推しのライブを見損ねた結果、未来でアイドルやることになった(2/4)

 西暦2095年。

 七十年もの時を経て目覚めた悠は浦島太郎の気分だった。

 スマホの代わりにデバイスなる小型・高性能の多目的端末が普及し、テレビの視聴も音楽鑑賞も計算も文章の作成もメール送信も、その他もろもろの事柄がホロウィンドウや音声制御、思考入力などによって操作可能。

 心奏をはじめとする養成学校を出たi2能力者──アイドルたちは旧来のものに近い芸能活動はもちろん、教育、医療、警察、果ては政治まで、ありとあらゆる分野へと進出。魔法、あるいは超能力じみた力によって活躍を続けている。


『アイドルの力に限界はありません』


 オープニングライブの後は学園長による挨拶が行われた。

 本人もアイドルだという、まだ三十代とみられる若い女性。彼女は(悠の主観だと)学校の長というよりは新進気鋭のベンチャー企業社長といった雰囲気の活力溢れる笑顔で、新入生たちに語りかけている。

 その姿は心奏の自由な校風と、それからアイドルの能力がいかに有用であるかを示していた。


 学園長の言った通り、i2能力は理論上、どんな奇跡でも起こすことができる。

 精神エネルギーという非物質的な力が源だからだ。アイドルに等価交換やエネルギー保存の法則は通用せず、故に空を飛んだり色とりどりの光を放ったりといった事も気軽に可能。

 アイドルの活躍によって、この時代に

 あらゆる戦争・紛争は初期のアイドルたちにより根絶し尽くされてしまった。一方、i2能力は殺傷に向いているわけではないため、効果的な軍事的利用には未だどの国も成功していない。


 だから、アイドルたちは自由に振る舞う。

 i2能力による癒しは傷や病気のたちどころに回復させ、単独での高速飛行が可能なアイドル警察官は犯人の逃走を許さない。i2能力によって品質を保った綺麗な花を売る花屋もあれば、歌って踊れる学校の先生だっている。アイドル社長が出社途中に事故を未然に防いだ、なんていうニュースも珍しくはない。


『もちろん、素質の高さも重要です。しかし、それ以上に重要なのは上達を目指して励むこと。そして、この三年間でかけがえのない仲間を得ることです。一人では成し遂げられなったことが二人、三人なら成し遂げられる。そういうこともきっとあるでしょう。

 ……私は、皆さんにとってここでの思い出が大切な宝物になることを、心より祈っています』


 学園長の挨拶が終わると大きな拍手が起こった。

 簡潔、かつ、当人の実感が籠もったスピーチ。比較的若い同性ということもあって新入生たちの胸にも響いたらしい。隣のりんも口元に笑顔を浮かべている。


『では、続いて新入生代表による誓いの言葉です』


 アナウンスに従い、最前列にいた生徒の一人が立ち上がった。

 悠は他の生徒たちと一緒に彼女を注視する。特設された檀上──というかステージに上がったのは、艶やかな黒髪を持った美しい少女だった。

 彼女は背筋をぴんと伸ばし、真っすぐに前を見据えている。


『新入生代表の夜空よぞら花蓮かれんです』


 よく通る澄んだ声が会場に響いた。未来の音響技術は肉声に限りなく近いクリアな音を広範囲に届けることを可能としている。

 そして、入試を優秀な成績を収めたであろう花蓮自身、声を出すことに慣れているようだ。

 できるなら、この声を。


(ずっと聞いていたい)


 気づくと悠は瞬きも忘れて花蓮に注視していた。

 声と容姿に気を取られ過ぎてスピーチ自体はあまり頭に入ってこなかったが、それでも最後の言葉だけは印象に残る。


『私たち新入生一同は、先輩方、OGの皆様に負けないような──いえ、過去のすべてのアイドルを超えるような素晴らしいアイドルを目指すことを、ここに誓います』


 悠は、花蓮にも大きな拍手を送った。

 鈴も手を叩いていたが、周囲から聞こえてくる音は学園長の時よりも控えめだった。花蓮は気にした様子もなくステージを降りると席に着く。まだこれから学ぼうという一年生だというのに、まるでプロのような落ち着きぶり。


「同じクラスになれるといいな」


 呟くと、鈴が振り返って「そうだね!」と笑った。もちろん鈴とも一緒になれたらいいと思う。


「クラス分けは入学式のあと発表らしいよー」


 情報通り、式が終わるとアナウンスで伝達があった。


『皆さんのデバイスに所属クラスの通知と、それから詳細なクラス表を送信しました。退場の後は校舎へ移動し、自分の教室で待機してください』


 悠はチョーカーに手を当ててホロウィンドウを表示した。

 受付の際に発行された学生証データが更新されており、クラスの欄が埋まっている。その結果は、


「悠、どこだった? 私は1-D」

「こっちも1-Dだったよ」

「やった! 一緒だね!」


 鈴は手を取って喜んでくれる。女の子の柔らかい手の感触に思わずどきりとした。

 事故に遭う前は彼女なんていたことがなく、女の子と手を繋ぐのなんてアイドルの握手会に行った時くらいだったというのに。


  ◇    ◇    ◇


 多目的ドームを出て、鈴と二人並んで歩く。

 周りも二人組、三人組を作っている生徒が多い。どこのクラスだった? という声もあちこちから聞こえる。新入生は合計百二十名。一クラスは二十名なので、


「同じクラスの人を探すのも大変だね」

「あ、クラス表のデータを視覚情報ARに反映すれば一発だよー」

「そんな便利な方法が……!?」


 言われた通りにやってみると、道行く少女たちの頭の上に「1-A」などといった表示が追加された。所属クラスはデフォルトでONになっているが、デバイスから設定を変更すれば名前や定期テストの点数なども追加できるらしい。もちろん自分のを相手に見せたくない場合も設定できる。

 せっかくなので詳細を見てみると、細かく設定可能なことがわかる。


「って、財布の中身まであるんだけど」

「財布? ……ああ、個人残高のこと?」


 2095年において実物の貨幣はほぼ使われていない。買い物をすると店のシステムがデバイスと自動通信し、代金が残高から引き落とされる。紙のお金や硬貨が死んだも同然なので、「電子マネー」なんてもって回った言い方をすることもない。


「どうしてもお小遣いがなくなったら残高公開して歩いてれば何か恵んでもらえるかも?」

「それはできるだけやりたくないな……」

「あ、あれ、夜空さんじゃない?」


 急に話題が変わった。見れば、確かに新入生代表の少女がいた。人混みの中で一人、規則正しく歩を進めている。

 なんとなく彼女の姿を目で追っていると、鈴は意味ありげに笑って、


「声かけてみる?」

「な、なんで」

「だって、悠がなんか気にしてるみたいだから」

「別に、ただちょっと気になっただけで」


 邪な感情を抱いているつもりはない。花蓮への感情を敢えて言葉にするなら新しい推しを見つけた時に近い。

 アイドルや声優、芸能人を『推す』感情を一口で説明するのは難しい。人によってもニュアンスは異なってくるだろうが、悠の場合、推しと仲良くなりたいというより陰から応援していたいという感情の方が強い。

 だから、今にも「おーい」と声をかけそうな鈴を制止しようとして、


「感じ悪かったよね、あれ」

「ああ、さっきの挨拶でしょ。本当に」


 他生徒たちの囁くような声が耳に入ってきた。

 反射的に声の主を探りかけた悠は、鈴に制服を引っ張られた。干渉しない方がいい、ということだろう。


「……いいスピーチだったと思うんだけど」


 他に聞こえないように小さな声で言うと「そうだね」という返事。

 しかし、鈴の表情はどこか浮かないものだった。


「私は、どっちの気持ちもわかるかな?」

「どういうこと?」

「みんなアイドルが好きだから。憧れてる人って誰にでもいるんだよ。それを簡単に『超える』って言われたら……ね?」

「……そっか」


 例えばあれが「先達に負けないように」なら問題なかった。悠だってかつての推しが別のアイドルに「ぶっ倒します」などと言われたら冷静ではいられなかっただろう。

 花蓮の宣言はそれと同じようなもの。

 しかも、その打倒宣言に自分たちまで巻き込まれたのだから──。


「どうする? 声かける?」

「……いや」


 鈴は「それがいいかも」と呟いて、お菓子の残りを口に放り込んだ。


 校舎には程なくして到着。

 広い入り口のお陰で百二十人もの新入生たちは渋滞を起こすこともなく中へ吸い込まれていく。

 心奏の校舎は靴のままで出入りができる。入り口から入った先は下駄箱の代わりに広いエントランスになっており、各通路の入り口に目をやれば『職員室』『ラウンジ・カフェテリア』などとAR表示が出る。


「教室はこっちだね」


 螺旋状の昇降機を使って三階まで上がり、1-Dのガイダンスが行われる304教室へと移動した。

 ここにはクラス固有の教室が存在しておらず、必要に応じ多目的教室のどこかを使ってミーティング等が行われる。システム的にはほぼ大学に倣ったものが採用されているらしい。

 適当な席に鈴と座ると、特徴的な黒髪が目に入る。


「夜空さんも一緒なんだ」

「うわ、面倒臭そう」

「あっちは私たちのことなんて気にしてないでしょ。『すべてのアイドルを超える』んだから」


 花蓮は陰口が聞こえているのかいないのか、前を向いたまま座っていた。彼女の隣には誰も座ろうとはしない。人数に比して席数は多めなので特に問題になることもなかった。


(やり方が汚いだろ、そんなの)


 悠は膝の上に置いた拳をぐっと握った。嫌味を言うならもっとはっきり言えばいい。陰口は聞こえるか微妙な声量で囁かれており、もしも花蓮が食ってかかったとしても「そんなこと言った?」とシラを切ることが可能だろう。言ったことを証明したとしても「心の小さい人間」と逆に罵倒されるかもしれない。

 アイドルを目指す人間のとる態度だろうか。

 しかし、アイドルのことも女性同士の機微についても詳しくない悠は口を出せない。つい先程、言う側の心境についても理解してしまったばかりだ。深く知ってみればむしろ花蓮の方が悪かった、ということだってあるかもしれない。


「悠」


 鈴が気づかわしげに鞄を開き、新しいお菓子を取り出したその時、


「やっほー、みんな、初めましてー☆」


 教室の前側入り口から入ってきたフリフリワンピースの小柄な女性が、空気の全てを一瞬にして破壊した。


  ◇    ◇    ◇


「……ひどい目に遭った気がする」

「あはは。あれはちょっとすごかったねー」


 約二時間後。

 ガイダンスを終えた悠は鈴と共に校舎内のカフェテリアで小休止を取っていた。悠はアイスコーヒーにクッキーの盛り合わせ、鈴は温かい紅茶とチーズケーキのセットだ。

 ひどい目とはあの女性──1-Dの担当教師の所業についてである。授業の履修や施設利用申請の方法、生活にあたっての各種注意事項などは不足なく説明してもらえたのだが、とにかく終始テンション高めだった。


『みんなー、こんにちはー☆』


 教壇に立つなり生徒たちに元気よく呼びかけ、一同が戸惑っていると『あれー、返事がないぞー?』。そしてもう一度挨拶が行われ、返事の声が小さいとやり直し。まるで小さい子向けのショーか何かだった。

 さすがアイドルの養成学校、一筋縄ではいかない。


「ライブに行くならいいけど、先生として見るときついかな……」

「参考にはなるけどね。ああいうキャラ付けもありなんだーって」

「そっか、そういう考え方もあるんだ」


 目の前の甘味の方が大事なのか、あっけらかんとチーズケーキを口に運ぶ鈴を見て、妙な尊敬を覚えてしまう。

 過去の人間で、アイドルを目指し始めたのはつい最近で、女子ですらない悠には知識も経験も足りていない。逆に、一見ごく普通の女の子である鈴はこう見えてアイドルとしての心構えを色々持っているらしい。

 心奏でやっていくのはきっと、簡単なことではないのだろう。

 深く頷いた悠は、クッキーも食べてみたいと言う鈴に快くおすそ分けをし、お返しにとケーキを一口食べさせてもらった。


「それじゃあね、悠。また」

「うん、また」


 休憩を取った後は寮へと移動する。

 人工島に位置する心奏の生徒は親元を離れてきた者が圧倒的多数である。島内の賃貸住宅を利用する手もあるし、中には家族揃って移住してくる剛の者もいるらしいが、大部分の者は寮に入る。そのため、学院側は生徒全員が入れるだけの寮を完備している。

 寮は基本的に二人部屋。さすがに鈴と同室、などという奇跡は起こらなかったため、入り口を入ったところでいったん別れた。連絡先を交換したので会おうと思えばいつでも会えるだろう。


「……さて」


 気が進まないのを感じながら、悠はゆっくりと歩き出した。

 男子制服がなかったのと同様、この寮もまた男女共用──という名目の『実質女子寮』である。生徒以外の男性が出入りする際は管理者の許可および細心の注意が必要になる。そういう場所だというだけでもプレッシャーだというのに、蓋を開けてみなければ悠の相手がどんな人物なのかわからないのである。

 男子だということを考慮して一人部屋にしてくれているとか、上級生にも存在するらしい男子と組ませてくれるとか、そういうことならまだいいのだが。

 性別を打ち明けるべきか、打ち明けるとしたらいつにすべきか、相手によって臨機応変に行くしかないだろう。

 はあ、と。

 割り当てられた部屋の前で息を吐き、ノックの後、「どうぞ」と返事があるのを確認してからドアを開いて。


「───」

「───」


 下着姿の夜空花蓮と目が合った。

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