interlude 1 ~幕間~
第11話 interlude 1 ~幕間~
西と東とが交わる交易点、サウス・アラギラという大国にはある特徴があった。
その国内では、誰もが誰の許可もいらず、自由に品物を売買することが出来る。
例え外国人であってもだ。
サウス・アラギラの街のど真ん中に開かれた広大な土地は、『ギラン』と呼ばれ、使用料を払えば何を売っても構わない。
そこに人の首が並ぶ事もあるし、非合法の薬物が並ぶ事もある。
当然武器の売買も自由であるし、人身売買も合法だ。
税金はかからない。このギランを利用する際に払った入場料が税と同一視される。
また犯罪に抵触する品物でも、このギラン内での売買証明があれば、自国で罪に問われる事もない。
経済と貨幣を神と仰ぐこの土地の宗教は、犯罪すら歓迎した。
そして自由すぎるそのマーケットは凄まじい利益を叩き出す。
世界各国の商人はこぞってギランを目指し、ギランの周りには人が集まり、宿が出来、酒場ができ、街が出来た。
ギランに夢を見てそして散っていった者、たった一つの商品を武器に成り上がったもの、それぞれの人生を内包しつつ、このサウス・アラギラの周囲に沸き上がった泡の様な小国の一つが、ギンキシである。
元々はギラン内にて、自身の戦闘能力、つまり警護、護衛の能力を売らんとする男達のたまり場であった。
やがて彼らは集団を形成し、より効率的に自分達の能力に値をつける様になった。
ギルドの誕生である。
この世界に於いて比較的安全な土地であるサウス・アラギラから一歩出れば、命の保証はされない。
砂嵐を巻き起こすストームファング、凡ゆる動植物を飲み込む人の手の形をしたサンドワンド、体長2メートルを超すジャイアントアント、砂漠の夜に叫ぶ死のヤギ、アザリーなどが跋扈しており、その天災は永らく人種と知性ある亜人種達の交流を絶ってきた。だがギルドの誕生により状況は一変する。
商人達はギルドに所属する戦士、傭兵達をかき集める様になった。
或いは自身でギルドの経営を行う者すら現れた。
それこそ、そこに人種、性別、種族の違いは問わなかった。
もっとも商人達に喜ばれた傭兵は、極東に位置する大和という小国の傭兵であったが、未だ鎖国を解かないこの国の傭兵が手に入る事は滅多にない。
そこで俄かに候補となったのが、西の端にある魔法と学問の都市、ウルタニアにあった騎士という傭兵達である。
勇敢で自己犠牲を問わない彼らの献身の精神に依ってギンキシは名誉と共に発展する。
だが、力を持つものがその能力を正当に評価されるとは限らない。
大金が手に入る、という噂に踊らされた騎士達は、こぞってギンキシへ赴き、そして打ちのめされ、盗賊になる。
やがて、ギンキシはかつての栄光を失い、酒と喧嘩と犯罪の温床、発展を続けるサウス・アラギラの影、スラム街の一つに形を変えたのである。
コヌヒー紛争が始まる半年ほど前の満月の夜だった。
ギンキシの街のゴミ処理場、腐った肉とドブの臭いに塗れた煉瓦造りの広場の中に蠢く人影がある。
満月を隠していた雲を風が押し流す。辺りが段々とほの白く浮かび上がる。
やがて暗闇もその白い月明かりに払われて、隠していた人影を明らかにした。
煮染めたような色のボロボロのローブを頭から被っている、背格好は青年のそれだ。
破れた裾から覗く素足は小さく、上背も厚みもない、痩せた子供のような浮浪者だった。
それが腐った生ゴミを掻き分け、仕分け、大きな音を立てている。
酒の瓶が彼の真っ黒に染まった足の爪に押されて石畳を転がった。
瓶の口から飛び出た液体が彼のローブを濡らしたが、彼はそんなものに見向きもしない。
ガラガラと何かが崩れる音が、彼の右腕の裾からした。
犯罪者の寝ぐら同然のギンキシの街の、さらに静かなゴミの島である。
気にするものなど誰もいない。
彼の真っ黒な足の裏は、何処から滲み出たのかわからない液体を踏み進んだ。
悪臭を置き去りにして進む彼の様子を、隙間から沢山のゴミ虫達が覗いている。
とうとう怯えた臆病者のゴキブリが羽根を羽ばたかせ闇の隙間に逃げ込んだ。
そのゴミの山の奥に腐りかかった人間の指が覗いていて、虚空に人差し指を引っ掛けている。
ローブの奥で少し笑った彼は、ごみさらいのついでにその指に向かって割れた瓶の口を投げつけた。
瓶の口が見事その指を掠めて飛んでいく。
瞬間、指が崩れて骨が覗いた。
同時にその周囲のゴミの山が膨れるように体積を増して、虫の羽音が辺りに響いた。
すぐさま落ち着いた虫どもの晩餐を、満足そうに眺めて、彼は視線を左に向ける。
左の奥に真新しいゴミの山がある。
ローブの奥の目でそれを確認した彼は、弾む足で新しいゴミの山、彼の晩餐へと走り出した。
大きな樽が一つ、二つ。一つは割れた酒瓶の詰められたもの。
かなり時間が経っているようで、瓶の中の酒は乾いて残っていない。
もう一つが、恐らくは宿屋、酒保から出された残飯や、食材の切れ端が詰め込まれた物。
エールもビールの飲み残しの漬け汁が臭うが、新鮮な食材の切れ端が樽の口に覗いており、彼は大喜びでそれに手を伸ばした。
根菜、葉物、それから中には肉の食い残しまで。少々の泥は愛嬌である。
彼にとっては実に三日ぶりの食事なのだ。
苦味の残る根菜を齧り、骨をしゃぶって肉の味を楽しんだ。
よく見ればカビは生えているが、パンの欠片も捨ててある。
それから端に転がっていた果実。地面と接していた部分が酷く柔らかく、汁が出始めていた。
食えない事はないだろう、と彼が大きな口を開けてその果実に齧りつこうとした瞬間、機械音声が暗闇からそれを静止する。
「よくそんなもの食えるな」
振り向いた方向には何もない。自分が踏み荒らしたゴミ山の跡があるだけだ。
薄暗い月明かりの中でそよそよと凪ぎながら発酵していく、その不快な光景が広がるばかりである。
けれどローブの中の人物は、その声の主を知っていた。
果実に食らいつこうとしていた口を閉じて、微笑みながら何もない空間に呼びかけた。
「やあ、ペム2」
ペムと呼び掛けられた空間が、透明な人型になって揺れ始めた。
彼はゆっくりと歩を進め浮浪者に近づいていたのだが、同じ速度で頭頂から光学迷彩が解除されていく。
空間から湧き出す様に現れた彼の外見は異様だった。
銀色の外骨格、表情筋はない。毛髪もない。
窪んだ目の奥には赤く光るカメラが内蔵されており、それがチー、と微かなモーター音を立てながら浮浪者を記録している。
次いで広い肩幅と発達した胸筋、外皮がないので筋繊維の流れがつぶさに観察できる。
体を形作る銀色の物質は、金属というより有機物に近かった。
外皮を削った生身の人間の肉体と遜色はない。
ただ、ところどころの筋繊維から恐らくは内部電力の明かり、発光ダイオードが緑色として漏れ出ており、それが彼の独特の雰囲気を形作っている。
月明かりに全身を晒したペムは、浮浪者の前方1メートル前で歩みを止めた。
彼の背中には大きな刀も仕込まれてあった。
「今回は早かったね。クレアに言われたのか?」
浮浪者は笑いながらペムに問うた。
人の様に頭を振ったアンドロイドが、ため息をついて機械音声を浮浪者に投げる。
「いい加減にしろよ。カイザード。あんたが国に収まっててくれりゃこんな所まで探しにくる必要はないんだ。費用だってバカにならない」
低い男性の機械音声が、ペムの口元についたマスクの様な発声器から発される。
ペムの嘆きをまた笑って、カイザードは崩れかけた椅子をゴミの中から引っ張り出した。
ゴミの山の上でそれに腰掛け、頭部のローブを外す。
中からは赤い髪の、利発的な目をした少年の顔が現れた。
「だからってあんな場所にじっとしとくのは僕の性に合わない。僕らの国の法律は一つだろ、欲するところを行え。それは僕にだって適用されるはずだ、違うかい?それに、僕が居ない方がクレアだって自由に出来るだろ、今はどんな悪どい事をしているのか知らないけどね」
皮肉を込めてペムに返した少年は、発した毒に似合わない爽やかな笑顔を面に写す。
敵わないな、と判断したのか体の軸をずらして腕を組んだ。
そしてさっきとは打って変わった緊迫した声で、カイザードへ訴えかけた。
「少し面倒くさい事態も起こっている。サジの一件で、ウルタニアとは敵対傾向になった」
「何があった」
「サジの野郎、物資輸送の依頼中、他の奴が気に入らなかったとかなんとかで、輸送キャラバンの半数を殺しやがった」
途端、大口をあげて笑い出したカイザードに、ペムが呆れた声をかけた。
「笑い事じゃない。おかげで収支はマイナスだ、保障関連でかなりの額を支払った。クレアがキレんのも当たり前だ」
「あいつらしい」
ヒィヒィ、と弾む腹を抑えながら涙を拭ったカイザードに、今度は幾分かその機械音声の音量を絞った、ペムの告発が伝えられる。
「サジの件はどうでもいいが、問題は運んでいた物だ。送り主はウルタニア、研究機関のゴールデンドーン、コヌヒー近くにあるイレーナという小国に大量の水を届けようとしてたらしい」
笑っていたカイザードが突然剣呑な鋭さをもって静止した。彼は知っているのだった。
「ワームウォーター。完成したのか」
頷きながらペムが続ける。
「完成かどうかはわからん。だが、リスクを冒してまで運ぶべき品物なのは確かだ。ワームウォーターが完成したのであれば、サンドワームの養殖が行える」
カイザードが立ち上がった。彼の頭上に大きな月が、まるで王冠の様に重ねられてある。
「フェニスが動くね」
少年を見上げたペムの内蔵カメラに写された像が美しく彼を酔わす。
このボロ切れを纏った乞食は、彼の、彼らの王である。
証明として、みよ、月でさえ彼に傅いて、無数の塵芥ですら彼のために祈り始める。
「ブラックオイルを何がなんでも手に入れたいランドマリー、聖シオン騎士団団長のフェニスであれば恐らくかなり強引な方法を取るだろう。なんてったって、奴隷から成り上がった彼女の事だ、人死にも戦争も厭わないさ」
ゴミの玉座から駆け降りた彼は、ペムの隣を堂々と歩きながら通り過ぎる。
王に腐った果実など必要ない。
手の中の果実は月に向かって放り投げられ、ゴミの山のどこかに潜んでいた黒猫の足を走らせた。
「さぁ行こう」
赤い髪の少年は言った。
「凱旋だ。我らの国、我らの土地、我らの祖国、アデンへと帰還しよう」
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