二つの中編集:『死神』

星 太一

狡猾の鬼

借金苦の男(起)

 皆さんは「死神」を、ご存知だろうか。




 赤と白の並んだ提灯、蔵のような生白い古い建物。祭りでも始まりそうな雰囲気が薄く漂う看板、飾りの数々。

 目を引く真っ赤な「大入」看板が女の赤い舌みたいで美しいと思ったのはきっと自分だけだろう。


 人がまばらに歩くその通りに男がひとり、ふらりと通りかかった。乱れた襟から覗く喉の付け根の辺りに桜桃口の判が押されており、周りに酒と女のにおいをばら撒いている。

 理性が残っているかも怪しい老人みたいな足取りのそいつがとろんとした眼でふとあの真っ赤な看板を見た。


「ひっく」


 呑み込まれるように入口へ入っていく。

 それをお日様だけがにこにこ見ていた。


 * * *


「ひっく、ひっく。俺ァ死ぬしかないんじゃぁ」


 深夜二時、草木も眠る丑三つ時。人気ひとけのない深い深い樹海のど真ん中――ぐらい。

 大の大人が何ともみっともねぇ。

 ランタンのぼうっとした灯りだけが見守る中、見様見真似で作った輪っかが付いた縄を号泣しながら木に引っかけた。

「もう金もない。臓器を売る勇気はない、漁船に乗る勇気もない。実家に帰る勇気も嫁さんに合わせる顔も何にもない。帰る場所が無い。ひっく、ひっく……というか帰ったらバレるから合わせる顔も何も、それ以前に帰りたくない。バレたくない――何を言っているんだろう、俺ァ」

 わっかに試しに首を入れてみたが矢張り、入れれば入れるほど手がガタガタ震えてどうしようもない。

「早くった金取り戻さないといけないのに何でかちっとも勝てない。多分次は当たる、当ててみせる。そのためにも早く次の金借りないといけないのに……イチゴとは知らなんだ。嗚呼知らなんだよ……返すまで貸さねぇだなんて、ひっく、そんな酷いこと言わなんでもなぁ」

 賞金の代名詞百万も使ってみればあっという間だな、なんて考えながら「あとは蹴るだけ、蹴るだけ」……。

 でも怖くてそこから先が出来ない。冗談かってほど手が震えてやまない。

「でも捕まったら死ぬより怖いことが起こるってどっかで聞いた、誰かから聞いた……」

 だったら痛みなく死にたいよう。痛みなく苦しみなく楽になりたいよう。

「埋められるそうじゃないか。拉致されて大事な臓器を海外に売られるそうじゃないか。漁船に乗せられてマグロ一本釣りさせら――それはカツオだなぁ」

 随分余裕があることじゃないか。まあそりゃそうか。次勝てばイチゴなんて全然関係なくなる。だって簡単に返せるほど俺は稼げるんだから。

 だって初めてパチ打った時……。

 そう、元金さえあれば良いんだよ。俺はそれさえあれば何事もなく平穏無事に暮らせるんだ。今はただタイミングが違ったというだけであって、もっと金を積めば俺は、俺は。死ぬ必要なんて本当はないんだ、俺は、俺は。

 でも街に出れば捕まる。パチ屋なんか行ったら直ぐにズタ袋被せられて黒いワゴンに押し込まれて……。

 そう思ったらぶるりと体が震えた。

「ああ、早く死ななくちゃなぁ、死ななくちゃ死ななくちゃ……」











「じゃあ早く死ねよ」






 ドカッ。






 ――!?

 突然頼みにしていた足場が消えて体が宙に浮いた。

 い、息が!

 ムリムリムリムリ!!

 死ぬ! 死んでしまう!!


 ギブギブギブギブギブギブギブギブギブ!!


「あらそう?」

「ゲホッ、ゲボッ!! ヒィーッ!!」


 きゅっと絞められたかと思えば突然頭上でショキンと気持ちいい音が聞こえて自分の体が柔らかい土の上に落っこちた。わっかに流れで巻き込まれた両手がヒリヒリ痛い……。

 ったく、あらそう、じゃねぇんだよ!

 百年の恋――じゃねぇ悲しみも涙も一瞬で枯れ果てたわ!!

「テメッ、ゲホゲホッ! この野郎……!」

 胸倉引っ掴んでブンブン前後に振ってや――ろうとしたのに野郎、全然びくともしない。というかぎょろりとこちらを向いた上から目線の猛禽類の目にギョッとして思わず手を離してしまった。

 ハッキリとした黄色の虹彩、コントラストが鋭い真っ黒な瞳孔。顎を彩る髭、自分よりもきっと十センチはのっぽな白いスーツの大男。少しく開いた胸元の下から覗く立派な筋骨隆々。何よりそれらを飄々と鮮やかに覆い隠す長い茶髪。毛先がくるんと癖っ毛で肩の辺りに垂らすようにひとつにまとめられており、右目をひと際長い前髪が隠していた。


 見た目は完全裏社会のボス。


 やべっ。殺されるっ。

「ヒィィーッ! ご勘弁をー!」

 腰をガックン抜かしながら情けない格好で逃げようとする俺に

「待てよ」

なんて男は笑いながら後ろ襟をムン掴んでくる。

 直ぐに首に腕を回された。強制的に体が男の方へ引っ張られる。顔が近い! 酒と女のにおいが物凄い!

 ややや、やばい! やばいやばいやばいやばいやばい!!

 ヤンキーが絡む時のヤツだ! この後身ぐるみ剝がされてボッコボコにされて山にぽいっされるヤツだ!!

 マフィアがこれをやるかどうかは俺は知らないけど兎に角ぽいってされるヤツだ、ぽいって!!

「ヒィィーッ!! お助けぇ!!」

「こらこらちょっと待てよ、なぁ。一旦落ち着けって、なぁ」

「ヤダヤダ死にたくない、死にたくないーっ!! おたすっ」

 吸い付くように手で塞がれた口。瞬間、音のすべてが喉の奥に引っかかって取れなくなってしまった。

「大丈夫。お前のお望みはちゃぁんと叶えてやるからさぁ」

 突如広がった静寂の中にねっとりと絡みつくような低音が響く。

 そのひとつひとつの異様さにもう、こう聞くしかなかった。


「だ、誰ですか。あなた」

「俺?」




「死神だよ」




 * * *


「死神?」


 正気か?

 何の冗談?


「そう、死神。あんまりにもお前さんが死にたい死にたいって言うもんだからさ、引き寄せられちゃった」

 そう言って腹に拳を当てればみるみる出てくる腹から凶器!

 ――うぇええっ!?

「え、え、え? うえぇっ!? ほ、ほほほ本物!?」

「あんまさえずるな、ぜーんぶモノホンに決まってんだろ?」

「やっ、そういう意味ではなくってですね、あなたがっ」

 突如近くの地面に火かき棒がドッと突き立つ!

「アギャアアアアアアアアアッ!!?」

 何で火かき棒で命の危機を感じなくっちゃいけないの!

 ダッ、誰かっ! ちょっとこのひとヤバいんですけど!

「楽しいね」

 楽しくなぁい!

「さぁ、あんたさんはどうやって死にたぁい? 刃は全部研いできたよ」

「ちょ、ま! とは言ったって、でも、そんなこ――!」

 慌ててる俺のことなぞ目もくれず、死神と名乗った男はニッカニカに笑って顎の下に長い指を添えてくる。

「……良い目をしてるな。早く喰いたくなる」

 そのニヤついた目とコソッと言われたその内容に愈々体の芯がひゅっと冷えた。

 あれれれ? これ、「マフィアのボス」がうんたらとかそういう次元の問題じゃないのでは?


 ないのでは?


 ないのでは!!?


 別の意味で冷や汗が出てきた。

「や、ちょ、待、引き寄せられたってどういうことっすか! まずはそこから説明してくださいよ!」

「どういうって! そのまんまだよお前さん、死神っていうのは死に引き付けられんのよ! お前さんが八方塞がりになって自死の直前まで来た。そしたら命、刈り取らない訳にはいかねぇだろ? 死神なんだもの、勿体ないもの」

「だ、だだだだだとしても俺じゃなくったって良いじゃないっすか!!」

「そんなこと言って、この三日間だらだら死に方考えてた癖に! らくぅに痛みなく、苦しみなく死にたいって願望持ってた癖にぃ! いじらしいぞ! お前!」

「え、いや、でもでもっ! やっ――!」

 何とかして言い訳かましてどうにか逃れようと頑張ったけれど、喋ってる途中で死神に首をムンズと掴まれた。

 見た目通りの力の強さ。何かに失敗してもこの握力だったら首の骨、簡単にへし折ってしまうんだろうなぁとか考えてる場合じゃないに決まってるだろ!

 どうするどうするどうする!

「ふふっ。怖がってるその顔も昆虫みたいにじたばた暴れまわるその四肢も何もかもが最高に可愛いよ」

「ケホッ、ケホッ! ヒィーッ!」

 気管がきゅーっと塞がれて声も出ない……!

 あああ神様仏様女神様!

 誰か誰か助けて助けてっ。

 誰でも良いから誰か助けてっ。




「黄泉の国でもたっぷり可愛がってやるからな」


「それこそ息もできなくなるぐらいに」






 誰か誰か助け――!











「あ!」











 ざしゅ。


 ぱっと飛び散った。


(つづく)

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