山下

家の敷地を出るとそこには正樹部長がたっていた。


「悟……おはよう」


「おはようございます」


お互いに昨日の件もあって、気不味い空気があった。


いや、謝らなくては。


「昨日はすまなかった」


「えっ? いや、こちらこそすみませんでした!!」


何故か正樹部長に謝られてしまった。


「すまん、昨日の俺は冷静ではなかった」


「いえ、冷静じゃなかったのは俺の方です。柔道の技を使ったのは……人としてやってはいけないことです」


正樹部長は苦笑いした。


「まあ、掴みかかった俺も人の事を言えたもんではないがな。確かに一瞬冷っとしたぞ、あれは」


「本当にすみませんでした」


深々と頭を下げた。


正樹部長も山下と同じく幼なじみだ。頼れる兄貴であり、大事な友人でもある。


コンピューターサイエンス部に誘ってくれたのも正樹部長なのだ。


「もう、よしてくれ。喧嘩両成敗……される予定だしな。中上先生が今日、生活指導室に来るようにとのお達しだ」


いずれにしても謝りに行く予定だったので都合がよい……と思うことにした。


「後な……こいつを渡そうと思ってな」


そういうと正樹部長は内ポケットから、銀色の筐体に有線イヤホンの着いた機械を取り出し、手渡してきた。


「正樹部長、これは? 」


「MDを再生するためのプレーヤーだ。すまんが勝手に中身を聞かせてもらった」


そういうと、正樹部長は少し切なそうな顔をした。


「だからこそ言えるが、これはお前が聞くべきものだ」


「聞いてもいいですか? 」


正樹部長は静かに頷く。


イヤホンを耳に着け電源を入れ、再生ボタンを押した。


再生ボタンを押すと、小さなディスクが回る音がした。


『えー、聞こえてますか?……あれ、これもう録音始まってるのかな? 』


山下の声だ……。


とても懐かしく感じた。実際、数ヶ月ぶりに山下の声を聞いた。


ガサガサと何かをする音がしたかと思うと、静かになった。


『あ……録音開始されてるみたいだね』


『万が一……なんて、無いと思うけど、悟くんに私のスマホのパスワードを教えておきます』


万が一か。ごめん、山下。


『ゼロ・ナナ・イチ・ニ。ゼロ・ナナ・イチ・ニ。覚えたら、このMDは人の目につかないところに捨てて』


『そして、誰にも教えないで。ひらきちゃんにも教えたら駄目だからね』


用心深い……な。


でも、正樹部長は俺にこれを聞いてほしかったのだろうか?


後、一つ気になったことがあった。


MD越しの声だからはっきりとは分からないが、僅かにヌメッとした嘘の感触がした。


再生が終わったのかと思ったが、環境音が微かに聞こえていた。再生が続いている?


暫くの間をあけて、再び山下が話し始めた。


『ちょっと早いけど、誕生日おめでとう。今年はケーキを作って祝ってあげるね』


…………涙が出そうになった。


でも、4月の時点から見たら俺の誕生日には大分早い。俺は6月9日生まれなのだ。


山下らしいせっかちな感じがした。


今日の夕方、山下の顔を見に行こうと思った。


「正樹部長ありがとうございます」


「いや……渡せてよかった。ただ、聞いてはいけない内容のようだから、この事は他言しないようにする」


正樹部長ならきっと大丈夫だろう。


「心配はしてませんよ。ただ、このMDを捨てられそうにないです」


今の山下とは話もできない。だから山下の声が聞ける貴重な媒体を捨てる気がおきなかった。


「せめて家のどこかに隠しておいたらどうだ? 」


「そうですね」


そういうと、すぐに家に戻り自室デスクの鍵付きの引き出しにMDをしまって、再び、家を出た。


「お待たせしました」


「あぁ、そうだ。自転車もお前の家の敷地に置いといたぞ」


「すみません、助かります」


頭を下げつつ、左手の腕時計を確認する。


「あっ!?ひらきとの約束の時間ギリギリだ!」


正樹部長を一瞥する。


「すみません、先に行っていいですか? 」


「ああ、行ってこい!」


そういうと自転車に飛び乗り、立ちこぎをした。


風を切る音がビュンビュンと聞こえる。


身に受ける風が冷たかった。風の抵抗を少なくするため、少し前傾姿勢で自転車を漕ぐ。


周りの風景が後ろに消えていく。口から吐き出される白い息も流れていく。


冷たい空気が気持ちよく感じた。


コンビニには約束の時間3分遅れで到着した。


ひらきは両手でカバンを持ち、俯いていた。


「ごめん……はあ、はあ、遅くなった」


そう言うと、ひらきはグーで肩を殴ってきた。


「遅いよ……来ないかと思ったじゃん」


顔を上げたひらきは少し泣いていた。


「俺が悪かった……」


そういうと、ハンカチを取り出し涙を拭いてやる。ひらきがハンカチをするりと俺の手から奪う。


おもむろに広げると、ブビーと鼻を噛んだ。四つ折りにたたみ直して、俺に突き返す。


「ん!」


「いや、それはいらないかな……あげる」


ひらきのカバンを自転車の籠にいれると、ひらきに声をかけた。


「なあ、ひらき。後ろに乗れよ、送っていくからさ」


ひらきが口を『あっ』の形にして、固まった。


「藤井くんのそういうところ……ちょっとイラッとくる」


頬を膨らませながらひらきが言う。


「じゃ、乗らないのか? 」


「乗る……」


ひらきを後ろに乗せて自転車を漕ぎ始めた。


そう、誰も死んでない。


だから、生きてりゃ大体なんとかなる。


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