シナスタジア
残念パパいのっち
邂逅
「私ね……物の色が見えるの」
彼女は極めて真面目な顔でそう語った。
「俺だって見えるよ」
訝しげな顔をしていたらしく、苦笑いをされた。
穏やかな日差しが差し込む放課後の校舎。僅かに開いた窓からゆるい風が教室に流れこんできた。
ロッカーの上に置かれた花瓶に真っ赤な花びらのチューリップが、ほのかに揺れていた。
俺と向かい合っている彼女の名前は桧川ひらき。
ショートカットの髪がふわりと風に舞った。思わず、見惚れてしまうくらいの美人だ。
背丈は俺より少し低いが、女子としてはかなり背が高いほうだろう。
長いまつ毛に切れ長の目、整った顔立ちにショートカットが活発な印象を与える。
誰とでもフランクに話せる協調性も兼ね備えている。
ついさっきまで、会話もしたことがなかった俺でも彼女のことは知っている。
陽芽高において桧川はそのくらい有名人なのである。
「あのチューリップはオレンジ色」
まっすぐに伸びた白い指先をぼんやり眺めていたら、そう言われたので反射的にこう応えた。
「いや、赤だろ?」
また、苦笑いされた。
赤とオレンジは……近い色ではあるし、感じ方なんて人それぞれだ。
昔、親父に「信号の色は緑に見えるのに何故青って呼ぶのか?」と訪ねたときに「あれは青だろ?」と当たり前みたいな顔で言われたのを思い出した。
「藤井くん、あれはオレンジだよ」
彼女はニコニコしているが『意見を曲げるつもりはない』と声から伝わってきた。
まあ、俺としてはどちらでもいいけど。
そんなことより、机に入れておいた……と思われる腕時計が見つからないことのほうが重要だ。
彼女は何故どうでもいい、色の話をしているのだろうか……とりあえず用件を聞く。
「で、なんの用なの?」
「探し物してるんでしょ?」
分かってるなら手伝ってくれよ。
彼女は再び指を指した。
「探し物はあそこだよ。藤井くん」
後方の入口付近にある掃除用具入れを指さしていた。
俺は『そんな場所にあるはずがないだろ……』という顔をしていたのかもしれない。
桧川が慌てて補足する。
「違うよ。嘘じゃない、開けてみて」
机の中もカバンもブレザーのポケットも調べ尽くした。
ブレザーのポケットの奥にある小さな糸くずを指先でいじりながら少し思案したふりをする。
……いずれにしても途方に暮れていたところなので、素直に助言を聞くことにした。
ロッカーのドアを手前に引くと、ガガガッと引っ掛かりながら、ビンっと勢いよく開いた。
中にはくすんだ銀色のバケツと数本のほうきが立てられていた。
一応、ほうきをどかしたり、バケツを外に出して腕時計が隠れていないか探したが、やはり見当たらなかった。
諦めてドアを閉めようとすると、
「待って、上」
ロッカーの上段には天板があり、その上には洗剤が置かれていた。
桧川の白い指がまっすぐそこを指差していた。
洗剤の箱は黄ばんで歪んで、ホコリまみれになっている。
手が汚れそう…指先の糸くずをこねながら、そんなことをぼんやり考えた。
「こんなところにあるわけないと思うんだけど」
手が汚れるのが嫌だし、意味わからんし。
「ううん、絶対にあるよ」
桧川ひらきの真っ直ぐな瞳と声にたじろいだ。そして、声からは強い圧力を感じた。
こいつ、顔は良いんだけどな…。
よくわからない言い訳を心の中でしながら、逆らえない自分に辟易した。
男性が女性に勝てない理由はこの辺にあるのかもしれない。
自分より少し背の高い位置にある天板に手を突っ込み、手探りで腕時計を探した。
手のひらに粘着質なホコリの感触が伝わってきた。
半ば諦めの境地に達した頃、小指が何か冷たいものに触れた。
小指を折り曲げて、引っ掛けてそっと引っ張り出した。
それは探していた時計だった。
ふわっと、鼻孔をくすぐるいい香りがする…。
「あら、高そうな時計だね」
いつの間にか桧川はすぐ隣に来て、時計を覗き込んでいた。
ち、近い…。
慌てて、後ろにピョンと跳ねて距離を取った。
某有名漫画のスナイパーの彼なら、うっかり殺しているところである。
桧川はこちらの方をくるりと向くと、顔の前で両手をポンッと叩いて、
「これでとりあえず解決だね!」
「じゃあ、また明日」
ロッカー横の出入口からするりと帰ろうとする桧川に声をかけた。
「待て、桧川。これやったのお前か? 」
桧川は顔をこちらに向けて、
「私じゃないよ。分かってるでしょ? 」
その声はフワリとした優しい感触がした。確かに俺は知っている。桧川はやってない。
握りしめた金属製の時計がベトベトするのが気になるが、桧川の発言のほうが気になった。
「左手の指先のゴミ?かなり年期が入ってるね」
まるでポケットの中が見えているみたいな言い方だ。
「なんで、そんなこと……」
「だって、すごい緑色だし」
そっとポケットから取り出した糸くずは黒に近いグレーに見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます