探偵奇談

橋藤 竜悟

 

憑いて来る、或は鼬の事

【壱】

 ヒタヒタ


 足音がなる、誰もいないはずのマンションの廊下、自宅の扉の前で鍵を差し込む形で止まってしまう。


 ヒタヒタ


 足音はゆっくりと近づいてくる、震えた手はこわばり上手く動いてくれない、寒さすら感じるほど背筋が震えるのに、汗が止まらない。


 ヒタ


 足音が真後ろで止まる、誰もいない、誰もいないはずだが、後ろにナニカがいる。

 まっしろか、真っ赤かわからない頭の中でただ早く動けと念じて必死に震える腕を回す。


 ガチャリ


 カギが開く、すぐさま鍵を抜き、乱暴に扉を開くと中に滑り込む、自然に閉まる扉から一瞬外が見えるが、やはり誰もいない。

 ただその隙間から、荒い息遣いと、嫌な臭いを残して、


 バタン


 扉が閉じた。




 桜の季節も過ぎ、俺にはまったく関係のない大型連休明けの金曜日。

 東京世田谷区にある、一階がカフェになった雑居ビル。その二階にある『上代探偵事務所』の一室で、大事にとっておいたちびたタバコを貧乏くさくふかす。

 時間は18時を回ったところ、今日も事務所に客は来ず、俺はクッションのへたれた椅子と一日仲良くしていただけだった。

 今日はそろそろ店じまいにするかと立ち上がったところで、部屋に戻ってきた少女に怒鳴られる。


「あーっ!またタバコ吸ってる!ただでさえ不健康な生活してるのに……摂生しないと早死にしちゃうんですからね!」


 なにか母親のようなことを言われているのはうちの半居候『コレット・藤咲ふじさき・ロベール』、正論で叱り付けてきているが、こいつは中学生で俺は今年で29だ。

 上から目線で正論をぶつかられる筋合いもないのだが、いかんせんこちらが常に分が悪く、中学生をにらみつけながらも黙ってタバコを灰皿に押し付けた。

 くそ、そろそろ物もなくなってきてるってのに。ただでさえ税金で倍近くもってかれてんだから自由に吸わせろよ、俺の事務所だぞ。


「その顔はなんですか!というか、家賃すら滞納気味なのにお部屋の壁が茶色くなったら大屋さんプンプンになりますよ!プンプン!」


 そう言いながらコレットは両手を握り、人差し指を立てて頭に当てている。これがびっくりするほどうざい。


「そもそもお前は学校帰りにこんなところにきた上、人の食い物貪ってるだけじゃねえか。お前のご両親に目をつけられた挙句、迎えに来る爺さんに殺意向けられる俺の身にもなってくれ」


「そんなこと言って、私がいなかったら掃除もファイルの整理整頓も何もできてなかったじゃないですか!そんなんだから人が来ないってわかってます?文句言える立場ですか?」


 俺は正論は聞きたくない。それがぐうの音が出ないほど俺に突き刺さるからだ。

 確かに、こいつが来てから依頼が多くなったのは事実だ。だからこそ認めたくないものもあると俺は思う。俺のプライドや諸々が懸かっているのだ。

 だが、それやこれやを差っ引いても素直に感謝したいかと言われると、実の所はそうでもない。

 それどころかむしろ――


「あー、わかったわかった。俺が悪かった、ゴメンナサイ。これでいいか?」


「雑っ!雑すぎます!もっと気持ちを込めて――」


 俺は一旦考えるのを止めて立ち上がると、コレットを適当にあしらいながら玄関の方へ閉店の札を下げに向かう。後ろからは「何もわかってない」だの「だからおじさんはモテない」だの聞こえてくるがスルーだ。

 何を言われようと俺は学生のころはモテモテで仕方なかったし、それに俺はまだ20代だ、おじさんじゃない。

 適当に手を振りながら答えつつ、札を返しに玄関のドアを開ける。と、そこに一人の女性が立っていた。


「遅い時間にすみません、『上代かみしろ 享一郎きょういちろう』さんの探偵事務所でしょうか?」


「……俺がその享一郎ですが、ご依頼ですか?」


 女性はその言葉をきき、不安げに後ろを一度振り返って言葉を続けた。


「……そちらはストーカー対策も受けてもらえますか?」




 女性を中に通す。依頼がなさ過ぎて干からびかけていた俺にとっては閉店前の駆け込み客でも諸手を挙げる出来事だ。


「とりあえずそちらへおかけになってください」


 彼女にソファを勧めながらコレットに目配せでお茶を持ってくるように指示する。支持を受けた本人はジトッとした目でこちらを見ていたが、観念した用にため息をつき、キッチンへ向かっていった。


「可愛らしい子ですね、お手伝いですか?」


 彼女もコレットに気づいたのか、目で追いながら俺の正面のソファへ座る。そのまま居住まいを正してこちらを見た。

 身なりは会社員のようなスーツである、仕事帰りにこちらへよったのだろうか。ただ、身につけている小物や一つ一つの所作を見たところだといい家の女性なのがわかる。

 そんな人間が、こんな時間になってまでこの寂れた探偵事務所に来る理由がわからない。俺が言うのもなんだが、こんなところよりも優秀で有名な事務所なんてごろごろある。


「ええ、親戚の子でね、どうしても私の仕事を見たいとせがまれまして。それで、今回はどういったご依頼で?」


 適当なことをいい、ごまかしつつ話を進める。コレットを追い出しておいてよかった。この嘘八百を聞かれていたら悪い方向へかき回されていたに違いない。下手をすれば俺がまた葵あおいの厄介になるところだ。


「あ、こちらも名乗りもせずにすみません。私は『仲村なかむら 智美ともみ』といいます。今日は『ソロモン』の占い師さんからここを紹介されてこちらに伺いました」


 了りょうの口利き客か、こちらに仕事を振ってくれるとてもよくできた友人だが、だいたいこじらせた依頼や他の事務所がさじを投げた依頼などがほとんどなので、かなり難しいのが玉に瑕だ。

 そして基本的に俺にその連絡が入らない。俺が他の依頼なんかでいなかったらどうするんだ?いや、実際にそんなことはなかったんだけども。俺の予定を把握されてるようで少し怖い。


「……ええ、彼からお話は聞いています。こちらも確認したいので、どういったことでお困りになっているのかすみませんがもう一度詳しくご説明お願いします。」


 話を促すと女性はどこか伏せた表情で話し始めた。




 その日、彼女はいつものように仕事を終え、帰路に着く。

 最寄り駅で電車を降り、一人暮らしをしているマンションまで歩いているときそれは起こった。


 ふと気づくと、ヒタヒタと後ろから足音がついてくる。

 はじめは気のせいだと思っていたが、家に近づいてもその足音は続いた。


 彼女はそのストーカーに警戒し、自分の部屋に戻らず、わざとコンビニなどに行き時間をつぶしながらそれが過ぎ去るのを待つ。


 だいたい1時間はコンビニで過ごし、その間客の出入りや店の前を行きかう人々に気を配り、不審な人物がいないか注意する。

 それらしい人間は見つからず、店内も何度か人が入れ替わったため彼女も落ち着きを取り戻し、店を出た。


 そのまま自宅へ戻ろうと歩き始めたとき、ヒタヒタとまた足音がついてくる。

 彼女は怖くなり早足にマンションへ向かい自室に駆け込んだという。


 それ以来、毎日出かけ先から帰るときにその足音はついてくるという。

 どこへ向かおうと、何をしようと必ずその足音は帰り道をついてくるという。


 そして決まって犯人は見つけられない。いくら注意して気を配ろうと、他人に頼んで見張ってもらったとしても、その足音の犯人は姿を現さないそうだ。

 その毎日続くストーカーに彼女もだいぶまいったらしい。警察に相談しても被害が出ないと大きく動けない、代わりに周辺巡回を増やすとだけ対応されたとのこと。


 そしていろいろな場所に相談するうちに占屋「ソロモン」を紹介され、そこでこの事務所を紹介されたとのことだった。




「このストーカーをなんとかすることはできないでしょうか?」


「なんとか、ねぇ」


 おれは話の途中でコレットが持ってきた紅茶を口に運ぶ、前に気づく。隣を見るとコレットが何かわからないといった様子で微笑んでいた。

 よく見なくてもわかったが、客とコレット自身に淹れた紅茶と俺に渡したものとでものが違う。俺のはあからさまに香りもなく、色もなく、味もない。これは白湯だ。


 こんなところで嫌がらせをしてくるあたり子供だと思うが、俺はそれを咎めない。こちらは大人だからな、余裕のある対応をさせてもらう。あいつが俺の事務所兼自宅に常備しているお風呂セットのリンスとシャンプーを入れ替えた上で、あのやけに香りのいい石鹸を徳用リサイクル石鹸に入れ替えておいてやる。やるなら倍返しが基本だ、徹底的にやる。


「……?彼女に何か?」


 言葉を切って紅茶詐称犯を睨んでいた俺とその主犯であるコレットを、依頼者の仲村さんは怪訝な顔で見比べている。


「いえ、こちらの問題ですのでお気になさらず、話を折って申し訳ない。ではその“見えないストーカー”を見つけてストーキング行為をやめさせればいいのですね?」


「は、はい、もう他に頼れるところもないんです。私自身も怖くて仕事に集中できないうえ、体調を崩してしまうくらいで……。報酬ならいくらでもお支払いしますのでどうかお願いします!」


 彼女は座りながら深々と頭を下げた。


 またこの手の依頼だ。コイツが来てからというものイヤな依頼が集まるようになったのを感じる。気のせいならいいのだが、ここ最近の状況を見てどうやらそうではないことがわかる。


 話を聞く限りだと他のまっとうな探偵事務所は軒並み匙を投げたのだろう、そして頻繁にストーキングされているにもかかわらず警察が動くような被害は出ず、俺のところに持ってくるような物証もない。要するに彼女はストーカーの“音”しか聞いていないということだ。


 これはもう十中八九人間でないモノがかかわっている。了にしろ、葵にしろ、俺の事務所を神社か寺と勘違いしているのではないだろうか。


 この手の依頼は行き詰ってから来ることが多いせいか、羽振りがいいものの下手をすれば命にかかわってくる案件も多い。

 俺はその手のプロフェッショナルでもなんでもない一般人だ。なぜこちらを巻き込んでくるのかがわからない。


 だが、俺の生活も依頼人と同じくらいには行き詰っているのも事実だ。ここ最近は家賃滞納どころかライフラインすら危うくなっている。金は喉から手が出るほど欲しい。しかし、命を懸けるほどなのかといえば、申し訳ないがノーだ。


「申し訳あ――」


「ええ!大船に乗ったつもりでお任せください!『上代享一朗』探偵事務所の超有能助手である、私こと『コレット・藤咲・ロベール』が解決をお約束いたします!」


 丁寧に断ろうとしたとたん、コレットが食い気味に割り込んできた。


 ナニヲイッテイルンダコイツハ?そもそもこいつに決定権はないし、お前がやると泥舟だ。

 同時に襲ってきた頭痛に目頭を押さえながらコレットを見やると、らんらんと輝いた瞳で依頼人の手を両手で握っていた。


「ストーカー被害は心配ですよね、わかります。私も変なヒトが後ろから付いてきたりすることがよくありますから……ということで、探偵さん!お仕事の時間です、頑張りましょう!」


 被害者の大変な悩みを何サラッと「よくあることですよ」風にまとめてるんだこいつは。共感するところ間違えすぎだろ。

 こいつ、さてはいつもどおり何も考えてないな?ただ探偵ごっこがしたいだけで勝手に話を進めているとしか思えない。

 俺は何とか持ち直し、コレットを制止するべく口を開いた、が、


「ほ、本当ですか!?ここに断られたらどうしようかと不安だったんです……!ありがとうございます!よろしくお願いします!」


 俺の制止は行われることすらなく、依頼人と自称俺の助手との間で契約が成立してしまった。

 依頼人は目に涙を浮かべて喜んでいる。この状況で「依頼を受けることはできません」などと誰が言えようか。それが言えるような胆力の持ち主なら、俺はこんなところで干上がりかけてはいない。


「え、ええ。どうぞ大船に乗ったつもりで我々にお任せください。そのお悩み、解決しましょう」


 俺は顔を引きつらせながら答える。どうしてこうなった、コイツ本当は疫神か何かじゃないのか?何で俺がこいつの泥舟を航行可能なまでに魔改造しなければならんのだ。


 横でその疫神が「どうぞ私に任せてください!ストーカーなんてこうです!」とかのたまっている。うわーすごい、コレットさん謎のストーカーとステゴロでタイマン張れるんすねー。

 怒りを通り越して呆れで思考がおかしくなる。こいつは早めに何とかしないと、俺は貧乏で餓死する前に依頼中の障りかストレスで死ぬ。


 ここまで来てしまってはもうどうしようもない、この業界に限らず仕事は「信用」という取り返しのつかないもので成り立っている。今ここで降りると、ただでさえ少ない仕事が底をつきそうだ。

 なので割り切って話を進める。ヤロウ、覚えとけよ……。


「では、どう調査していくか、方針と今後の行動を決めていきましょう。時間は大丈夫でしょうか?」


 俺は手帳を広げながらペンをとる。外は日が傾ききり、夜の帳が下りてきた。

 様々なことが殴り書きされている手帳のページをめくり、真新しいページに依頼人の名前とともにこう書き殴った。


 ――ストーカー、人間?

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