0-2 一つの国が壊れる話 ーー人間の壊し方ーー

人喰いの王が何より恐れたのは、この奴隷の人間が瞬く間に災厄の魔女討伐を成し遂げたことだ。

…瞬く間といっても、大半の原始の一族と人間の寿命の感覚は異なる。

人間であるシルヴィアが誓いを立て、事を成し遂げるために10年以上費やした。

しかし、その偉業は彼ら原始の一族が災厄の魔女を認識して1000年もの時、何の手立ても講じられなかった。

彼らにとって『短期間』で偉業を成し遂げた。

その事実が、どれだけ彼らに衝撃を与えたか。

彼らは奴隷であるはずの人間の女を『英雄騎士』と呼び、敬意を持って接するようになった。

多くの国の人間の奴隷は解放され、市民権を会得した。


奴隷という制度そのものが、この世界では過去のものになりつつあった。

そんな時代の中、人喰いの王と呼ばれる男は玉座の間にいた。

「愛しきわが君……」

鬼人の王は愛すべき魔女の『一時の死』を嘆いた。

たかが人間の剣が災厄の魔女を切り伏せるとは。

原始の一族の、とりわけ一等忌まわしい種族である鬼人の王は、人間が持ち己らが持ちえないものについて思案する。

人間は弱い。感情に埋もれ、自ら破滅する存在。

だが。

「意志の力。そして成長」

原始の種族にはないもの。

彼らは精霊に近い存在であり、完成された存在。持ち得る力は生まれたときに決まっている。

その肉の器の成長で一定の魔力保有量は増えるが、あの人間のような爆発的な成長はできない。

「…人間は愚かなほどに強い。ならば、我が手で導こう」

機が実るまでは他の原始の一族に追いやられたこの北の大国で静観しよう。


原始の一族は二分化されている。

人喰いか、そうでないか。

「奴隷を食い物にしている分際で綺麗ごとを抜かす」

鬼人の王は聖人気取りの彼らへ、嘲りの言葉を紡ぐ。

二分化された大陸。その北の大地は鬼人族の王と、魔人族の北の王によって統率されている。

南の魔人の王は当てにならない。あの男は1000年前から相変わらず、愚直に我々に文字通りにらみを利かせている。

文字通り、この大陸を二つに分けているのだ。

鬼人の王が住まう北の大国ペレスリュカ。そして南の魔人の王が治める南ゼフェスゾーム。頑強な人喰い種族でも難儀する山脈を迂回し、安全に人間どもを蹂躙するにはゼフェスゾームを経由する。しかし、この国の境界のどこを越えても南の魔王の術式に阻まれ侵攻できない。

かの山脈を超えるのは王にとって問題はない。だが、下位の人喰い種族は狂うのだ。

標高高く忌々しい程に澄んだ山々。純度の高いその空気に触れれば人も原子の一族も関係なく発狂する。

山脈を通過するたびに、駒が壊されてはかなわない。

海路は話にならない。そもそも凍らない港がない上、人食い種族は王も含めて流れる水を渡れない。


心身に著しい損傷を受けた状態で南ゼフェスゾームの魔人族と戦うなど愚の骨頂。

故に、北の大国の人喰いたちは南に降りることはしない。

「……あの忌々しい小娘め。まさか人間ごときに負けるとは」

強い意志があの小娘の強さなら、歪めてしまえばいい。


王は再び、愛しの魔女に祈りをささげた。

「ああ、愛しいわが君よ。必ずや、あなた様を蘇らせましょうぞ」

貴女は美しい。

狂い嘆く災厄の魔女ほど愛しいものはない。

「あの娘の残すもの全てを狂わせてやろう」

災厄の魔女が狂う様を見る幸福を取り戻す。

王の願いに応えるように、玉座の背後にあるステンドグラスから光が差し込む。

それはまるで、血のように赤かった。

「いつまでも執念深い男だ」

「陛下……」

側近が不安げに声をかけた。

「案ずることはない。奴の望み通り、人間とやらに目をかけよう」

王は嫌な笑みを浮かべる。

「愛すべき人間に壊されろ。…なあに、仕込みに何百年かけようが問題ない」

「……っ!?」

その言葉を聞いた側近の顔は青ざめた。

「さすがはわが王。お心のままにいたします」

「それでこそ我らが主」

「期待しておりますぞ」

「ああ。お前たちの忠義には報いてやる」



一人の人間がもたらした奇跡。英雄の意思。

これはいつまでも続かない。

人間は成長する。そして。

安住の地に根付けば、何も学ばない。

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