第22話 殴っときゃよかった
「まあ、この人も本当は解しているから。同じ呪い持ちということで、研究をしているそうね?」
と、そこでお母様が宥めるようにお父様の肩を撫で、その荒ぶる鼻息が静かになるのを待つ。
「ええ、成果は出せていませんが……」
ユリシーズ様は僅かに眉根を寄せつつ、お母様に促されるままソファに腰を下ろした。お母様はお父様の背後に立った状態で、お父様の両肩に手を置いてぐぐぐ、と力を入れている。まるで、動くなよ、と態度で示しているような感じ。
お兄様は興味深そうにユリシーズ様を見つめたまま、相変わらず壁にもたれかかって首を傾げている。
「まあ、親父よりマシな呪いなんかね? 猫か。猫。うん、猫だな?」
そんなことをぶつぶつ呟いていると、ユリシーズ様が軽くそちらを睨みつける。もちろん、そんなことをお兄様は気にすることもない。
「まあ、いいや。で、情報共有だっけか? お互い色々話せばいいんじゃね?」
お兄様がそう言ったことで、ユリシーズ様が色々話をしてくれたのだけれど、禁書にあった内容は避けて、彼が研究室で作っている魔道具やレポートの内容が中心となった。
「俺、いや、私が作ろうとしているのは呪いによる肉体的変化を抑える魔道具です。呪いを解くことは現時点でほぼ不可能なんですが、このくらいなら……」
と、ポケットから拳大くらいの透明なガラス玉みたいな石を取り出してみせる。「これは魔力を失った後の魔石です。この空っぽの器にこうして魔力を流してみると……」
ユリシーズ様がぎゅ、とそのガラス玉を握りしめると、あっという間にその石が様々な色に輝きながら染まっていく。そして、一瞬だけユリシーズ様の猫耳が消えた。尻尾も。
でもすぐに、その猫耳も尻尾もぴょこんと再出現。
「まあ、一瞬だけですね。これを、せめて数時間とか時間を伸ばすことが可能であるなら、公式の場で他人の前に出なくてはいけないときなど役に立つと考えています。自分の見た目を気にする人も多いですから」
「へえ」
お兄様は純粋に感心したように声を上げたものの、お父様は首を傾げて固まっている。
「まあ、気にする奴もいるだろうな」
「ええと……その、クレーデル男爵は気になりませんか?」
「気にならんな」
「……」
ユリシーズ様は胡乱そうな目つきでお父様を見つめた後、その背後に立つお母様に視線を投げる。すると、お母様の口元に笑みが浮かぶ。
「うちの夫はこんな見た目でもカッコいいでしょう? 気にする必要がないのよ」
「そう……ですか」
ユリシーズ様が何とも微妙な表情で頷くと、それを見ていたお父様が小さく唸った。そして、ぽつりと呟いた。
「……ユリシーズ・ヴェスタ。ヴェスタ侯爵。ああ、何か覚えがあると思ったんだ。そうか、思い出した」
「え?」
「お前、いや、ヴェスタ侯爵ってアレだな? 昔、俺が殴ってやろうとしたヤツ」
「は?」
「で、お前は昔、誘拐されたことがあったろ? 侯爵家の跡取りが誘拐されたってんで、ギルドに捜索依頼が出てたんだ。随分と大掛かりな捕り物になったんだんだが、お前、覚えてるか? 確か、随分と小さい頃だったろ。で、俺もこんなナリじゃなかったし、爵位もなくてギルドで普通に働いてたんだよ」
お父様はうんうんと頷きながら、ポケットから小さなナイフを取り出し、おもむろに前髪というか毛玉の一部をザクザクと切っていった。床にばさばさと飛び散る毛は、いつの間にか応接室に入ってきたテイラーとリンダ、他の使用人たちが箒や袋を手にしながら片づけていく。
お母様も途中でハサミを手に持ち、慣れた手つきで刈り込んでいくと――久しぶりに人間の姿のお父様が現れた。お母様だけじゃなくてテイラーもハサミを持って参戦したので、お父様の全身から毛がどんどんなくなっていって、隠れていた白いシャツとズボンを穿いているのも目に入る。
焦げ茶色の髪の毛と瞳、雄々しいながらも整った顔立ち、僅かに目元にある皺。
アクション映画に出てきそうな美丈夫という感じのお父様は、ユリシーズ様に明るく微笑んで見せた。
「昔すぎて覚えてねえか」
「え」
ユリシーズ様が少しだけ身体を硬直させ、やがて「ああ」と口元を歪めた。
「お前の父親、お前が無事に帰ってきたっていうのにひでえことを言ったからな。俺、思わずあの澄ました顔をぶん殴ろうとして、ギルド長に蹴りを入れられて断念したんだ。二、三発、殴っときゃよかったなあ」
そこで、ユリシーズ様は言葉を失ったように唇を微かに動かしたけれど、結局何も言葉は出てこなかった。
お父様もお母様も、そして空気を読むということを知らないお兄様ですら、そんな彼に声をかけることを躊躇ったようで。
やがて、ユリシーズ様が軽く頭を下げた。
「その節は、ご迷惑をおかけしました」
「いや、別にそれはいいけどな? それと俺の娘に手を出すのは全く別の話だからな! その辺はちゃーんと覚えておけよ!?」
「いや、出さないですし」
「はあ? うちの娘が可愛くないってのか!?」
「それ、この話に関係ありますか?」
「あるに決まってんだろーが!」
何コレ。
わたしがお父様とユリシーズ様の顔を交互に見やり、すっかり二人の話に置いてけぼりにされて途方に暮れていた。
大体、お父様の言ってることがちょっとおかしいし。
「ディアナ。そう言えば、あなたの作ったお菓子もあったでしょう? 持ってきたら?」
お母様がそうわたしに言って、応接間から出ることになったのだけど、わたしに席を外させる口実だったような気がした。
事実、鈴小麦で作ったマドレーヌとフィナンシェを持ってその場に戻ってきた時、ユリシーズ様とお父様はどこか打ち解けたような空気を漂わせていて、どんな会話をしたのか気になって仕方ない。
それに何だかムカッと来たのだ。
ユリシーズ様を連れてきたのはわたしなのに、仲間外れってどういうことよ。
むむむ、と低く唸っているわたしの視線の先で、ユリシーズ様が少しだけ眩しそうにお父様とお母様を見つめているのが印象的だった。
そしてわたしが口を挟めないまま、ユリシーズ様の研究の援助を我が家でもする、という話が決定した。
お父様とお兄様が魔物を退治して手に入れた魔石とかを、研究に使って欲しいとかなんとか。
お母様はそれを将来的に商売にできないか、と考えているみたい。
呪いを一時的にでも抑える魔道具が販売できるようになったら、絶対に話題になる、って目を輝かせていた。まあ、そうだろうけども。うん。
わたしも何か手伝いたいなあ、ともやもやする。
何ができるんだろう、わたし。
「正直、お前の両親が羨ましいよ」
別れ際、ユリシーズ様はそうわたしに苦笑して見せた。「呪い持ちでも夫婦で仲良く過ごせるというのは、夢物語だと思ってた」
彼の横顔はどこか寂しそうだったし、つらそうでもあった。
「身分の高い人はそうなのかもしれないですね」
わたしは躊躇いつつ彼にそう言うと、彼はわたしを見下ろして首を傾げる。
「元々、わたしたちは由緒正しき平民出身ですから、ギルドで呪い持ちの人たちを見ることはよくあるんですよ。見た目が人間離れしていても、別に気にしないというか、気にしていたら仕事にならないですし。でも、身分の高い人はそういうのと無縁でしょう? 慣れですよ、慣れ」
「そうか」
「何はともあれ、うちの父と母がすみません。また学園で呪いについて相談させてください」
「ああ、また学園で」
そう返してくれたユリシーズ様の表情は今までで一番柔らかかったと思う。いつもは突き放すような表情でわたしを見ていたのに、今は――。
わたしは彼にお土産としてマドレーヌとフィナンシェを渡して玄関先で見送った。彼の乗った馬車が庭から出て行くのを見ていたのはわたしだけじゃなく、お母様もいつの間にか背後にいて。
「可哀そうにね」
唐突に、お母様が呟いた。
「可哀そう?」
「だってあの子、寂しさが顔に出てるじゃないの。きっと、酷い家庭環境にいるんでしょうね。大切にされてないんだわ。寂しいのよきっと」
「うう……ん」
わたしは思わず唇を噛んで、それからハッとして顔を上げた。
そのまま応接間に走り出し、勢いよく扉を上げて叫ぶ。
「お父様! ユリシーズ様が誘拐されたって何ですか!? 何があったんですか!? 教えてください!」
その時、お父様とお兄様は魔物討伐についての話をしていたみたいだったけれど、わたしの声を聞いて『うるさい』と言いたげに耳を抑えながらこちらを見た。
そして、お父様は少しだけ考えこんだ。
「同情から恋が生まれたら困るしなあ……。知らなくてもいいと思うんだが」
とかぶつぶつ呟いていたが気にしない。
「お父様!」
再度わたしが叫ぶと、お父様は「学園で、友達とか知り合いの誰にも言うなよ」と前置きして簡単に話をしてくれた。
ユリシーズ様が幼い時に起きた誘拐事件。
その当時、とんでもない大騒ぎだったんだとか。
そりゃそうだ、と思った。これ、彼のお父様であるヴェスタ侯爵が原因で起きたことだったのだ。
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