7月2日『透明』

お昼ごはんを終えた後。

明日から始まるテストに備え、テスト勉強で部屋に引きこもっていた愛衣の耳に「あーっ!」と甲高い悲鳴の声ような声が聞こえた。どたどたと慌ただしく騒いだ後、階段の下から妹の結衣が声を張り上げた。

「お姉ちゃんちょっと来てー!」

「結衣ー? どうしたの?」

数学の教科書とノートを机の端に寄せて、部屋を覗いた。

階段下では結衣が白い大きな猫を抱えていた。白猫の腰あたりに、淡い水色や桃色が付いて、おまけに濡れている。

「ごめんお姉ちゃん、桃ちゃんに絵の具の色水が……」

結衣から桃子を抱き上げて、色の着いた部分を撫でる。ごめんなさい、と結衣はしゅんと方を落としていた。対して桃子は悪びれもなくしっぽをくるんくるんと振っている。

「透明水彩だから落ちると思うよ。だからあんまりしょげないの。ほら、お風呂行くよ〜」

お風呂、と聞いて急に桃子が手足をばたつかせた。

「こら、逃げないの。来夢くんのとこ連れていかないよ」

逃げ出さないうちに、慌ててお風呂場へと直行して、バスタブの中に放り込んだ。


桃子をお風呂場に連行してから、約一時間。


桃子の白い毛に着いた色は、綺麗に落ちていた。シャワーを嫌がっていたのに、今は縁側で愛衣にドライヤーをかけられながら、結衣が優しくブラッシングをする。

結衣から聞いたところ、学校の課題の水彩画を仕上げている時に、桃子がバケツにじゃれついて、こぼしてしまったのだという。あらかじめ、結衣の部屋に猫たちを避難させておいたらしいが、どうやらドアを開けることを覚えたみたいだった。

「桃ちゃんも来夢くんのこと好きなんだよね〜」

「そうなの。隙あらば膝の上に乗ってるんだから」

「来夢くんの取り合いだ〜」

その時、気持ちよさそうにお手入れをされていた桃子が、ふとなにかに気づいて立ち上がる。一点だけ見つめて、僅かに毛を逆立てて警戒の意を表した。

いつも穏やかでのんびり屋で、野良猫の敵意にもまったく動じないはずなのに。カラスでも来たのか、と愛衣も緊張感を走らせた。そして、縁下から顔だけを出すようにしてこちらを窺う黒い影に気づいた。

「あ、ミケ猫ちゃん」

警戒心が一気に解けた結衣が、サンダルを履いて駆け寄っていく。

確かにミケ猫だった。白の部分が多く、ミルクティー色と濃い茶色が模様のように混ざりあっている。どこかしゅっとした顔立ちをしていて、マーガレットに似た白い花をくわえていた。イケメン……イケにゃんの部類だ。

「初めて見るお顔だねぇ。春生まれの子かな?」

くるくると顎を撫でられ、ご満悦そうに目を細める。その様子に桃子がさらに毛を逆立てて、挙句にはシャーッと威嚇してみせた。

ミケ猫は結衣の手から離れ、愛衣のすぐ下に来て花を地面に置く。

「……私に?」

答えるように、にゃん、と可愛らしく鳴くと、庭を出てどこかへ走り去ってしまった。桃子には目もくれてないようすだった。

地面から花を拾い上げる。まさか猫から花を貰うなんて。姉妹ふたりが首を傾げると、桃子はまた催促するように前足でちょいちょいとブラシにじゃれついた。

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