家達一択は間違えない ~リレーバトン泥棒の秘密~

夜方宵

第1話 シャーロック・ホームズ的な導入

 とある地方のそのまた郊外、切り拓かれた山の中腹に敷地を広げる公立高校がある。


 どの程度の学校かといえば、そこに受かれば周りの知り合いからは「あら~○○ちゃんは頭がいいのね~」と、ひとまず最低限優秀であると認めてはもらえるような、そんな田舎にありがちの『地元じゃ一番の進学校』的評価を欲しいままにしている由緒正しい学校である。


 そして、その立地ゆえに裏門のある裏手側を山林に囲まれた三階建て校舎の中、最上階の一番隅っこの部屋に、本来は空き部室であるそこを我が物顔で占領する少年の姿があった。


 窓際にパイプ椅子を置いて腰を下ろし、放課後の夕陽を背中に浴びながら読書に耽る黒髪で色白の少年。重ための前髪から覗く顔立ちは驚くほどに端正である。


 不意にガラガラと音を立ててスライド式の扉が開けられた。


 少女だった。ツーサイドアップに仕立てられた青みのある黒髪、くりっと丸く大きな瞳と幼気な顔立ち、それに華奢で小柄な体型も相まって、まるで小動物じみた可愛らしさを具えた美少女である。


 彼女――和鳥栖千優(わとすちゆう)は、小さく肩で息をしながら、敷居をまたぐようにして部屋の入り口に立ちすくんでいる。


 やがて和鳥栖はぎこちない笑顔を浮かべて小首を傾げた。


「あ、あはー家達さん。もうお部屋にいらっしゃったんですね……?」


 ようやく和鳥栖が声を絞り出すと、美少年――家達一択(いえさといったく)は、ちらっとだけ彼女を見やるとまたすぐに目線を文庫本へと戻し、それから独りごちるように言った。


「やあ和鳥栖くん、苺のマリトッツォは美味しかったかい? それはそうと僕のことは気にせずお気に入りの紅茶でも入れて、ひとりでゆっくりと新作のメロン・マリトッツォを味わってくれたまえ」


 その一言は、和鳥栖を諦めの境地へ追いやるにおいて必要十分であった。


「ど、どうして分かったんですか」


 手品のごとき家達の芸当に果てしなく慄くあまり、ミステリ小説に出てくる犯人の負け惜しみじみた台詞が和鳥栖の口をついて出る。


 やがて家達は文庫本に栞を挟んでから眼前の長机に置くと、


「驚くことはない。簡単でかつ単純なことなんだ和鳥栖くん。――観察と分析さ。かの偉大な名探偵シャーロック・ホームズがやったことと同じだよ」


 と言った。


「まず初めに今日の君は部室へ来るのがいつもよりも早い。その事実は何を示すか。それはつまり、僕がここへ来るよりも早く済ませておきたい何かが――延いてはここでしか済ませられない何かがあったということだ。これがひとつ目の推定になる。


 では次に、その何かとはなんだろう。それを探る上でこの部室にヒントがないかと僕は考えた。この部屋でなければ手に入らないもの、この部屋にのみ存在する特別なものがないだろうかと。するとすぐに思い当たったよ。君が自らここへ持ち込んで棚の中に仕舞っている紅茶のティーキャディーと電気ポットの存在にね。それ以外にこの部屋に特別なものはないから、すなわち『何か』とは紅茶になんらかの関係を持つと考えられる。これが二つ目の推定だ。


 そして君の右手に提げられた購買のレジ袋を見て僕は思った。甘党で新しいもの好きの君のことだし、しかもどうやら紅茶を必要としているときた。であればきっと女子の間で今話題の新作スイーツであるメロン味のマリトッツォを買ってきたに違いないとね。これが三つ目の推定になる。


 さてここで各事項を整理してみるとどうだろう。ひとつ目の推定における『ここでしか済ませられない何か』の正体は、二つ目と三つ目の推定で説明がつきそうだね。それはすなわち『新作メロン味のマリトッツォとお気に入りの紅茶で放課後のティータイムを楽しむこと』さ。


 けれどひとつ目の推定にはまだ不明な点が残る。それは『何故ティータイムを僕が来るよりも早く――つまり僕抜きのひとりで過ごす必要があったのか』ということだ。しかしこの謎についての答えもすぐに見つかった。君が手に提げた袋を見ると、どうやら中には二個入りのパックが入っているようだが大きく片側に傾いているじゃないか。つまり重量のバランスが崩れてしまっているんだ。そうであるならば、ふたつのうちひとつは既に誰かの胃袋に収まったと考えて間違いあるまい。


 さあ、これで謎は全て解けた。導かれた結論を示すとこうだ。


『君は購買で新作のメロン味のマリトッツォが入った二個入りのパックを購入したが、我慢できずに一個食べてしまった。流石に僕の前でひとりだけお菓子を貪るのは忍びないが、さりとてティータイムを諦めることもできない。だから君は急いで部室へ向かったのだが、残念なことに僕の方がずっと早く部室へ着いていたためにドアを開けた瞬間硬直する羽目になった』


 だから僕は親切に声をかけたのさ。気にせずひとりで紅茶とマリトッツォを味わうといいってね」


 家達が言葉を結ぶと同時に和鳥栖は思わず天を仰いだ。


「なんと非現実的推理(マジカル)な!」


「いいや超論理的推理(ロジカル)さ」


 平然とそう言ってみせるこの男――家達一択という男が瞬刻の間になす洞察と推理はまるで神業だ。いや、いっそ悪魔のような御業だと和鳥栖は思った。


「で、でもでも! なんで私が苺のマリトッツォを食べたって言い切れるんですか! 家達さんは実際に私が食べたところを見てはいないでしょ? なくなったマリトッツォは違う味だったかもしれないし、私が食べたんじゃなくて友達に分けてあげたのかもしれないじゃないですか!」


 悪あがきだった。本当はもう一個のマリトッツォは苺味だったし、なくなったのだって和鳥栖が食べてしまったからなのだ。それに和鳥栖は分かっていた。よりにもよって家達一択という男が根拠もなしに物事を断定するはずがないということを。


「だから言ったじゃないか和鳥栖くん。簡単で単純なことなんだって」


 家達は微笑した。


「なくなったのは苺味のマリトッツォでしかあり得ないし、それを食べたのは君でしかあり得ないんだ。――だって君の鼻の先には見事に苺色のクリームがついているんだもの」


「ええ!? ってそれをはやく言ってくださいよもう!」


 ピンク色のハンカチでクリームを拭いつつ、和鳥栖は顔を真っ赤にして声を荒らげた。それから羞恥を吹き飛ばすように咳払いをひとつして、和鳥栖は観念した顔で家達を見やったのだった。


「えっと、まあ……これは半分こにしましょ?」

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