Escape! Escape! Escape!

スギモトトオル

本文

 もはや地球環境は壊滅的だ。

 そんな言葉を、人類は有史以来どれだけの回数叫んできて、またどれだけの大勢がそれを聞き流してきただろう。

 しかし、事ここに至って、ついに無視することの出来ない逼迫した事態が発生してしまった。人間たちの奮闘虚しく、とうとう地上の住処を追われ、いままで文明を築いてきた大部分の土地を諦めて逃げ出すしかなくなったのだ。

 科学の栄華を極め、この地上の隅々、空の彼方、海の底に至るまで恐れるもの最早無し。そう言って万種の霊長を謳った人類を、あっという間に地上から追い出した脅威。

 それは、かびだった。


 見よ!この菌糸に覆われた大地を!


 町も、森も、草原も、あらゆる場所が菌糸で埋め尽くされている。

 信号も、ショーウィンドウのマネキンも、ビルの上のオーロラビジョンも。すべてが白い糸に覆われて、さながら世界中が真綿に包まれたようだ。

 変わり果てた街の姿を、カトーはしみじみと見下ろしていた。

「はぁ、はぁ……待ってくださいよ、カトーさん……」

 肩で息をしながら階段を登ってくる人影がひとつ。カトーと同じ白い防護服姿で、よたよたと手摺を頼りに一段一段進んでいる。

「だらしねえぞ。ショーコ、お前が最年少なんだからシャキッとしろ。上で隊長が待ってんぞ」

「そんな、私は、ぜぇ、頭脳派の、ぜぇ、研究者なんです!」

 近距離通信越しに唸りながら、カトーの立つ踊り場まで何とかたどり着くショーコ。手摺に上半身を預けてぐったり寄りかかっている。カトーはそれを見下ろしながら、無線を頭上のゴノエ隊長に繋ぐ。

「あー、隊長、ウエノが追いつきました。そっちはどこまで登りました?」

『おお、俺はまだ3フロアしか離れてない。ゆっくりでいいから二人で登ってこい』

「了解。おら、休んでねえでとっとと行くぞ」

「うぇ、ま、待って……ちょっと休憩させてくださいよ……」

「だーめだ。とっととこんな任務片付けて帰るんだろ?」

 コロニーから出発する時に、「カビの中に自ら入って行くなんて……」と嘆いていたのは他でもないショーコだった。

「そうですけど、もう、体力が追っつきませんて……」

 階段の手摺と一体化したようにしがみついて、動き出す気配がない。カトーはため息を付いて、ゴノエに通信を繋いだ。

「すみません。もう少しかかります」

『はっは、まあ無理はさせるな。後でしっかり働いてもらわないとならんからな』

 ゴノエの言葉にほっとするショーコと、やれやれと肩を竦めるカトー。

 彼らは渋谷のランドマーク、スクランブルスクエアの階段を登っていた。


****


 事の始まりは、エジプトで撮影された一枚の写真にあった。カトーがその説明を受けたのが、丸一日前のコロニーでの出来事。

「こいつがギザの70時間前の様子だ」

 会議室に集められたカトーとショーコは、肩を並べて差し出された写真を覗き込んだ。

 一面真っ白な大地は既に見慣れた光景だ。謎の白カビに地上のあらゆる土地を占有されてしまってから既に10年以上が経つ。遠くに真っ白なピラミッドが見えることでエジプトだと分かるが、それ以外には何もない広大な砂漠が隙間なくカビに覆われて広がっているのみ。

 異様なのは地上ではなく、その上空、空中に浮かぶ膨大な数のテントだ。

 オレンジ色の布を釣鐘型に張ったものが、砂漠の上空に群れをなして浮かんでいる。どこかに吊り紐があるわけでもなく、熱気球のような仕組みにも見えない。ただ、合成写真のように浮かんでいるのだった。

「たまたま生き残っていた定点観測カメラから送られてきたわけだが、2時間後に次の写真が撮影された時には、既にこのテントは消えていた」

 カトー達とテーブルを挟んだゴノエが説明する。隣では、スーツ姿の役人が頷いていた。胸に国連関連機関のバッジを付けている。

「それからだ。世界各地の観測所の写真にこのテントが写り込んでいるのが発見されたのは。以来、俺たちのような調査員が集められて、現地へ調査に出ている」

 ゴノエは手元のファイルから別の写真を取り出す。ファイルには『機密事項』の赤いスタンプが押されている。

「東京で発見されているのが、これだ。渋谷スクランブル交差点の定点カメラだな」

「……なんつーか、ボヤけてますね」

「あの、もう少しはっきりした写真は無いんですか?」

 カトーとショーコが眉根を寄せてそれぞれコメントする。写真には、109ビルの看板の横に何か擦り付けた跡のようなオレンジの影が小さく映っていた。ゴノエは二人の反応を前に、ため息を吐いた。

「残念ながら、手がかりはこれだけだ。俺たちはこいつの調査に向かうことになっている。出発は12時間後だ」

「ええ!?」

「また急な……」

「仕方がない、決定事項だ。二人とも、早急に準備にかかれ」

 かくして実地調査に送り込まれた3人は、高い場所から周囲の様子を伺うために、高層ビルを中腹まで登っていたのだった。


****


「おら、もう休憩したろ。行くぞ」

「はぁ、はーい……」

 未だ息の整いきらないショーコを連れて再び階段を登り始めようとしたとき、外部マイクが拾った微かな音にカトーの耳が反応した。

 ガタン、と何かが倒れる音。それに続いて、重いものを引き摺るような、低い摩擦音。

「わ。急に立ち止まらないでくださいよ。何ですか?」

 カトーの背中にぶつかって、後ろに転びそうになるショーコ。カトーは振り返ってショーコの姿と、階段室からフロアへと入るための扉とを見比べて、再びゴノエへ通信を開いた。

「隊長、妙な音を聞きました。ウエノと22階を調べます」

『どうした』

「ただの風音か何かならいいんですが、ちと気になります」

「え、私も行くんですか」

『……分かった。俺は一旦ここで待機する。10分後までに一度連絡を寄越せ』

「了解」

「ねえ、私も?」

「何だ、休んでる気だったのか」

 ゴノエとの通信を閉じ、カトーは既に登りかけていた階段から足を下ろして、フロア内部へと続く鉄扉のノブを握っていた。

「まあ、お前も給料分はしっかり働けってこった」

「私こんなことするために博士号取ったんじゃないのに……」

 ドアノブを回すと、錆びついたドアはあっさりと開いた。ヘッドライトに加えて懐中電灯を闇の中に向けながら、カトーは迷いなく放棄されたオフィス区画へと入っていく。

 大部分が当時のまま残っていた階段室とは違い、フロアの様子はひどかった。壁も床も天井も白いカビの菌糸に覆い尽くされていて、ところどころ崩れている箇所も見当たる。

「待ってください、カトーさ……うあっ!きゃあっ!」

「ショーコ!?」

 ふらふらした足取りでカトーの後についてきたショーコが、床が崩れた箇所を踏み外してしまった。カビの綿毛が穴を隠していたのだ。

 慌ててショーコの防護服の腕を掴んだカトーだが、無理な姿勢で体が傾く。周囲に手掛かりもなく、バランスを崩して二人ともそのまま落ちてしまった。

「ってて……おい、ショーコ大丈夫か」

 身を起こしたカトーが自分の防護服をチェックし、周囲へ懐中電灯の灯りを投げかける。ショーコは2メートルほど離れた場所に尻もちをついて座り込んでいた。カトーの方を向くこともなく、どこかを指さしている。

「あ、あれ……カトーさん」

 ショーコが差す方に電灯を向けると、そこには壁を突き破ってフロア内に突っ込んだ状態のオレンジ色のテントがあった。

『どうした、大きな音がしたが』

 上階のゴノエから通信が開かれる。カトーは注意深く辺りを警戒しながら、答えた。

「隊長、ビンゴでした。21階フロアに例のテントを発見」

『何だと』

「このまま二人で調査を続行します。音を立てすぎた。何かがいるんなら、逃したくない」

『分かった。俺も合流する。くれぐれも慎重にな』

「了解」

「カトーさん、これ、足跡ですよ!」

 テントに駆け寄って調べていたショーコが手招きをする。

 ヘッドライトに照らされた床には、カビの綿毛が何者かに踏みしめられた跡が残っていた。

 丸太のように太い円形の足跡。カトーは慎重に這いつくばって、懐中電灯の光を辺りの地面に当てる。

 ただの白いカビの絨毯。だが、カトーの目にはその表面にいくつもの足跡が見えていた。ランダムに見えるその痕跡をじっと見つめ、何者かが通った走行線を見出す。

 注意深くその跡を追って、カトーが狩人のように音もなく移動する。ショーコは息を呑んでゆっくりとついていく。

 オフィスの廊下を二度、三度と折れ曲がり、懐中電灯の光の輪がいくつ目かの角の先を照らした時、そいつはそこにいた。

 ブルルルル……

 オフィスの天井にも届こうかという巨体。獣らしい鼻息に、のそのそと鬱陶しそうな動き。その図体が、カトーの方を向こうとしていた。

「逃げろっ!」

 咄嗟に振り返って、弾け飛ぶように走り出すカトー。後からついてきていたショーコと角でぶつかりそうになる。

「わっ、どうしたんですかカトーさん!?」

「いいから!こんな逃げ場のない閉所であんなバケモンと戦えるか!」

「ばけもん?え、ちょっと!置いてかないで!うわっ、なにあれ!」

「走れショーコ!」

「つっても、このフロアの出口どこですか!」

 叫びながらオフィスフロアの中を駆け逃げる二人。後ろからは、突進によって様々なものが蹴散らされる音が聞こえてくる。

「こっちだ!二人とも!」

 フロアと階段室を繋ぐ鉄扉が開かれて、前方からゴノエの声が近距離通信でカトーとショーコのヘルメットに届く。

 間一髪。二人が転がり出たその扉口に、勢いよく突っ込んできた巨体の持ち主。

 ずん、と腹に響く衝突音がしたが、さすがに鉄扉の枠を破壊するほどの力は無かった。

「あぶねーっ」

「死ぬかと、思い、ました……」

「間に合ってよかった。えらい激しい音が聞こえたから、何事かと思ったが……」

 そういって、隊長を示す赤いマークが腕についた防護服のゴノエが改めてドアの向こうを見た。

「……イノシシか?」

「カバじゃないっすか」

「どちらにせよ、三つ目の大型哺乳動物なんて見たことないです……」

 謎の獣は諦めたのか、ドアから遠巻きに3人を見ている。

「ショーコ、写真撮っとけよ」

「もう撮りましたよ、逃げてる間に。毛のサンプルも落ちてたんで20本ほど拾えました」

「……お前、いつのまに」

「何言ってんです。じゃなきゃ来た意味が無いじゃないですか」

「研究者ってやつぁこれだから……」

 カトーは呆れるが、ゴノエは楽しそうに笑った。

「はっは、じゃあ、こいつにはもう用は無いな?」

「ちょっと、隊長、なにしてんすか」

 ゴノエは何をどうやったのか、持っていた拳銃の弾を取り出して分解し、中の火薬をさらさらと足元に撒いていた。

「あんなのが歩き回ってると思ったらおちおち安全にも帰れないだろ。燃やしておく」

 しゃがんだゴノエはナイフを使って火花を立てると、カビの中に撒いた火薬に着火させた。

「ちょっと!?」

「さ、ずらかるぞ」

「おお、燃えますね」

「言ってる場合か!」

 慌てて逃げ出す3人。火は比較的ゆっくりと燃え広がり、オフィスフロアを燻しながら最終的に5階分ほどを黒焦げにした。

 火に追いかけられながら逃げ切った3人は、本部からの回収ヘリにピックアップされ、コロニーへの帰途に就いた。

「でも、あれだけ燃えてもまた生えるんですよね、カビ」

 ヘリの中でショーコが呟く。

「しぶといからな。人間が何しても無駄だったんだから」

「まあ、いざというときはああやって身を守る手段にもなるってことさ」

「ありゃやりすぎですよどう考えたって」

 カトーが呆れるが、ゴノエは笑うばかり。

 ショーコは、手の中の、灰色の毛が束になって入った採取ケースを眺めた。

「でも、なんなんでしょうね、

「そいつは、これからお前が解明してくれ。世界中から似たようなサンプルも採取されるだろうしな」

 カトーはヘリの窓から、純白に覆われた、砂糖菓子のようになったコンクリートジャングルを見下ろす。

「あるいは、お前の発見が人類の反撃の狼煙になるのかもな」

 渋谷駅の上からぶすぶすと上がる黒い煙は、その一歩に見えなくもなかった。見渡す白の中に、人間の残す、汚くも明確な一歩。

「ま、いつかまた、乗り越えるだろ。今までだってそうだったんだ」

 カトーは窓から離れ、シートに深く腰掛ける。

「しぶといからな、人間も」


 後日解析が進み、がカビと共生する生物であることが発覚。

 さらに、それを送り込んできた異星人たちと地球人類が邂逅することになるのだが、またそれは別の話。


<了>

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