少年魔女の楽園追及(6/11)
朝六時半にセットしたスマホのアラームが無駄に優雅な音を響かせた。
「駄目だなこの音」
少し前から目が覚めていたからいいものの、迫力がなさ過ぎて目覚ましとしては失格だ。できればもう少し眠気を吹き飛ばして欲しかったと思いつつ龍姫はもぞもぞと身を起こした。
ぐっと伸びをひとつ。
魔法を使うと体力を消耗するらしく、決闘の後はひどく疲れていた。昨日はたっぷりと寝てしまったが、お陰で好調である。
「問題は服だよな……」
結局、前の学校の制服以外に着る物がない。
今は悠陽から予備のジャージを借りて着ている。魔女の象徴色である黒ベースだがどことなく可愛いデザインなのが難点。
ともあれ、各部屋に付いている洗面所で顔を洗ってからリビングへのドアを開き、
「おはようございます、龍姫さん」
制服にエプロン姿の悠陽がテーブルへ朝食を並べているのを見た。
振り返って微笑む姿はまさに天使。
「……本当、昨日勝って良かったなあ」
負けていたらこの光景も無かったかと思うと喜びもひとしおである。
ついていけていない悠陽は若干引いたような表情だが。
「そういえば、悪いな。食事の支度までさせて」
「いいえ。無理を言って来ていただいたのはこちらですし、龍姫さんには恩返しがしたいので。気にしないでください」
「そう言ってもらえると助かるよ。ありがとう」
自慢じゃないが龍姫は料理ができない。作れてせいぜい目玉焼きだ。嗜みとして家事全般仕込まれているという悠陽はとても頼もしかった。彼女がいなかったら今頃野垂れ死んでいたかもしれない。
そのまま口にすると少女は「大袈裟です」と苦笑して、
「あ、龍姫さんの制服が届いていますよ」
リビングに置かれた四人掛けのテーブル。椅子の二つ分を占領するようにして置かれた荷物を視線で指した。
「ああ、良かった。これで着替えられるな」
「はい。授業を受けるのにも必要ですから、早く届いて良かったです」
夏服・冬服に加えて体操服やジャージ、訓練用の特殊ウェア、さらに当面の下着まで揃っているらしい。わざわざ「うちに来てくれ」と言ってくるだけあってこういうところは至れり尽くせりである。
ちなみに龍姫の学費は完全無料。
学用品は一式支給してもらえる上、生活費まで出してくれる約束になっている。あの小さな学院長にはしばらく頭が上がりそうにない。
龍姫はさっそく冬用の制服を取り出して──硬直した。
「なあ、悠陽。……これ、スカートなんだけど?」
「ええ、その。女子校なのでそればかりは」
専用の男子制服を作ってくれたりはしないらしい。
現実は非情である。
「だ、大丈夫です。龍姫さんなら似合うと思います……!」
「ごめん悠陽。さすがにそれはあんまり喜べない」
「で、でも。龍姫さん、女子になれって言われて『なんだそんなことか』って言ってましたよね……?」
「女子になるのと男子のまま女装するのは別だろ」
ちなみに下着も女物だった。
遠い目になった龍姫はリボンのついた可愛らしいそれを他の荷物を一緒に床へ移動させた。後のことは食事の後で考えようと思う。
テーブルに視線を移せば、トーストにこんがり焼かれたベーコン、スクランブルエッグに野菜サラダというメニューが並んでいる。マンガに出てくるような明らかな失敗作などでもなく見た目にも美しい。
目を輝かせた龍姫を見て悠陽はくすりと笑い「食事にしましょうか」と言ってくれた。
「ところで、食材はどうしたんだ?」
「敷地内にスーパーがあるんです。足りない品があれば通販もできますから、無理に外へ出なくてもたいていの品は揃うんですよ」
「本当凄いなこの学校」
味も申し分ない。可愛い女の子──悠陽の手作りとなれば有難みは倍増である。
「龍姫さん。さっきの話ですが、女子になれなんてお話、軽々しく受けては駄目です。ハーレムを作ると仰っていたのはもういいんですか? ……それは、私を選んでくださるのであれば嬉しいですが」
「うん、悠陽がいてくれれば十分すぎる。俺にはもったいないくらいだと思う。でも、別にハーレムを諦めたわけじゃないよ」
「? と、いいますと……?」
「だってこの学校、女子の方が女子にモテるんだろ。なら問題ないかなって」
男嫌いの生徒が多くて同性婚も当たり前。
別に男のままにこだわる必要なくね? と思ったわけだ。もちろん去勢なんてされないに越したことはないが。
「ほら、女子になってもあんまり見た目変わらないだろうし」
「いえ。そうしたら今よりも可愛らしくなると思います」
「あんまりフォローになってないぞそれ」
すると悠陽の柔らかそうな頬がかすかに膨らんで、
「……こんな人を好きになってしまったんですから、私には愚痴を言う権利があるんです」
「え、今、俺のこと好きって言った?」
生まれてこの方聞いたことのないセリフだ。
思わず身を乗り出して見つめると視線を逸らされた。それでも顔を覗き込むと物凄く恥ずかしそうにしながらぽつりと、
「好きです。だから、やきもちくらい焼かせてください」
「やばい。俺の恋人がマジで可愛すぎる」
「龍姫さん。私は真剣に言ってるんです……!」
何故か物凄く怒られた。
白、黒、ピンク、青、黄色。
包装された揃いの下着をベッドの上に並べて「うーむ」と唸る。
生まれてから全く縁のなかった女の子の下着──ブラとショーツのセット。ラベルを見る限り
龍姫は一昨日から穿き続けてきた
「うん、変態だな」
女子のパンツの方がまだマシだと判断し、黒の上下を手に取った。
さすがにピンクとかいかにも女子っぽい色を選ぶ勇気はない。
「言っても下着には違いないんだし」
女の子の私物ならともかく新品じゃただの布である。なんなら「俺のパンツ」と形容してみればいい。ほら興奮しない。
包装を解いてショーツを足に通す。
生地の薄さ、サイド部分のスリムさに驚きながら上まで持ってくると生地の肌触りに驚いた。男の下着と同じじゃなかった。どうせ人に見せるものじゃなし一山いくらの安物でなんの問題もないというのが今までの下着感だったのだが、なんならこれは穿いているだけで気持ちいい。
女子だけずるいんじゃないのか。いや、その分お高いんだろうが。
「ブラの方はマジで必要あるか謎なんだが……」
セットだし一応着けておくことにする。幸い着け方はいざと言う時のために以前調べたことがあるので知っている。男子にしては身体も柔らかい方なので背中へ手を回してホックを留める作業も数回の試行の後に成功できた。
こちらも肌触りはいいが、上半身の一部だけが締め付けられる奇妙な感覚が「女子の下着をつけている」実感を呼んできて落ち着かない心地にさせてくれる。
考えていると深みにハマりそうなのでさっさと先に行くことにした。
ブラウスは妙にすべすべしていることとボタンの位置が逆なこと以外はワイシャツとさほど変わらない。漆黒の上着も同様だ。
スカートは右サイドにファスナーが付いていて穿いてから固定する仕様だった。男として頼りないウエストが功を奏したのか普通に入ったが、
「似合ってるか、これ……?」
妙にすーすーして落ち着かない。着慣れないせいか「仮装をしている」という感覚でしかなく、これで人前に出るとか勘弁して欲しかった。
ついでに、手に残ったリボンのようなパーツ──ボウタイの処理がわからない。
「悠陽。これ、どうやって結べばいいんだ?」
仕方ないので経験者を頼ることに。
首からボウタイを清楚に垂らした完全武装の恋人は微笑んで救援要請に応じてくれた。
「男性は結んだことありませんよね」
「ネクタイと同じで良ければなんとかなるんだけどな。なんかそれじゃ可愛くならない気がして」
「そうですね。じゃあ、お手本を見せますね」
少女の身体が自然な雰囲気で近づいてくる。
ふわりと香るいい匂いにどきどきしているうちに悠陽は龍姫の首に腕を回し、あっという間にタイを結んでいく。驚くほど鮮やかな手つきである。
「やばいな。一回二回じゃ覚えられる気がしない」
「いつでも結びますから気軽に声をかけてください。……あ、それと」
不意に視線を下げた少女は眉を寄せて言いにくそうに呟いた。
「少し暑いかもしれませんが、タイツを穿いた方がいいかと」
「ああ、そうか。そりゃ生足じゃ見苦しいよな……」
体毛は薄い方だがそれでも足には毛が生えている。今日のところはとりあえず言われた通りにして、夜にでも剃毛を行うことにした。
そうして、どうにかこうにか完成した状態で姿見の前に立つと、
「……意外と様になってるな」
「はい。素敵です、龍姫さん」
シックな制服に身を包んだ女の子がそこにいた。タイツとボウタイのお陰か思ったほどの違和感はない。強いて言えば髪型と眉の形がボーイッシュすぎるくらいか。
いや、男子なんだから当たり前なのだが。
「ウィッグやエクステはさすがに用意できませんが……眉毛は今のうちに整えますか?」
「さすがに若干抵抗があるけど……いや、せっかくだからやってくれ」
「わかりました」
悠陽によって眉が細く綺麗に整えられるとぐっと女子らしさが増した。その分、男子らしさが減ったのはこの際考えないことにする。
「うん。女の子にモテるなら男か女かなんて些細な問題だからな」
「……本当に、龍姫さんはそればっかりですね」
悠陽がまた頬を膨らませる。子供さえ作れれば構わないし他の女の子と仲良くしてもいいが、それはそれとして浮気には文句を言うことにしたらしい。怒った顔もまた可愛いので龍姫としても異存はない。
「そういや、鞄とか靴は入ってたけど教科書がなかったな。なんでだ?」
「テキストは受講する授業によって変わるので別途購入なんです」
「ああ、そっか。受ける授業を自分で選ぶんだっけ。それ、転校してきた俺は滅茶苦茶不利だな」
「龍姫さんに関してはしばらくの間、好きな授業を見学していいことになっています」
実際に見た上で選べということだ。必要であれば専用の補講も用意してくれる手筈になっている。
「私も今日は授業があるんですが、龍姫さんはどうしますか?」
「ついて行っていいか? とりあえずなんでもいいから授業を見てみたい」
「わかりました。では、一緒に行きましょう」
口元を綻ばせながら頷いた少女はいそいそと残りの家事を片付け始めた。
二人で「行ってきます」と外へ出る。同棲している実感に自然と笑みがこぼれた。
外は快晴。
気持ちのいい空気を胸いっぱいに吸い込んでから一歩踏み出し──道に何人もの生徒がいるのに気づいて足が止まった。
くい、と制服の袖が引っ張られて、
「大丈夫ですよ。行きましょう」
「あ、ああ」
何食わぬ顔で人の流れに加わわると意外と何も起きなかった。
時折ちらちら視線を送られて「ねえ、あれ」「もしかして」などという声が聞こえてくるものの、相手方も半信半疑といった様子。
女子っぽい容姿が生まれて初めて役に立った瞬間である。
「おっはよー、悠陽!」
しばらく歩いたところで横手から声。
別の道から合流してきた少女がごくごく自然な動作で隣に並んだ。
明るい茶色のセミロング。ナチュラルメイクを施し、タイはラフな結び方。鞄には可愛い小物を幾つもつけている。元気のいい声も屈託ない表情も悠陽とは異なるタイプだが、
「友達?」
「はい。彼女とは同じ授業が多くて自然と話すように。……その、派閥も同じですし」
「そうなんだ。っていうことはセラフィーナ派?」
「そうだよー。あたしの家は昔からの魔女じゃなくて親は一般人だから、適当に入れてくれるところでいいやーって感じだけど。……っていうか」
にこにこしていた彼女は急に真顔になり、龍姫の顔を覗き込んでくる。
慌てて目を逸らそうとするも無駄だったようで、
「もしかして昨日の……桜木だっけ? あの男子!? すっごい可愛いじゃん!」
道行く少女たちの視線が一気に集まる。「やっぱり」とか聞こえてきてなんというか居たたまれない。
「ちょっ、もう少し声を抑えてくれ」
「あっ……ごめんごめん。でもさ、隠す必要あるわけ? みんなに認めてもらいたいから女装してきたんじゃないの?」
「そういう意味がないわけじゃないけど、無駄に目立つ必要もないだろ。ここの生徒は男子が嫌いみたいだし」
「あー、まあ、そうだよね。あたしも『モテたい』って言っただけで馬鹿にされたりとかしたし、わかるわかる」
うんうんと頷いた少女はさっと龍姫の手を取って笑った。
「あたしは
「あ、ああ、よろしく?」
「笹川さん。か、彼氏って、その、私は……!」
「あれ? 付き合ってるんじゃないの? 昨日みんなの前でキスまでしたのに? じゃああたしがこの子もらっても──」
「駄目です!」
急に大きな声が出たのでまた周囲から視線が集まる。
龍姫は慎ましい生活を諦めた。
それはそれとして、悠陽が「別れたくない」と思ってくれているのは嬉しかった。
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