第14話 意外な事実

 お母さんと一緒に暮らしていたアパートを引き払い、おじさんの家へと移り住んだのは良かったのだが、この一週間ほどは手持ち無沙汰な状態のままだった。


 帆夏ほのかさんの家事を手伝いつつも、午後はイェンさんの日本語の勉強に付き合うといった毎日。平穏な日々と言えなくもなかったが、私にしてみれば先が見えない不安の方が大きかった。


 そんな心境が表に出てしまっていたのか、ある日帆夏さんに言われた。


「そんなに焦らなくても良いのよ。咲希さきさんは若いんだし、これから先、きっといろんなチャンスが巡ってくるわ。それに、咲希さんの居場所はここにある。だから、今という時間を大切にしながら、少しずつ前を向いていければそれで良いの」


 その言葉に涙が出た。お母さんが亡くなって以降、私の居場所なんてこの世のどこにもないんじゃないかって思っていたから。


 父親に捨てられ、親族からはうとまれ、数少ない「人との接点」だった職場では無実の罪を着せられそうになった。そんな私に居場所があると言って貰えたことが、たまらなく嬉しかった。涙が止まらない私の背中を優しく撫でてくれた帆夏さんの温かさが、とてもありがたかった。


 一方、美琴みことさんは相変わらず、ほぼ自室にもりきりの日々だった。食事の時などには姿を見せてくれるが、疲労の色が濃い表情をしている。あまり話す機会はなかったが、どうやら依頼されている小説の原稿の締め切り日が近いらしい。


 そして、莉奈りなさんはと言うと――


「ねぇねぇ咲希っち、今日はクリスマスイブだよねぇ」


 もうすぐお昼になるというぐらいの時間に、居間で何やらスマホをいじりながら、莉奈さんがまだ少し眠そうな声でのんびりと言った。


 部屋の掃除と洗濯を終え、帆夏さんの言葉に甘えて休憩中のことで、付けっぱなしのテレビからはワイドショーのクリスマス特番が垂れ流されていた。


「子供の頃はそれなりにクリスマスが楽しみだったけれども、今となっちゃあねぇ……ところで、咲希っちは子供の頃、サンタさんを信じていた派?」


「いいえ」


「即答だなぁ、おい」


 突然の質問に、思わず嘘をついてしまった。まだ幼かった頃はお母さんから聞かされたサンタクロースの話にドキドキして、クリスマスの日の朝、枕元に置かれたささやかなプレゼントがとても嬉しかった。


 物心がついてからは流石さすがにそんなこともなく、お母さんから貰うプレゼントも比較的実用的なものが多くなった。もちろんそれが嬉しくないわけではなかったが、自分のことをかえりみず私を気遣ってくれてばかりいたお母さんを見ていると、とても心が苦しかった。


 そして、お母さんが亡くなってからは――


「そんな夢みたいなこと、言っている余裕はありませんでしたから」


「あちゃー……ひょっとしてアタシ、地雷を踏んづけちゃった?」


 あけすけな物言いでこちらの様子をそっと伺う莉奈さんに、軽く笑って見せる。


「別に大丈夫ですよ」


「本当に?」


「ええ。それこそ、って話ですし」


 私の言葉に、小さなため息をつく莉奈さん。再びスマホへと視線を戻した。


「それにしたってさー、何が悲しくて今日みたいな日に、客へのLineなんか打ってるんだろうなーって思っちゃうよね」


 莉奈さんのスマホは、結構ひっきりなしに着信音が鳴る。それは常連のお客さんからの連絡だったり、仕事仲間からの連絡だったり。本人いわく「もう若くはないけれども、お店では一応ランキング上位」などと言うだけあって、連絡を取り合う相手は多いらしい。


「お仕事、お疲れ様です」


「ホントにねー……でもまあ、これも日々の生活のためだから、仕方ないっちゃ仕方ないんだけれども。それにしたって、たまにはみんなと一緒にゆっくりとクリスマスイブを過ごしたいなぁ」


 たまには、と言った辺り、莉奈さんにとってはおじさんの家に来てから何回目かのクリスマスイブなのだろう。あれこれと余計な詮索せんさくをするつもりはないが。


「今夜も仕事なんですね」


 答えが分かりきった私の問いに、莉奈さんは形の良い口を軽く尖らせる。


「そだよー。女にあぶれた哀れな男共をやしてやるのが、アタシらの仕事だからねー」


「帰りは遅くなるんですか」


「そだねー。そんでもって仕事が終わったら、たぶんお店のみんなとクリパって感じ? でも、この歳になるときついんよねー、それも」


 これまでに教えてもらったところ、莉奈さんの生活スタイルはほぼ完全に昼夜が逆転している。お昼前ぐらいに起きてきて、夕方前ぐらいに出勤。実際に仕事をしているのは夜の八時から深夜の一時ぐらいまでらしいけれども、お客さんとの「アフター」があったり、お店の女の子同士の付き合いがあったりして、家に帰ってくるのは明け方近くというのも珍しくない。


 以前、早朝の廊下で莉奈さんが酔い潰れているのを見た時には驚いた。仕事に出かけた時の格好のままで、口の周りは微妙に吐瀉物としゃぶつで汚れていた。最初は身体をゆすっても反応がなく、まるで死んでいるかのようだったが、まだメイクも落としていない顔を電子レンジで温めた濡れタオルで拭いているとようやく意識を取り戻し、文字通り階段を這いずり上って自分の部屋へと戻っていった。


 あとで聞いてみると、キャバ嬢という仕事をしていると酒を断れないことが多く、たまに限界を超えてしまうことがあるらしかった。その時もお店のスタッフに助けて貰って何とか家までは辿り着いたものの、玄関で靴を脱ぎ廊下を這っていたところで力尽きたとのことだった。


「何? 咲希っち、アタシの仕事に興味あんの?」


 少しの間ぼうっとしていた私を見て、莉奈さんがにんまりと笑った。


「咲希っちならまだ若いし可愛いから、きっと良い稼ぎが出来るよ」


 お金が稼げることには興味があるが、どう考えても私に向いている仕事だとは思えない。


「私は莉奈さんみたいに愛想が良くないですし、お酒も苦手です」


 適当なことを言いながら視線を移すと、テレビのワイドショーではクリスマス特集が終わり、先日あった高速道路での多重衝突事故の話になっていた。結構長く続いている話題だったが、その理由は事故の悲惨さもさることながら、その事故に超大手企業の社長一家が巻き込まれていたことが大きい。


 何でも、代々一族で経営してきたその会社では社長の後任となる人物がおらず、既に一線を退いた会長が急遽きゅうきょ社長職を兼務しているらしいのだが、当然のことながらそれは会社の株価に少なからず影響を及ぼし、経済界でもちょっとした騒ぎになっているとのことだった。


「ああ、また例の事故の話ねー」


 一瞬ちらりとテレビに視線を向けた莉奈さんだったが、すぐに興味なさげにスマホへと意識を戻す。


「そりゃまあ、金持ちには金持ちなりの苦労とかがあるんだろうけれどもさー」


「社長一家全員が事故で亡くなるなんて、大変ですよね。それに、社長のほかに子供がいなくて、引退した会長がもう一度現役復帰だとか」


 そりゃあ一人息子の家族全員を一気に失ったとあっては、この会長さんもとてもショックで、本来だったら仕事どころではないだろう。所詮しょせん他人事ひとごとの域を出ないが、可哀想に、とは思う。


 ようやくが一段落ついたのか、莉奈さんがテーブルの上にスマホを投げ出して、大きなため息をついた。


「ここでドラマとかだったら残った兄弟姉妹同士で、ドロドロの跡継ぎレースなんかが起こるんだろうけれどもさー。他に跡継ぎがいないとかだったらこの会社、一体どうなるんだろ?」


「知りませんよ。そもそも私、社長の知り合いとかもいませんし」


 むしろ莉奈さんの方が仕事柄、社長とのお付き合いとかがあったりするんじゃないだろうか。他にも芸能人とか、政治家とか。


 だが、何気ない私のその一言に、莉奈さんが少し意外そうな顔をした。


「何言ってんのさ咲希っち。すぐ側に一人いるじゃん、元社長だけど」


「言われていることの意味がよく分かりません。誰のことですか、それ?」


「創太のことだよ、知らなかったの?」


 ――は? 今何て?

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