シナスタジア


「なあ、桧川さん。この糸くず、グレーじゃないか?」


「ひらきでいいよ、藤井くん。」


唐突に話題をすげ替えられた。


「ひ、桧川……さん」


「ひ・ら・き! 」


「ひらき……さん、お前、距離感がおかしいぞ」


「"桧川"って響きが好きじゃないだけ。私は誰にでもこの距離感だよ」


どうでも良さそうな話題なのに言葉に妙な重みを感じた。はっとして顔を見ると、彼女はにっこりと笑っていた。


そして、まるで何もなかったかのように軽やかな声で、また話題を変える。



「犯人に興味ある? 」



ひらきは少し頭をさげて上目遣いに言った。そのせいか、一瞬、自分の背が高くなったように感じた。


でも現実は違う。ひらきは背が高く、殆ど俺と身長が変わらない。


「いや、興味はない。腕時計が見つかればそれでいい」


目をそらしながら、できるだけ淡々とそう答えた。


「そっか、残念だな。藤井くんといいコンビになれそうな気がしたんだけど」


「何を言ってるんだ?」


「私は犯人を知っているの。でも、証拠を探す能力が足りないんだよ」


「俺にはその証拠を探す能力があると、桧川……ひらきさんは思っているのか?」


呼び方を間違えた瞬間、ひらきの左の眉がぴくりと動いたことに気付いて、慌てて言い直した。


「うん、緑色は珍しい色だからね。見間違えようがない」


ここで色の話に戻るのか。


「この糸くずはグレーだよ、ひらきさん。それに話が脱線している」


ひらきは目を細めた。まるで獲物を狙う猛禽類のような鋭い眼差しに見えた。



「芳川宏伸……だよね? 」



心臓が木槌で打たれたかのような衝撃が走った。



「な、なんで……」



芳川は人がいないときにだけ、俺に小さな声でこう囁く。



『うざいんだよ、お前。消えてくれ』



何度も何度も。


なぜ彼が芳川を嫌っているのかはわからない。


彼は勉強ができて、優しく、リーダーシップもあり、教師からも評価が高い。いいわゆる、優等生だ。


俺は芳川とは同じクラスであること以外に接点はなく、恨まれるようなことをした記憶もない。


ただ、普通に生活していても他人から反感を買うことはある。それは仕方のないことだ。


だから、この事は誰にも言わず黙って流すつもりだった。


だが、腕時計を隠されたという事実が俺の中の小さな怒りの火に油を注いでしまった。芳川許すまじ……と。


そう、俺は証拠もないのに芳川を犯人と決めつけていた。


そこに、ひらきの口から芳川の名前が出たので動揺したのだ。


「違うよ、藤井くん。彼は犯人じゃない」


「もしかして、芳川が俺を嫌っていることを知っているのか? 」


ひらきは少し間をおいてから言った。


「勿論、知ってる。藤井くんはうまく隠しているつもりかもしれないけど、君の机は赤黒くなっているから」


「机に何か見えるのか?」



厨二病という可能性も……考えられるが、彼女の指摘は鋭い。


もしかして、桧川は俺と同じ人種なのか?


「赤黒い色は芳川くんの君に対する負の思念」


「でも、藤井くんの腕時計に付着しているのは君自身の緑色の思念と、少しだけ混ざった黄色の思念……」


「つまり、隠したのは他の人だよ」


音を聞くと色が見える、あるいは数字や文字を見ると特定の色を感じる……という人間が一定数存在する。


五感が持つ本来の役割以上の情報が一つの感覚器官で感じることができる能力……それがシナスタジアだ。


よく超能力か何かと勘違いされるが、程度の差はあれ人口の1〜4%がシナスタジアを備えていると言われている。



「私は物に付着した色から個人の識別、感情や思念を結びつけて見ることができるの。だから、君の机が赤黒く見えるのは芳川くんの否定的な感情が色として見えるからだよ」


「それで、その能力を使って犯人を探そうとしているのか?」


彼女は頷き、にっこりと微笑んだ


「そう、でも私は犯人の特定はできても、根拠を説明できない。そこで、藤井くんの登場というわけだ」


そう言い終えると、彼女は机にそっと腰を下ろした。


「藤井くんはたぶん相手の声から噓……が見抜けるんでしょ? 」


確証はないようだ。でも、当たらずとも遠からず。


「ひらきさんも、芳川嫌いだろ」


「……私、そんなに分かりやすい?」


「そうだな、"芳川"という単語を口にした瞬間、刺すような痛みがあった」


桧川ひらきは驚いたように少し目を見開いた。


「俺は音に……特に声に触れることができるんだ」



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