貴方に愛されるためなら、

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 葬列は田舎の丘陵を上ったり下りたり、畦道をなぞって延々と続いていた。

 集団は喪の黒に服し、晴天の青と若草の緑のあわいをそぞろに歩いている。その歩みは死にかけの蛇が如く、のたりのたりと緩慢である。ある者は気怠げに、ある者は無駄話をしながら、ある者は虚ろな表情で――参列者の感情は三者三様だった。

 先頭を往く司祭は、積まれた大金のほどはまともに働こうと、大真面目な顔で聖書を悲痛に謳い上げる。助祭はその横で柄の長い十字の杖を掲げていたが、この拝金主義の司祭にはほとほと呆れていた。金満家が祭服を着ただけの存在に神の言葉など意味があるものか。続く人々は公爵家の家族とその親戚である。初老の公爵は次代の当主を突如喪ったことに頭を悩ませていた。死んだ彼は娘婿であるから、また家格の合う男と番わせればよいが……肝心の娘を思うと不安が残る。他方公爵夫人は清々した様子だった。素行不良で女遊びも激しい、一族の面汚しが思いがけずいなくなって助かった。親族一同は皆彼女に似たり寄ったりの考えである。しかし夫人が他と異なるのは、その感情を堂々とひけらかしていることだろう。分家筋の関係者などは恥を感じて多少気まずそうにしている。棺に納まる彼が不倫女と自殺したとなれば当然だった。

 そうした公爵家一行の最後尾に黒塗りの棺は担がれており、後ろには家の使用人たちが続く。彼らは主人の義理息子が死のうとお気楽なものだ。義務で参加する他人の葬式などくだらないもので、道中どうでもいい話をぺちゃくちゃと喋っている。この度亡くなった男が生前ろくでもない人間だったことは親戚以上に把握するところである。若くして未亡人となった奥方を不憫には思うものの、彼の乱暴狼藉に辟易していた家人からすれば、迷惑人がいなくなってありがたいばかりだった。そうしてやる気のない従者たちの群れが後方にずっと伸びて、葬列は公爵領内を練り歩く。

 故人の死を誰も悼まない葬儀など、滑稽な茶番でしかない。領民たちは行列を曲芸師一座の興行が来たのかと思い、冷やかしに見に来て、棺に刻まれた公爵家の家紋にスッと姿勢を正すのであった。そして誰が死んだのだろうと囁き合う。……そういえば婿殿が事故で亡くなったとかいう話が数日前になかったか? あの評判の悪い婿が? ああいう手合いは爺になるまで図々しく生き延びるもんだよ。でも御覧よ、列の一番端っこ。今にも倒れそうな女の人、あれって公爵様の一人娘じゃないかい?

 確かに葬列から少し距離を置いたところに、その女性と数人の召使は歩いていた。黒髪の女性はとても頼りない足取りで、右へ左へ辛うじて前に進んでいる。周りの召使はその様子を心配そうに、しかしどこか恐れた様子で眺めていた。ただ一人、亜麻色の髪の侍女だけが、心を砕いて女性に寄り添っている。彼女が転びそうになるたびに、腕を取ってその身体を支える。「お嬢様、もう少しの辛抱です。あとに二十分ほど歩きましたら、聖堂に到着いたします」侍女は上背のある体をぐっと屈めて、忠愛を捧げる主人を励ましていた。

「二十分……」女性の乾燥した唇が震えて、微かな音を紡いだ。「ねえ、あの人がこの世に居られるのは、あとどれくらいなの」

「お嬢様、旦那様は――」五日前に亡くなられています、と言いかけた口を侍女は閉じる。彼女が尋ねているのはきっとそういうことではない、埋葬までの時間を訊いているのだろう。

「予定では儀式を執り終えるのに午後の三時頃までかかりそうだ、と伺っております。今が一時半を過ぎたあたりですから、あと二時間も無いかと」

「そう……二時間……」

 ぐらりと女性の体が傾いた。「お嬢様!?」――侍女は叫んで咄嗟にその身を抱えるが、女性の体は脱力したかのように重い。彼女は蒼褪めた顔をして、朧な視線で地を見下ろす。

「どうかお気を確かに、お嬢様」

「ごめんなさい、すこし、眩暈が」

 女性は崩れた体を起こそうとするも、足に力が入らないらしい、ただ侍女の腕に縋りつくばかりだった。

「こんなつもりではないの、ごめんなさい、今立ち上がるから」

 それを見て別の召使が声を上げた。「もしかしたら脱水を起こしているのかもしれない。向こうの民家で休ませてもらおう」

 侍女は空を見上げた。初夏の陽気というにはやや暑すぎる日の光が、喪服の集団を照りつけている。夫を喪い憔悴しきった女性にとって、今日の天気は身に堪えるものだったかもしれない。

「そうですね、そうしましょう。もしこれ以上歩ける体調になければ、馬車を手配することも考えなければ」

「ごめんなさい……」女性は小さく呟いた。「今日くらい、あの人の妻として、しっかりしなくてはならないのに……あの人の妻に、相応しい女性として……」

 侍女は首を振り、笑いかける。

「無理をなさる必要はございませんよ。皆、お嬢様のご心労は重々承知しておりますから」

「……そうかしら」

 女性はそれきり、黙ったままだった。

 一行は葬列から離れ、近くの民家に移動する。その庭先に女性の体を座らせて、侍女は家の方へ向かった。家主がいるなら飲み水を、いないようなら裏の畑の方へ回って、勝手ながら井戸水でも拝借しようと考えている。侍女は女性の方をちらりと振り返った――疲れ果てて具合も悪いだろうに、女性は姿勢を崩すことを良しとしない。凛と背筋を伸ばして、若葉芽吹く百日紅の木の下から、遥か遠方の棺を見つめている。真っすぐ伸びた髪を風が仄かに揺らす。春の新緑広がる中に、漆黒を纏った彼女は現実に開く穴のようだった。

「ごめんください」侍女は視線を前に戻すと、民家の戸を叩く。「突然申し訳ございません。急病人が出てしまって、飲み水を少しいただけませんか」

 応対に出た老婆は、身なりのいい侍女の姿と、その奥に休む女性や召使たちを見て、酷く驚いた様子だった。「まあ、それは大変ねえ」――事情を聞くなり、慌てて水差しを持ってくる。そして侍女を押しのけて、自ら女性の元へ走っていったのだった。

 一連の出来事に侍女はポカンと呆けるばかりだ。

「あれはせっかちでいけねえ」部屋の奥から老爺がぬっと現れる。「こんな暑い日に葬式なんて、お前さん方もついてねえなあ。そりゃあ熱にやられて倒れるさ」

 好々爺は呵々と笑った。

「その分じゃあ朝から何も食ってないんだろ。裏に果物があるから、持っていって食べるといい。腹の足しにはなる」

「いえ、そんな。ごちそうになる訳には」

「大したもんじゃねえから気にすんな。おれについてこい」

 言われるがまま、侍女は彼の後に従った。

 家の裏には採れたてらしい枇杷びわざるに乗せてある。案内されるがまま老人の後ろに続いた侍女は、いっぱいに積まれたそれを見て、美味しそうだと心を踊らせた。

「あんたら、葬儀にしちゃあよっぽどいい召物を着てるんだな。一体どこの誰が死んだんだ?」

「公爵様の義理の息子にあたる方です。ご令嬢のフアナ様の旦那様、フェリペ様でいらっしゃいます」

「はあ、まさかまさか」翁は落ちくぼんだ目をまんまるに見開いて、侍女を見た。

「それでいうと、あんたは、公爵家の召使いって訳か。通りで服が上等すぎると思ったんだ」

 ならこの枇杷はあげる訳にゃあいかねえな。……男性はニッと歯を見せた。

「公爵様の下僕ともあろう方々に、こんな粗末な果物を食わせちゃいけねえ」

「ええっ、そんなあ。後生です、どうか一口だけでもお恵みを。今でこそわたしはお嬢様付の侍女ですが、出身はこの辺りの村なんです、元を辿ればれっきとした田舎者です」

「冗談だよ、嬢ちゃん。それにしてもこの辺に出身か。へえ、もしかしたら知り合いかもしれん」

「カタリナ・オルティスと申します」侍女は名乗ってから、少し視線を惑わせた。「でもわたし、故郷を出てから長いので……」

「うーん。すまねえが、おれの記憶には無いなあ」

 申し訳なさそうに頭を掻く老人に、構いません、と侍女ははにかんだ。村にいたのは何年も前の話、地味な子供だったし、覚えている方が稀だろう。

 彼から笊ごと枇杷を受け取って、それから敷物代わりの赤い布も持たされて、侍女は表の玄関口へ戻る。前庭では相変わらず女性が座ったまま、遠くに霞むばかりの黒い集団を眺めていた。その手には空のグラスが握られている、僅かに残った水滴が陽光に煌めいている。

「お待たせして申し訳ございません。ご主人から枇杷をいただきまして――」

 ――不意に、女性がこちらを向いた。

 病人のように血の気の失せた白い肌、しかし唇は濡れた血の如く赤い。黒曜の瞳が侍女の姿を捉えて、茫漠としていた目が見開かれる。

「あなた……?」

 女性の手からグラスが滑り落ちた。

「ねえ、あなたなんでしょう?」どこにそんな体力が残っていたのやら、彼女はおもむろに立ち上がる。……周囲の従者は皆ギョッとした。

「やっぱり! 今までのは悪い夢だったんだわ、ええそうよ」女性はよたよたと歩いて、凭れかかるように侍女へ抱きついた。「もう、あなたったら悪戯が上手なんだから――お父様たちまで巻き込んで、死んだふりをするなんて。だから皆のやる気もなかったのね! ああもう、心配させないでよ――」

 その弾みで笊から枇杷がこぼれる、草の上に落下する。侍女は動揺を隠さなかったが、女性を引きはがそうにも両手は笊と布に塞がっている。

「お嬢様、お嬢様」侍女は必死になって声を掛けた。「目を覚ましてください、お嬢様。わたしは旦那様ではございません。顔をよくよくご覧になってください。わたしは、カタリナ・オルティスです」

「え?」

 女性は恐る恐る、その手を侍女の顔に伸ばした。左頬をなぞったが最後、女性の瞳から光が消える。嗚呼、と彼女の口からため息が漏れた。

「……申し訳ございません。旦那様は、もう」

「知っているわ。……ええ、本当に。夢と思いたかった……」

 女性は一歩二歩と、その身を引いた。そしてそれから口を閉ざして、無言で落ちた枇杷を拾い集める。いつしか啜り泣きが聞こえてくる。女性はじっと蹲って動かない、動けない。そうして俯く彼女の姿を、侍女はただ見下ろしていた。恐ろしい顔をして、その顔を見られないことに少しの安堵を覚えて、泣く女を眺めていた。

(死んでもなお、貴方の心はあの男に在るのか)

 侍女は人知れず奥歯を噛みしめた。口の中は微かに血の味がした。




 一行に水と枇杷を供した老夫婦は、その晩じゅうずっと彼らの話題を続けていた。

「……それであの女の子はカタリナ・オルティスって言うんだ。この辺りの村で生まれたってんだが、お前さん、何か心当たりはあるか?」

「カタリナ・オルティス……? もしかして、あの〝オルティス〟の娘さんかい?」

「いや、おれにはわかんねえんだけどよお」

「そんな訳あるもんですか。オレンジ農家のオルティスさんだよ、聖堂挟んで向こう側の。利発で背も高くて美人で、ちっちゃい頃から有名だったじゃないか」

「……ああ、ああ!」ようやく合点がいったと、老翁は手を叩いた。「やーーーっと思い出した、そういえばそんな子供いたなあ。あの子があんな大きくなったのか。全く気づかなかった」

 しかしそれから間を置かずに、彼は首を捻る。

「だがオルティスの娘にあんな傷があったか?」

「傷?」

「今日会った彼女にゃあ、左頬にでっかい傷痕があったんだよ。ナイフで切りつけたみたいな、ひっでえ傷がざっくりと……」

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