推しのライブを見損ねた結果、未来でアイドルやることになった(4/4)
「あ、え、い、う、え、お、あ、お!」
「あめんぼあかいなあいうえお!」
七十年以上経っても、この訓練方法は現役だったのか。
入学から数日後。悠はさっそく、国立心奏学院の「洗礼」を味わっていた。
「お腹から声を出して」
「はいっ!」
「辛くても声を落とさないで、一定のボリュームをキープして」
「はいっ!」
「叶野さん、姿勢が乱れてる」
「はいっ」
『基礎トレーニングⅠ』と名付けられた授業。
大学に近い形式が取り入れられている心奏では、授業も単位制の選択式を取っている。必修の単位はごく少数で、自由選択の必須単位数も少ない。代わりに能力を測る定期試験が学期ごとに設けられ、芳しくない成績の場合には補習等が行われる。
花蓮からのアドバイスを受けつつ、悠は基礎的な授業を中心に取得した。
目覚めてから入試までの間もトレーニングは行っていたものの、リハビリをしながらだったので十分とは言えない。一から教えてくれる授業を交えた方が都合が良かった。
高倍率の入試を越えてきたとはいえ、案外そういう生徒は多いようで同じ授業を何人もの生徒が選択していたが──正直、悠の能力は彼女たちの中でも微妙と言っていいものだった。
背筋を伸ばし、はきはきと声を出す。
自己紹介の後、担当教師から指示されたのはたったそれだけのことだったのだが、これがなかなか難しい。音楽系の学校らしい防音の効いた部屋は外を気にしなくて済むのでありたいが、教師や他の生徒を意識するとどうしても自分を出すのを躊躇ってしまう。
はっきりと響く声を出し続けるというのも思った以上に疲れる。その上、疲れても姿勢を乱さず前を向くことを要求されるのだ。
「ライブになれば短い休憩で何時間も歌い続けることもあります。そのためにも体力づくり、基礎トレーニングは必須です。この科目でも追い追いランニングなどを取り入れますので、そのつもりでいてくださいね」
「はいっ!」
華やかなアイドル活動の裏には地道な努力がある。
ノウハウを「教わる」つもりでいた新入生たちは最初の一歩から重要な事柄を知ることになったのである。
「や、もう、疲れたー!」
一コマ分にあたる九十分間、みっちり基礎トレーニングを受けた後はごくごく普通の教室で『i2能力基礎』の授業を受けた。
身体を使った後に頭まで使わせられ、良い感じに疲労した悠は、同じ授業を取っていた
敷地内にはこのカフェテリア以外にも学食やレストラン、さらには有名ファーストフード店まで存在しているが、その中で軽食メインのここを選んだのは鈴がお菓子を食べたがったのと、あまりがっつりしたものは胃に入らない気がしたからだ。
というわけで、鈴のチョイスはショートケーキとエッグタルト、悠は三枚重ねのパンケーキである。パンケーキは添えられたクリームやフルーツで食べるもよし、バターやハチミツをトッピングするも良し。男子としてはあまり甘すぎるのも……という気分だったため、悠はバターを多めに使ってコクとうま味をプラス、その上でちびちびとクリーム等を消費していくことにした。
「美味しい。やっぱり、疲れてる時は甘いものだよねー」
「鈴はお菓子が本当に好きなんだね」
「うん! もしかしたらアイドルよりも好きかも。お菓子がないとやっていけないよ」
その割に小柄かつ華奢な体型をしているのだが、そこはそれ、アイドル志望というのは思った以上にカロリーを使うのだ、ということらしい。
「それに、好きな物を我慢してストレス溜まっても駄目じゃない? ストレスは美容の大敵なんだし」
「それもそうかも」
「でしょ?」
美容に関する考え方も昔より進化しているようだが、悠はあまりその辺りついて詳しくない。とはいえ、ストレスが良くないというのは元いた時代でも言われたことだ。
「悠はないの? 好きな食べ物」
「え? ええっと」
かつ丼。牛丼。ビーフステーキ。豚骨醤油ラーメン。いくつかの料理を思い浮かべ、脳内で全て却下する。せめてもう少し女子らしい回答はないものか。
「あ。ハンバーガー、とか」
「あ、いいよね。私パンケーキバーガーが好き」
「パンケーキ……バーガー?」
「食べたことない? パンケーキのバンズにチーズたっぷりのコロッケとか、バナナとか、パイナップルとか挟んであるの。美味しいんだよ」
(なんだその甘いうえにカロリー高そうなバーガーは)
それは果たしてハンバーガーなのか。チーズコロッケなら普通のバンズに挟めばいいのに……と悠は思い、「私はしょっぱい系の方が好きかな」と無難な返答を行った。今食べているパンケーキもバターがないと少々甘すぎる。もしかしたらパンケーキ繋がりで教えてくれたのかもしれないが。
と、『Angel Snow』のファーストフードシングル(歌なしバージョン)が悠の耳に響いた。デバイスに内蔵された超指向性スピーカーから流れる着信音だ。
「あ、ごめん、ちょっと着信」
「あ、うん」
慣れているのだろう。すぐさまこくんと頷いてくれる鈴。
向かいに座った鈴へ目線で一礼してからチョーカーに触れる。すぐにホロウィンドウが展開し、発信者名が表示された。『夜空花蓮』。どうしたんだろうと思いつつ受話を選択。
「もしもし、夜空さんですか?」
デバイスの超指向性マイクは集音機能も優秀であり、声になるかならないか程度の音量でもしっかりと拾ってくれる。ノイズキャンセリング機能をオンにしておけば他の音は拾わないので周りを気にせず通話ができた。
『叶野さん、突然ごめんなさい。今大丈夫?』
「はい。クラスメートと食事をしているところです。何かありましたか?」
花蓮のことだ。何か急用なのかと思ったが、少女は若干口ごもるようにして、
『いえ、大した用件ではないの。ただ、一緒にお昼ご飯をどうかと思って。でも、お友達と一緒なら大丈夫だから』
「それなら夜空さんも一緒にどうですか? 一緒の子も気にしないと思います」
これは鈴に聞こえるように言った。案の定「おっけー」とハンドサインが返ってきたので「大丈夫だそうです」と付け加える。
返事には少し間があって、
『……それじゃあ、お言葉に甘えて』
カフェテリアにいることを伝えると、花蓮は二、三分程でやってきた。手にしたトレイの上にはサンドイッチとコーンスープ、アイスティーが載っている。
「こんにちは、
「ううん、全然大丈夫。……っていうかくるの早っ!」
確かに、注文品まで受け取っているとなると、まるで待ち構えていたような速さだ。
これに少女は微笑んで、悠の隣に腰かけながら、
「移動中に注文を済ませておいただけだもの」
「だけ、って私、歩きながらウィンドウタップするのはちょっと怖いかも」
「私も」
「思考コントロール、慣れてしまうと色々と便利よ」
音声入力やホロウィンドウからの操作ではなく、思っただけで任意の機能を呼び出す方法だ。普通の思考とコマンドの切り分けにコツがいるため、この時代の若者でも使っている者は多くないと聞いている。悠は以前に少しだけチャレンジしたものの、「落ち着いた状態で頑張ったらなんとかできる」というレベルで挫折した。
「便利なのはわかるんだけど……」
「楽するための練習で疲れるのはちょっとね」
「でも、ライブ中にセットリスト変更したい時のように、ウィンドウを操作する暇がない時もあるでしょう?」
「それは」
「そうかも」
悠は鈴と顔を見合わせ、ぐぬぬ、と呻った。歌っている最中なら当然音声認識はできないし、入学式で見たようなライブの最中では二本の腕も忙しいだろう。
とはいえ、頭もライブでフル回転しているはずで、
「やっぱり、夜空さんは凄いです」
「敬語」
「え?」
しみじみと呟けば、どこか咎めるような視線と声。
「私にも普通に話してくれていいのに」
「あー。悠、私には普通だもんね。なんで?」
「なんでって言われても……恐れ多いからというか」
「嬉しくないわ」
「嬉しくないよね」
何故か意気投合する二人。女子同士、通じ合うものがあるのだろうか。
悠としては花蓮には「尊敬」、鈴には「友情」のようなものを感じている。なので、態度に違いが出るのは当然なのだが。
「ルームメイトの私に敬語で、クラスメートの九位さんには普通の話し方……というのはおかしくないかしら」
「いや、それは、夜空さんを避けてるとかそういうことじゃなくて」
「悠。夜空さんはそういう細かいところが気になるんだよ。友達いないから」
「……九位さん?」
爆弾発言だった。
しかし、当の鈴はケーキをぱくつきながら「本当のことだよね?」と平然としている。
そんな彼女を花蓮は睨んで、
「九位さんこそ、他にお友達はいるの?」
「私はちゃんと同室の子とも仲いいよ」
「そう。一人だけ」
わざとらしいため息。これに鈴はむっとして、
「しょうがないじゃん。なかなか仲良くなれるタイミングがないんだから」
「……まあ、うん。クラスごとの授業じゃないしね」
悠は遠い目になった。知り合いが少ないのは彼も同じだ。クラスメートと一堂に会したのはガイダンスの時だけ。それ以降は履修選択期間を兼ねたお試し授業を受けたり、寮の部屋を整えたりして今日に至る。
ガイダンス時も緊張と教師のエキセントリックさのせいであまり余裕はなかったので、正直、顔と名前の一致していないクラスメートも多い。
要は三人とも似た者同士なのである。
「なんか、夜空さんって思ったより変な人だよね。あ、変な人なのは知ってたんだけど」
「褒められていると思っていいのかしら」
「褒めてるってば。なんかもっと、こう『あなたたちなんかとどうして話さないといけないのかしら?』みたいな子だと思ってたから」
「……近いものはあるかもね」
「あるんだ」
今度は花蓮が遠い目をした。
「辛く当たってくる人に優しくできるほど人間ができてはいないの」
「あー……」
反撃された生徒は可哀そうだが自業自得である。新入生代表である花蓮はつまり入試段階での最優秀。既に基礎は備えているため、一年生の一学期から先に進んだ授業を履修している。他にもそういう生徒はいるだろうが……実力の差を思い知らされることになっていてもおかしくない。
ここ数日、同室で過ごした悠は多少なりとも少女のことを知っている。
「夜空さんはなんていうか、ストイックだよ。背筋を伸ばしたまま崩さないし、高い椅子に座る時は足を浮かせたりして鍛えてる。朝も早起きして走ってるみたいだし、夜は絶対間食しない」
「……うわあ。私、絶対真似できない」
そう言いながら鈴は悠の皿に残ったイチゴを狙っていた。特に執着はないので差し出す。嬉しそうにフォークで突き刺して口に運んだ。
「だから、せめて少しくらいは夜空さんに追いつかないと、対等に話すのは無理かなって」
「……そう」
すると、花蓮は静かに頷いて黙ってしまった。
怒らせてしまっただろうか。しかし、女子と距離を近づけるというのはとても勇気がいるのだ。普通に接近してきた上で余計な性差を感じさせない鈴の方が特殊なのである。
(部屋を替える口実……には、ならないかな)
寮の部屋については一応、担当教師経由で学校側に相談した。
教師たちは悠の性別を知っている。花蓮は重度の男性嫌いであり、場合によっては騒動になりかねない……と言えば考慮してもらえるかと思った。部屋割りの際に手違いがあったとか何か言い訳をすれば事実を悟らせずに変更できるのではないかと。
しかし、返答はノーだった。
『だーめ☆』
『どうしてですか?』
『
性別の問題も同じだという。
悠は心奏に入学した時点で、男子が少ない世界に自ら飛び込んだ。それは本人の選択であって、蔑視や反感は覚悟しなければならない。
花蓮も、アイドルになる以上、(男性だけではなく女性も含めた)一般人から熱の籠もった視線を向けられるのは避けられない。中には邪な感情を抱く者もいる。それに対して攻撃的になるばかりでは解決しないのだと学ばなければならない、と。
『だから、いっそ押し倒しちゃってもいーよ☆』
『いや、絶対まずいですよね……?』
『高校生同士だよー? 結果的に合意の上ならセーフセーフ☆』
結果的に合意が得られなかったらアウトらしい。
「それなら、これに出てみない?」
思考が逸れているうちに花蓮は顔を上げていた。
一枚の画像データが送られてくる。共有を許可すると、表示されたのは『新入生ライブデビューフェスティバル開催のお知らせ』と題された告知だった。
「これに、私と一緒に出てくれないかしら。あなたたち二人に、私とユニットを組んで欲しいの」
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