少年と魚

むきむきあかちゃん

少年と魚

 少年は深い海の底だ。深い、深い、深い、海の底を、気の遠くなるような長い間、少年はぷかぷか彷徨っていた。少年に海藻が絡みつく。少年は動けなくなった。そこに、魚がやってきた。

 魚は追いかけてきたのだ。海の底を、ゆらゆら流れてゆく赤ん坊を、その流れがとまるまで、 ゆっくり時間をかけて追ってきたのだ。

 まず、少年は笑った。

 周りの魚は笑い返した。ここへおいで、と。 あぶくさえも、一緒に笑って、少年を自分たちの世界へと導いた。

 だが、次に少年は泣いた。周りの魚は、すぐに少年に寄り添った。あぶくは谷へ落ちそうになる少年の足をそっと持ち上げた。

——坊や、どうなさったの。こちらへおいでなさい。眠いのかい?ならこちらへおいでなさい。 こちらでゆっくり休みなさい。

 少年は首を振った。

——僕のおうちに、ゆりかごがあります。僕はそこで休みます。

  魚も首を振った。

——そのゆりかごは、坊やのものじゃないでしょう、と。 お父様とお母様が、新しく授かった綺麗でかわいい赤ん坊のためのものでしょう、と。

 少年は、首を傾げた。 僕はかわいくて、綺麗じゃなかったんでしょうか、と、少年は問うた。

——だから、お父様もお母様も僕を嫌いになったのですか。

海藻がさらに、強く少年の足を締め付けた。少年は、それにも気づかず、魚たちの方を涙を 浮かべてじっと見つめていた。


 少年は、まだ人間だ。海はその姿を長年見守ってきた。長いこと焦らすなぁ、と、少しやきもきしていはいたが、誰も少年を海から排除しようとは思わなかった。だから海藻は、あとで海のものたちに嫌われまいか、少し不安だった。ただ、もうたまりかねていたのだ。

 そうではないですよ、と、魚は微笑んだ。

——あなたが迷子になっていたから、助けようとしているのです。私たちはそれだけです、坊や。お父様もお母様も、坊やが居なくなった、迷子にしてしまったと悲しんでいましたよ。 ですが、もうゆりかごには新しい坊やが居ます。あなたが帰ってしまうと、その子が困って しまうでしょう。こちらへおいで。ここにゆりかごはないけど、たくさんの仲間がいます。 みんな待っていますよ、可愛い、可愛い坊やを。

 少年は喜んだ。それから、自分の可愛い弟が元気に過ごしているかも少し考えた。自分に兄弟がいるのが、とても嬉しかった。

 少年は笑顔で魚たちの元へかけた。少年の体は、あぶくになった。海藻は、ふっと解け、あぶくは自由になった。あぶくは、少年のたましいは、天にのぼってゆく。たくさんの兄弟に会おうと、のぼってゆくのだ。



「...やあ、のぼっていったね。」 魚のうちの一匹が言った。

「そうだね。...どうしたの?」 海藻が尋ねた。

「あんな嘘を...迷子の坊やを助けるためだからって、よかったのかな?」

「いいんだよ。私たちは坊やを愛していた。こころからの愛を持って接した。...決して悪いこころを持って欺いたわけじゃないじゃないか。」

「でも、坊やは私たちのもとに来れると思って行ったんだよ?坊やからみれば、私たちの愛は偽のものだ。彼はそれを知らずに...私たちへの愛と希望だけを抱えて...消えてゆくんだ。」

(終)


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少年と魚 むきむきあかちゃん @mukimukiakachan

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