ダンジョン対策室の眠れない日常

葵大和

ダンジョン対策室へようこそ

第一章:異世界とアットホームな職場

第1話「当該公僕の異動願いを受理してよろしいか」

 23時47分。

 事務所の窓から見上げた夜空には、無数の星が輝いていた。


「さらば終電、こんにちは深夜残業……」


 視線をデスク上へ戻す。

 未処理の書類が山のようになっている。

 確実に処理しているはずなのに、いっこうに減った気配がない。


「……はあ」


 23時48分。

 誰もいない事務所で俺は大きなため息をついた。


 ところで、社畜という言葉をご存知だろうか。あるいは公僕こうぼくでもいい。

 いわゆる会社だとか官公庁だとかで、どう見ても終わるはずのない仕事をそれこそ休日まで返上してクソまじめに処理しようとする働き者の総称だ。

 いろいろな要因からそうなるのだと思われるが、現実を直視するのを拒否するかのように、なけなしの気力をふりしぼって働き続ける彼らの姿は、実に涙ぐましいものである。


「公務員がホワイトっていったのどこの誰だ……」


 かくいう俺もそのうちの一人だった。


「はあ……明日、どうなるかなぁ」


 3月26日。規則上は明日、人事異動が発表されることになっていた。

 例年どおり、異動願いは出している。


「せめてもっと平和な部署へ……」


 23時58分。俺のあわい希望などそっちのけで時計の針は進んだ。


「……よし、やるか。……今日は夜明け前に帰れますように」


 なにかに祈りながら再び書類の山に手をつける。

 23時59分。

 そんなときだった。


「ん?」


 ふと、事務所の奥にある会議室に明かりがついたのが見えた。

 こんな時間にいったい誰が……少なくともさっきまで俺以外の人の気配はなかった。


「やだなぁ……」


 守衛しゅえい室に警備員を呼びに行こうかとも思ったが、自分がこんな時間まで残業している手前てまえ、単にほかのブラック戦士が帰還しただけだったら申し訳ない。


「……はあ」


 ひとまずちょっとだけ様子を見ることにした。


「あの、誰かいますか――」


 そう言いながら会議室の扉に手をかける。

 直後、


『やったああああああああ!! 良いこまみつけましたあああああああ!!』


 頭の中に狂喜きょうきに満ちた甲高い男の声が響き、俺の意識はぷつりと途切れた。


◆◆◆


「……ここ、どこだ」


 目が覚めたとき、目の前にはどこまでも続く真っ白な空間が広がっていた。

 状況を掴めないままあたりを見回していると、ふとその真っ白な空間の奥の方に見覚えのある椅子を見つける。


「あれは……」


 間違いない。

 公務員試験の二次面接で自分が座らされたパイプ椅子だ。

 足がわずかに右に曲がっていて、背もたれのフレームが茶色く錆びている。「どんだけ予算ないんだよ」と衝撃を受けたのでよく覚えていた。


「なにがどうなって……」

 

 状況が把握できない。

 しばらくするとその椅子の正面に簡素な長机がにゅっと現れた。

 まるでこれから面接を開始せんとばかりの様子である。


「それでは! これより〈ダンジョン対策室〉の面接試験を開始しまああああああす!」


 すると突然、真っ白な空間にハイテンションな声が響き渡った。意識が途切れる間際に聞いたものと同じ声だ。


「うんしょ、うんしょ」


 間をおかずして、俺以外誰もいなかったその空間に派手なシルクハットをかぶった血色の悪い男が現れる。

 ピエロのような厚化粧をしたその男は、現れるやいなや魔法のようにどこかからもう一つの椅子を取り出し、机の向こう側に置いて音もなく座り込んだ。


「はじめまして! ワタシは〈怠惰たいだの神〉ジェスター・カーマインです! さて、では早速アナタの志望動機から聞いていきます! とりあえずそこに座ってくださーい!」


 たぶん俺に言っているのだろう。そう思いつつ後ろを振り向きたい衝動に駆られた。


「キミのことですよ! 〈夜刀見ヤトミ・シンラ〉君!」

「あっ、はい……」


 とりあえず俺はパイプ椅子に座っておおげさに唾を飲む。


「……ちなみにこれ、なんの面接なんですか?」

「はい! デインフェール王国の行政機関の一つ、〈ダンジョン対策室〉の公ぼ――事務員採用面接です!」


 ん? 今公僕って言いかけなかった?


「なるほど! 働きすぎて死にそうになるほどありあまる体力と精神力をもっと充実した仕事に活かしたいと! いいですね! これぞ公務員のあるべき姿だ!」


 まだなにも言ってねえ。


「あの、俺はそんなに体力もあるほうじゃないので……これ以上過酷な労働環境は……」

「大丈夫です! ワタシが魔改造しますので」

「えっ?」

「あっ! いえ、なんでもないです!」


 今、不穏な言葉が聞こえた気がする。


「とにかく、君はとても運が良い! 神に祝福されている! あ、そうだ、ちょっとこっちに来て手のひらを見せてくれませんか?」


 ピエロ――本人曰く〈怠惰の神〉ジェスター――が楽しげな笑みを崩さないまま手まねきをした。できるだけ近づきたくなかったが、従わなければそれはそれでなにをされるかわかったものではないので、一抹いちまつの恐怖を抱いたままジェスターに近づき、手を開いてみせる。


「どれどれ」


 ジェスターはまたどこかからか年季の入った片眼鏡モノクルを取り出して、顔にかけてから入念に俺の手のひらを見つめた。


「……クハハ」


 そのときジェスターの口からもれた興奮を抑えきれないとばかりの笑いが、俺の耳に妙に残った。


「あの、ちょっとおなかが痛いので退室してもいいですか?」


 その頃になってようやく俺は決心した。


 ――これ以上ここにいるのはまずい気がする。


 たった二十年かそこらだが、これまでつちかってきた勘が警鐘けいしょうを鳴らしていた。


「ダメです!」


 世の中いつだって無情だ。


「というか合格! シンラ君、キミ合格ね! じゃあこれからキミが新しい世界でたくましく生きていけるように、魔改造してから〈ダンジョン対策室〉に送りまーす!」


 そう言ってジェスターが俺のひたいを指で小突いた。

 軽く小突かれただけなのに、体がふわりと浮いて後ろに倒れ込む。


「では、ごきげんよう、ワタシの大切な〈公僕六号〉。アナタはきっとワタシの最高傑作になります。――ハハハ」


 座っていたパイプ椅子が地面に当たってがちゃりと音を立てた。

 しかし俺の体が地面に当たることはなかった。

 後ろに倒れたまま、どこまでも白い空間を墜ちていく。


 ――なんなんだ……。


 今や遠くに見えるあのピエロの顔は、ひどく妖艶に、それでいて奥底ない喜色きしょくいろどられているように見えた。


◆◆◆


 白い空間で奇妙な体験をしてから、どれくらいが経ったのだろうか。

 ふと、目が覚めた。


「クソがああああああッ!! またダンジョンの構成が切り替わりやがったッ!!」


 直後、怒号が耳を打った。

 俺は最初に目に映った光景を見て、ほぼ強制的に、自分がさきほどまでとはまったく別の世界にいることを知らされた。


 半ギレで涙を流しながらデスクをバンバンと叩く謎のがいる。

 あたりを無数の紙と万年筆がびゅんびゅんと飛びまわり、その事務室らしき場所にいた者たち全員が当たり前のようにそれらをつかまえて鬼気迫る表情でなにかを書き入れている。


「第13階層から第18階層まで環境が変わった! モンスターのレベル跳ねあがってるから戦闘系の探索団以外はすぐに撤退させろ!!」

「にゃあああああああん! 第17階層に〈十三怪異物〉出ちゃったああああああ!! 〈赤い死神〉だよ! 全員撤退! てったあああああい!!」

「え!? なに? もう死ぬって? 大丈夫! 〈蘇生官〉いるから!! だからそのダンジョンアイテムだけは死んでも持ち帰ってね!!」

「はーい、じゃあ構成が変わった階層のマッピングのために特務官を派遣しまーす」

「行きたくなあああああああああい!! 六徹は嫌だああああああああああ!!」


 白昼夢はくちゅうむでも見ているのではないかと思って強めに目をこするが、目の前の光景は変わらない。


「じ、地獄……?」

「あ、室長ー。なんか見慣れない人が入口に立ってますー」

「んー?」


 あっけにとられて突っ立っていると、書類が山積みになった机の中から一人の少女が顔をあげた。


「おー、ホントだー」


 澄んだ輝きを放つ長い白髪。対照的に、瞳はルビーのような鮮やかな赤色をたたえていて、それは磨き抜かれた陶器のような白い肌によく映えていた。


「見たところこの世界の住人じゃないよねー」

「ってことは〈特務官とくむかん候補〉ですかねー」


 身長は低い。全体的にとても華奢きゃしゃで、触れれば壊れてしまいそうな人形のようである。

 そんな可憐かれんな少女が書類の山をかき分けて近づいてくる。


「よいしょっと。ふむふむ、なかなか男前じゃないか」


 いざ目の前までやってくると、改めて少女の美しさに目を惹かれた。

 見た目はまさしく年端もいかない少女だが、表情や仕草がどこかあでやかで妙なギャップがある。


「さて、とりあえず、はじめまして」


 そんな少女が、目の前でぺこりと小さく礼をした。


「そしてようこそ、我らが根城へ」


 続いてやや疲れの見える表情で歓迎のポーズ。


「ここはとてもアットホームな職場です」


 最後の言葉には並々ならぬうさんくささがあった。


「えーっと……あの……なんていうか……」


 突然の出来事に俺は答えあぐね、ふと後ろを振り向いた。


「んんっ……」


 あるのはシックな木づくりの扉。

 上部のプレートにはこんな文字が刻まれていた。


 ――【ダンジョン対策室】


「すみません、出勤先間違えました」


 またここに留まっていてはいけない気がして、俺は苦しまぎれの言い訳を口にしつつきびすを返す。


「いやいや、大丈夫。君の出勤先は今日からここで合っているよ」


 しかし白髪の少女に腕をつかまれ、さらに予想だにしない力で前を向き直させられた。


「今はちょうどダンジョンの〈大変動〉があってバタバタしているけど、新しく特務官こうぼくが増えるとなれば話は別だ。なによりも優先して君の適性試験をはじめよう」

「こう……ぼく……」


 聞き慣れた言葉が耳を打つ。そのせいかようやくわずかな冷静さが戻ってきて、だからこそ自分がここから逃げられないということを悟った。


「……」


 自分の腕をつかんで離さない白髪の少女をまじまじと見る。

 やはり彼女はとても美しく愛らしい姿をしている。

 いずれは絶世の美女になるだろう。

 だがその見た目にそぐわない点がひとつある。


「あの……目の下のくまがすごいですね」

「ああ、私は今九徹中だからね」


 絶対にここで働いてはならないと全身の細胞が叫んでいた。


―――――――

【あとがき】

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