第3話

しばらくして、正和と少女が、息を切らしながら義清のもとへ走ってきた。


「店員には?」


「今報告して……、警察にも、連絡すると……。」


少女は肩で息をしながら答えた。


「そうか。じゃあそれまでこいつを逃げないようにすればいいんだな。」


下敷きになった男は、時折体を動かしてはいるが、強く抵抗する気はないらしい。ふと、義清はあることに気が付いた。


「そういえば、その制服、聖北高校の?」


「はい、二年です。」


「一緒じゃん。何組?」


「えっと、三組。」


「通りで知らないわけだ。俺は一組の東山義清。よろしく。」


「西沢正和だ。」


「中森 佳穂かほです。よろしく。」


少女はおずおずと自己紹介をした。そして、こう切り出した。


「あの、本当にありがとう、義清君。私が感謝することでもないんだけど、私だけじゃどうすることもできなかったから。」


「なに、俺にできることをしたまでさ。それに、ほとんどは佳穂ちゃんのおかげだよ。」


「私の?」彼女は驚いた様子だった。


「だって、ドアの前でこいつが逃げないようにしてたでしょ?」


「うん。でも結局……。」


そう言って彼女は少しうつむいた。


「あの数秒のおかげで、俺は状況についての可能性を検討することができた。それがなければあんなにすぐに追いかけることはできなかったし、あるいはこうしてつかまえることもできなかったかもしれない。」


「まあ、なかなかできることじゃないな。」珍しく、正和も同意した。

「だから、もっと胸を張ってよ。佳穂ちゃんは正しいことをしたんだから。」

「……。」


佳穂は目を丸くして固まっていた。まるで、そんなことを言われたのは初めてだとでも言うような顔だった。


「その、……こんなことを聞くのは変かもしれないけど。」


しばらくの沈黙の後、彼女は恐る恐るといったように訊いた。


「怖くは、なかったの?」


「怖い……というと?」義清が聞き返すと、佳穂は言葉を続けた。


「だって、仮にも万引きをするような人なんだよ。危ないものとか持ってたかもしれないじゃん。例えば……護身用のナイフとか。」


「ああ、確かに。そこまで考えてなかったけど、もしそうだったら危なかったね。」


その回答に、彼女は少し呆れたような顔をした。


「危なかったねって……。今回は大丈夫だったけど、万が一本当に持ってたら……。」


「まあ、だとしてもだよ、佳穂ちゃん。」義清はここで言葉を遮った。これ以上はおそらく、最悪の仮定した話が続くだろうと思った。


「それは万引きが許されていい理由にはなり得ない。だから、もし次万引きを見かけて、そいつが手にナイフを持っていたのを見たとしても、俺の行動はきっと変わらないよ。」


「どうして?」再び、佳穂は義清に問いかけた。


「どうして、そこまでできるの?」


「どうして、かぁ。どうしてだろうな。」


どうしてできるか、という問いに答えるのは難しかった。できない理由を考えることはあっても、できる理由を考える必要はない。なぜなら、できてしまうのだから。できることに対して、なぜできるかなどということは、考えようとも思ったことがなかった。


「それが正義だからだ。それ以外に正義を執行する理由が必要か?」


正和が口を挟んだ。だが、その意見には一切の反論の余地もなかった。


「そうだな。それが正義だから。それだけで十分じゃない?」


サイレンの音が近づいてきて、数人の警官が集まってきた。


「お、やっと来たか。おまわりさん、この人をお願いします。」


そう言って、義清は取り押さえていた男を立ち上がらせ、警官の一人に渡した。男はもう抵抗する様子もなく、ぐったりとしていた。時計を見ると、映画の上映時間はもうまもなくだった。


「じゃあ、俺たちはこれで。佳穂ちゃんもまたね。」


依然不服そうな佳穂を尻目に、義清は映画館に向かおうとした。ふと、何かを忘れている気がした。


「なあ義清、俺たちはなんでコンビニに入ろうとしてたんだっけな。」


正和はもうすでに気づいていたらしい。恨めしそうに警官に連れられた男の後ろ姿を睨んでいた。義清も、自分の体が水分を欲していることを思い出してしまった。


「また、あそこまで戻るのか……。」


太陽は、まさに今が最高潮というように燦々と輝いている。コンビニへと続く道は、熱によって歪に変形していた。今後の道のりを想像して、義清は早くも倒れそうになった。

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