中編
誰もいない教室で、私は一人寝たフリをする。
先輩に手を握られてから一週間。二人の関係はどこかぎこちないものになっていた。毎日一緒に帰っても、寄り道してみても、その不自然さは消えてくれない。
私は机に伏せながらも大きなあくびを漏らす。これまで、寝たフリで眠気なんて感じたことなかったのに、今日は油断すると夢の世界に誘われそうだ。
最近、寝つきが悪い。その原因は、考えるまでもなかった。
しばらくして、私の意識が微睡む頃、廊下にドンドンと音が響く。
私の眠気は一気に吹っ飛んで、心臓の鼓動は準備体操なしに急ぎ始めた。
「未奈ちゃん!」
しばらくして聞こえてきたのは、はっきりと耳に届く大きな声だった。私は戸惑った。もしかしたら、急ぎの用があって近づく前に叫んでいるのかもしれない。だけれど、私は寝たフリに徹する。その、言葉にできないその時間を守ため。
「おーい、未奈ちゃん! 起きて!」
先輩は私に駆け寄るなり、私をガサガサと揺らした。そこまでされると、起きざるを得ない。
私はいつもの通り、寝たフリを誤魔化すために、わざとらしく伸びをする。そして、私は伸びのまま固まることとなる。
「私! 上沢くんに告白されたの!」
私は伸びのために上げた手を、下ろすことさえ忘れてしまった。
「あんなカッコいい人に告白されるなんて、嬉しくて嬉しくて」
先輩の声は聞いたことないくらい明るく弾む。美人である悠未先輩が上沢くんに告白されることはなんら不思議なことではない。だけれど、先週好きではないと否定していたことを、私ははっきりと覚えている。
「未奈ちゃん?」
結局頭の感触も、手の形も、特別な意味はなかった。なんの感情もなく、ただ遊ばれているだけだった。勝手に期待したのは私の方。頭でわかっていても、心では受け入れられなかった。
ガタリと、椅子を引いて立ち上がる。頭を整理するためか、ここから逃げるためか。もはや、自身の行動さえわからなくなってしまった。
だからだと思う。突然の抱擁に対して、案外落ち着いていたのは。
やわからく温かい感触。少し遅れて、私は状況を脳で理解して、頭が真っ白になる。
「えっ、ちょっと!!」
パニックのあまり、私の声は全く声にならない。逃げようとしても、体は全く言うことを聞いてくれない。
先輩は、そんな私を一切気にすることなく、ただ優しく抱きしめる。
もしこれが、これが先輩なりの埋め合わせなのであれば…………。先輩は、ずるいにも程がある。
「未奈ちゃん?」
私はもう一度離れようとする。だけれど、やっぱり体は言うことを聞いてくれない。いや、本当は心が離れることを拒んでいる。
「おーい、未奈ちゃーん?」
それでも私が黙っていると、突然床が揺れ始めた。私は足元を滑らせ、その勢いで体勢を崩す。徐々に迫り来る床を前に意識が遠のいていって——
「未奈ちゃん?」
聞き慣れた声が、妙に現実味を帯びていて、私は勢いよく顔をあげる。
私は勢いよく体を上げる。
慌てて周りを見渡すと、キョトンとした先輩が私を見下ろしているだけ。私は座っているし、先輩が抱きついてるなんてことはない。
「未奈ちゃん、大丈夫? 全然起きなかったから、ちょっと焦ったよ〜」
「すいません……ぐっすり寝ちゃってました」
私は手を上に伸ばして、ぎゅーっと背伸びをする。そして、私は思わず手を止める。
「ここ最近で一番寝てたんじゃない? なんか、すごい羨ましいなぁ〜」
先輩がしみじみと言う。それもそのはず、今日は本当に寝ていたのだから。
私は思わず先輩に振り向く。先輩は「どうしたの?」と不思議そうに首を傾げる。
先輩は今日、何をしたんですか?——なんてもちろん聞けるわけがない。それでも、何にもなかったとは思えない。
暖かく柔らかい感触…………私はふと、夢の感触を思い出す。
夢というものは現実によって、捻じ曲げられることがあるという。寝ている間にベットから落ちたなら、夢の中で飛んでいたとしても、夢の中で墜落する。
もし、そうだとすれば、今日の『いつもの』は…………。
「先輩! あの……」
声に出しつつも、心の中では迷っていた。これを言葉にしたら、関係が崩れてしまうかもしれない。だけれど、どうしても夢の光景が頭から離れなかった。
「あのね……あっ!」
その時、奇しくも悠未先輩の声も重なった。
お互いに譲り合った結果、お互いに黙り合う。
「……未奈ちゃんから先にいいよ?」
「いえいえ、私のは大したことないので、悠未先輩からでいいですよ?」
「でも、私のも、わざわざいうことでもないから……」
「そんなことないですよ。私、先輩のこと知りたいです!」
先輩は少しだけ下を向く。何かを戸惑うように、口を迷わせてから、顔を上げる。
「あの、えっとね……私、上沢くんに告白されたの……」
もう、声なんて出なかった。
先輩は俯いたまま、目が合わない。ぶらりと遊んでいるその指先は震えている。
「私、その告白を、お互いのためにもね……えっと、えっと…………やっぱなんでもない!!」
先輩は、言葉を置いてけぼりにして、突然ドタドタと教室から出ていった。
その足音は、まるで夢を見ているようだった。
私は椅子に崩れ込む。机に倒れ込んで、結果寝たフリになる。もし、こうやって寝たフリをして、いつか先輩が来てくれるのであれば、永遠にでも寝たフリをする。だけど、もちろん来ることなんてない。
私は、学校の戸締りをする先生に起こされるまで。寝もせずにただひたすらに、机に伏せたままだった。
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