとも、これまでの会話によってこの男の好奇心は十分すぎるほどに和鳥栖の垂らした釣り針に食らいついている。あとはちょいと竿を引っ張ってやるだけでいい。


「きっとあなたにしかできないことです。だから答えを見つけてくれませんか、家達さん?」


 細められた家達の目に探求の熱意が宿った。


「――面白い。僕がたった一択の真実を解き明かしてみせよう」


 一本釣り~! 和鳥栖は内心で盛大にガッツポーズをしたのだった。

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