君のおくすり
木之下ゆうり
悠斗/1
この国の人は優しい。心を寄せて、気を配り、配慮に余念がない。そんな中で私は、心を配り過ぎて中身が空っぽに。心のめぐり促進科への訪問を余儀なくされた。
心のめぐり促進科。此処はかつて精神科と呼ばれていたと聞く。だが、弱き者を受け入れる場所という偏見が拭えず、いつの頃からか名を変え、次第に周囲からの眼差しが和らぎ優しくなった。名前を変えるだけで付き合い方が変わるなら、私はいっそのこと名無しと呼ばれたい。
初診の手続きを済ませるとウェイティングルームに通された。通常診察室と呼ばれる場所だった。空席のソファを数脚見送り、窓際に腰を下ろす。空が青く、遠かった。
間もなく呼ばれ、ドクターの診察を受ける。ドクターは質問を重ねて、私の近況と、自覚症状と、心の中を診ていった。
「お疲れ様でした。では、おくすり出しておきますね」
看護師に通されたのは、隣のおくすり待機室。晴れの空を模した壁紙が眩しい。こじんまりとした室内にひとりきり。指示通りにドアの前で待った。カタンとひとつ音を立て、ゆっくりドアノブが動く。看護師さんの登場を予期していたけれど、爽やかな青年が顔を出し、にっこりと微笑んだ。窓などないのに薫風が吹き抜ける心地がする。
「お待たせしました」
彼の背後から「忘れ物だよ」と声が響く。触り心地の良さそうなバスタオルが、肩掛けのボストンバックに仕舞われた。丁寧にジッパーを閉め、彼は再びこちらを向く。
「初めまして。悠斗です」
「はい、初めまして」
「では一緒に帰りましょう」
「え……何処へ?」
「貴方の帰りたい場所です」
当然の如く言うけれど、理解が全く追いつかない。私は薬を待っているだけだ。彼は出る部屋を間違えたのではないだろうか。
「すみませんが、人違いではないですか。私は処方薬を待っているのです」
「はい。僕です」
「え?」
「おくすりです。僕が、貴方の」
さあ。そう言って出口のドアを開け、外の光を呼び込む君。また、薫風が吹き抜けた。
たわいない話をしながら二人で帰る。軽く自己紹介をしてくれたが、得意料理と好きな小説三選という、独特な切り口のものだった。「おくすり」の正体には踏み込めぬまま、アパートの手前にあるスーパーに誘導された。
「何か食べたいものはありますか?」
何でもいいとは言えず考えあぐねていると、食費は自分で出せるから安心してほしいと言った。そこはあまり気にしていなかったが、とりあえず彼の得意料理を指定した。
「じゃあ、親子丼」
「うん。喜んで」
あどけなさの残る満面の笑み。嬉しそうで、楽しそうで。その純粋さに、何故だか泣きそうになった。
帰宅後、彼は真っ直ぐキッチンに向かった。手伝おうとしたけれど、だめだと止められた。
「そう言われても、此処は私の家なので」
「大丈夫。僕、こう見えて料理好きなんです。味は自信ないけど」
彼は私の名前を呼んだ。
「ゆっくりでいいので、甘えることを覚えましょうね」
リビングで彼を待つ間は、何もせずひたすら待った。トントンと包丁がまな板を叩く音、広がりだすお出汁の香り。唯々それらを感じていたかった。
ほかほかの親子丼が運ばれてきて、一口頬張る。優しい味がした。得意料理になるほど、誰かに振舞ってきたのだろうと思った。
「美味しいね。ご家族にも作ってあげるの?」
「いえ、僕はおくすりなので」
沈黙する私の隣で、そっと始まる正体の開示。
「僕らは、おくすりは、限りなく人に近いヒューマノイド。個体ごとに作られるので家族はなく、同じものもいません。普段は所属する心のめぐり促進科に住まい、僕を必要とする方を診るための勉強をしています」
「勉強? よくは知らないけれど、そういった知識をインストールするとか出来ないの?」
「はい。僕の脳にあたるOSや記録媒体は高精度ですが、人と同じように自ら学んで多様性を学び、柔軟性を身につけることを運命づけられています。これが『人に近い』と称される所以で、おくすりの強みだそうです。僕の先生は、人を傷つけるのは人であり、癒すのもまた人であるとよく言っています。まあ、僕は僕自身を人とは言えない気がしていますが」
「どうして?」
「悩まないからですよ。何か課題を見つけても、解決策を探して実行に移そうとする。思考が未来を向くので、そういうプログラムなので、あの時こうしていればとか、こう思われちゃったんじゃないかみたいな、『過去のもしも』に集中することが出来ないんです。これがきっと、人に近くて人にはなれない理由と思ってます」
気づくと笑みがこぼれていた。もちろん彼はその理由にピンときていないようだけれど。
「それ、十分悩んでるじゃない」
「あ。ほんとだね」
私の部屋を満たす二人分の笑い声。きっと窓の外にも響いてる。
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