断罪
今日も部活を早めに切り上げた。
昨日あんなことがあったので、精神的にも疲れていたが、それが理由ではない。
生徒会の緊急会合に出席するためだ。私は生徒会で書記を担当している。
昨日の件もあって、朝から緊急で全体朝礼が開かれた。校長直々に説明と注意喚起がされた。
校長の話によると、バケツを落としたのはベランダでふざけていた一年生の男子2名であることがわかった。
水の入ったバケツを持って、遊んでいたところ、手が滑って校庭に落下。
真下にいた悟くんにかすったという……ことのようだ。
二人は一週間の停学となった。
悟くんのお母さんには即日男子生徒二人と、その保護者が謝罪に来ていた。
正直なところ、停学一週間なんて甘い。個人的には退学が妥当だと思う。
運が悪ければ、悟くんかひらきちゃんの
どちらかが死んでいたかもしれない。
怒りのあまり、生徒会室の戸を力一杯開けてしまった。
ガラッと勢いよく開いて、中にいた生徒会長と目があった。
「山下さん……落ち着いて。顔や態度に怒りが滲み出てるよ」
腰まで伸びた長い髪をふわりとかきあげながら如月生徒会長は私を宥めてくれた。
「あ……すみません。つい……」
誰かと話したことで蓄積された怒りが少し霧散した。確かに冷静ではなかった。
如月生徒会長は同学年だ。凛とした雰囲気を身に纏い、同じ高校生とは思えない大人の女性のような落ち着きをもっている。
「そうそう、怒っても良いことないよ。山下ちゃん」
ヘラヘラとしながら、高見会計が言う。軽薄そうな見た目だが、会計だけあって数字に妙に強い。
彼は一つ上の学年で先輩だ。
如月会長の中学時代のお友達と聞いている。とはいえ、後輩が先輩を会計に引っ張ってくるというのは不思議な関係だと思う。
如月会長曰く、「彼ほど会計に適任な人間はいない」らしい。
「確かに山下さんらしくないよね。お茶でもどうぞ」
そういうと、お茶の入った紙コップを片手に、息をするみたいに自然に肩に手を回してくる。
副会長の芳川宏伸だ。彼は悟くんのクラスメイトだ。
優れた学力に運動神経、卓越したコミュニケーション能力に加えて、整った顔立ち……極めつけに身長も高く隙がない。
能力が高いので無駄な動きや会話も不要で、仕事上のパートナーとしても申し分ない。
当然、女子生徒からも人気もあり、スクールカーストの頂点にいるような人間だ。
でも、私は彼が苦手だった。
このスキンシップが……何と言うか少し気持ち悪い。
基本的に良い人だ。話していて不快な事はない。それでも何か生理的に受付けない時がある。
ふと、悟くんがこのくらい自然に肩に手を乗せてきたところを想像してみたが、……意外と悪く……ない。
やはり、スキンシップ以前に彼のことが苦手なんだと思う。
「よし、メンバーが揃ったな緊急会合を始める」
中上先生が開始の旗を振る。
今回は生徒会メンバーに加えて学年主任兼生活指導の中上先生が加わっている。
今回のバケツ転落事件を受けて、ベランダの安全対策を徹底するのが目的らしい。
話はつつがなく進んだ。ベランダへの出入りの制限、ベランダに不用意に置いてはいけないもののリスト化。
生徒会を通じて各部活への注意喚起、定期的なベランダの巡回監査など。
まあ、妥当な内容だと思う。
余談だが、陽芽高は屋上に関しては原則侵入禁止だ。
昔、屋上で自殺を試みた生徒がいたらしく、それから侵入禁止になったそうだ。
会合もいよいよ終了に近づいたタイミングで中上先生に質問をする。
「先生、質問よろしいですか?」
「いいぞ、山下」
「なぜ問題となった男子生徒二人は、一週間の停学という軽い処分なのでしょうか?一歩間違えば死者が出ていた可能性もある危険な事案ですよね」
中上先生は少し困った表情を浮かべながら、こう答えた。
「確かに彼らは非常に危険でやってはいけない事をした。ただ、二人は十分に反省している」
しかし、そう言われて引き下がれる訳もない。
中上先生は少し罰が悪そうにしながら、それ以上何も言わなかった。
だが、生徒会の追求の手は止まらない。
「藤井くんが良いかどうかではなく、学校としての対応が甘すぎるんとちゃいます?退学でもええと思いますけど」
高見が忖度の無い言葉を中上先生にぶつける。
如月会長がさらに追撃する。
「校則にも他生徒への暴力や傷害行為の禁止は明記されており、そのような場合には厳重な処分がなされるとも書かれています」
中上先生を一瞥してから、辛辣なことを言う。
「素行不良の生徒に在籍する席は不要だと思いますが」
如月会長は容赦がない。
「君らの主張はよく分かる。だが、生徒を懲戒処分に処すのは容易なことではない」
ため息交じりに中上先生は説明する。
「確かに彼らは非常に危険な行為を犯した。……が、死人は出ていないし、怪我をした藤井は幸い翌日には退院している」
「何よりこれは傷害ではなく不注意による事故だ。事故である以上、学校としては一週間の停学が妥当と考えている」
納得がいかない……。反論を口にする。
「学校側は停学や退学に関する明確な基準を生徒たちに提示していません」
「停学の根拠と判断基準を公開した上で処分をすべきでは?妥当かどうかを学校側に委ねられている今の仕組みは公平性がありません」
中上先生は語気を強めて言う。
「停学や退学に関しての子細な事項は生徒たちに公開していない。それにこれは学校としての決定だ。君らの主張は理解したが、決定は覆らない」
音がなくなったと錯覚するくらい部屋が静寂に包まれた。
そして、静寂を壊すように窓から入ってきた強い風がカーテンを揺らし、バサバサと音を立てた。
それを合図に雨が降り始め、あっという間に豪雨に変わった。
慌てて高見が窓を閉める。
窓に叩きつけられた雨音が中上先生を批判しているように聞こえた。
その時、ガタッと椅子を引いて、芳川が立ち上がった
「みんな……聞いてくれ。彼らがベランダでふざけているのを注意したのは俺なんだ」
突然、芳川が告白を始めた。
「俺の声に驚いて、彼らは手を滑せてしまった……それが今回の顛末だ」
眉間に皺を寄せ、俯き、何かに怯えるような表情をしていた。
「芳川くん、それほんまの話?」
高見が確認すると、中上がかわりに答えた。
「事実だ」
如月会長が中上先生に詰め寄る。
「まさか、芳川さんが悪い……とか、言い出しませんよね?」
「男子生徒は注意する前からベランダにいて危険な行動を取っていた。芳川に否はない」
中上先生もそこはフォローする。だが、芳川の告白は止まらない。
「でも、俺が気をつけていれば事故は起こらなかった……。俺にも責任がある。どうか、彼らのことは許してやってはくれないだろうか……?」
懇願する彼の顔を見た如月会長も高見も神妙な顔をしていた。
私は攻めるように言う。
「芳川くん、そんな話……今始めて聞いたよ。何故すぐに名乗り出なかったの?」
悟くんに謝罪に行った話も聞いていない。彼は隠蔽しようとしたと取られてもおかしくない行動をとっている。
「山下さん……よしなさい。芳川さんだって、きっと言い出しづらかったんだよ」
如月会長が助け舟を出した。言いたくはないが、会長は芳川に甘い。
「せや、誰だって間違いはある。山下ちゃん、落ち着いて」
さらに高見まで芳川を庇い始めた。
なんだろう……この流れは?
何故、芳川はする必要のない告白を今始めたんだろうか?
芳川の告白は違和感がある。
……落ち着くんだ、この部屋に入る前から私は冷静じゃない。
芳川はタイミングを見計らったように会話に割って入って、加害者2名の情状酌量を求め始めた。
中上先生がフォローすることも如月会長や高見が味方することも分かってたみたいだ。
まるで話の論点をすげ替える適切な場所を知っていたかのように。
芳川の目的はなんだ?
……そうか、もし私の推測通りならあれが理由か。
まずは論点を元の流れに戻す必要がある。
「確かに私は冷静ではありませんでした。芳川くん、ごめんなさい」
「いや、いいんだ。元はと言えば、俺が撒いた種だ」
と、芳川が言う。
「芳川くんに否はない……と思っている」
ほっとした空気が部屋に漂う。結局、一触即発は誰も望んでいないのだろう。
でも、私は違う。
「だから、彼らは断罪されるべきだと思う。私から悟……藤井くんに被害届けを警察へ出すように進言します」
中上先生、如月会長、高見はぎょっとした顔でこちらを向いた。
中上先生が説明をする。
「落ち着け、山下。すでに警察にはこの件で介入しているし、事故ということで現場検証も終わっている」
「だから、無駄だと仰りたいのですか?被害届けを提出すること自体は問題ありませんよね。学校側に止める権限もないはずです」
中上先生の意見に食い下がる。
食い下がるのはあくまで手段だ。いまさら食い下がったところで簡単に決定が覆らないことくらいは分かる。
チラリと芳川の顔を見た。
本当に瞬きする程度の僅かな時間、彼の顔が醜く歪んだのを確認した。でも、芳川はすぐに悲壮な顔の演技に戻った。
なるほど、あの不自然な演技はやはりそういうことか。
芳川から目線を逸した。もう、目的の第一段階は果たした。後は広げた風呂敷を畳むだけだ。
「中上先生、失礼いたしました。先程の発言を全面的に撤回いたします。加害者の処遇は学校側の判断にお任せします」
突然の手のひら返しで、中上先生は面食らってしまったようだ。
言葉にならない……そんな顔をしていた。
そして、如月会長や高見などはすっかり唖然としていた。
悪い事をした。
芳川の意図を推し測らんがために意図的に会話を操作してしまった。
さて、話にはオチをつけないといけない。
言葉を失った芳川に徴発するように囁いた。
「芳川くん、気にすることはないよ」
「きっと加害者のふたりは元々素行が悪かったんだよ。彼らの処遇がさらに悪くなったとしても、あなたのせいではない」
「だから今までの暴言は忘れてくれると嬉しいな」
中上先生がこの一言を聞いて、いよいよキレたようだ。
「山下!!この後、生活指導室へ来なさい!!」
狭い部屋に中上先生の声が反響していた。
中上先生よりも、芳川が真っ暗な瞳でこちら見ている姿の方が恐ろしかった。子供の頃に見た偉人の蝋人形を思い出した。
少しやりすぎたかもしれない……が、おそらくこの事件の黒幕は芳川だろう。
彼のシナリオ上、加害者の生徒が重い処分になるのは都合が悪いのだろう。
彼らの処遇を軽くするか、これ以上重くならないようにするためにひと芝居うったと考えるのが自然だ。
問題はこれがすべて推測で確たる証拠が何もないことだ。とりあえず、加害者二人の身辺を調査したほうが良さそうだ。
まず、その前に……仕方ない、怒られてきますか。
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