第2話 香澄がカスミに、成った日
夢を見ていた。
全てが始まったあの日の夢だ。
代々彼女の家系に受け継がれてきた魔女を継ぐと決意したその日。
上原香澄としての人生、その終わりであり始まりでもある出来事は、今でもはっきりと思い出せる。あの日、確かに上原香澄は一度死んだのだ。
幼い頃から占いやら、魔法薬の調薬やらを修行と称して仕込まれて来た。
学校に通いながら、魔女としての修行もこなす日々。
当然放課後は友だちと遊ぶ暇さえなかった。
故に、学校は好きだった。修行のことを考えなくて良い唯一の場所だったから。
下校の時間が近づくといつも憂鬱になる。
――普通の女の子になりたい!!
それが香澄の、切なる望みで。だからこそ学校でだけでも普通の生活を送れることはとても嬉しかった。できることなら修行など全て放り出したかった。
そうこうしている間に時は経ち、大学を卒業した香澄はこじんまりとした会社に就職することになった。母は魔女の修行を続けるよう言ってきたが、仕事が忙しいからと断り続けた。
やっと普通の女の子の生活が送れるようになり、浮かれていた、そんな時。
父が突然倒れた。
厳しすぎる母と違い、優しい父が、目の前でみるみる弱っていく。
医者に見せても原因不明だという。
「お父さん、死んじゃうのかな……」
不安げに母に問うと、
「あなたは今まで何を学んできたのかしら?」
――??!
言葉を失う香澄に母は言い放った。
「お父さんはあなたが治しなさい。死なせたくないなら、ね」
香澄はひたすら自宅の書斎の文献を漁った。魔法薬学にあたりをつけて、父と似た症状に効く薬がないか、徹底的に調べた。
死なせたくない、父を。
見返してやる、母を。
大好きな父を失いたくなくて。そして、そんな父をまるで力試しか何かのように扱う母に、目にものを見せたくて。
やっとのことで作り上げた魔法薬は、父にてきめんだった。
元気になった父に安心し切っていた。時々調子を崩すけれど、その度に魔法薬を作った。それでいいと思っていた。
けれど、その日はやって来る。
魂食みに魂を喰らいつくされた、父だったモノを屠った忌まわしい記憶。
基本的に魂食みに魂を食まれたところですぐにどうこうということはない。魔法薬で魂を治癒することも可能だ。
しかし、一度目をつけられればその魂を喰らい尽くすまで奴らは獲物に執着する。
魂の最後の一欠片まで食い尽くされた人の末路。それは新たな魂食みだ。
父は魂食みに目をつけられ、魂を食まれていたのだ。香澄がしていたのは対処療法であり、根本原因を取り除く事はできていなかったのだった。
真の魔女の役割とは、
そう言っていた母の言葉が、皮肉にもその時ようやく実感を持って香澄に降り掛かってきたあの感覚をはっきりと覚えている。
香澄は責めた。父を救えなかった己の未熟さを。そして恨んだ。彼女なら容易に救えたはずなのに見殺しにした母を。
悔しくて、哀しくて、辛くて。
だからこそ、過去の自分を捨て去り、そこから一人前の魔女になるべく研鑽した。昼は会社に通い、普通の生活を送りながら。
あのときと同じ思いはしたくない! 同じ思いを他の誰にもさせたくない!!!
その一心でなんとか一人前と言えるようになった今も学ぶ姿勢は忘れないようにしている。
少しでもこの手からこぼれ落ちる魂を減らしたい。
ただ、それだけ。
急速に意識が収束し、目が覚めた。鏡に向かって初めて涙の跡に気づく。
忌まわしい記憶を洗い流すように、いつもより丁寧に顔を洗うと、なんだかスッキリした。
買い置きの菓子パンを胃袋に詰め込んで出勤する。
OLとしての仕事は退屈だが、好きだ。自分が普通に暮らして行ける証明だと思っているから。
いつも通り仕事をこなし、終業のチャイムと共に退勤。一旦店に戻ってローブに着替えると、慶子が息を吹きかけた水晶球の片方を取り出した。
これは、慶子に近づく魂食みに反応する球で、魂食みが彼女に近づいた際に彼女の魂が食まれないよう結界をはると同時にカスミを慶子のそばに転送する機能も持つ。
カスミの見立てでは、次の襲撃は、今夜。
本人の申告によれば、慶子はそろそろ眠りについた頃合いだ。水晶球を注意深く見つめていると、暫くしてじわじわと黒く濁り始めた。
「来た!!」
急いで呪文を唱えると、水晶球に念じる。
今やどす黒い光を放つそれは、カスミを飲み込んだ。
何度経験しても慣れない嫌な感覚がよぎると、そこは慶子の魂の在り処。
1メートルほどのまばゆい光球のまわりに、魂食みが齧りつこうとしている。
しかし、水晶球が張った結界に阻まれて食むことができない。まだこちらに気づいていない様子の魂食みに先制の一撃を叩き込む!!
カスミが放った炎の玉は、途中で細かい火球に分裂、魂食みを追尾し全弾着弾した。
ヂゥウウウウ――
まるで生き物が焼けるときのような耳障りな音を立てて、魂食みの半身が消失した。
残った体全体を使ってこちらに向き直る。
シャァアアアア!!
鳴き声なのか、奇妙な音を立てて魂食みはこちらへと向かってくる。
「
力強いカスミの声に呼応して破壊と浄化の蒼き炎が顕現、残った半身をも焼き尽くした。
――ケイコォォ……
魂食みが消え去る間際、カスミの脳裏に映像が浮かぶ。
そこには娘に依存し、捨てられた母親の惨めな末路が映し出されていたけれど、何も見なかったことにする。
捨てたとはいえ、自身の母親が魂食みとして自分を襲った事実など、知らないほうが良いに決まっている。
断末魔の叫びと映像のことはカスミが墓まで持っていく。どんなに辛いことだとしても、それが人を救うことの代償だから――
◇◇◇◇
ピルルルゥー
聞き慣れない音が耳の奥で鳴った。
なんの音とも形容できない、しかしとても澄んだ音が広がっていく。
目の前には魔女からもらった水晶球が、淡い
――終わった、の??
声に出してそういった、と思った瞬間慶子は目覚めた。
慌てて水晶球を探すが、どこにもない。
なくしたのかとも思ったけれど、久しぶりにすこぶる調子が良く、体が軽いのに気がついた。
「きっと、夢じゃ、ない」
耳の奥に残る心地よい音と、温かい光の中に懐かしい感じがした。
「今度、魔女さんにお礼に行かなきゃ……!!」
何故かこぼれ落ちた一筋の涙を訝しみながら、慶子はいつもの日常に戻っていった。
◇◇◇◇
いつも通りの業務をこなした昼休み。
「わっ?!」
突然頬に冷たいものをあてがわれ驚く香澄に、
「ほい、差し入れ!」
ペットボトルのオレンジジュースを差し出しながら、上司の原田が声をかけてくる。
「ありがとうございます!」
とりあえず礼を言う。すると。
「上原、あんた今日辛そうな顔してる」
「――へへ、原田主任は何でもお見通しですね……」
この女上司はよく人を見ている。仕事もできるし、気遣いの人なのだ。
「何があったか知らんけど、元気だしなよ? じゃないと業務に差し障るからね!」
冗談めかして笑うと、去っていく上司の背中に向かって、
「主任!この借りは必ず仕事でお返しします!!」
そう言わずにはいられなかった。
「ああ、そうしてくれ!」
優しい背中を見送ると、そろそろ昼休みも終わりそうだ。
「さ!今日も残りの仕事、頑張ろ!!」
自分に言い聞かせ。
午後の仕事に向かう香澄は、いつも以上に柔らかい風をまとっていた――
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